第27話 満ちてる
翌日、謁見を終えて、俺は正式に「召喚者」に戻された。
部屋を与えられ、装備を支給され、記録に名前が戻された。
宰相は、一度だけ俺に詫びた。だが、王国としての謝罪はなかった。説明もない。二ヶ月前に捨てた男のために、椅子を一つ足しただけだった。
「気に入らねえ」
大我が言った。
「同感だ」
「なんで謝らねえんだよ、あいつら」
「謝ったら、捨てたって認めることになる。俺は、隔離されてたことになってんだよ」
城の一室に、みんなが集まっていた。
神崎は呼んでいない。柊は、来ていない。どこにいるのかも分からない。
「黒崎くん」
東雲が言った。
「監視がついてる」
「だろうな」
「扉の外にも、中庭にも。黒崎くんの部屋の向かいにも」
「よく見てんな」
「見てないと、落ち着かないから」
「あの、黒崎」
姫川が手を挙げた。
「あの子は?」
「あの子?」
「フードの子。ルナちゃんっていうんでしょ」
……ルナちゃん。
「宿にいる」
「一人で?」
「ああ」
「ずっと?」
「……ああ」
姫川が、口を尖らせた。
「行ってくる」
「え?」
「あたし、明日の朝行ってくる。飯とか持って」
「いや、でも」
「だって一人じゃん」
俺は、少し迷った。
ルナは、人に慣れていない。それに、あいつを他人に近づけるのは——
……何が心配なんだ、俺は。
「……頼む」
「まかせて」
※
その夜、水城が来た。
「今日」
「あ?」
「交代、今日」
俺は起き上がった。
「三日に一度の、あれか」
「うん」
「何時だ」
「深夜二の鐘。前の組が上がって、次の組が降りてくるまで、入口に一人しか残らない」
「どれくらいだ」
「次の組が来るまで。……長くはない」
「足りるか?」
「分からない」
水城は即答した。
「だから、確かめるだけにする。触らない。見るだけ」
「見て、分かんのか」
水城は、扉のほうを見た。
「だから、あいつを連れていく」
※
佐伯陽一は、白目を剥きそうな顔をしていた。
「無理だって」
「無理じゃない」
「いや無理だよ水城さん! 僕、走るの遅いんだよ!?」
「知ってる」
「知っててなんで!」
「あんたしか読めないから」
佐伯は、しばらく口をぱくぱくさせた。
それから、眼鏡を外して、拭いて、かけ直した。
「…………ああ、もう」
「行くのか」
「行くよ」
佐伯は、震える手で杖を掴んだ。
「言っとくけど、僕、めちゃくちゃ怖いからな」
「知ってる」
「怖いって言いながら行くのは、上出来なんだろ」
……こいつ、覚えてやがる。
「上出来だ」
「うるさい」
※
深夜。
部屋の前の見張りは、俺が出ても何も言わなかった。
城の中を歩くことまでは、止められていない。
城の地下へ降りる階段は、東棟の奥にあった。
水城が先頭を歩いた。靴を脱いで、手に提げている。
石の床に、足音は立たなかった。
俺と佐伯は、その後ろを息を殺してついていく。
一層。二層。
どちらも倉庫だった。樽と、木箱と、埃。
三層の入口に、扉があった。
鉄。錠。その前に、兵が一人。
水城は、暗がりで矢を抜いていた。
射るためじゃない。矢尻で、床の目地を軽く叩いた。
小さな音が、廊下の反対側で鳴った。
兵が、そっちを向いた。
その背後に、水城が回った。
何をしたのかは、見えなかった。
兵が、崩れるように座り込んだ。
「殺してねえよな」
「首の後ろ。四半刻で起きる」
「弓聖ってのは、そういうこともできんのか」
「訓練で習った」
水城は、兵の姿勢を直しながら言った。
「騎士団の人が教えてくれた。前線で捕虜を取るときに使うって」
「……女子高生が覚えるもんじゃねえだろ、それ」
「教わったから、覚えた」
錠は、佐伯が開けた。
術式に指を当てると、すぐに、かちりと鳴った。
「……お前、それ」
「《魔導理解》だよ。一度見た術式は、再現できる。この錠、書庫の入口と同じだから」
「便利すぎるだろ」
「便利じゃない。一度見ないと駄目なんだ。初見だと何もできない」
「……じゃあ、下の陣は。初めて見るんだろ」
「だから、今から見る」
佐伯は、眼鏡を押し上げた。
「《解析》で全部読めたら、それで一度見たことになる。そしたら、僕にも動かせるはずなんだ」
扉が開いた。
※
地下三層は、思っていたより広かった。
円形の広間だった。
天井が高い。壁一面に、細かい文字が彫られている。
そして、中央。
床いっぱいに、大きな陣が描かれていた。
その中心に、水晶の柱が立っている。
俺の背丈の倍はある。両腕を回しても、半分も届かないだろう。
中で、白い光が、ゆっくりと渦を巻いていた。
「……これか」
「たぶん」
水城が言った。
「転移の魔道具」
佐伯が、陣の縁にしゃがみ込んだ。
文字を、指でなぞっている。
唇が動いていた。声は出していない。
時間がないのは分かっていた。
それでも、こいつの邪魔をするわけにはいかなかった。
やがて、佐伯が顔を上げた。
眼鏡の奥の目が、大きく開いていた。
「……黒崎」
「なんだ」
「これ、魔力の蓄積量を示してる」
「蓄積量?」
「うん。柱の中に線があるだろ」
言われて、俺は目を細めた。
水晶の内側に、細い線が一本、横に走っている。
「あれが、この陣を動かせる量だ」
「……動かせる量」
「越えてれば動く。足りなきゃ動かない。召喚のときも、帰すときも、要るのは同じだ」
佐伯は、陣の縁を指でなぞった。
「呼ぶときは、出てくる場所を決められる。だから僕たちは、上の広間に出た。帰すときは、この円の中に乗る。乗った人間を、まとめて向こうへ押し出すんだ」
白い光の渦は、その線を越えていた。
越えて、だいぶ上まで来ている。
「……越えてるじゃねえか」
「うん」
「二ヶ月ちょっとだぞ?」
佐伯は、黙って水晶を見た。
「書庫で調べたんだ」
「何を」
「この王都の真下に、魔力の源があるらしい」
「源?」
「――魔脈」
その言葉を口にした佐伯の声は、妙に小さかった。
「地下を流れる、天然の魔力の流れだよ。それが湧いてるのが、この王都の真下なんだって」
「それが、この柱に入ってるのか?」
「たぶん。正確には、この陣そのものが魔脈から魔力を引いてる」
佐伯は、水晶の柱に手を当てた。
「だから、召喚で一度ほとんど空になっても……」
「……勝手に溜まる」
「そういうこと」
「……それなら」
俺は呟いた。
「帰れるんじゃないのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「まだ術式の全部は読めてない。でも、これだけ魔力があるなら……」
佐伯は、柱の上のほうを見た。
「少なくとも、数年待つ必要はない」
胸の奥が、ざわついた。
あの広間で、宰相はこう言った。
――再び皆様を送り返すだけの魔力が溜まるまでには、数年を要します。
――本来であれば、一年ほどで済むはずでした。
――ですが今、この世界の魔力の巡りは著しく滞っております。
「……魔力の巡りが滞ってるから、数年かかる」
佐伯は、黙っていた。
「でも、実際は違う」
「うん」
「魔脈から、勝手に魔力が流れ込んでる」
「その可能性が高い」
俺は、拳を握った。
握って、壁を殴りかけて——やめた。
音を立てるわけにはいかない。
召喚で空になったのは、たぶん本当だ。
この柱は、俺たち三十四人を引きずり込んだんだから。
だが、嘘はその先にあった。
いつ線を越えたのかは、分からない。印がないから、誰にも分からない。
それでも、越えたあとは、ずっと帰れたはずだ。
三浦も。
ほかに死んだ連中も。
全員、帰れた。
「黒崎」
水城が、小さく言った。
「時間」
「……ああ」
出ようとしたとき、佐伯が動かなかった。
「佐伯」
「……待って」
「時間ねえぞ」
「待って、これ」
佐伯は、陣の外側を指していた。
俺には、ただの模様にしか見えない。
「ここ、直されてる」
「直されてる?」
「書き足された跡がある」
佐伯の指が、震えていた。
「陣の本体じゃない。呼ぶほうの術式だ」
「呼ぶほう」
「召喚のほう。……誰かが、召喚の術式に手を加えてる」
俺は、その模様を見た。
やっぱり、ただの模様にしか見えなかった。
「何を足したんだ」
「分からない。でも、たぶん」
佐伯は、唾を飲んだ。
「呼ぶ数か、呼ぶ質か、そのどっちかだ」
その意味を、俺はしばらく考えていた。
答えが出る前に、水城が俺の袖を引いた。
「次の組が来る。戻ろう」
※
三層を出て、二層を抜けて、一層の階段を上がった。
誰にも会わなかった。
東棟の廊下に出たとき、俺たちは汗だくになっていた。
角を曲がった。
そこに、人が立っていた。
蝋燭を一本、手に持って。
宰相バルドだった。
誰も、動けなかった。
佐伯の膝が笑っているのが、横目に見えた。
宰相は、俺たちを見た。
一人ずつ、順番に。
そして、静かに言った。
「夜更かしは、お身体に障りますよ」
それだけだった。
彼は、脇をすり抜けて歩いていった。
蝋燭の光が、遠ざかっていく。
角を曲がる直前、一度だけ止まった。
「黒崎殿」
「……なんだよ」
「三層は、冷えます。次は上着をお持ちください」
足音が、消えた。
佐伯が、その場に座り込んだ。
「……なあ、黒崎」
「言うな」
「知ってたよな、今の」
「言うなって」
部屋の前の見張りは、何も言わなかった。
止めなかっただけだ。見ていなかったわけじゃない。
※
昼前に、姫川が宿から戻ってきた。
「行ってきたよ、宿」
「……どうだった」
「うん、あのね」
姫川は、少し困ったような顔をした。
「ルナちゃん、窓のとこから動かないの」
「……そうか」
「ご飯置いてきたけど、食べないと思う」
「……そうか」
「あとさ、あの子、あんたのブレザー着てた」
「……ああ」
「ぶかぶかの。袖、余ってんの」
姫川は、にやっとした。
「あれ、あんたのでしょ」
「……貸してるだけだ」
「ふーん」
それから、姫川は少しだけ声を落とした。
「それとね。『レンは?』って。それだけ聞かれた」
俺は、窓の外を見た。
商業区の外れ。
昨夜の、蝋燭の明かりが浮かんだ。
……まだ、呼べない。
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