第28話 変わられた気がします
あの夜から、五日が過ぎた。
監視は増えた。部屋を出れば、兵がついてくる。水城が地下へ行くのも、当分は無理だ。
それでも、止められていないことはあった。
佐伯の書庫への出入りは、禁じられなかった。賢者が本を読んでいても、誰も怪しまない。
「怪しまれない、って言ってもさ」
佐伯は、目の下に隈を作っていた。
「読んでるところを見られたくない本があるわけで」
「大丈夫なのか」
「大丈夫じゃない。何回、心臓が止まったか分かんない」
白石は、教会で古い記録を読んでいる。九条は、戦えない連中のことで貴族院へ通っている。どちらも、怪しまれるようなことじゃない。
その五日のあいだに、それぞれが少しずつ持ち帰ってきた。
※
六日目の夜、佐伯がみんなを呼んだ。
城の一室。東雲が「明かりは一本だけにしよう」と言った。
佐伯は、机の上に紙束を広げた。書き写しだった。
「二つある。一個ずつ話す」
「おう」
「一つ目。前の召喚のこと」
佐伯は、一枚目を指した。
「これは表の記録。前に話したやつだ。二十年前に十二名が呼ばれて、『魔王討伐に参加し、全員戦死』」
「……十二人で、魔王に挑んだのか」
「僕も、ずっとそう思ってた。鍵の棚の綴りに載ってたのも、二十年前のぶんで、同じ十二人だったから」
佐伯は、二枚目を出した。
「でも、数が合わないんだ。これが、教会の職録の写し。白石さんが写してきてくれた」
白石が、小さく頷いた。
「職録って」
「鑑定を受けた人間の職業を、全部記録してるやつ。教会が管理してる」
佐伯は、そこを指でなぞった。
「二十年前の召喚者の欄に、職が二十四、書いてある」
部屋が、静かになった。
最初に口を開いたのは、大我だった。
「……おい。王国の記録は十二だろ」
「十二だ」
「それ、今と同じじゃねえか」
大我は、机を掴んでいた。
「三十四人呼ばれて、十人しか載ってねえ。二十年前も、二十四人呼ばれて、十二人しか載ってねえ」
「同じだよ」
佐伯が言った。
「やり方が、まったく同じだ」
「じゃあ、残りの十二人は」
姫川が聞いた。
「今の僕たちと同じ扱いだと思う。戦えない職の人たちは、最初からいなかったことにされてる」
「生きてんの? 死んでんの?」
「記録がない。生死も、名前も、どこにいたかも。何も」
佐伯は、眼鏡を外して、目を押さえた。
「一つ、よろしいかしら」
九条が言った。
「うん」
「その職録には、名前も載っておりますの?」
「載ってない。職録は職業の記録だから。名前は王国側の名簿にしかない」
「では、王国側は」
「ない。十二人ぶん、最初からいなかったみたいに」
「……つまり、二十四の職業だけが分かってて、そのうち十二人は誰なのか分からない、ってこと?」
東雲が、静かに聞いた。
「うん」
佐伯は、頷いた。
※
「ただ」
佐伯が、三枚目を出した。
「その二十四の職の中に、一つだけ気になるのがある」
「気になる?」
「職録は八百年ぶんある。剣士とか治癒師とか、そういうのは何百回も出てくる。珍しい職でも、数十年に一度は出る」
佐伯は、その一行を指した。
「これだけ、八百年で一件しかない」
「……なんて職だ」
「【禁術師】」
俺は、その一行を見た。
読めない文字だった。それでも、じっと見た。
「何ができる職なんだ」
「分からない」
「分からないって」
「本当に分からないんだよ」
佐伯は、両手を上げた。
「勇者と同じだ。名前だけあって、中身が書いてない。ただ勇者は聖典に載ってる。こっちは、聖典にもない」
「他に珍しいのは」
「あと一つ。【封印師】。これは八百年で二件。一件が二十年前で、もう一件は、ずっと昔だ」
「そっちは?」
「名前の通りだと思う。何かを封じる職」
※
「二つ目」
佐伯が言った。
「これが、たぶん一番でかい」
四枚目には、年表のようなものが書いてあった。
「魔王軍の侵攻記録だ。国境の陥落と奪還を、王国は毎年残してる」
佐伯の指が、下のほうで止まった。
「二十年前。この年は、前線に黒い霧が出た、って書いてある」
「黒い霧?」
「《無明魔域》だよ。外からは、黒い霧に見えるらしい。魔王本人がいないと、あれは出ない。だから王国は、霧が出たら『魔王が来た』って書く。この頃の記録に、姿を見たって人は出てこない」
「……で」
「翌年から、その霧の記録が途切れてる」
佐伯は、次の行を指した。
「魔族の襲撃は、その後も毎年ある。国境も何度か押されてる。でも、黒い霧だけが出てない」
「……どのくらい」
「十五年」
「一度もか」
「一度も」
「じゃあ、そのあいだって」
姫川が聞いた。
「平和だったってこと?」
「平和じゃない。魔族は来てる。人も死んでる。村も焼かれてる」
「じゃあ何が違うの」
「押し返せてた」
佐伯は言った。
「霧が出なければ、騎士団が戦える。だから、負けなかった」
「で、五年前」
佐伯は、次の行を指した。
「魔王軍の動きが、ここから急に激しくなってる。国境の北に、また黒い霧が出るようになったのも、このころだ。騎士団長がその中へ入ったのが、三年前」
「じゃあ、魔王はもう戻ってんのか」
「いるんだと思う。霧が出てるんだから」
佐伯は、その先の行を指でなぞった。
「霧の縁は、毎年少しずつ砦のほうへ寄ってきてる。見張りがそう書いてる」
「来てるってことか」
「分からない。黒い霧が、少しずつ広がってるだけにも見える」
佐伯は、眼鏡を押し上げた。
「霧は出せる。でも、魔王本人はまだ動けない。……そういう可能性もある」
「可能性、か」
「証拠はないよ。記録から、そう読めるってだけ」
「動けるようになったら」
佐伯は、答えなかった。
※
東雲が、机の上で指を組んだ。
「整理するね」
誰も、口を挟まなかった。
「二十年前、召喚があった。二十四人。その翌年から、黒い霧が前線に出なくなった。そして五年前から、また黒い霧が出始めた」
東雲は、顔を上げた。
「誰かが、魔王を止めたんだと思う。でも、その止め方は、ずっとは続かなかった」
「……【封印師】か」
俺が言うと、佐伯が頷いた。
「たぶん」
「二十四人の中にいたんだな」
「いた。職録に載ってる」
「じゃあ、そいつはどうなった」
佐伯は、答えなかった。
しばらくして、別の紙を出した。
見覚えがあった。施療院で、こいつが震えながら出した冊子だ。
「公式の記録は『全員戦死』。でも、鍵のかかった棚の綴りには、こう書いてある」
佐伯は、その行を指した。
「帰還後、戦後処理」
誰も、声を出さなかった。
施療院で、一度聞いた言葉だった。
それでも、二度目のほうが重かった。
「……封印した奴もか」
俺は聞いた。
「分からない」
佐伯は、首を振った。
「綴りには、戦死って書かれた人もいる。名前と職が繋がらないから、どっちなのかは分からない」
「……」
「でも、生きて帰ってきた人は、一人残らず消されてる」
俺は、天井を見た。
……そうか。
二十年前にも、同じことがあった。
呼ばれて、使われて、戦えない者は最初からいなかったことにされた。生きて帰った者は、消された。
このままなら、俺たちも同じことになるのかもしれない。
※
「わたくしからも、一つ」
九条麗華が、一歩前に出た。
「戦えない方々のことで、貴族院へ掛け合いに参りましたの。そのついでに、記録を見せていただきましたわ」
「貴族院?」
「宮廷の役職の就任と退任、家督の継承。そういうものを管理しております」
「何を調べたんだ」
「宰相閣下の経歴ですわ。あの森を選んだ方ですもの。どういう方か、知っておくべきだと思いましたの」
九条は、紙を広げた。
「結論から申し上げますと、おかしなところはございませんでした」
「……なかったのか」
「ええ。名家のお生まれで、若い頃から宮廷に仕えておられます。十一年前に夜盗に襲われて、三ヶ月ほど公務を離れておりますが、回復なさって、五年前に宰相に就任。記録の上では、それだけですわ」
「書き換えられてるってことは」
「貴族院の記録を書き換えるには、いくつもの家の同意が要りますわ。現実的ではありません」
九条は、紙を畳んだ。
「ごく普通の、立派な経歴でしたわ」
「……そうか」
襲われて、生き延びて、出世した。
それだけの話だった。
※
解散したあと、俺は廊下に出た。監視の兵が、二人ついてくる。
中庭の前で、ガレスとすれ違った。
「黒崎殿。夜更かしですか」
「……あんたもな」
「私は仕事です」
ガレスが片手を上げると、兵は離れたところで足を止めた。
俺は、少し迷ってから聞いた。
「なあ、ガレスさん」
「はい」
「宰相って、どういう人だ」
ガレスは、少し驚いた顔をした。
「……なぜ、そのようなことを」
「あの人に処分されかけたからな。どういう人間か知っときたい」
ガレスは、しばらく考えていた。それから、言った。
「若い頃からの付き合いです」
「へえ」
「私が二等騎士の頃、あの方はまだ家督も継いでおられなかった。よく酒を飲みました」
「意外だな」
「ええ。……あの頃は、よく笑う方でした」
※
俺は、足を止めた。
「……あの頃は?」
ガレスも、そこで止まった。
自分が何を言ったか、少し遅れて気づいた顔だった。
「……いえ」
「いや、待てよ。今なんて言った」
「言葉の綾です」
「ガレスさん」
ガレスは、中庭のほうを見た。
「……人は、変わるものです」
「そりゃそうだ」
「役職が人を変えることもあります」
「……ああ」
「ですが」
ガレスは、そこで一度、息を吸った。
「あの襲撃のあとから、少し、変わられた気がします」
襲撃。
さっき、九条が言っていた。十一年前の、夜盗。
「……あんた、その場にいたのか」
「報せを受けて、駆けつけました」
「……そうか」
「三ヶ月ぶりにお会いしたとき、顔も、声も、何も変わっておられなかった」
ガレスは、そこで言葉を切った。
「何も変わっておられなかった、のに」
「……それが、どうにも」
彼は、それきり黙った。
「怪我のせいだろ」
俺は言った。
「ええ」
ガレスは、頷いた。
「あの日から今日まで、私もずっと、そう思うことにしております」
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