第26話 それは、よかった
王城までの道を、俺は歩かされた。
馬車は用意されなかった。
二十人の兵に囲まれて、朝の王都を横切っていく。
人が集まった。
誰かが「何をやった」と聞き、誰かが「盗みだろ」と答えた。
俺の格好を見て、「異界の服だ」と言った者もいた。
ガレスは、俺の左後ろを歩いていた。
「黒崎殿」
「なんだ」
「顔を伏せますか」
「なんで」
「見世物になっております」
「……別にいい」
俺は前を向いたまま言った。
「顔を隠して歩くのは、もうやめたんだ」
ガレスは、それ以上何も言わなかった。
※
王城に入るのは、二ヶ月ぶりだった。
通されたのは、地下ではなかった。
牢でもなかった。
上の階の、日当たりのいい部屋だった。
絨毯が敷いてある。椅子が何脚か。窓に格子はない。
「……何だここ」
「客間です」
ガレスが答えた。
「客じゃねえだろ、俺は」
「私もそう思います」
湯と、着替えが運ばれてきた。
俺は湯だけ使って、服は断った。
制服のままでいるほうが、話が早い気がした。
昼を過ぎても、誰も来なかった。
俺は、椅子の一つに腰を下ろして待った。
窓から王都が見えた。
商業区の屋根の向こう、外れのあたりに、あの宿がある。
……待たせてるな。
あいつは、たぶん窓の前から動いていない。
※
扉が開いたのは、日が傾き始めた頃だった。
「お待たせいたしました」
入ってきたのは、宰相バルドだった。
あの日と同じだった。
細身。ローブ。白いものの混じった髪。背筋が伸びている。
手には、何も持っていない。
書類も、記録の板も、筆記具も。
「お怪我はありませんか」
「ない」
「食事は」
「まだだ」
「これは失礼を」
宰相は、扉の外に一言告げてから、俺の向かいに座った。
……座った。
立ったままでも、俺を見下ろしたままでもなく。
「お久しぶりですな」
「……そうだな」
「まずは、お詫び申し上げます」
俺は、耳を疑った。
「……は?」
「あなたを森へお連れしたのは、私の判断です」
宰相は、まっすぐ俺を見ていた。
「陛下は『隔離せよ』と命じられた。場所を選んだのは私です」
「…………」
「あの森が、どういう場所か知った上で選びました」
「……知ってて選んだのか」
「はい」
「じゃあ、殺す気だったってことか」
「そう受け取っていただいて結構です」
俺は、言葉が出なかった。
森にいるあいだ、俺は何度もこの場面を想像した。
言い訳をされると思っていた。
「あれは隔離であって処刑ではない」とか、「陛下のご命令だった」とか。
そう言われたら、何と返すか。
全部、考えてきた。
なのに、この男は最初に認めた。
「……なんで、今さらそんなこと言うんだ」
「事実だからです」
「……」
「私は、事実を曲げると後で面倒になることを知っております」
俺は、拳を握った。
握って、それから開いた。
殴っても、たぶん何も変わらない。
「……で、俺はどうなるんだ」
「陛下がお決めになります」
「あんたの意見は」
「求められれば申し上げます」
「今、聞いてる」
宰相は、少しだけ首を傾けた。
「生かすべきかと」
「……理由は」
「あなたは、死海の森から生きて帰った」
その一言を言ったとき。
この男の目が、初めて動いた。
「調査の者も、何度か入っております」
宰相は続けた。
「一人も、戻っておりません」
「……知ってる」
「では、お聞かせ願いたい」
※
「あの森の奥には、何がありましたか」
俺は、その質問の形に、少し引っかかった。
「どうやって生き延びたか」ではなかった。
「奥に何があったか」だった。
「……何も」
俺は答えた。
「木と、水と、魔物だけだ」
「魔物とは」
「狼みたいなのと、猪みたいなの。あと、ドラゴンが一回来た」
「ドラゴン」
「すぐ、どっか行った」
「他には」
「他?」
「不自然な場所はありませんでしたか」
「不自然?」
「魔物が近寄らない場所。音の消える場所。魔力の流れがおかしい場所。何でも構いません」
俺は、水を飲んだ。
飲みながら、考えた。
……結界のことだ。
森の奥で、俺が叩いたあの結界。その向こうに、ルナがいた。
「……なかったな」
嘘だった。
「そうですか」
「あんた、何を探してんだ」
「探してはおりません」
宰相は、両手を膝の上で組んだ。
「あの森は、二百年前から立入禁止に指定されております」
「らしいな」
「理由が、記録に残っておりません」
「……は?」
「指定した者が、書き残さなかったのです」
「私は、この職に就いてから一度だけ、その記録を探しました」
宰相は、窓のほうを見た。
「白紙でした。誰も理由を知らないまま、立入禁止だけが続いております」
「……」
「森の外から探知の術を向けても、奥までは届きません。途中から、反応が返ってこなくなる」
「だから、何かあると思ってるのか」
「何かがあるのか。それとも、森そのものがそういう場所なのか。それすら分かっておりません」
「……気持ち悪い話だな」
「ええ」
「で、俺なら知ってると思ったのか」
「思いました」
「悪いが、何も知らねえよ」
宰相は、しばらく俺を見ていた。
それから、頷いた。
「承知いたしました」
……信じたのか?
こんな簡単に。
※
「それと、あなたの職のことです」
「……暴走の話か」
「はい。これまで、何か」
「なかった」
俺は言った。
「街道で、隊商の護衛をやった。魔族の群れとやり合った」
「…………」
「隊商の連中にも、連れにも、傷一つつけてねえ。ガラン商会に聞けば分かる」
宰相の目が、ほんの少しだけ動いた。
護衛が一人、死んだ。殺したのは魔族だ。俺じゃない。
「ガラン商会」
宰相は、その名を一度だけ繰り返した。
「覚えておきます」
それから、宰相は続けた。
「もう一点」
「まだあるのか」
「先ほどおっしゃった、お連れの方のことです」
俺の心臓が、跳ねた。
自分から、口にしていた。
顔には出さなかった。……出さなかったと思う。
「どのような方ですか」
「旅の途中で会った。行くところがないってんで、連れてきた」
「お名前は」
「知らねえ」
これも、嘘だった。
「名も聞かずに、連れて歩いておられるのですか」
「向こうが言わねえんだよ」
「なるほど」
「……悪いかよ」
「いえ」
宰相は、それ以上聞かなかった。
……おかしい。
俺なら、もっと聞く。
顔立ちは。歳は。どこの生まれだ。今どこにいる。
なのに、この男は一つも聞かなかった。
いや。
……もう、知ってるのか。
神崎は、ルナを見ている。
俺は、その考えを飲み込んだ。
「黒崎殿」
「……なんだよ」
「一つ、お伺いしてもよろしいですか」
「さっきからずっと聞いてるだろうが」
宰相は、少しだけ口の端を上げた。
笑ったのだと、少し遅れて分かった。
※
「王国を、恨んでおられますか」
俺は、即答した。
「当たり前だろ」
宰相は、頷いた。
「それは、よかった」
部屋が、静かになった。
「……は?」
宰相は、そのまま一呼吸ぶん、動かなかった。
「……いえ」
彼は、膝の上で手を組み直した。
「失礼いたしました。言葉を誤りました」
「今、なんて」
「恨むのは当然のことです、と申し上げるつもりでした」
……そうか?
そうは聞こえなかった。
※
夜になって、決定が伝えられた。
伝えに来たのは、ガレスだった。
「陛下は、あなたを召喚者として遇するとのことです」
「……遇する?」
「英雄の一人として、名を記録に戻します」
「暴走するから隔離、って話じゃなかったのか」
「宰相閣下が、陛下に申し上げました」
ガレスは言った。
「街道で隊商を守って魔族とやり合い、周りの誰も傷つけていない。商会の名まで出して、すぐ確かめられる嘘をつく者はいない。暴走の恐れは薄い、と」
「それで、あっさり戻すのかよ」
「監視はつきます」
ガレスは、少しだけ間を置いた。
「表向きは、隔離していた召喚者を、暴走の恐れなしと見て戻した。そういう形になります」
「……捨てたんじゃなくて、隔離してたことにするのか」
「はい」
俺は、笑ってしまった。
「……はは」
「黒崎殿」
「いや、悪い」
俺は、天井を見た。
九名を、十名にするそうだ。
三十四人のうち、九人だけを英雄にした国が。
俺一人を、そこに足すそうだ。
「なあ、ガレスさん」
「はい」
「残りの連中は」
ガレスは、答えなかった。
「答えられねえよな」
「……はい」
「あんたのせいじゃねえ」
「いえ」
ガレスは、俺を見た。
「私も、あの場におりました」
「あの日、あなたが引きずり出されるとき、私は広間の柱の陰におりました」
「……」
「止めませんでした」
俺は、しばらく黙っていた。
「……なんで言うんだよ、そんなこと」
「言わずにいると、次も止めないからです」
※
「ガレスさん」
「はい」
「宿に、連れを待たせてる。一度戻りたい」
ガレスは、首を横に振った。
「当分は、城をお出にならないでください。明日は、陛下の御前に出ていただきます」
「そのあとは」
「城の外へ出るには、許しが要ります」
「誰の」
「陛下の。……実際には、宰相閣下の」
※
その夜、俺は客間の窓辺に立っていた。
王都の灯りが見える。
商業区の外れ、あの宿のあたりは、暗くて何も見えなかった。
ルナを、城へ呼ぶことはできる。
だが、ここには、あいつのことを聞いてきた男がいる。
何を考えているのか分からない男の前に、あいつを立たせたくない。
……悪いな、ルナ。もう少しだけ、待っててくれ。
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