第一話「一年後にお前を殺す」
「一年後にお前を殺す」
「は…?」
私は目の前にいる夫のとんでもない発言に唖然としてしまった。
もちろんこれから訪れる煌びやかな新婚生活―――なんてものに期待していたつもりは微塵もない。これは唐突に皇室から言いつけられた政略結婚なのだから。
とはいえ、まさか出会って間もない旦那様に殺害予告をされるなんて思ってもみなかった。
「ま…待ってください、私を殺すって―――この婚約は、皇室からの命令ではないのですか…?」
「ふっ、我々シュバルツ家の評判など元より地の底まで堕ちている。だが私達は与えられた役目により、何をしようとこの公爵家の立場を剥奪される事は絶対にない。また帝都の奴らがゴチャゴチャと言ってくるだろうが、そんなものは我々にとって小鳥の囀りと同じだ」
そんな事をさも当たり前かのように言うこの男―――クロノ・アレクサンドラ・シュバルツ公爵閣下は、この帝国北部一帯を支配するシュバルツ公爵家の若き当主だ。
端正な顔立ちと艶のある濡れ羽色の黒髪、そしてつま先から頭のてっぺんまで一切の隙もない鍛え抜かれた身体。
全身からは覇気のようなものが漲っており、その鋭い眼光で睨まれれば、気の弱いものなら卒倒してしまうだろう。
本来ならばおめでたい結婚の挨拶の日だというのに、その顔つきは一層不機嫌にまみれており、心底面倒くさそうに低い声色で言葉を続ける。
「もちろんそれまでお前の事は正式に公爵夫人として扱う上に、社交界や職務も最低限のもので構わない。ただ私の仕事の邪魔をせず、私の命令に従ってくれればそれでいい」
「では…私は一年間、仮初の妻として、ただここに居ればいいのですか」
「安心しろ、お前の自由を奪うつもりはない。欲しいものや行きたい場所があれば護衛を付ける。不貞行為だけは流石に後を引くだろうから、なるべく自粛して欲しいが―――どうしても目当ての男が出来たというのであれば、陰で逢瀬を重ねてくれ。子供が出来ないようにだけ、最大限の注意を払ってな」
どうやら私の旦那様は、他の男との不貞にも寛大らしい。きっと彼は束縛もせず、お互いの自由を尊重してくれる心の広い人間なのだ。
(まぁ、いくら夫婦といえどお互いに一人の時間も大事だしね。―――ってなるかボケ)
だが残念ながら私は、『わーい、これで浮気し放題じゃん』となれるような女ではない。
無遠慮にこれからの決め事を、容赦なく淡々と口にするクロノ公爵。まるでそれは、私を妻としてではなく、ただのお飾りとして、ただのモノとしてここに留めておくための鎖のようだ。
今日から一年後、私を殺す―――その時まで。
「この家は帝国でも由緒ある公爵家だと聞き及んでおります。その夫人である私が、そのような奔放な真似をしても本当によろしいのですか?」
「ああ、どうせ一年後にはお前も空の上だ。例えそれまでその身体をどう使おうと自由だろう」
「つまり―――どうせ殺すのだから、それまで何をしていようが旦那様には関係ないと?」
「そういう事だ。確認事項は以上か?悪いが早く済ませたい。仕事が山のように溜まっているからな」
ぴしゃり、と取り付く島もなく会話を終わらせ、募った苛立ちを隠そうともせず私を見下ろす旦那様。
望まない結婚を申し付けられ、腹立たしく思う気持ちも分かる。だが、私もつい先ほど元の婚約者に散々な目に遭わされて祖国を追放されたのだ。
悪いけど鶏冠にきてるのはそっちだけじゃない。私も色々あってもうパンク寸前だというのに、こんな好き放題言われたら―――
「よし、特に問題もないようならここにサインをくれ」
「ふ…」
「ふ?」
みっちりと端から端まで書かれた契約書を渡してくるクロノ公爵。
どうやらここには先ほどまで語った婚姻の契約、そして一年間の縛り、公爵夫人としての決め事が記載されているようだ。
私はそれを手に取り、朱印に手を伸ばすかと思いきや―――
その紙を、ビリビリに破ってしまった。
「ざっけんじゃないわよっ!」
私の突飛な言動に、クロノ公爵は当然のように目を丸くして私を見つめた。
そんな彼に構いもせず、これまであった理不尽と憤り、そして溜まっていた我慢が私の口から怒涛のように吐き出てしまう。
「もう、あったまにきた。どいつもこいつも、勝手に物事を進めやがって…。こいつと結婚しろだの、命令に従えだの、挙句の果てに私を殺す?―――いいわ、どうせこの身なんて一回死んだようなものだし、貴方なんか放っておいて好き放題やってやる。言っておくけど、私はそんな簡単にやられるタマじゃないわよ!」
そうだ、私は先日の出来事で一回死んだも同然なんだ。今更そんな脅し文句にびびってたまるか。貴方が私の命を終わらせるといのなら、私だって好き放題やってやる。
そんな風に吹っ切れて豹変した私を見て、彼は十中八九、幻滅するだろうと思っていた。
だってずっとしおらしかった隣国の聖女が、いきなりブチギレて罵詈雑言をまき散らしているんだから。そんなの、仮にもし私に惚れている人だったとしても、百年の恋も冷める勢いだろう。
ましてや相手は冷徹な鬼人公爵。最悪ここで無礼を理由に切り伏せられて終わりだ。
そんな風にヤケになっていたところ、彼は意外にも何かを納得するように口を開けて笑い始めた。
「―――はっ、それがお前の素か?」
彼の予想外の反応に、次は私が呆気に取られてしまう。
だがもうここまで本性を見せてしまった以上、こちらも芋を引くわけにはいかない。
そう覚悟した私は、いままで何年も取り繕ってきた分厚い仮面を脱ぎ捨て、ありのままの自分でこの男に対峙する。
「ええ、私の『救国の聖女』なんて肩書きはハリボテにすぎないの。昔から仕事しかしてこなかったし、生まれは片田舎のオンボロ小屋よ。悪いかしら?」
「いや―――面白い」
そう言い捨てて歩き出した彼は、敗れた契約書には目もくれず、代わりに私の前で立ち止まりながら恭しく片膝を床に付けた。
不敵な笑みを崩すことはなく、その表情は底知れないものだったが、何故か私はその顔つきから目を離せなくなっていた。
そして優しく私の手をとり、一つ、言葉を紡ぐ。
そのたった一つが、私の運命を大きく変えた。
そして彼の宿命も、ここから動き出すのだ。
大きな呪いを抱え、全てを拒絶していた彼。そして祖国に裏切られ、全てを失った聖女。
数奇な運命の重なり合い―――だが、今となってはその全てが必然に思える。
「ヴァレンティ―ナ・ロマーノ、私の妻となれ」
「ええ、謹んでお受けいたしますわ。クロノ・アレクサンドラ・シュヴァルツ様」




