第二話「勘違い」
「ふっ、まさか神聖なる聖女の鑑とまで言われていたお前の皮を剝がすと、こんな鬼の形相が隠れていたとはな。昨日今日までのあのしおらしい姿はどうした?」
「あのね、私を凶暴な猿か何かと勘違いするのはやめてもらえる?ここまで怒鳴ったのは人生で二回しかないわ。はぁ、色々ありすぎて、ちょっと吹っ切れちゃたみたい」
お茶をすすり、ふぅ、と息を整える。
冷静に考えると『吹っ切れちゃった』とかいうレベルでは済まない事をしてしまったのだが、この目の前のクロノ公爵は変わり者なのか、先ほどまでは打って変わって面白いものを見るような目でこちらを伺っていた。
「それにどうせ殺されるんだったら、今まで我慢してたこととか後悔していたことも全部、脱ぎ去って自分らしく生きてみたいの」
「好きにしろ。今更あんな風に取り繕われても、本性が透けて笑いが堪えきれん」
「あっそ。貴方って本当いい性格してるわね」
正直、先ほど見せてしまった失態を後悔していないといえば嘘になる。
だって人前であんな感情的になった事なんて、今までの人生で二回しかない。それも先の一回は、八年も前の子供の頃の話だ。
そんな側面を仮にもこれから結婚する人に見られたのだから、私も一人の女性として気恥ずかしい気持ちになって当然だろう。
だが何故か不思議と、お互いの間にあった分厚い壁のようなものが、少しだけ和らいだのを感じる。
一年―――私が殺されるまで、たったの一年間だが、その間彼と夫婦になるというのはすでに決定事項だ。それならばせめて私は皮を被った清廉な聖女ではなく、ありのままの自分でいたい。
そう思った私はもはや手を前に組むのも面倒になったので、不躾に腕を組みながら一番気になっている事を率直に聞いてみた。
「それで?何で私を殺すのか、しっかりと説明してもらえるんでしょうね?」
「そんなもの、ただの道楽だ。俺はかの悪名高い鬼人公爵だぞ?今更女一人殺す事に理由など求めない」
「はい、嘘」
口端を吊り上げ、意地の悪い笑みで見え透いた虚言を吐く旦那に、私は呆れながら息を吐いた。
どう考えてもその言葉が偽りであることは、ここに来るまでの彼の態度を見ていれば誰にでも分かる。
「それだったら今すぐ殺せばいいでしょう?一年も待つ必要なんてないわ。何よりあんな仰々しい契約書にまでわざわざ記載していたんだから、この一年の猶予には何か意味があると思うの。違う?」
「ちっ、見た目の割に少しは頭が回るようだな…」
「一言余計よ」
どうやらその点に関しては図星だったようで、眉を顰めながら舌打ちをするクロノ公爵。
何より私も仕事柄、快楽殺人者や狂人の類を前にしたことがあるが、彼らは理や人道から逸脱したような、全てを失う事に恐れがない目をしている。どう考えても彼の纏う雰囲気はそれではないと思う。
私も当事者なんだからせめて理由は教えてほしい。この命の灯をその手で消そうというのに、適当にはぐらかす彼にもどかしくなり、口を結びながらじっと睨んで無言の圧を送る。
しかしそんな視線を歯牙にもかけず、彼は面倒そうに淡々と言葉を続けた。
「これはお前に対する慈悲だ。民を護るために必死に奔走した祖国から石を投げられ、挙句の果てに婚約破棄と追放までさせられたお前に、流石の俺も多少は同情したという訳だ。せめてこの一年間は好きにさせてやる、泣いて喜べ」
「それでやったー、ってならないわよ。喜べるわけがないでしょう?まさかこんな歳で死ぬなんて思ってもみないんだから」
「そうか?どうせあの時お前は死罪となる運命だったのだ。儲けものだと思って余生を謳歌すればいいだろう」
「む…確かにその通りだけど、貴方にそう言われるとむかつくわ」
そもそも貴方が私を殺さなかったら、もっと長生きできるんですけど。
しかしながら私はそれを言える立場にない。何故なら国を追われ、半ば人質としてこの家へと送られた私は、この当主様に牙を向く事は許されない。
彼の言う慈悲とやらはまだ半信半疑だが、この様子からしてこれ以上問い詰めたところで心の底を覗けるとも思わない。
観念した私は開き直り、せめてもの反抗として先ほどの彼の言葉を掘り返す。
「どっちにしろ私に拒否権はないのでしょう?じゃあその一年間の間に、贅を貪り尽くしてあげるわ。懐が寒くならないように、精々気を付ける事ね」
「物分かりがよくて助かる。それで、お前は一体何が欲しいんだ?」
「確かあなたの言い分だと、私の為に何でも用意してくれるんでしょう?まさかかの高名なクロノ公爵閣下に二言はないわよね?」
「ふっ、我が黒竜公爵家の金庫を舐めるなよ?帝国でも指折りの財を誇っているからな。試しに何でも言ってみろ」
自信満々にそう言い返すクロノ公爵。
その言葉を裏付けるように、彼は立派なベロア生地のスーツを身を纏っている。更にこのシュバルツ家の見事な門構えや敷地の広さ、内装の造りからしても、潤沢な資産がある事は明白だろう。
とはいえ私は今、特段欲しいものがある訳ではない。言われっぱなしの彼に、なんとか一泡吹かせてやりたいだけだ。その為に頭をこねくり回して必死に『贅沢』に関する単語をかき集める。
「お、美味しいご飯がほしいわ!」
「既に用意してある。今晩は霜降り肉をメインとしたフルコースだ」
「ふかふかのベッド!」
「それもお前の寝室に用意してある。帝国一の職人が施した最高級品だ」
「えっと…。後はなんだろう、いい匂いの入浴剤とか…」
「お前、一体どんな生活を送っていたんだ?」
(うっ…聖女の癖に貧乏だったから、こういうの分からないわ…。普通の令嬢なら宝石とかねだるのかしら?)
どうやら彼は私の想像できうる範囲の事であれば、既に叶えてくれていたらしい。
クロノ公爵が言っていた、『不自由はさせない』という言葉は本当のようだ。しかしここまで周到であると、それはそれでなんだかバツの悪い気持ちになってくる。
(というか、随分用意がいいわね…)
上目で彼をちらりとみる。
まだ彼の心根は分からない。殺すと言ったかと思えば、このようにしっかりと私を夫人として扱おうとしている側面もある。
そもそも悪人なのか、善人なのか。巷で囁かれる噂は本当なのか。まだ何も定かではないこの夫に対し、私は一つ―――確信に踏み込むことにした。
「話が逸れちゃったわね。そういえば、肝心な事を聞いてないわ」
「なんだ?そろそろ仕事に戻りたいんだが」
「なんで私を殺すのかってことよ、これだけは聞いておいていいでしょう?」
「ああ、それか―――」
するとクロノ公爵は一つ咳ばらいをして、眉根を寄せながら表情を一辺させた。
そのたった一動作だけで、まるでこの部屋の空気が凍り付いたような錯覚に陥る。
そして計り知れないほどに昏い、紫紺の眼をゆっくりと開いた。
「二度と皇室の奴らに舐めた真似をさせないためだ。長年にわたり散々汚れ仕事を押し付けた挙句、ふざけた命令を出したあいつらには、明確に私の意志を伝えなくてはならない。その為にもお前は、我が家の為に犠牲となってもらう」
瞬間、凄まじい殺気が周囲に荒れ狂う。
それはまるで底知れない憎しみと怒りが永い年月をかけて焚べられ、燃え滾り続けた業火のようだった。
どうやら彼の怒りは相当なものらしい。皇命で結婚した相手を殺害するなんて、皇室への反逆と取られてもなんら不思議ではない。
しかし彼はそれを堂々とやってのけようと言うのだ。
一体この家と皇室にはどのような確執があるのか。皇太子殿下とはそこまで仲が悪そうには思えなかったけど…。
「つ、つまり貴方は、例え皇帝に命じられようと、誰とも結婚するつもりはない。そういう事ね?」
「ああ、私は生涯お前以外を娶るつもりはない。二度とあのような惨劇を起こさないためにもな」
(惨劇…?)
彼の放ったその一言が、妙に耳に残る。
どうやらクロノ公爵には彼なりの考えがあるようだが、私にはそれを知る由もないだろうし、きっと何を聞いても今は答えてはくれないだろう。
行き止まりに接した私は一度これまでの事を振り返って、客観的に今置かれている現状を考えると―――
急に、憂鬱な気分に苛まれた。
つまり私―――二度も婚約を破棄されてるってこと?
「あの、もう一つ聞きたいんだけど、そんなに私と結婚するの嫌ですか?私、前の婚約者にも仕事人間で色気もないって吐き捨てられて、立て続けにここまでそう言われると、流石に一人の女としてショックっていうか…。もしかしてとんでもない女なのかなって…」
「いや、お前だから嫌という話ではない」
一応まだ私は17歳で、結婚適齢期真っ只中。
そんな中、短い期間で二度も『お前とは結婚したくない』と言われたのだ。
聖女として国に従事する為には、そういった色恋沙汰や青春を犠牲にしなければいけない。私にも当然その覚悟もあったし、それは聖女として選定された時からそう割り切っている。
だが流石に、人生で二度も婚約破棄されるなんて思ってもみなかった。いくら自分に言い聞かせたとしても、女としての自負が底をついてしまいそうだ。
(まぁ、でもこれはクロノ公爵のせいじゃないわ。前の婚約者にボロカス言われたせいだけど…)
「おい…なんだ、そんな事で気を落とすな。やりにくいだろう」
「いや、やっぱりさっきのはナシです。気にしないでください」
「はぁ…。ヴァレンティ―ナ・ロマーノ。これは持論だが…人の気高さとは、何にも代えがたいものだ。何故ならそれは、これまで歩んできた人生の上に浮き出るものだからな。そこに嘘や偽りを重ねる事は、どうやっても出来ない」
「…?」
そんな風に肩を落とす私に、クロノ公爵は何やら少し諭すような声色で語り始める。
珍しく困ったように髪をかく仕草を見ると、これまでずっと冷徹で格式ばった彼の人間性が垣間見えた気がした。
「お前は自らの断罪を目の前にしても、あの王国を案じ、残される民を救おうとした。どれだけあの国から酷い仕打ちを受けようと、最後まで己の責を全うしようとしたのだ。そんな気高さを持つ女性など、私の知る限り一人だけだ。だから下を向く必要などない」
「あ、ありがとう…?」
「いや、何を言っているんだ、俺は…」
そう言って少し目線を逸らす彼。その表情には自らの行いに困惑しているような、不思議な感情が浮かんでいた。
彼も王国で、私が断罪される瞬間をその眼で目撃している。
それどころか、私の一番絶望の淵にいたところに、まがいなりにも手を差し伸べてくれた一人なのだ。
畏怖を覚えるその佇まいや溢れ出る殺伐とした雰囲気。しかし彼のとる行動や言葉の節々には、僅かな思いやりの心があったような気もする。クロノ公爵も私に対し、何か憐みのような感情を持ってくれたのだろうか。
それを再確認した私は、ほんの少しだけ張り詰めていた気が緩む。
(もしかして、励まして、くれたのかしら…?)
そんな絶妙な雰囲気が私達の間に流れた時、唐突にこの執務室の扉が開け放たれた。
「兄上、帰ってきていたのですね。兄上が不在の間に起きた魔獣戦線の報告が山ほど―――って」
「こちらの令嬢はどなたです?」
そこに入ってきたのは、灰色の髪の青年。
きっとクロノ公爵を兄上と呼んでいる様子から察するに、彼の弟君―――なのか?
毅然としている兄とはまるで正反対のような朗らかな雰囲気。穏健な性格を思わせる声色と中性的な顔立ちは、本当に彼らが兄弟であるのか疑わしいと思えるほどだ。
困惑している様子を隠そうともせず目を見開く彼に対し、クロノ公爵はごく当たり前のように淡々と応えた。
「私の妻だ」
「はぁ?」




