第23話 考えとくよ
「生き残ったからだ」
俺がそう言うと、神崎はしばらく黙っていた。
それから、笑った。
「……はは」
「なんだよ」
「いや、悪い。びっくりしてさ」
神崎は、両手を上げてみせた。
「よかったじゃん、黒崎。生きてたのか」
その言い方は、教室のときと同じだった。
「みんな心配してたんだぞ。特に鬼塚とか、ずっとお前のこと探してて」
「……ああ」
「いやー、よかった。本当によかった」
神崎は、部屋の中へ一歩入った。
誰も、答えなかった。
姫川が、口を開かなかった。
教室なら、この間に「マジそれな!」とか言っていたはずだ。
ほかの誰も、口を開かなかった。
白石は、俺と神崎の間くらいを見ていた。
神崎の笑顔が、少しだけ止まった。
「……なんだよ、みんな」
「なあ、東雲」
「うん」
「これ、何の集まり?」
東雲は、答えなかった。
「黒崎が生きてたって話だろ? なら、俺にも言えよ」
「…………」
「なあ、なんで俺だけいないんだ?」
誰も、答えなかった。
部屋が、静かだった。
開いたままの扉の向こうから、眠っている怪我人の呼吸だけが聞こえていた。
「……おい」
神崎の声が、変わった。
「なんで黙ってんだよ」
※
「呼ばなかった」
東雲千尋が、言った。
顔を上げて、まっすぐに。
※
「……は?」
「神崎くんを、呼ばなかった」
「いや、それは分かるけど。なんで」
東雲は、目を逸らさなかった。
「神崎くんが、王国に報告すると思ったから」
神崎の顔から、笑みが消えた。
完全に。
「……本気で言ってんの?」
「うん」
「俺が、仲間を売るって?」
「うん」
「東雲」
俺は、声をかけた。
止めたほうがいいと思ったからだ。
だが、東雲は続けた。
「神崎くんは、悪い人ではないと思う」
「…………」
「でも、神崎くんは、正しいことをする人」
「……何が言いたいんだよ」
「王国の立場で正しいこと、という意味」
東雲は、そのまま続けた。
「黒崎くんが生きていることは、報告すべき事実。規則だから。だから神崎くんは、報告する」
「…………」
「悪意じゃなくて、正しさとして」
神崎は、何も言い返さなかった。
……ああ。
こいつ、言い返せないのか。
「……お前らさぁ」
やがて、神崎が言った。
声が、低くなっていた。
「俺がいなかったら、レスタは落ちてたぞ」
「うん」
「四百の魔族を追い返したのは誰だよ」
「神崎くん」
「じゃあなんで、そういう扱いなんだよ」
「感謝はしている」
東雲は言った。
「本当に、している。神崎くんがいなかったら、もっと死んでいた」
「じゃあ——」
「でも、それとこれは別」
神崎の拳が、握られた。
「……大我」
俺は、小さく言った。
大我は、いつでも動ける姿勢になっていた。
※
「なあ、神崎」
俺は、前に出た。
こいつと正面から向かい合うのは、あの広間以来だった。
「聞いていいか」
「……何」
「お前、あの日、俺を捨てろって言ったよな」
「……言ってない」
「言ったよ」
「俺は『ハズレ職はいらない』って言っただけだ」
「同じだろ」
「違うだろ」
神崎は、俺を見た。
「あれは、みんなの命がかかってたんだよ」
「そうだな」
俺は言った。
「みんなの命だ」
「で、十一人死んだ」
神崎の目が、動いた。
「そのうち八人は、戦えない奴らだ」
「……それは」
「補給と伝令をやらされてた連中だ」
「……それは、俺の——」
「三浦、覚えてるか」
神崎は、答えなかった。
「二年の五月に転入してきた。将棋部だ。購買のカレーパンが好きで、三限が終わると走ってた」
同じ教室で、毎日見ていた背中だった。
「後ろにいて、魔族の伏兵にやられた」
「…………」
「最後に、『俺、なんか、役に立ちました?』って聞いたらしい」
「あの日、お前が守ろうとした『みんな』の中に、あいつは入ってたか?」
神崎は、しばらく黙っていた。
それから、頭を掻いた。
「……入ってたって。入ってたけどさ」
「けど、なんだよ」
「正直、あいつ一人いなくなっても、何も変わんないだろ。戦えないんだし」
それが、答えだった。
役に立ったかって、あいつは最後に聞いたんだ。
その答えを、こいつは今、口に出した。
俺は、それ以上何も聞かなかった。
聞いても、無駄だと分かったからだ。
部屋の空気が、変わっていた。
誰も、神崎を見なかった。
白石だけが、じっと神崎を見ていた。
神崎は、それに気づいた。
部屋の中を見回して。
そして、慌てて笑った。
「……いや、待って。今のはちょっと言い方が」
「もういいよ」
「黒崎、聞けって」
「もういい」
俺は背を向けた。
※
そのときだった。
「——え、待って」
神崎の声が、変わった。
「なにその子」
俺は、振り返った。
神崎が、部屋の隅を見ていた。
ルナが、そこに立っていた。
外套のフードは、まだかぶったままだ。
顔は、ほとんど見えていないはずだった。
それでも、神崎の目つきが変わっていた。
……ああ。
この顔、知ってる。
教室で、新しい女子が転入してきた日の顔だ。
「黒崎の連れ?」
「……ああ」
「へえ」
神崎が、一歩、そっちへ近づいた。
「ねえ、君」
声が、いつもの調子に戻っていた。
女子に話しかけるときの、あの声だ。
「そんなの、かぶってると暑くない?」
ルナは、答えなかった。
「俺、神崎蓮司。勇者やってる」
ルナは、答えなかった。
「顔、見せてよ」
神崎の手が、伸びた。
俺の身体が、動いていた。
気がついたら、その手首を掴んでいた。
腹の底が、熱かった。
《狂熱》だった。
止めようとして、止まらなかった。
「……痛ってえな、おい」
神崎が言った。
「離せよ」
「……悪い」
俺は、手を離した。
手首に、赤い跡が残っていた。
自分でも、何をしたのか分かっていなかった。
神崎は、その跡をさすりながら、俺を見た。
そして——笑った。
「……なるほどね」
「そういうこと」
嫌な笑い方だった。
こいつは、たった今、俺の弱いところを見つけた。
そういう顔をしていた。
※
「じゃあ、俺は行くわ」
神崎は、扉のほうへ歩いた。
「神崎くん」
東雲が言った。
「黒崎くんのことは」
神崎は、振り返らなかった。
「考えとくよ」
扉が、閉まった。
しばらく、誰も動かなかった。
「……あいつ」
大我が言った。
「言うぞ、絶対」
「うん」
白石が、静かに言った。
「神崎くん、言うと思う」
姫川が、白石を見た。
「え、でも『考えとく』って言ってたじゃん。言わないってことじゃないの?」
白石は、扉を見たまま首を振った。
「いつ言うか、決めるって意味だと思う」
東雲が、立ち上がった。
「時間がない」
※
——ルナ Side——
あの男が、私に手を伸ばした。
その瞬間、私が何を考えたか。
……別に、何も考えなかった。
あの程度の手なら、触られても何も起きない。指が触れる前に折ることもできたし、触らせてから折ることもできた。
どちらでもよかった。
私にとっては、風が当たるのと同じくらいの出来事だった。
でも。
レンの手が、先に動いた。
私が何かを思うより、ずっと前に。
レンは、あの男の手首を掴んで、そのまま止まっていた。
自分でも、何をしたのか分かっていない顔だった。
……熱かった。
離れていても分かった。
レンの中の、あの熱が上がっていた。
敵はいない。危険もない。
なのに、上がった。
でも、私が見ていたのは、そこじゃなかった。
レンは、また私の前に出た。
……守ってくれた。
胸のあたりが、また変になった。
こんなときに。
十一人が死んだ話を聞いた、すぐあとだった。
なのに私は、うれしくてたまらなかった。
……最低だ。
でも。
うれしかったものは、うれしかった。
もう一つ、気づいたことがある。
私は、あの男を消そうとは思わなかった。
剣の男のとき、私は先に「消そうか」と思った。
今日は、思わなかった。
……ちがう。
思う前に、レンの顔を見た。
私はいつの間にか、消すかどうかを決める前に、レンを見るようになっていた。
……それが、いいことなのかどうか。
私には、まだ分からない。
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