第18話 そこにいる
当日の朝、俺は日が昇る前に目を覚ました。
というより、ろくに眠っていなかった。
外套を頭からかぶって、宿を出た。
ルナも同じ格好だ。目深にフードをかぶって、俺のすぐ後ろを歩いている。
王城前の広場までは、歩いて半時ほどだった。
なのに、途中から進まなくなった。
「……多い」
「多いな」
道が、人で埋まっていた。
みんな同じ方向へ歩いている。老人も、子供も、腕のない男も、赤ん坊を抱いた女も。
「兄ちゃん、押すな!」
「押してねえよ!」
「うわ、財布! 誰か俺の財布——」
俺は、ルナの手を掴んだ。
「離すなよ」
「……うん」
その手が、握り返してきた。
いつもより強かった。
広場に着いたときには、もう身動きが取れなかった。
石畳が見えない。人の頭しか見えない。
正面の奥に、白い階段が見える。その上に台が組まれていて、旗が並んでいた。
周りを、鎧の兵が囲んでいる。
俺たちは、そこから数十歩は後ろだった。
「……見えるか?」
「……見える」
「よく見えるな」
「……目は、いい」
※
太鼓が鳴った。
群衆が、一斉に静かになった。
白い階段の上に、人が出てきた。
最初に出てきたのは、王だった。
あの日、玉座から「隔離せよ」と言った男だ。
あの日と同じ、何も動かない顔だった。背丈も冠も、覚えている。
次に、宰相が出た。
……バルド。
俺は、外套の下で拳を握った。
「恨まないでいただきたい」と言った男だ。
あの声を、俺は忘れていない。
宰相が、両手を広げた。
声が、広場中に届いた。
「——王都の民よ。今日は、諸君に報告がある」
「北方レスタ砦の防衛戦において、我が軍は魔族四百を退けた」
歓声が上がった。
地面が震えた。
「これを成し遂げたのは、我が国の騎士のみにあらず」
宰相の声が、大きくなる。
「異界より召し寄せられし、九名の勇士である」
……九名。
俺は、歯を食いしばった。
三十四人だ。
あの日、あの教室から、三十四人が来た。
あのとき召喚されたクラスメイトたちの顔が、次々と浮かんだ。
商人になった奴も、鍛冶師になった奴も、薬師になった奴もいた。
俺もいた。
なのに、九名。
「入場——!」
太鼓が、また鳴った。
白い階段の下から、行列が上がってきた。
※
最初に見えたのは、白い鎧だった。
「聖騎士、九条麗華」
九条だ。
髪をきっちり結い上げて、背筋を伸ばして歩いている。
盾がでかい。俺の上半身くらいある。
あいつ、あんなもん持てるようになったのか。
「弓聖、水城葵」
水城。
弓が長い。背中に矢筒。相変わらず無表情だ。
だが、歩きながら目だけが動いていた。
左右を、順番に。ゆっくりと。
……あいつ、群衆を見てるな。
「賢者、佐伯陽一」
佐伯。
……痩せた。
召喚された日、あいつはもう少し丸かった。眼鏡の下の顔が、こけている。
右手に杖を持っていた。
「魔法剣士、姫川莉奈」
姫川。
髪を短く切っていた。腰の後ろに剣。
笑っていない。
あの姫川が、だ。
教室では一日中喋って笑っていた奴が、口を結んで前だけ見ている。
「重騎士、鬼塚大我」
息が、止まった。
大我だった。
でかくなっていた。もともとでかい奴だったが、肩の幅が別人だ。
抱えている盾は、九条のよりさらに大きい。
……お前。
俺は、無意識に前へ出ようとしていた。
人にぶつかって、押し返された。
「おい、押すなよ」
「……悪い」
大我は、階段を上りながら、ずっと群衆を見ていた。
九条みたいに前を向いていない。水城みたいに規則正しくもない。
あいつは、ばらばらに、めちゃくちゃに、あちこちを見ていた。
……何を見てんだよ。
いや。
……何を、探してんだよ。
「拳聖、東雲千尋」
東雲。
防具を着けていない。式典だというのに、動きやすい服だけだ。
背が伸びたようには見えない。だが、立ち方が変わっていた。
そして、あいつも群衆を見ていた。
大我と同じように。
俺は、口を開きかけた。
ここで叫べば、届くかもしれない。
「おい」と。
「俺はここだ」と。
……叫べなかった。
周りに兵がいる。宰相がいる。王がいる。
俺は、王国が「死んでも構わない」と判断した人間だ。
ここで名乗り出て、何が起きるか分からない。
俺は、口を閉じた。
「剣鬼、柊隼人」
柊が出てきた。
こいつだけ、明らかにおかしかった。
列に入っていない。
少し遅れて、勝手に歩いている。
鎧も着ていない。式典用の服も着ていない。旅装のままだ。
腰に、剣が一本。それだけだった。
群衆から、ざわめきが起きた。
誰かが「あれが」と言った。
「一人で三十斬った男だと」
「顔が笑ってねえな」
「怖え……」
「聖女、白石美咲」
その名前で、広場の空気が変わった。
白い。
全部、白かった。
服も、装飾も、髪に挿したものも。
白石は、他の連中と歩き方が違った。
ゆっくりで、静かで、まっすぐだった。
群衆が、揃って膝をついた。
俺の周りの連中も、次々に。
「……レン」
ルナが、俺の袖を引いた。
「……みんな、座ってる」
「……ああ」
俺たちも、しゃがんだ。
目立ちたくなかった。
白石が、階段の途中で立ち止まった。
……ん?
先に上がっていた柊が、足を止めて振り返った。白石が見ている先を、目で追っていた。
その目が、赤くなっていた気がした。
白石は、動かなかった。
顔を、こちらに向けていた。
いや——こちらじゃない。
群衆の、どこかを。
探すみたいに、ゆっくりと視線を動かしている。
俺の隣で、ルナが息を止めたのが分かった。
「ルナ」
「……」
「おい、ルナ」
「……」
その手が、俺の袖を握りつぶしていた。
布が裂ける音がした。
白石は、たっぷり数を数えるくらい、そのままだった。
やがて、また歩き出した。
「……ルナ」
「……なんでもない」
声が、震えていた。
※
「勇者、神崎蓮司——!」
最後に出てきた男に、広場が爆発した。
悲鳴みたいな歓声だった。
女の声が多い。子供が親の肩に乗って手を振っている。花が投げられた。
神崎蓮司。
白い装束に、金の縁取り。あいつに似合っていた。
髪も整えていた。顔も、たぶん、あの日より少しいい。
階段の上に立って、両手を上げた。
歓声が、さらに大きくなった。
「——《聖剣召喚》!」
右手に、白い剣が現れた。
光が、広場を照らした。
地面が揺れるほどの声が上がった。
俺の隣で、じいさんが泣いていた。
「勇者様だ……本物だ……」
俺は、その光を見上げていた。
……そうか。
あれが、勇者か。
俺は、外套の下で自分の手を見た。
拳が硬くなって、傷だらけの手。
ガランにもらった剣は、刃が欠けたまま宿に置いてきた。
……上等だ。
俺は、そう思うことにした。
※
式は、それから半時ほど続いた。
王が何か言い、宰相が何か言い、神崎が何か言った。
内容は、ほとんど頭に入らなかった。
俺はずっと、大我を見ていた。
あいつは、最後まで群衆を見ていた。
式が終わって、行列が下がっていくときも。
最後の一段を下りるときに、一度だけ振り返って、また見た。
……大我。
俺は、ここにいる。
人の波が、動き出した。
解散だ。
何万人が一斉に帰り始めて、広場はもみくちゃになった。
「行くぞ」
「……うん」
俺はルナの手を引いて、人の流れから外れた。
※
路地に入って、ようやく息がつけた。
「……レン」
「なんだよ」
「……ごめんなさい」
「あ?」
ルナが、俺の袖を見ていた。
裂けていた。
「……破いた」
「気にすんな」
「……ごめんなさい」
「気にすんなって」
俺は、路地の壁に片手をついた。
あいつら、生きていた。
九条も、水城も、佐伯も、姫川も、大我も、東雲も、柊も、白石も、神崎も。
九人とも、あそこに立っていた。
……よかった。
本当に、よかった。
目の奥が、熱かった。
俺は外套のフードを深くかぶって、上を向いた。
「……レン」
「なんでもねえよ」
「……泣いてる」
「泣いてねえ」
「……泣いてる」
「うるせえな」
しばらく、そのままだった。
これからどうする。
九人の顔は見た。生きているのも分かった。
だが、それだけだ。
名前を呼ばれなかった連中のことは、何も知らない。
城には入れない。名乗り出れば何が起きるか分からない。
どうやって、あいつらに——
肩を、掴まれた。
振り返る前に、身体が動いていた。
《狂熱》に火が点く。
肩を掴んでいる手を取って、ひねって、投げようとして——
掴んだ手首が、岩みたいに動かなかった。
逆に、俺の腕のほうが掴まれていた。
びくともしない。
俺は、ゆっくりと振り返った。
すぐ後ろに、男が立っていた。
腰の剣には、手もかけていなかった。
旅装のまま。
式典から、そのまま歩いてきた格好で。
目が合った。
「…………」
柊隼人は、しばらく俺を見ていた。
それから、俺の後ろにいるルナを見た。
そっちを、ずっと長く見ていた。
その目が、また赤くなっていた。
やがて、口の端を歪めた。
笑ったのだと、少し遅れて気づいた。
「……よお」
「ハズレ」
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