第22話 生き残ったからだ
東雲が連れていったのは、大聖堂の裏手にある施療院だった。
「白石さんが毎日来ている場所」
東雲が、扉を開けながら言った。
「昼は怪我人でいっぱいだけど、この時間は寝ている人しかいない。兵も入らない」
「入らねえのか」
「聖女様の領分だから」
中は、薬草と血の匂いがした。
寝台が並んでいて、いくつかに人が眠っていた。
東雲は、その脇を抜けて、奥の小さな部屋へ俺たちを通した。
※
しばらくして、扉が勢いよく開いた。
「——黒崎ィ!」
最初に飛び込んできたのは、姫川だった。
俺の顔を見て、口を開けて、そのまま固まった。
「……あ、」
「よお」
「……ま、じで、」
次の瞬間、殴られた。
「痛え!」
「あんたさぁ!」
姫川は、目を真っ赤にして怒鳴った。
「あんた死んだと思ってたんだけど! みんなでそう思ってたんだけど!」
「悪い」
「悪いじゃなくて!」
「悪かった」
「悪かったじゃなくて!」
姫川は、そこで言葉が続かなくなった。
髪が短くなった頭を、両手で抱えて、しゃがみ込んだ。
「……よかったぁ……」
その後ろから、九条が入ってきた。
背筋を伸ばして、俺の前に立って——それから、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「おい、やめろって」
「わたくしは、あの場で口を開きました。ですが、それだけです」
九条は、下げた頭を上げなかった。
「あなたが連れていかれるとき、わたくしは何もしませんでした」
「九条」
「はい」
「お前、口を開いただろ」
「……口だけです」
「その口を開いた、それだけで十分だよ」
九条の肩が、震えた。
「頭上げろ。似合わねえ」
やがて、ゆっくりと背筋が戻った。
「……似合わない、とは失礼ですわね」
「戻ったな」
「戻りましてよ」
佐伯は、入口で眼鏡を外して、拭いて、かけ直して、もう一度こっちを見た。
「……本物だ」
それだけ言って、壁にもたれた。
大我は、取ってきた盾を抱えたまま、その隣に立った。こいつとは坂の上で散々やったので、今度は何も言わなかった。
最後に、水城葵が入ってきた。
こいつだけ、走ってこなかった。
いつも通りの歩き方で入ってきて、いつも通りの無表情で、俺の前に立った。
そして、しばらく黙っていた。
「……水城」
「……」
「坂の上で、お前が最初に見つけたんだろ。悪かったな、ずっと——」
言い終わる前に、胸に何かを押しつけられた。
折りたたんだ紙だった。数枚、重ねてある。
「……何だこれ」
「手紙」
「誰の」
「あんた宛て」
一枚目を開くと、日本語が並んでいた。
この世界に来てから、初めて読める文字だった。
「……水城、お前」
「最初のは、宰相に渡した。取り次ぐって言うから」
「……宰相に」
あの男の顔が浮かんだ。森で「恨まないでいただきたい」と言った顔だ。
水城は、俺の顔を見なかった。
「途中で、おかしいと思った。だから渡すのをやめた」
「じゃあ、これは」
「渡してない分」
水城は、そこで初めて俺を見た。
「……手紙って、そういうものじゃないと思うけど」
「……」
「でも、書くのをやめる理由もなかった」
俺は、何も言えなかった。
水城は、少しだけ首を傾けた。
「読まなくていい。ほとんど、その日の飯の話」
「読むよ」
「……そう」
それだけ言って、こいつは壁際に下がった。
いつも通りの顔で。
ただ、下がるときに一度だけ、袖で目のあたりを拭っていた。
「で」
姫川が、鼻をすすりながら顔を上げた。
「その子、だれ?」
全員の目が、動いた。
ルナは、部屋の隅に立っていた。
外套のフードを、まだかぶったままだ。
「……連れだ」
俺は言った。
「森で会った。ずっと一緒にいた」
「へえ! どこの子?」
「……遠くだ」
「かわいい?」
「フードかぶってんだから見えねえだろ」
「えー、見せてよ」
「姫川さん」
東雲が、短く言った。
「はい?」
「今は、そこじゃない」
「……はーい」
誰も、それ以上ルナのことは聞かなかった。
白石も、聞かなかった。
※
俺は、壁際の長椅子に腰を下ろした。
「黒崎くん」
東雲が、俺の正面に座った。
「聞きたいことが、山ほどある」
「だろうな」
最初に口を開いたのは、水城だった。
「黒崎。あんた、どこにいた」
「森だ」
「どの森」
「死海の森」
部屋が、静かになった。
「……佐伯くん」
東雲が言った。
「死海の森について、知っていることを」
佐伯は、眼鏡を押し上げた。
その手が、震えていた。
「王国の立入禁止区域だ。何箇所かあって、理由は公表されてない。地図にも載ってない」
佐伯は、早口になった。
「書庫の記録にあった。二百年前から指定されてる。何度か調査隊が入って——生きて出た記録が、ゼロだ」
姫川が、両手で口を押さえた。
「……やっぱり」
「やっぱり?」
俺が聞き返すと、答えたのは水城だった。
「隔離施設なんて、最初から存在しない」
「……」
「少し前に確認した。王国の施設台帳を全部見た。該当するものはない」
水城は、淡々と続けた。
「手紙を取り次ぐって言われたときから、引っかかってた。場所を教えられない施設に、どうやって届けるのか」
「水城さんから、それを聞いて」
東雲が言った。
「みんなで話した。黒崎くんは、もう生きていないかもしれないって」
俺は、そのとき初めて知った。
こいつらが、宰相の話をとっくに疑っていたことを。
水城が、一人でそれを確かめていたことを。
「……つまり」
大我が、低い声で言った。
「保護するって言って、誰も帰ってこねえ場所に放り込んだってことかよ」
佐伯が、頷いた。
「言い方を変えると、処刑だ」
壁に、拳が入った。
大我じゃなかった。
九条麗華が、握った拳を壁につけたまま、俯いていた。
「……九条」
「……失礼いたしましたわ」
※
「黒崎くん」
東雲が言った。
「ん」
「話しておかなきゃいけないことがある」
東雲は、目を逸らさなかった。
「今日までに、十一人死んだ」
※
三十四人のうち、十一人。
二ヶ月と、少しで。
俺は、何も言えなかった。
「……誰が」
「三浦亮太くん。五十三日目。レスタ砦の補給路で」
東雲は、何も見ずに言った。
「魔族の伏兵だった」
「……そうか」
俺は、白石を見た。
「……白石でも、駄目だったのか」
「……間に合わなかった」
白石が、答えた。
「毒だったの。傷が塞がらなくて」
白石は、両手を握っていた。
「三浦くん、最後に」
「『俺、なんか、役に立ちました?』って」
俺は、天井を見た。
「『黒崎と、同じかなって』」
「……それから」
白石の声が、細くなった。
「『戻ってきたら、教えてくださいよ。俺、ちゃんと戦ったって』」
息が、止まった。
戻ってきたら。
あいつは、俺が戻ってくると思っていた。隔離されているだけで、いつか戻ってくると。
そう思ったまま、死んだ。
「……あの野郎」
声が、うまく出なかった。
「戦ったんだな、あいつ」
「うん」
白石が、頷いた。
「ちゃんと、戦った」
※
「ほかの人も、全部言える」
東雲は、そのまま続けた。
「高橋くん。それから——」
「……いい」
俺は、遮った。
「今は、いい」
東雲が、口を閉じた。
膝の上で、手が震えていた。握っても、止まらなかった。
三浦一人で、もう手一杯だった。
残りの名前を聞けば、一人ずつ顔が浮かぶ。今ここで、それを全部受け止められる気がしなかった。
「……あとで、全部聞く。だから、今は」
「うん」
東雲は、それ以上言わなかった。
しばらくして、静かに言った。
「そのうち、戦闘職は三人」
「……残りの八人は」
「戦えない人たち」
「なんで、戦えねえ奴のほうが多く死ぬんだよ」
「後ろに回されるから」
東雲の声は、平坦だった。
「戦える人は、みんな前に集められる。戦えない人は、後ろで補給と伝令をする」
「……」
「魔族は、後ろに回り込む。後ろには、守る人がいない」
「誰がそう決めた」
「王国」
俺は、しばらく黙った。
「なあ、東雲」
「うん」
「王国は、俺たちを何だと思ってる」
答えたのは、佐伯だった。
「……道具だよ」
※
「……言ってなかったことがある」
佐伯は、俯いていた。
「黒崎にだけじゃない。みんなにも」
全員の目が、佐伯に向いた。
「書庫で、見つけたんだ」
「僕、賢者だから、最初から書庫に入れてもらえてて。帰る方法がないか、ずっと調べてた」
「……ああ」
「召喚の術式とか、転移の魔道具のこととか。読めるものは、片っ端から書き写してた」
佐伯は、眼鏡の縁に触れた。
「そしたら、書庫の奥に、鍵のかかった棚があって」
「開けたのか」
「開けた」
佐伯は、自分の指を見た。
「書庫の入口と同じ錠だった。毎日見てたから、《魔導理解》で開けられた」
「……中は」
「綴りが一冊。前に召喚された人たちの記録」
佐伯は、そこで一度、息を吸った。
「表の記録だと、その人たちは全員、魔王との戦いで死んだことになってる」
「……」
「でも、その綴りには、帰ってきた人がいたって書いてあった。魔王と戦って、生きて、この国に」
「……それで」
「帰還後、戦後処理」
佐伯は、それだけ言った。
「……なんだ、それ」
「そう書いてあった。そういう言葉で」
部屋の温度が、下がった気がした。
「戦って死んだんじゃない。帰ってきてから——」
佐伯は、そこで口を閉じた。
最後まで言わなくても、全員に分かった。
誰も、すぐには口を開かなかった。姫川が、九条の顔を見た。九条は、佐伯から目を離さなかった。
みんな、初めて聞く顔だった。
「……佐伯くん」
東雲が言った。
「それ、いつから」
「……一ヶ月くらい前」
佐伯は、俯いたまま答えた。
「一ヶ月」
繰り返したのは、大我だった。
「一ヶ月って、お前」
「鬼塚くん」
東雲が止めた。
「いや、待てよ東雲。俺らも、終わったらそうなるって話だろ」
大我は、佐伯を見たまま言った。
「それを一ヶ月、一人で黙ってたのかよ」
佐伯は、答えなかった。
「佐伯」
俺は、大我を手で制してから聞いた。
「なんで黙ってた」
佐伯は、それでも答えなかった。
しばらくして、小さく言った。
「怖かったから」
「証拠もないし、僕が見たって言ったら、僕が消される。記録ごと、なかったことにされる」
「それに、知ったら、みんな顔に出る。そしたら、みんなも」
佐伯の眼鏡が、曇っていた。
「毎日、言おうと思ってた。毎日、言えなかった」
「……でも、記録は取ってた」
佐伯は、上着の内側から冊子を出した。
分厚かった。
「全部、書き写してある。棚の綴りも、それまで写してたものも。日付も、書架の番号も」
俺は、その冊子を見ていた。
「佐伯」
「……なんだよ」
「お前、すげえな」
佐伯が、顔を上げた。
「……は?」
「一ヶ月、一人で持ってたんだろ、それ」
「……」
「怖かったって言いながら、書き写してたんだろ」
「……」
「じゃあ、上出来だ」
佐伯は、しばらく口を開けていた。
それから、両手で顔を覆った。
「……なんだよ、それぇ……」
部屋が、少し静かになった。
※
「……で、どうする」
姫川が言った。
「あたしら、どうしたらいいの」
「まず、黒崎くんを隠す」
東雲が即答した。
「生きていることが知られたら、王国は必ず動く」
「殺すってこと?」
「分からない。でも、考えておくべきだと思う」
「そんで?」
「そのあとは、二つ」
東雲は、指を二本立てた。
「一つ。非戦闘職のみんなを、後方から引き上げること」
「もう一つは」
「帰る方法を、自分たちで確かめること」
「転移の魔道具ですわね」
九条が言った。
「王国は数年と申しましたわ。ですが——」
「その数年も、あいつらの言い分だ」
大我が言った。
「本当にまだ溜まってねえのか。誰か見たのか」
「……誰も見てない」
佐伯が言った。
「じゃあ、まずそれだな」
俺は、その会話を聞いていた。
二ヶ月と少し前、こいつらは何も知らない高校生だった。
今、王国の記録を疑い、施設台帳を調べ、書庫の内容を書き写している。
……変わったな。
俺だけじゃなかった。
「黒崎くん」
東雲が、俺を見た。
「黒崎くんは、何がしたい?」
俺は、少し考えた。
王都に来た理由は、二つあった。
一つ目は、済んだ。
二つ目は。
「言ってやりたいことがある」
俺は言った。
「王に。宰相に。」
「何を言うつもり?」
「……まだ決めてねえ」
「決めてないの」
「決めてねえよ」
「……分かった」
東雲は、少しだけ笑った。
「なら、決まるまでは、私たちが隠す」
※
そのとき。
扉が、開いた。
全員が、振り返った。
白い装束の男が、立っていた。
誰も、声を出さなかった。
神崎蓮司は、部屋の中を、ゆっくりと見回した。
一人ずつ、確かめるみたいに。
そして、最後に俺を見た。
しばらく、動かなかった。
やがて、口を開いた。
「……なんで生きてる」
俺は、立ち上がった。
「生き残ったからだ」
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