第19話 面白えな
「……柊」
俺は、掴まれた腕を見た。
力を込めても、動かない。
「離せよ」
柊は、あっさり離した。
「生きてたのか」
「見りゃ分かるだろ」
「死ぬと思ってた」
「……俺もだ」
※
柊隼人は、変わっていなかった。
いや——変わってはいる。
頬が削げた。腕が太くなった。首筋に、縫った跡がある。
だが、目が同じだった。
人を品定めする目だ。
「なんで分かった」
俺は聞いた。
外套を目深にかぶって、この土地の服を着て、何万人の中にいた。
クラスの誰にも気づかれなかった。大我にも、東雲にも。
「お前じゃねえ」
柊が言った。
「あ?」
「そっちだ」
柊の視線が、俺の後ろへ動いた。
「式の途中で、目に引っかかった」
「目?」
「《修羅眼》」
それだけだった。何が見えるのかは、言わなかった。
式典で振り返った柊の目が、赤くなっていたのを思い出した。
ルナが、フードの下から柊を見ていた。
「…………」
「…………」
二人は、しばらく黙っていた。
空気が、変わった。
路地の温度が下がった気がした。柊の右手が、腰の剣の柄に触れている。
ルナは動かない。
だが、俺の背中に触れていた手が、少しだけ強くなった。
「おい」
俺は、横にずれて、柊の視線を塞いだ。
「やめろ」
柊が、俺を見た。
それから、鼻から息を抜いた。
手が、柄から離れた。
「……なんだ、それ」
柊が言った。
ルナにではない。俺に向かって、顎でルナを示していた。
「……なに」
答えたのは、ルナのほうだった。
「お前に聞いてねえ」
柊は、ルナを見もしなかった。
「おい、ハズレ」
「その呼び方やめろ」
「お前、それ何だか分かってて連れてんのか」
……それ、と言った。
「ヴァンパイアだろ」
柊の動きが、止まった。
「……あ?」
「知ってるよ。最初に会ったとき、血ぃ吸われたしな」
柊は、しばらく黙っていた。
「……そうかよ」
「なんだよ」
「いや」
柊は、口の端を歪めた。
「面白えな、お前」
「何がだよ」
「めんどくせえ」
「だから、何がだよ」
※
柊は、路地の壁にもたれた。
それから、目だけでルナを示した。
「本人に聞け」
俺は、口を閉じた。
こいつが何を言いたいのか、見当もつかなかった。
ヴァンパイアだと、俺はもう知っている。それ以上、何があるってんだ。
「……なあ、柊」
「あ?」
「教えてくれ。みんなは」
柊は、面倒くさそうに言った。
「生きてる」
「それだけかよ」
「他に何がいる」
「いや、こう、もっとあるだろ。元気かとか、怪我してねえかとか」
「怪我はしてる」
「誰が」
「だいたい全員。勇者以外はな」
その言い方に、少しだけ何かが混ざった気がした。
「……なんで」
「前に出ねえからだ。他が削ったやつの首だけ取る」
柊は、興味なさそうに言った。
その口調は、褒めていなかった。
「大我は」
「一番前だ」
俺は、下を向いた。
あいつは重騎士だ。盾役だ。
だから一番前に立つ。当たり前だ。
「なあ」
「あ?」
「……あいつら、俺のこと」
柊は、少し黙った。
「鬼塚が、ずっと探してる」
※
「……探してる?」
「街に出るたび、人の顔を見てる」
「…………」
「東雲もだ」
俺は、壁に手をついた。
膝が、少し笑っていた。
「……あいつら」
それ以上、声が出なかった。
柊は何も言わずに、よそを見ていた。
俺は、外套のフードを深くかぶった。
「……なあ、柊」
「まだあんのか」
「どうやったら会える」
「知らねえ」
「おい」
「城には入れねえぞ」
柊が言った。
「お前、いねえことになってる」
「……知ってる」
九名、と宰相は言った。
「じゃあ聞くな」
柊は、壁から背を離した。
行くのか、と思った瞬間、そいつは言った。
「三日後」
「え?」
「練兵場だ。朝から夕方まで、あいつらがいる」
「……訓練か」
「自主練だ。宰相は来ねえ」
「お前は」
「行かねえ」
「練兵場って、どこだよ」
「城の裏。坂の上から中が見える」
俺は、顔を上げた。
「……なんで教える」
柊は、こちらを見なかった。
「つまんねえからだ」
「は?」
「ここんとこ、全部つまんねえ」
こいつが、初めて長めに喋った。
「魔族は弱い。勇者は逃げる。訓練は茶番だ」
「…………」
「お前が出てったら、何か起きるだろ」
……それだけかよ。
それだけらしかった。
柊が、背を向けた。
「あー、待て」
俺は呼び止めた。
「なんだ」
「俺のこと、誰かに言うのか」
柊が、振り返った。
「言ったらどうなる」
「……」
「王国が動く。あいつらが動く。で、お前は捕まるか、殺される」
俺は、黙った。
こいつは、俺が思っていたより、ずっと物を考えている。
「……言わねえってことか」
「つまんねえだろ、それ」
それだけ言って、柊は歩き出した。
三歩ほど行って、また止まった。
「あとな」
「まだあんのか」
「そいつが暴れたら」
柊は、ルナのほうを顎で示した。
「俺は、誰の味方でもねえ」
「……は?」
「面白えほうにつく」
※
そして今度こそ、歩いていった。
一度も、振り返らなかった。
路地に、俺とルナだけが残った。
「……レン」
「なんだよ」
「……あの人、なに」
「クラスメイトだ」
「……そう」
ルナは、柊が消えた方向を見ていた。
「……レン」
「なんだ」
「……あの人、私を見てた」
「まあ、見てたな」
「……ちがう」
ルナは、自分の胸のあたりに手を当てた。
「……中まで、見てた」
俺は、返事ができなかった。
※
宿へ戻る道で、俺はずっと考えていた。
三日後。練兵場。
行くのか。
行けば、会える。大我に。東雲に。全員に。
だが、それは同時に、王国に俺が生きていると知らせることでもある。
……いや。
そもそも、俺は何をしに来たんだ。
王都に来た理由は、二つあった。
あいつらの生死を確かめること。
それから——王国に、言ってやりたいことがあったこと。
一つ目は、済んだ。
二つ目は。
どうやって言う。
誰に言う。
言って、どうなる。
……分からなかった。
「生きて帰ってやる」と決めた日、俺はそこまで考えていなかった。
考える余裕がなかったし、考えるより先に死にかけていた。
今は、生きている。
生きて、王都にいる。
……それで?
「……レン」
「ん」
「……歩くの、遅い」
「そうか?」
「……考えごと、してる」
「……まあな」
ルナが、俺の袖を引いた。
破けたほうの袖だ。
「……レン」
「なんだよ」
「……三日後、行くの?」
俺は、立ち止まった。
「……行きたい」
「……うん」
「けど、危ねえ」
「……うん」
「お前も危ねえ。人が多いし、兵もいる」
「……うん」
「あと——」
言いかけて、俺は止まった。
今日、こいつは俺の袖を握りつぶした。
布が裂けるほど強く。
あれだけの人に囲まれたのは、たぶん初めてだ。怖かったんだろう。
「……人混み、平気か」
「……平気じゃない」
「だよな」
「……でも、行く」
※
——ルナ Side——
あの男は、私を見た。
人間は、私を見なかった。逃げていたから。
魔族は、私を見なかった。這いつくばっていたから。
娘たちは、私を見上げた。
あの男は、見上げなかった。まっすぐ私を見た。
目を逸らさず、頭も下げず、逃げもせず。
レンも、そうだった。
……でも、二人はぜんぜん違う。
レンは、私を「女の子」だと思って見ている。
あの男は、私が何であるかを見ている。
そして——測っていた。
自分と私の差を。
私は、それが何なのか、すぐに分かった。
あの目は、上と下を数える目だ。
昔、私を見上げる目は二種類しかなかった。
畏れる目と、憎む目。
あの男のは、どちらでもない。
届かないと分かっていて、それでも見ていた。
……こわい男だ。
あの一瞬、私は考えた。
消そうか、と。
簡単だった。
路地に、人はいない。声も出ない。十も数えないうちに終わる。
この街の誰も気づかない。
そう考えたとき、レンが前に立った。
「やめろ」
レンは、あの男に言った。私を庇うつもりで。
でも、その声で考えるのをやめたのは、私のほうだった。
もし、レンがいなかったら。
私は、あの男を消していた。
……そういうものなのだ、私は。
あの男は、それ以上何もせずに帰った。
レンのことを、誰にも言わないらしい。
……消していたら、レンの友達が一人減っていた。
……レンには、帰る場所がある。
探している友達がいる。
群衆の中を、めちゃくちゃに見ていた男がいる。
私には、ない。
……ねえ、レン。
あなたが練兵場に行けば、私は置いていかれる。
いいや、ちがう。
置いていかれるんじゃない。
あなたが、帰るだけだ。
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