第三話「一体なんなのよ」
「私の妻だ」
「はぁ?」
呆気にとられたクロノ公爵の弟君は、まるで信じられないようなものを見る目で私と兄を交互に見て、なにやら納得したように手をぽん、と叩いた。
「あぁ、昨日の夕食に幻覚作用のあるキノコが入っていたのですか…。成程、どうりで体の節々が痛むと…」
「阿呆か、それはただの筋肉痛だ。俺の忠告を無視して父上と一緒に戦線へ赴いたからだろう。その身体で前線に出るなとあれほど口を酸っぱくして言っているのに」
「ああ、そういえばそうでした、では本当の…」
「ええっ!?」
今度は全身を使って驚きを表現するクロノ公爵の弟君。
兄の発言をようやく正確に咀嚼できたのだろう。そのままぽかんと口をあけ、固まったように動かなくなってしまった。
「ヴァレンティ―ナ・ロマーノです。不束者ですが、今日からよろしくお願いします」
そんな彼に対し私は姿勢を正すと、手を前にして腰を折りながら、いつもの清廉とした口調を作り、弟君に挨拶をする。
「ちょ、ちょっと待ってください、全然話が見えてこないのですが…。王国に行っている間に一体何があったんですか?」
「グレイ、見てわからないか?一目惚れだ。お互い王国で惹かれあい、運命の出会いを果たしたのだ。透き通る銀髪に、白磁の肌、宝石のように光を集める瞳。それにこの毅然とした佇まいと聡明さを持ち合わせている淑女など、惚れない方がおかしいだろう」
(―――はい?)
突然、真顔でありったけの美辞麗句を発したクロノ公爵の言葉に耳を疑ってしまう。
これはクロノ公爵の弟君―――グレイ様を騙すための嘘だと分かっているにも関わらず、すらすらと出てくる私を称賛する言葉に、いたたまれない気持ちになってくる。
(えっと…この人、すごく女性に慣れてる…?実は女誑しのすけこまし?)
顔が少し熱を持ちそうになるのを必死に抑え、私は冷静さを取り戻す。どうやらクロノ公爵は私たちの取り決めを隠す方向に舵を切ったようだ。であれば私も夫人として、この芝居に乗るしかない。
「そ、そうです。私達は運命の出会いを果たしたのです。ですからこれからも、よろしくお願いしますね」
「ヴァレンティ―ナ様、でしたよね…?あの、私が言うのもなんですが、本当に兄上を…?」
「ええ、このとおり、私もクロノ様をお慕いしております。この命尽きるまでこのシュバルツ家に身を捧げる所存ですので、グレイ様にも私を家族として認めてもらえるよう、精一杯精進いたします」
これから夫となる人の弟君だ。つまりこの方は私の義弟となる。そんな彼とは、出来るだけ良好な関係を築きたい。
それにむしろこういう毅然とした態度で人と接するのは私の十八番でもある。これまで何年間も清廉たる聖女として皮を被ってきた私を舐めないでもらいたい。
だがそんな私の必死な努力は―――不躾な旦那の横槍でがらがらに崩れ去ることとなる。
「おいおい、我が弟の前では皮を被るのか?どうせそのうちボロを出すのだから、今の内からいつも通りにしておけばいいものを」
「いえ、見たところグレイ様は生真面目な方ですので、丁重に接する事が出来ますわ。貴方のような意地の悪い人にしか、酷い言葉は浮かんできませんので」
「ふっ、もう目が吊り上がっているぞ?そんな杜撰な佇まいで今までよくバレなかったものだな。今すぐ鏡を見てくるといい、俺よりもよっぽど鬼の名を冠するに相応しい表情だ」
「ええ、上等ですこと。鬼人公爵と謳われる方に嫁ぐのですから、まさしく鬼でもなければ務まりませんわ。文字通り鬼嫁となり、貴方を尻に敷いてぺしゃんこにして差し上げます」
そういって、互いに笑みを作りながら火花を散らす私と旦那様。
売り言葉に買い言葉―――というよりも、私は何故かこの人に煽られると反射的に言い返してしまう。
我慢する事は本来得意なはずなのに、なんでだろう。この人のツボの抑え方というか、誘導の仕方が上手なのだろうか。
違う―――私はこの話し方を、知っている?似たようなやり取りが、私の記憶の中にある?
不思議な感覚に足を取られていた私が、しまったと気が付いた時にはもう遅かった。グレイ様はじーっと怪しげなものを見る目で私を凝視している。
「ええ…。仲がいいのか悪いのか、さっぱりわからないのですが…。なんですか、鬼嫁って…?」
「あ…今のは言葉の綾というか…その…ストレートにカウンターを合わせたというか…」
もう完全に手遅れだったらしい。化けの皮を見事に剝がされた私は、斜め上を見ながら苦し紛れに誤魔化すしかなかった。
先ほどよりも鋭くなった彼の視線が痛い。
「いえ、今はそんなことより―――」
話が脱線しようとしていた事に気が付いたグレイ様は、はっとしてすぐさま兄の方へと向き直る。
そのままぶんぶんとかぶりを振ったかと思うと、そんな些末な事は後回し、とでも言うかのように身振り手振りを使ってクロノ公爵へと問い詰めた。
「この家の呪いの事はどうするんですかっ!まさかヴァレンティ―ナ様に跡継ぎを産んで貰うつもりではないでしょうね?」
「あ、跡継ぎ…」
(完全に忘れてた…そうね、この家だって名だたる公爵家だもの)
この家は帝国の中でも四つしか存在しない公爵家の一角だ。
そして当然、貴族には後生に家を継ぐという一番大事な使命がある。特にこのような格式の高い家になるほど、その意味は重くなっていく。
先ほどこの旦那は『仕事は最低限のものでいい』とは言っていたが、子供を残すこともその中に入っているかもしれない。なぜなら貴族の夫人として一番大事な仕事は―――子供を成す事だから。
(もしかして彼の提示した一年は、私が子供を産むための一年…?十月十日を逆算すれば、十分にあり得る話だわ)
まさか―――子供を産ませるだけ産ませ、その後母親になって間もない私を殺すなんて人道から外れた事を計画しているのか。
しかしながら先ほどの様子からして、二人の子供に関しての言及は特になかったし、そのような素振りも見せなかった。何よりここまで話した所感だと、彼がそこまで外道に落ちている人間には見えない。
私は神妙な面持ちのまま、隣に座っている旦那であり番いの片割れ―――クロノ公爵を横目に見る。
すると彼は特に気にした様子もなく『そのことか』と言い姿勢を正すと、すっと目を細め諭すように静かに語りかける。
「安心しろ、それに関しては、私に考えがある」
「考え、ですか…」
「ああ、だから全て俺に任せておけ」
そんな有無を言わさぬ兄の言葉に、口を噤むグレイ様。
(もう、任せておけって…何を任せるの?)
大事な時に限って言葉数が少なくなる彼に心の中で悪態をつきながらも、私の立場としてはもう流れに身を任せるしかない。
そう思って一旦この話は考えるのをやめた。
するとクロノ公爵もここで話は終わりだ、と言わんばかりに腕を組む。おそらく普通の人間であれば、ここで躊躇して話を切るだろう。
「あのですね…すみません、これは最初に言えばよかったのですが」
だが相手は流石の肉親だ。そんな空気をものともせず突然じと目になりながら私達を睨みつけた。
「応接間に皇太子殿下もいらっしゃっいましたし、きっと何か事情があるんでしょう?流石に無理がありますよ、お二人とも」
「うっ…!」
「はぁ…あの腐れ縁め。用が済んだならさっさと帰ればいいものを」
完全たる『証拠』を提出され、即座に観念した私達は、同時に肩の力を落とした。
皇太子殿下がこの家に居たことを見られたのであれば、何かしらの政治的案件が絡んでいるのは間違いない。この瞬間に『一目惚れ』などという戯言はクロと断定された。
そんな私達を見てため息を一つついたグレイ様は、呆れたように先ほどのやり取りを掘り返す。
「なんですか、さっきのうすら寒い芝居は…。兄上もよくあんな歯の浮くようなセリフがすらすらと出てきますね。」
「いや、あれは普通に本心だが?」
「はぁっ?」
素っ頓狂な声が出てしまったのは、グレイ様ではない―――私だ。
何を言ってるんだこの公爵様は。
先ほどの世辞が本心?いやいや、ないない。というかあれだけ美辞麗句がすらすらと出てくるのなら、どんだけ女たらしだよって思う。
あんなもの、長年恋い慕った相手か、熟年夫婦でしか交わされないようなものだろう。
混乱する私をよそに、クロノ公爵はさも当然かのようにグレイ様に尋ねる。
「こいつの容姿を客観的に言ったまでだ。お前もそう思うだろう」
「いや、確かに美人ですけど…。それは主観的というのでは?」
(な、なんなの…?)
むず痒いというか、気恥ずかしいというか。
何とも言えない感情に苛まれた私は、ただ口をきゅっと結ぶ事しか出来なかった。
というか、この鬼人公爵と謳われる冷淡な彼にも、そういった感情はあるのだろうか。
その―――好きな人、とか。果たしているのだろうか。
まぁ今更そんなもの、考えても栓のない事なのだが。
「とりあえずバレてしまったものはしょうがない。グレイ、エリオットとルーカス、それと動けそうなら父上も集めろ。後で面倒が起こらないよう、私から話しておく」
空気を一転させるように、抑揚のない口調でグレイ様に命じるクロノ公爵。
おそらくこれまでのいきさつ。そして私達の事を、この家の重鎮達に開示するつもりなのだろう。
であれば―――私も少し考えがある。
「待って。それは私から話すわ」
王国から失墜の聖女と揶揄され、婚約者だった王太子殿下に追放された私。
その場に現れた帝国の皇太子殿下に言われるがままこの黒竜公爵家に嫁いだが、おそらくそれは事情を知らない人から見るとあまりにも奇特な事件だ。
だが私は、ただの被害者で終わりたくはない。私だって当事者なんだ。ここまでは全て命令に従ったものだとしても、これからは自分の足で歩んで生きたい。
少しだけそうやって前向きになれたのは―――悔しい事に、この旦那のお陰でもあるが。
「きっとこの婚約に納得していない人もたくさんいるでしょう、だからこそ、私から話させて。一体どうしてこうなったのか―――」




