幕間③ 最初の一人
召喚から、五十三日。
召喚者たちは、初めて大規模な防衛戦に投入された。
※
王都から北。国境の砦、レスタ。
レスタは、過去三度、魔族に奪われ、そのたびに奪い返された砦だ。石造りの城壁には、埋め切れていない砕けた跡があった。
「本日、貴殿らは第二騎士団の指揮下に入ります」
ガレスが、砦の広場で言った。
「私は同行しますが、命令はしません。命令は第二騎士団長が出す。返事は必ず声に出すこと」
「なんで声に?」
姫川莉奈が聞いた。
「聞こえなかった、と後で言えないようにするためです」
ガレスは淡々と答えた。
「戦場では、聞き違いひとつで死にます」
※
魔族の部隊が現れたのは、その日の夕方だった。
数はおよそ四百。上級魔族が三体。
対する砦側は、騎士たちと——高校生たち。
「来ます」
九条麗華が、大盾を地に据えた。
武具庫で一番大きいものを選んだ、と本人が言っていた盾だ。彼女の背丈ほどある。
その面から、白い光が広がった。
《聖盾》。
半円形の障壁が、盾を中心に、城門前の通路を塞ぐように展開された。
「わたくしが押さえますわ。この場所は、わたくしが守ると誓います」
瞬間、彼女の身体が淡く光った。
《不退の誓い》。
守ると宣言した対象がある限り、彼女は退かない。退けない。
「九条、無茶すんなよ」
「無茶ではありませんわ。役割ですもの」
※
最初の衝突で、九条の盾が軋んだ。
魔族の突撃は重い。人間の突撃とは質量が違う。何人分もの体当たりを、彼女は一人で受け止めていた。
「——ぐっ」
膝が落ちる。
「九条ォ!」
鬼塚大我が、割り込んだ。
彼は九条の前に立ち、自分の大盾を地面に突き立て、両足を踏ん張った。
「《鉄壁》——ッ!」
空気が変わった。
彼の身体が、鈍い金属光を帯びる。
次の瞬間、上級魔族の一撃が盾を叩いた。
凄まじい音が響いた。
大我は、動かなかった。
一歩も、下がらなかった。
「……っ、はぁ、はぁ」
「鬼塚さん!」
「動けねえんだよ、これ!」
大我が歯を食いしばりながら怒鳴った。
「足止めたら硬え! でも動いたら消える! だから——俺は動かねえ!」
その言葉が、九条の耳に残った。
彼女は立ち上がった。
「……存じております」
盾を、もう一度掲げる。
「わたくしも、動きませんわ」
※
その頭上を、影が跳んだ。
東雲千尋。
防具は着けていない。武器も持っていない。
彼女は上級魔族の頭上から落下し、その首の後ろに肘を叩き込んだ。
骨が砕ける音。
上級魔族が前のめりに崩れる。
千尋は着地して、すぐに次を見た。
「——右」
魔族が三体、横合いから来る。
《見切り》。
初動を半拍早く読む。それだけの能力で、彼女は三体の攻撃線を全部避けきった。
そして、順に一発ずつ。
鳩尾、喉、こめかみ。
三体が、ほぼ同時に倒れた。
「……嘘でしょ」
姫川莉奈が呟いた。
「東雲さん、それ人間の動きじゃないって」
「人間の動き」
千尋は振り返らずに答えた。
「父に習ったものを、殺せる形に直しただけ」
※
「うっし、あたしも行く!」
莉奈が剣を抜いた。
刃に赤が走る。《魔剣付与》。
そして地面を蹴った——直線に。
《縮地》は、まっすぐにしか進めない。
一体目を斬り抜けた。二体目も。
三体目で、読まれた。
魔族が、彼女の突入線に槍を置いていた。
「——え」
避けられない。直線でしか動けないのだから。
その槍が、途中で弾けた。
矢だった。
「莉奈」
城壁の上から、水城葵の声が降ってきた。
「あんたの《縮地》、三回目から読まれる」
「先に言ってよ!」
「今言った」
葵は次の矢をつがえた。
《千里眼》で遠くの魔族を捉え、《必中》で放つ。
狙いさえ定まれば、外さない。
※
「魔法陣、展開します!」
後方で、佐伯陽一が両手を突き出した。
地面に円が走る。
「炎の壁! 通路を絞ります!」
炎が立ち上がり、魔族の進路が半分に狭まった。
佐伯の額から汗が流れている。
「うわ、消費やば……三回が限界だこれ……」
《魔導理解》は、詠唱魔法の習得と行使を極端に加速させる。だが、理解していない術式は使えない。
彼は召喚されてから、王城の書庫でひたすら術式を読み続けていた。
※
そして、最も目立っていたのは、やはり彼だった。
「——《聖剣召喚》!」
神崎蓮司の右手に、光が集まった。
白い大剣。
彼はそれを片手で振るい、魔族を三体まとめて薙ぎ払った。
歓声が上がる。騎士たちからも。
「みんな、行けるぞ! 俺がいる!」
その声が響いた瞬間——
周囲の兵たちの動きが、明らかに変わった。
《王者の威風》。
剣が軽くなる。恐怖が薄れる。足が前に出る。
この日、砦の兵たちは自分でも驚くほど戦えた。
彼らは、勇者を信じていた。
※
勝った。
魔族四百のうち、三百以上を討ち、残りは退いた。
砦側の死者は、二十二名。
例年の同規模の戦闘と比べれば、奇跡的な数字だった。
※
治癒所は、地獄だった。
「次!」
白石美咲は、両手を負傷者の腹に当てていた。
淡い光。裂けた腹が、少しずつ寄っていく。
「聖女様、無理をなさらず——」
「大丈夫です」
大丈夫ではなかった。
《治癒》は、他人の傷を消す力ではない。
自分の生命力を、相手に分け与える力だ。
一人治すたびに、彼女の指先から色が消えていく。息が浅くなる。視界が狭まる。
もう、十九人。
「白石様、少しお休みを」
「まだ運ばれてきます」
美咲は顔を上げなかった。
※
二十人目が運ばれてきたとき、彼女は名前を呼ばれた。
「白石さん……」
担架の上の顔を見て、美咲の手が止まった。
「……三浦くん」
同じクラスの男子だった。
職業は《見習い魔術師》。戦闘職ではない。だから後方支援として、砦の補給と伝令に回されていた。
その脇腹に、大きな穴が空いていた。
伏兵の魔族が、補給路に回り込んだのだという。
「あー……やっぱ、けっこう、まずいすか、これ」
「喋らないで」
美咲は両手を当てた。
光が走る。
傷が、寄らない。
「……なんで」
寄らない。
肉が、光を拒んでいる。
魔族の毒だった。
「白石さん」
「黙って!」
「……あの」
三浦は、天井を見ていた。
「俺、なんか、役に立ちました?」
「立ちました」
美咲は即答した。
「立ってます。だから」
「……そっすか」
三浦は、少し笑った。
「よかった。俺、《見習い魔術師》だったんで。あの、ずっと、要らないんじゃないかって」
「そんなこと」
「黒崎と、同じかなって」
美咲の手が、震えた。
「……あいつ、隔離されてるんすよね」
「……はい」
「戻ってきたら、教えてくださいよ」
三浦の目が、ゆっくりと閉じかけた。
「俺、ちゃんと戦ったって」
白石美咲は、その日、二十人目を救えなかった。
※
夜。
砦の広場に、二十二の遺体が並べられた。
布を掛けられた列の、端から二番目。
そこに、高校の制服の切れ端が置かれていた。
東雲千尋が、その前に立っていた。
長いこと、動かなかった。
「……東雲」
鬼塚大我が近づいてきた。全身に打撲の痕がある。
「三浦、名前……」
「三浦亮太くん」
千尋は即答した。
「二年の五月に転入してきた。将棋部で、購買のカレーパンが好きだった。三限が終わると、いつも走っていた」
「……お前」
「学級委員だから」
千尋は、それだけ言った。
声は震えていなかった。
「なあ、東雲」
「うん」
「俺たち、勝ったんだよな」
「勝った」
「二十二人死んで?」
「うん」
大我は、遺体の列を見た。
「……ふざけんな」
※
そこに、神崎蓮司が歩いてきた。
鎧に返り血。だが表情は明るかった。
「二人とも、こんなとこにいたのか」
「神崎くん」
「聞いたか? 騎士団長が言ってたぞ。この規模で死者二十二は記録的だって」
「……うん」
「俺たちがいなかったら、たぶん砦ごと落ちてた」
神崎は、遺体の列に目をやった。
そして、少しだけ表情を落とした。
「三浦、残念だったな」
「……うん」
「でも、まあ」
彼は肩をすくめた。
「戦争だし。仕方ないだろ」
千尋が、顔を上げた。
「神崎くん」
「ん?」
「三浦くんは、補給路にいた」
「そうらしいな」
「補給路の警備が薄かったのは、戦力を正面に集めたから」
「そりゃそうだろ。正面が抜かれたら全滅だ」
「うん。判断としては正しいと思う」
千尋は頷いた。
そして、続けた。
「だから、仕方ない、で終わらせてはいけないと思う」
神崎の眉が、動いた。
「……何が言いたいんだよ」
「正しい判断で人が死んだのなら、その判断をした側が、一番覚えておくべきだと思う」
「俺が決めたわけじゃないだろ」
「うん。でも、あなたは正面にいた」
「…………」
「私もそう」
千尋は、頭を下げた。
「私は、三浦くんが後ろにいることを知っていて、正面に出た」
神崎は、しばらく彼女を見ていた。
それから、笑った。
「東雲さぁ」
その笑い方が、少しだけ違った。
「お前、そういうとこあるよな」
「そう」
「褒めてないよ」
神崎は背を向けた。
「疲れてんだよ、俺も。今日は寝る」
※
彼は自室に戻り、扉を閉めてから、右手を掲げた。
「……《聖剣召喚》」
白い刃が現れる。
神崎はそれを、寝台の脚に軽く当てた。
——切れなかった。
いや、切れてはいる。だが浅い。
訓練場では、同じ力加減で木製の標的を真っ二つにできた。
「……なんだよ、これ」
彼は刃を消して、もう一度呼んだ。
同じだった。
「……疲れてんのか、俺」
神崎は舌打ちして、剣を消した。
そして、寝た。
その夜、彼が考えていたのは、三浦亮太のことではなかった。
※
同じ夜。
治癒所の裏で、白石美咲は座り込んでいた。
膝を抱えて、額をつけて、声を殺していた。
誰も来なかった。
聖女様は強い。聖女様は大丈夫。みんな、そう思っている。
——だから、誰も見ない。
昇降口で立ち尽くしていた日と、同じだった。
「……傘」
彼女は呟いた。
誰にも聞こえない声だった。
「まだ、返してないのに」
※
同じ夜。
死海の森で、黒崎蓮は塩をかけた肉を食べていた。
久しぶりの味に、少しだけ泣いていた。




