訳あり薬草採取-後編 薬草は帰りたい
籠の中の陽だまり草が、また動き出した。
黄色い三枚葉が、かさかさと音を立ててほどけていく。
朝露を抱いた葉の根元から細い根が伸び、籠の縁へ向かって這い上がろうとしていた。
「ちょ、待ちなさい!」
リゼが慌てて籠を覗き込む。
「薬草って、こんなに自己主張強かったっけ!?」
「普通はありません」
ミナの声は真剣だった。
「陽だまり草は、摘んだあとに薬効が落ちやすい草ではあります。でも、自分で帰ろうとするなんて……」
ガルドは籠を両手で支え、逃げ出しそうな薬草を落とさないようにしている。
「リオル、止められるか」
「止めるだけならできます」
リオルは親株を見つめたまま答えた。
丘の中央に生えた大きな陽だまり草。
その根元に埋まった古い魔導具が、青白く光っている。
草原全体に伸びた魔力の糸。
採取された葉を親株へ戻そうとする帰巣性の付与。
それは、強引に破れば壊せるかもしれない。
けれど、そうすれば薬草そのものの薬効も、草原全体の生態も傷つく可能性がある。
「でも、押さえつけるだけだと、薬草の薬効が壊れます」
「じゃあ、どうするのよ」
リゼが焦ったように言った。
籠から一枚の葉がこぼれ落ちた。
葉は地面に触れるなり、細い根を伸ばして親株の方へ這い始める。
リオルはその葉を追いかけず、じっと観察した。
「……戻りたいんじゃない」
「え?」
「この子たちは、戻りたいというより、戻らないといけないと思わされているんです」
リオルは膝をつき、地面へ手を触れた。
草原の土に流れる魔力が、親株へ集まっている。
その中心にある魔導具は、何かを命じていた。
帰れ。
根へ戻れ。
離れるな。
外へ出るな。
それは草を守るための仕組みだったのかもしれない。
採りすぎを防ぐため。
薬効が弱い時期に採取されないようにするため。
あるいは、誰かが陽だまり草を絶やさないために作った古い保護機構。
しかし今は、その命令が強すぎる。
「まるで、草原全体が過保護になっているみたいです」
リオルが呟くと、リゼが眉を上げた。
「草原が過保護」
「はい」
「また変な表現だけど、今回はなんとなくわかるわ」
ミナが親株へ近づき、そっと葉の状態を見た。
「親株、少し弱っています」
「弱ってる?」
ガルドが聞く。
「はい。葉は光っていますが、根元の色が薄いです。中央の雫も、普通の陽だまり草の朝露とは違います。薬効というより、魔力が濃すぎます」
リオルも親株の根元を見た。
確かに、根の周囲の土が乾いている。
他の場所は朝露で湿っているのに、親株の周辺だけ水分が吸い上げられたように白っぽい。
「この魔導具が、親株の力を吸って帰巣付与を強めているのかもしれません」
「壊す?」
リゼが杖を構えかける。
「だめです」
リオルとミナの声が重なった。
リゼは目を瞬く。
「ふたりとも即答ね」
ミナは親株に触れない距離でしゃがみ込む。
「親株と魔導具が根で絡んでいます。無理に壊すと、親株も傷つきます」
リオルも頷いた。
「それに、古い付与が草原全体へつながっています。中心だけ壊すと、魔力の流れが暴れるかもしれません」
ガルドが周囲を警戒しながら言った。
「つまり、また壊さずに解く必要があるわけだな」
「はい」
リゼが空を見上げた。
太陽は少しずつ高くなっている。
「のんびりしてる時間はないわよ。日没までに王都へ戻らないと薬効が落ちるんでしょ?」
「はい。ですが、焦って壊せば本末転倒です」
リオルは親株の根元に埋まった魔導具を観察した。
円盤状の石。
表面には古代文字が刻まれている。
針鳴りの回廊で見た石板と同じ系統の文字だった。
ただし、こちらは迷宮の試練ではない。
もっと生活に近い。
畑や薬草園を守るための実用品。
リオルは文字を読み取ろうと目を細めた。
「……“根標石”」
「こんひょうせき?」
ミナが聞く。
「たぶん、草木の帰る場所を記録する魔導具です。採取した葉や種が、一定条件を満たさないと元の根へ戻るようにしている」
「一定条件って?」
リゼが聞く。
「ここが欠けていて読めません」
リオルは石の端を指した。
根標石の一部に、小さなひびが入っている。
そのひびから青白い魔力が漏れ、親株の根へ流れ込んでいた。
「本来は、採取してよい分だけを許可する仕組みだったのかもしれません。でも、ひびのせいで条件判定が壊れて、全部戻そうとしている」
「修理できる?」
ガルドが尋ねる。
「石そのものを直すのは難しいです。でも、漏れている魔力の流れを整えることなら」
リオルは手を伸ばしかけた。
そして止まる。
根標石に付与する。
それ自体は人ではない。
けれど、この石は草原全体とつながっている。
親株ともつながっている。
もし付与の影響が植物の生命に深く入りすぎたら。
陽だまり草に【リオル:+1】のような何かが付いたら。
もちろん、薬草に好感度があるとは思えない。
思えないのだが、リオルはそれでもためらった。
「リオル」
リゼが声をかけた。
「今、また薬草の心配してる?」
「……植物にも、反応があるかもしれません」
「あるかもしれないわね」
リゼの返事は意外だった。
リオルは顔を上げる。
「否定しないんですか?」
「植物だって生きてるし。ミナもそう思うでしょ?」
ミナは静かに頷いた。
「はい。薬草は物ではありません。だから、傷つけないように扱いたいです」
「でもね」
リゼはリオルを見た。
「だから何もしない、は違うんじゃない?」
リオルは黙った。
リゼの声は、いつものように少し強い。
けれど、急かしているだけではなかった。
「孤児院の子たちは薬を待ってる。陽だまり草は戻らなきゃって苦しんでる。親株も弱ってる。だったら、今できることをするしかないでしょ」
ガルドも言った。
「お前の付与は、押さえつけるだけのものではない」
ミナが続ける。
「リオルさんなら、きっと傷つけない方法を探せます」
リオルは三人を見た。
信頼されている。
その事実は、まだ少し怖い。
だが、以前ほど息苦しくはなかった。
彼らは付与されたからそう言っているわけではない。
リオルは三人に付与していない。
ならば、この言葉はきっと、今の彼ら自身のものだ。
「……わかりました」
リオルは根標石へ手を向けた。
「ただし、直接命令を書き換えるのではなく、漏れている魔力の流れだけを整えます」
「それでいけるの?」
「やってみます」
リオルは深く息を吸った。
「極所付与」
淡い光が、根標石のひびに触れる。
「対象、根標石のひびから漏れる魔力の縁。性質指定――本来の道を思い出しやすさ。二十四時間、増大」
青白い魔力が、ふっと揺れた。
暴れていた流れが、少しだけ細くなる。
親株の葉の震えが弱まった。
しかし、完全には止まらない。
籠の中の陽だまり草は、まだ外へ出ようとしている。
「足りないか」
リオルは眉を寄せる。
リゼがスティックを掲げた。
「光が必要なんじゃない? 陽だまり草なんでしょ」
ミナが頷く。
「はい。陽だまり草は、朝露と日光の両方で薬効を保ちます。今、親株の中央の雫は魔力に偏りすぎています。柔らかい光を当てれば、落ち着くかもしれません」
「柔らかい光ね。得意になってきたところよ」
リゼは小さな火の玉を作った。
爆発ではない。
熱でもない。
朝の陽射しに似せた、淡い橙色の光。
その光が親株を包むと、青白かった雫にほんの少し黄色が戻った。
「いいです」
ミナが言った。
「でも、根元の乾きがまだ強いです」
リオルは土へ手を向ける。
「対象、親株周辺の土の保水性。性質指定――朝露を抱え直す柔らかさ。二十四時間、増大」
乾いていた土が、ふわりと湿り気を取り戻した。
朝露が草の根元へ集まっていく。
親株の葉が、かすかに開いた。
だが、その瞬間。
根標石のひびから、黒い小さな影が数匹飛び出した。
「虫!?」
リゼが叫ぶ。
それは米粒ほどの小さな虫だった。
透き通った翅を持ち、腹だけが黒く膨らんでいる。
虫たちは親株の雫へ群がろうとする。
ミナの顔が険しくなった。
「夜露喰いです!」
「知ってるの?」
「薬草の朝露を吸って、薬効を落とす害虫です。普通は夜にしか動かないのですが……」
「根標石の魔力で活性化していた?」
リオルが言うと、ミナは頷いた。
「おそらく」
夜露喰いたちは雫へ向かって飛ぶ。
ガルドが盾を構えるが、相手が小さすぎて受け止めにくい。
リゼが火を出す。
「焼く?」
「親株に近すぎます!」
ミナが止める。
「ならどうするの!」
夜露喰いが雫に触れようとした瞬間、リオルが地面へ手を向けた。
「対象、親株周辺の空気中に浮く朝露の粒。性質指定――夜露喰いにとっての目立ちやすさ。二十四時間、増大!」
親株から少し離れた空中に、朝露の粒がきらりと光った。
夜露喰いたちが一斉にそちらへ向きを変える。
「囮です!」
リオルが叫ぶ。
「リゼさん、囮の周りだけ熱を!」
「任せて!」
リゼの火花が、朝露の囮の周囲を囲む。
夜露喰いたちは光る朝露へ集まり、その瞬間、熱で動きが鈍った。
焼き殺すほどではない。
だが、翅が湿って飛べなくなる。
地面へ落ちた虫たちは、もぞもぞと逃げようとした。
ガルドが盾を地面に置き、逃げ道を塞ぐ。
「小さすぎて、盾で戦っている気がしないな」
「十分役に立ってるわよ!」
リゼが言った。
ミナは白い杖を握りしめた。
「私が」
「ミナさん?」
リオルが振り返る。
ミナは少し迷ったように夜露喰いを見た。
「夜露喰いも生き物です。でも、このままだと親株が弱って、陽だまり草全体が危険です」
ミナの声には迷いがあった。
彼女は痛みを引き受ける治癒師だ。
傷つけることを好まない。
けれど、癒やしは時に、害を取り除くことも含む。
ミナは杖を構えた。
「強くは叩きません。けれど、薬草に返せる分だけ」
夜露喰いが一匹、親株の方へ跳ねた。
ミナが杖を振る。
「えいっ」
ぽこん。
小さな音。
夜露喰いは気絶したように転がった。
同時に、ミナのユニークスキルが発動する。
彼女が相手に与えた打撃のダメージ分だけ、味方を回復する力。
だが今回は、人間ではなく、親株へ意識を向けた。
白い光が、親株の葉を包む。
ほんのわずかだが、しおれていた根元に色が戻った。
「植物にも回復が乗った……?」
リゼが驚く。
ミナ自身も目を丸くしていた。
「私、薬草にも返せるんですね」
「今のは、ミナさんが親株を“守る対象”として認識したからだと思います」
リオルが言った。
「すごいです」
ミナは少しだけ困ったように笑う。
「ぽこんで、薬草を回復できました」
「その言い方、自分で言うとかわいいわね」
リゼが笑う。
ミナは頬を赤くした。
「忘れてください」
「無理ね」
夜露喰いたちは、ガルドの盾とリゼの火花、リオルの朝露の囮によって次々と集められた。
ミナが必要最小限の打撃で気絶させ、そのたびに親株へ小さな回復が流れる。
それは派手な戦闘ではない。
強敵を倒す無双でもない。
けれど、薬草採取という日常の依頼の中で、四人は確かに連携していた。
夜露喰いの最後の一匹が気絶すると、草原に静けさが戻った。
親株の中央の雫は、青白さを失い、柔らかな金色に輝いている。
根標石のひびから漏れていた魔力も、細く落ち着いていた。
リオルは根標石の文字をもう一度見た。
さっき読めなかった欠けた部分に、淡い光が浮かんでいる。
「……条件が見えます」
「何て書いてあるの?」
リゼが覗き込む。
リオルは古代文字を読み上げた。
「“持ち帰る者、根を奪うべからず。露を捧げ、帰る場所を告げよ。陽だまりは、巡る者に分け与えられる”」
ミナが静かに言った。
「採取の作法ですね」
「はい。根を残すだけでは足りなかった。採った陽だまり草に、どこへ行くのかを知らせる必要があったんです」
リゼが首をかしげる。
「薬草に行き先を知らせるって、どうやって?」
リオルは籠を見た。
籠の中の陽だまり草は、先ほどより落ち着いている。
それでも、まだわずかに親株の方へ傾いていた。
「帰る場所を、元の根だけにしない」
リオルは呟いた。
「でも、嘘の帰る場所を作るのではなく、一時的に預かる場所だと伝える」
「そんなことできるの?」
「薬草そのものに命令するのではなく、籠の内側の環境に“仮の根元”としての性質を持たせます」
リゼは腕を組んだ。
「つまり、籠を仮住まいにする?」
「はい。薬草にとって、ここは奪われた場所ではなく、薬として役目を果たすまで休む場所だと認識させます」
「やっぱりリオルの付与、説得に近いわよね」
「対象が人ではないので大丈夫です」
「出た」
リオルは籠を地面に置いた。
親株の雫から落ちた一滴を、ミナが木の匙で受ける。
ミナはそれを籠の内側にそっと垂らした。
「露を捧げる、ですね」
金色の雫が籠の底に染み込む。
リオルは籠へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が籠の内側を満たす。
「対象、籠の内側の空気と朝露の香り。性質指定――陽だまり草にとっての仮の根元としての安心感。二十四時間、増大」
籠の中の陽だまり草が、かさりと揺れた。
外へ出ようとしていた葉が、ゆっくりと内側へ戻る。
細い根がほどけ、三枚葉が静かに重なった。
白い斑点が出かけていた葉にも、少しずつ黄色が戻っていく。
ミナが息を吐いた。
「薬効が戻っています」
「成功?」
リゼが聞く。
「はい。少なくとも、今は安定しています」
リオルは親株を見た。
親株の葉が、風もないのに小さく揺れた。
まるで、許可するように。
リオルは思わず頭を下げた。
「分けていただきます」
リゼが目を丸くする。
「あんた、薬草にお礼言った?」
「はい。いただくので」
「まあ……それは悪くないわね」
ガルドも静かに頷いた。
「奪うのではなく、分けてもらう。薬草採取の基本だな」
ミナが微笑む。
「今日は、その意味をちゃんと教わった気がします」
リオルは籠を見た。
三十束には戻っていない。
逃げ出した分もあり、今の数は二十六束。
しかし、親株の根元には採取に適した陽だまり草がまだある。
ただし、採りすぎてはいけない。
「追加で四束だけ採りましょう」
リオルが言った。
「必要数ぴったりです。それ以上は採りません」
「賛成です」
ミナが頷く。
リゼも肩をすくめた。
「欲張ってまた草に逃げられても困るしね」
ガルドは周囲を見張る。
「俺は夜露喰いを見ておく」
四人は、先ほどよりさらに慎重に陽だまり草を摘んだ。
根を残し、露を落とさず、籠へ入れる前に親株へ行き先を告げる。
「王都の薬師メリッサさんのところへ。熱を出している子どもたちの薬になります」
ミナが一束ずつ、優しく言った。
リオルは籠の内側の仮の根元を保ち、リゼは柔らかな光を当て、ガルドは黙って風よけになった。
それは冒険者の仕事というより、祈りに近い作業だった。
やがて、三十束が揃った。
今度は、どの葉も逃げ出さなかった。
◇
帰り道は、行きよりも静かだった。
ななめ森の影は、リオルの付与が残っていたため、正直に太陽の方向を示している。
落ち葉に残る足跡も、淡く道を教えてくれた。
リゼは籠を覗き込みながら歩いている。
「本当に逃げないわね」
「籠の内側を仮の根元にしていますから」
リオルが答える。
「その状態で薬になるの?」
ミナが頷いた。
「むしろ、薬効は安定しています。親株の雫も入っていますし、これなら良い薬が作れると思います」
ガルドが言った。
「しかし、原因を報告する必要があるな」
「はい。夜露喰いと根標石のひび。あと採取作法の欠落です」
リオルは少し考えた。
「メリッサさんには、今後の採取方法を伝えましょう。採りすぎないこと、親株の雫を一滴だけ籠に移すこと、行き先を告げること」
リゼが笑う。
「薬草に行き先を言うなんて、普通の冒険者は信じるかしら」
「信じなくても、やった方がいいです」
「まあ、結果が出れば信じるでしょ」
ミナが小さく言った。
「陽だまり草は、薬になるために生えているわけではありません。でも、分けてもらえるなら、大切に使いたいですね」
リオルは頷いた。
「はい」
その時、籠の中の陽だまり草が、かさりと揺れた。
リオルは足を止める。
リゼも身構える。
「また逃げる?」
「いえ」
リオルは籠の中を覗いた。
三十束の陽だまり草は、外へ出ようとしていない。
ただ、その葉の一枚に、小さな金色の点が浮かんでいた。
まるでステータスボードの表示のように。
【リオル:+1】
リオルは硬直した。
「……」
リゼが覗き込む。
「どうしたの?」
リオルは無言で葉を指さした。
リゼ、ガルド、ミナが順に見る。
金色の小さな文字。
【リオル:+1】
リゼは数秒黙ったあと、吹き出した。
「薬草にも出るの!?」
「笑い事ではありません!」
リオルは青ざめた。
「やっぱり、植物にも影響が……!」
ミナは落ち着いて葉を見た。
「でも、これは好感度ではないのでは?」
「そうかもしれませんが、そうではないかもしれません!」
「陽だまり草がリオルを好きになったらどうなるのよ」
リゼが笑いをこらえながら言う。
「わかりません。次から僕の方へ生えてくるかもしれません」
「それはちょっと見たいわ」
「リゼさん!」
ガルドが真面目に言った。
「だが、針鳴りの回廊の石板には、記録は心を縛らないとあった」
「はい……」
「これも、付与を受けた記録かもしれん」
リオルは籠の中の陽だまり草を見つめた。
薬草は静かに揺れている。
好意を向けているようには見えない。
そもそも植物の好意とは何なのか、リオルにはわからない。
だが、たしかに数字は出ていた。
記録。
ただの記録。
そう考えたい。
でも、完全には信じられない。
リオルは深く息を吐いた。
「……王都に戻ったら、観察します」
リゼが肩を震わせる。
「薬草の好感度観察?」
「付与影響の経過観察です」
「はいはい」
ミナが優しく言う。
「観察するなら、薬師さんにも協力してもらいましょう。薬効に問題がないか確認できます」
「はい。そうします」
リオルは少しだけ落ち着いた。
完全に納得したわけではない。
それでも、以前ならこの表示だけで付与そのものを恐れて手が止まっていただろう。
今は違う。
怖い。
でも、確認できる。
仲間と一緒に。
◇
王都に戻った時、日はまだ傾き始めたばかりだった。
薬師メリッサの店へ駆け込むと、彼女は不安そうに顔を上げた。
「どうでしたか?」
ミナが籠を差し出す。
「三十束、採取できました。薬効も保たれています」
メリッサは籠の中を見て、目を見開いた。
「すごい……こんなに状態の良い陽だまり草、久しぶりです」
「原因もわかりました」
リオルは草原で見たことを説明した。
根標石。
帰巣付与。
夜露喰い。
親株の雫。
採取時に行き先を告げる必要があること。
メリッサは真剣にメモを取った。
「そんな古い仕組みがあったなんて……。祖母から、“陽だまり草は声をかけて摘みなさい”と聞いたことがあります。ただの迷信だと思っていました」
ミナが微笑む。
「迷信ではなく、作法だったんですね」
「はい。ありがとうございます。これで薬が作れます」
メリッサはすぐに作業へ取りかかった。
陽だまり草を洗わず、朝露をそのまま活かし、親株の雫が染みた籠の底から香りを移す。
ミナも手伝い、解熱薬が調合されていく。
リオルたちは店の隅で待った。
リゼは椅子に座って伸びをする。
「初心者向け依頼とは何だったのかしら」
ガルドが静かに答える。
「採取数は初心者向けだった」
「難易度は?」
「訳ありだった」
「便利な言葉ね、訳あり」
リオルは籠の中に残った一枚の葉を見ていた。
メリッサが検査用に取り分けたものだ。
葉の端には、まだ小さく【リオル:+1】が浮かんでいる。
リオルはそれを見つめる。
リゼが横から言った。
「まだ気にしてるの?」
「はい」
「まあ、すぐには無理よね」
「……はい」
リオルは素直に認めた。
リゼは少し驚いたように彼を見た。
以前のリオルなら、もっと必死に否定していたかもしれない。
これは好感度ではないと思いたい。
でも、怖いものは怖い。
そう言えるくらいには、彼の中で何かが変わり始めていた。
ミナが薬瓶を持って戻ってくる。
「できました。孤児院へ届けるそうです」
メリッサは深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました。報酬は少ない依頼でしたが、追加でお支払いします」
「いえ、依頼分で大丈夫です」
リオルが言った。
リゼが横から小声で言う。
「そこは受け取ってもいいのよ?」
「でも、孤児院の薬にお金が必要なら」
メリッサは首を振った。
「薬代は別で用意されています。皆さんが原因まで調べてくださったので、これは正当な追加報酬です」
ガルドが頷く。
「受け取ろう。仕事の対価だ」
「……わかりました」
リオルは少し戸惑いながら頷いた。
その後、四人はメリッサと共に孤児院へ薬を届けた。
孤児院では、熱を出した子どもたちが数人、寝台で休んでいた。
薬を飲んだ子どもたちは、しばらくして少し楽になったのか、ほっとした顔で眠りについた。
ミナがその様子を見て、胸に手を当てる。
「間に合ってよかったです」
「はい」
リオルも静かに頷いた。
その時、小さな女の子が寝台から顔を出した。
「お兄ちゃんたちが、お薬とってきてくれたの?」
リオルは少し驚きながらも答えた。
「はい。でも、薬草が頑張ってくれました」
「薬草さん、えらいね」
「はい。とても」
女の子は眠そうに笑った。
「お兄ちゃんも、えらいね」
リオルは固まった。
リゼがにやにやする。
「よかったわね、リオル」
「いえ、僕は」
「そこは、ありがとうでいいのよ」
ミナが優しく言った。
リオルは少し迷い、それから女の子へ小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
女の子は満足そうに目を閉じた。
その額には、もちろん【リオル:+1】など表示されていない。
ただ、助けてもらった相手へ向ける、自然な感謝があるだけだった。
リオルはそのことに、少しだけ救われた。
◇
依頼完了の報告を終えた帰り道、四人は王都の夕暮れを歩いていた。
リゼは甘い焼き菓子を片手に持ち、ガルドは肉串を二本持っている。
ミナは薬草店でもらった小さな乾燥花を眺めていた。
リオルはというと、検査用にもらった陽だまり草の葉を小瓶に入れて持っている。
「それ、持ち帰るの?」
リゼが聞いた。
「はい。経過観察します」
「やっぱり薬草の好感度観察じゃない」
「違います」
ガルドが肉串を食べながら言う。
「もし明日の朝、リオルの枕元に陽だまり草が生えていたら報告してくれ」
「冗談に聞こえないのでやめてください」
ミナがくすくす笑った。
「でも、もし生えたら、きっと良い薬草ですね」
「ミナさんまで……」
リオルは困った顔をした。
けれど、その表情は暗くない。
からかわれている。
でも、拒絶されているわけではない。
それが少しずつ、わかってきた。
リゼが夕空を見上げる。
「それにしても、薬草採取で古代魔導具の手がかりが出るとはね」
リオルは頷いた。
「根標石の文字は、原初の書庫に関係している可能性があります。生活のための付与術……僕が知っている付与とは、少し違いました」
「戦うためじゃない付与?」
「はい。守るため、巡らせるため、分け合うための付与です」
ミナが静かに言った。
「今日の陽だまり草みたいですね」
ガルドが頷く。
「奪えば壊れる。分けてもらえば薬になる」
リオルは小瓶の中の葉を見た。
そこにはまだ、小さな金色の文字が残っている。
【リオル:+1】
完全に怖くなくなったわけではない。
けれど今日、リオルはそれを見ても逃げなかった。
薬草を観察し、原因を調べ、必要な人へ届けた。
付与は、鎖ではなく灯かもしれない。
そして今日は、灯だけでなく、仮の根元にもなった。
まだ答えは出ない。
原初の魔導書を探す旅も続く。
けれど、リオルはほんの少しだけ思った。
もしかすると、自分の付与は、誰かを無理に変えるものではないのかもしれない。
誰かが自分の力で帰るための場所を、ほんの少し整えるものなのかもしれない。
「リオル」
リゼが焼き菓子を半分差し出した。
「食べる?」
「いいんですか?」
「今日、頑張ったでしょ」
リオルは少し迷い、受け取った。
「ありがとうございます」
「うん」
リゼはそれだけ言って、前を向いた。
人間関係は、まだゆっくりでいい。
大きな告白も、劇的な絆も、今は必要ない。
焼き菓子を半分もらう。
肉串を一本分ける。
薬草にお礼を言う。
そういう小さなやり取りが、彼らの足元に道を作っていく。
夕暮れの王都を、《帰路の灯》は並んで歩いた。
初心者向けの薬草採取は、結局まったく初心者向けではなかった。
けれど、得たものは大きい。
陽だまり草三十束。
古い根標石の情報。
薬草にも出る謎の【リオル:+1】。
そして、付与は奪うためではなく、分け合うためにも使えるという、小さな実感。
リオルは小瓶を鞄にしまい、仲間たちの後を追った。
明日の朝、枕元に陽だまり草が生えていないことを、少しだけ祈りながら。




