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最強付与術師リオルは付与したくない  作者: 逆瀬ゆうり


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5/30

訳あり薬草採取 前編 初心者向け依頼のはずだった

 冒険者には、休息が必要である。


 どれほど腕が立っていても、迷宮を続けて攻略すれば疲労は溜まる。

 命を賭けた戦いのあとには、身体だけでなく心も休ませるべきだ。


 霧鳴りの迷宮でロックゴーレムを倒し、針鳴りの回廊では審問者を突破した。


 仮とはいえ《帰路の灯》というパーティ名まで得たリオルたちは、今まさに休息を取るべき段階にいた。


 だから、王都冒険者ギルドで受付嬢のエリナが差し出した依頼書を見た時、リゼは眉をひそめた。


「薬草採取?」


「はい」


 エリナはにこやかに頷いた。


「初心者冒険者が最初に受けるような、基本中の基本の依頼です」


 依頼書には、確かにそう書かれている。


【依頼名:陽だまり草の採取】

【推奨:F級以上】

【採取数:三十束】

【場所:王都西方・ユル草丘陵】

【報酬:銀貨三枚】

【備考:訳あり】


 リゼは最後の一行を指で叩いた。


「この“訳あり”って何?」


「少しだけ条件が特殊でして」


「少しだけ?」


「はい。採取した陽だまり草が、帰る頃にはただの雑草になってしまうそうです」


「それ、少しだけ?」


 リゼの声が低くなった。


 ガルドが依頼書を覗き込む。


「薬効が抜けるということか」


「はい。薬師さんによると、朝露が残った状態で採取し、日没までに持ち帰らないと効力が保てないそうです。ただ、最近はそれを守っても薬効が抜ける事例が続いています」


 ミナが心配そうに言った。


「陽だまり草は、解熱薬や体力回復薬の材料になります。子どもや高齢の方にも使える、優しい薬草です」


「詳しいですね」


 リオルが言うと、ミナは少し照れたように微笑んだ。


「治癒師の勉強で、薬草も少し学びました。魔法で治せることばかりではありませんから」


 リオルは素直に頷いた。


「すごいです」


「いえ、まだ勉強中です」


 リゼがふたりを見比べる。


「……で、これを私たちが受けるの?」


 エリナは少し困ったように笑った。


「本来なら新人向けなのですが、失敗が続いていまして。とはいえ、強い魔物が出る場所ではありません。皆さんには休養も兼ねて、軽めの依頼をと思いまして」


「軽め」


 リゼは依頼書の“訳あり”をもう一度見る。


「その言葉、罠の匂いがするのよね」


 ガルドは腕を組んだ。


「だが、迷宮続きだったからな。野外で薬草採取なら、気分転換にはなる」


「僕も賛成です」


 リオルが言った。


 リゼが目を細める。


「あんた、薬草なら人に付与しなくて済むから安心とか思ってない?」


「……薬草には、好感度がないと思うので」


「やっぱり思ってた」


 リオルは真面目な顔で続ける。


「ただ、植物にも反応がある可能性はゼロではありません。なので、できるだけ薬草そのものには付与せず、周囲の土や空気を調整します」


「初心者向け薬草採取で、そんな慎重になる人初めて見たわ」


 エリナは苦笑しながら、追加の紙を差し出した。


「依頼主は、王都南通りの薬師メリッサさんです。詳しい採取方法は、そちらで確認してください」


 こうして《帰路の灯》は、初めての低ランク依頼を受けることになった。


 低ランク。


 簡単。


 初心者向け。


 その言葉を信じてよかったことなど、冒険者稼業ではほとんどない。


 だが、この時の四人はまだ知らなかった。


 迷宮の番人よりも、巨大ゴーレムよりも、ある意味で厄介な相手が存在することを。


 それは、採取したはずの薬草である。


   ◇


 薬師メリッサの店は、王都南通りの端にあった。


 扉を開けると、乾燥薬草の香りがふわりと漂う。

 壁一面に小瓶や束ねた草が並び、奥の作業台では、眼鏡をかけた若い女性が薬研を動かしていた。


「冒険者ギルドから来てくれた方々ですね」


 メリッサは疲れた顔で立ち上がった。


「陽だまり草の採取をお願いしたいんです」


「薬効が抜けると聞きました」


 ミナが言うと、メリッサは深く頷いた。


「はい。以前は普通に採れていました。けれどここ十日ほど、採取しても店に戻る頃には効力が消えてしまって……」


「原因は?」


 ガルドが尋ねる。


「わかりません。陽だまり草は朝露と日光を同時に含んだ時に、もっとも薬効が強くなります。なので、本来は日の出から二時間以内に採取するのが理想です」


 リゼが窓の外を見る。


「今から向かえば、ぎりぎり?」


「はい。ユル草丘陵までは徒歩で一時間半ほどです。ただし、採取の注意点がいくつかあります」


 メリッサは作業台の下から、木製の小さな籠を取り出した。


「まず、金属の刃物は使わないでください。茎が驚いて薬効を逃がしてしまいます」


「茎が驚くの?」


 リゼが眉を上げる。


「表現としては、です」


 メリッサは真面目だった。


「根ごと抜くのもだめです。葉の根元を指で摘み、朝露を落とさずに三枚葉の束だけを取ってください。それと、採取した草はこの籠へ入れてください。内側に冷却草を編み込んであります」


 リオルは籠を見つめた。


「籠には付与しても大丈夫でしょうか」


「え?」


 メリッサが瞬きする。


「いえ、籠の涼しさや湿度保持を強めれば、薬効を保ちやすくなるかもしれないので」


「そんなことができるんですか?」


「人にではなく、籠に対してなら」


 リゼが小声で言う。


「籠に対してなら、って言い方がもうおかしいのよ」


 リオルは少し悩んだ。


「ただ、籠にステータスボードがあるか不明なので……」


「籠の好感度まで心配しないで」


「念のためです」


 メリッサは会話の意味がわからず、困惑した表情で籠を抱えている。


 ミナがそっと話を戻した。


「陽だまり草は、誰に使う予定なんですか?」


 メリッサの顔が曇った。


「近くの孤児院で、熱を出している子が何人かいます。重病ではないのですが、体力が落ちていて。陽だまり草の薬があれば、かなり楽になるはずなんです」


 リオルの表情が変わった。


「子どもたちが」


「はい。だから、できれば今日中に」


「受けます」


 リオルは即答した。


 リゼが肩をすくめる。


「もう受けてるけどね」


「急ぎましょう」


「そこは同意」


 ガルドが籠を受け取る。


「俺が持つ」


「待ってください」


 リオルが真剣な顔で言った。


「ガルドさんが籠を持っている状態で籠に付与すると、ガルドさんへ影響が流れる可能性が」


「ないと思うぞ」


「ゼロではありません」


「じゃあ、地面に置いた籠へ付与してから持つ。それでいいか?」


 リオルは少し考え、頷いた。


「はい。それなら大丈夫です」


 リゼはメリッサに小声で言った。


「うちの付与術師、こういう感じだから気にしないで」


「は、はい」


 リオルは床に置かれた籠へ手を向けた。


「極所付与」


 淡い光が、木の編み目に染み込む。


「対象、籠の内側の空気。性質指定――朝露を落ち着かせる涼しさ。二十四時間、増大」


 籠の内側に、ひんやりとした空気が生まれた。


 メリッサが目を丸くする。


「すごい……冷却草の効果が何倍にもなっています」


「籠の空気に付与しただけです」


「それが普通はできないんです」


 メリッサは感心したように言った。


 リオルは少しだけ困った顔をした。


 褒められるのは、まだ慣れない。


 ただ、今回は人ではない。

 籠の空気だ。


 籠の空気が自分を好きになることは、たぶんない。


 そう自分に言い聞かせながら、リオルたちは薬師の店を出た。


   ◇


 ユル草丘陵は、王都西方に広がるなだらかな丘だった。


 春から夏にかけては多くの薬草が芽吹き、初心者冒険者の訓練にも使われる。

 強い魔物は少なく、せいぜい草ウサギや小型スライムが出る程度。


 普通なら、のんびり歩いて薬草を摘み、昼前には戻れる場所である。


 普通なら。


「道、戻ってない?」


 リゼが言った。


 四人は丘陵へ向かう途中の小さな森に入っていた。


 王都からユル草丘陵へ行くには、この“ななめ森”を抜ける必要がある。

 名前の通り、木々がどれも少しずつ傾いて生えている、変わった森だ。


 地図上では短い森。

 歩いて二十分ほどで抜けるはずだった。


 だが、三十分歩いても出口が見えない。


 ガルドが近くの木に刻まれた傷を見た。


「これは俺が十分前につけた目印だ」


「つまり、同じ場所を回っている?」


 ミナが言う。


 リゼは空を見上げた。


「初心者向け依頼の序盤で、もう迷いの森ってどうなの?」


「ななめ森には、方向感覚を狂わせる苔があると聞いたことがあります」


 ミナが言った。


「でも、普段はここまで強くないはずです」


 リオルはしゃがみ込み、木の根元を見た。


 青白い苔が、木の影に沿って薄く広がっている。


「この苔、光の反射を少し変えています」


「それで迷うの?」


「はい。木の影が本来と違う方向に見えるので、無意識に進路がずれます」


 ガルドが唸る。


「地味に厄介だな」


「でも、人に付与しなくても対処できます」


 リオルはそう言って、近くの小石を拾った。


「また石?」


 リゼが言う。


「石は裏切りません」


「人間不信みたいな言い方しないで」


 リオルは小石を地面に置き、その周囲の影へ手を向けた。


「極所付与」


 淡い光が、木漏れ日と影の境目に広がる。


「対象、僕たちの周囲十歩分の影。性質指定――太陽の方向への正直さ。二十四時間、増大」


 すると、地面に落ちていた影の向きが、わずかにずれた。


 見た目には自然だが、先ほどまでよりずっと読みやすい。


 リゼが目を細める。


「影を正直にしたの?」


「はい」


「影って嘘つくの?」


「この森では、ついていました」


「影にまで誠実さを求める付与術師……」


 ガルドが周囲を見る。


「進む方向がわかるな」


 リオルはさらに、ガルドがつけた木の傷ではなく、落ち葉へ手を向けた。


「対象、通った場所の落ち葉。性質指定――踏まれた記憶の残りやすさ。二十四時間、増大」


 落ち葉に残った足跡が、淡く浮かび上がった。


「これで同じ道に戻ったらわかります」


 ミナが感心したように言う。


「迷わないための付与ですね」


「はい。人に付与していないので安心です」


 リゼが歩きながら呟く。


「最近、そこに突っ込むのも慣れてきたわ」


「慣れは危険です」


「何が?」


「人に付与しない方針への慣れは歓迎ですが、付与そのものに慣れすぎると油断が」


「はいはい。慎重なのはわかったから、まず森を抜けましょ」


 リオルの付与によって、森の迷いは薄れた。


 影は太陽の位置を示し、落ち葉は通った道を記録する。

 四人は同じ場所を回ることなく、少しずつ前へ進んだ。


 途中、小型スライムが二匹現れたが、ガルドが盾で押し返し、リゼが小さな火花で追い払った。


 ミナは倒す必要がないと判断し、スライムが逃げる道を空けた。


「薬草採取で無駄な戦闘は避けたいです」


 ミナが言うと、リオルは強く頷いた。


「その通りです。戦わずに済むなら、それが一番です」


「でも、リオルは罠とか仕組み相手だと少し楽しそうよね」


 リゼが横から言う。


「そんなことはありません」


「今も影を正直にした時、ちょっと目が輝いてた」


「……仕組みがわかると安心するだけです」


「はいはい」


 リゼは笑った。


 からかいではあるが、悪意はない。


 リオルはそれを少しずつ理解し始めていた。


 やがて木々が薄くなり、前方に明るい丘が見えた。


 ユル草丘陵だ。


 柔らかな陽射しが草原を照らし、風が緑の波を作っている。

 遠くには白い小花が揺れ、低い丘の上には黄色い草の群れが広がっていた。


 ミナが目を細める。


「あれが陽だまり草です」


 黄色い三枚葉。

 葉の縁に朝露を抱き、太陽に向かって小さく開いている。


 見た目は素朴だが、近づくとほんのり温かい香りがした。


「やっと普通の薬草採取っぽくなったわね」


 リゼが言う。


「そうですね」


 リオルも少し安心した。


 迷いの森はあったが、強い魔物はいない。

 罠ダンジョンのような殺意もない。

 ここからは丁寧に薬草を摘んで帰るだけ。


 そう思った。


 思ってしまった。


   ◇


 陽だまり草の採取は、想像以上に繊細だった。


 まず、朝露を落としてはいけない。


 葉の根元を強く持つと薬効が逃げる。

 かといって弱すぎると葉がちぎれる。


 根を傷つけると、周囲の株までしおれてしまう。


 ガルドが大きな指で摘もうとして、三人に止められた。


「俺は見張りに回る」


 彼は即座に判断した。


「その方がよさそうね」


 リゼが苦笑する。


「私は?」


「リゼさんは、陽射しの調整をお願いします」


 ミナが言った。


「陽だまり草は日光が強すぎると葉を閉じます。でも日陰にしすぎても薬効が弱くなります」


「めんどくさい草ね」


「繊細なんです」


 リゼはスティックを軽く振り、小さな火の玉を浮かべた。


 ただし熱はほとんどない。

 光だけを柔らかく広げ、雲がかかった時に草へ明るさを足す。


「こういう使い方、最近増えてきたわね」


「リゼさんの火は、照らすこともできますから」


 リオルが言うと、リゼは少しだけ黙った。


「……針鳴りの時の話?」


「はい」


「あれ、覚えてたの」


「大事なことなので」


 リゼは視線を逸らした。


「そう」


 それ以上は何も言わない。


 人間関係が急に進むわけではない。

 ただ、言葉がひとつ残っていたことを知る。


 それくらいの距離が、今の彼らにはちょうどよかった。


 ミナは膝をつき、陽だまり草の葉を丁寧に観察した。


「三枚葉で、中央の葉に朝露が残っているものだけを採ります。白い斑点があるものは避けてください」


「白い斑点?」


 リオルが尋ねる。


「薬効が抜けかけている印です。通常は夕方に出ますが……」


 ミナは周囲を見回し、眉をひそめた。


「朝なのに、少しありますね」


 リオルも草原を見た。


 確かに、黄色い葉の一部に白い小さな斑点が浮かんでいる。


「薬効が抜ける現象と関係があるかもしれません」


「はい」


 ミナは慎重に葉を摘み、籠へ入れた。


 その手つきは静かで、迷いがない。


 リオルは彼女の動きを見ながら、自分も真似しようとした。


 だが、葉に触れる直前で手が止まる。


「どうしました?」


 ミナが尋ねる。


「薬草に直接触れて、僕の付与の影響が残っていたら……」


「今、付与していませんよね?」


「していません。でも、僕自身に隠しステータス的な何かがある可能性が」


 リゼが少し離れた場所から言った。


「あんた、自分を呪物か何かだと思ってる?」


「そこまでは」


「じゃあ摘みなさい。孤児院の子たちが待ってるんでしょ」


 その言葉で、リオルの迷いが消えた。


「はい」


 彼はそっと陽だまり草へ手を伸ばした。


 葉の根元を軽く支え、朝露を落とさないように摘む。


 成功。


 小さな三枚葉が、手のひらに収まった。


「できました」


「初めて薬草摘んだ子どもみたいな顔してるわよ」


「実際、初めてです」


「そうなの?」


 リゼが驚く。


「僕は幼い頃から、付与術の訓練ばかりだったので」


 何気ない一言だった。


 リゼは少しだけ表情を変えたが、深くは聞かなかった。


 ミナも同じだった。


 ガルドだけが、遠くを警戒しながら静かに言う。


「なら、今日が初薬草採取だな」


「はい」


「失敗しなければ、いい経験になる」


「失敗しないようにします」


「いや、多少失敗してもいい。覚えればいい」


 リオルは少し目を瞬いた。


 失敗してもいい。


 それは簡単な言葉のようで、リオルには少し難しかった。


 彼の付与は、失敗すれば誰かの心を変えてしまうかもしれない。

 そう思って生きてきた。


 だから、失敗していいと言われると、どう受け取ればいいかわからない。


「……気をつけて、覚えます」


 リオルはそう答えた。


 ガルドはそれ以上言わなかった。


 四人は役割を分け、少しずつ陽だまり草を集めていった。


 ミナが選別する。

 リオルが露を落とさないように摘む。

 リゼが光量を調整する。

 ガルドが周囲を警戒し、籠を守る。


 途中、リオルは籠の内側の空気へ追加で付与した。


「対象、籠の内側の湿度。性質指定――朝露と仲良く留まる性質。二十四時間、増大」


 リゼが反応する。


「湿度と朝露を仲良くさせたの?」


「蒸発しにくくしただけです」


「もう翻訳が必要ね、リオル語」


 ミナがくすっと笑った。


 リオルは首をかしげたが、悪い気はしなかった。


 三十束。


 採取数が揃う頃には、太陽は少し高くなっていた。


 まだ日没までは十分に時間がある。

 帰路の森も、リオルの付与が残っているため迷いにくいはずだ。


 リゼが籠を覗き込む。


「ちゃんと集まったわね。初心者向け依頼、完了」


 ガルドが頷く。


「油断せず戻るぞ」


「はい」


 ミナが籠の中の陽だまり草を確認した。


 そして、表情を曇らせた。


「……待ってください」


 リオルが振り返る。


「どうしました?」


「数が、減っています」


「え?」


 四人が籠を覗く。


 さきほど確かに三十束あったはずの陽だまり草が、二十七束になっていた。


 リゼが眉をひそめる。


「数え間違い?」


「いえ、私が確認しました。三十束ありました」


 ミナの声は確かだった。


 ガルドが周囲を見る。


「誰かが取った気配はない」


 リオルは籠の内側をじっと見た。


 冷気は保たれている。

 朝露も落ちていない。


 だが、束の一部が不自然に細い。


 まるで、葉だけが少しずつほどけて消えたように。


「籠から出た?」


 リゼが地面を見る。


 草原の上に、黄色い葉が三枚、落ちていた。


 いや、落ちていたのではない。


 動いていた。


 葉が、わずかに震えながら、元の株へ向かって這うように戻っている。


「……薬草が歩いてる」


 リゼが呟いた。


 リオルはしゃがみ込み、その葉を観察する。


 葉の根元から、髪の毛ほどの細い根が伸びていた。

 その根が地面を探り、少しずつ親株の方へ進んでいる。


 ミナが驚いた顔をした。


「陽だまり草に、こんな性質はありません」


 ガルドが籠を持ち上げる。


「また一束減ったぞ」


 籠の中で、陽だまり草の束がほどけ、葉が外へ滑り出そうとしていた。


 リオルはすぐに籠の周囲の空気へ手を向けた。


「極所付与」


 淡い光が籠を包む。


「対象、籠の縁の内側。性質指定――外へ出ようとする葉への引き止めやすさ。二十四時間、増大」


 葉の動きが止まった。


 リゼが言う。


「薬草を拘束した?」


「いえ、籠の縁を説得力のある境界にしました」


「同じようなものじゃない」


 リオルは葉に直接触れず、地面へ落ちた一枚を観察した。


 そこに、見覚えのある魔力の流れがあった。


 付与術に似ている。


 ただし、リオルのものではない。


 もっと古い。

 もっと広い。

 草原全体に薄く染み込んでいる。


「これは……帰巣性の付与?」


「帰巣性?」


 ミナが尋ねる。


「採取されたものが、元の場所へ戻ろうとする性質が増大しています。薬草自体の力ではなく、この草原にかけられた古い付与のようなものです」


 リゼが草原を見回した。


「誰がそんな面倒なことを?」


「わかりません。ただ、この付与が強まっているせいで、採取しても薬草が戻ってしまう。無理に止めると、薬効が抜けるのかもしれません」


 ミナが顔を曇らせる。


「だから、店に戻る頃にはただの草になっていたんですね」


 ガルドが低く言った。


「では、どうする。籠に閉じ込めたまま運ぶか」


「可能ですが、危険です」


 リオルは首を振った。


「薬草そのものの戻ろうとする力を無理に押さえ続けると、薬効が壊れるかもしれません。それに、この付与は草原全体につながっています。強引に破ると、他の株まで傷む可能性があります」


「つまり、薬草を傷つけず、戻ろうとする性質も壊さず、日没までに持ち帰る必要があるってこと?」


 リゼが言った。


「はい」


「初心者向け依頼とは?」


「表向きは」


「出た、表向き」


 その時、丘の奥から柔らかな光が漏れた。


 陽だまり草の群生地の中央。

 そこに、他の株より大きな一本が生えている。


 高さは膝ほど。

 黄色い葉が幾重にも重なり、中央には透明な雫を抱いていた。


 ミナが息を呑む。


「親株……?」


 リオルはその大きな陽だまり草を見つめた。


 親株の根元から、草原全体へ魔力の糸が伸びている。


 この草原の帰巣付与は、あの親株を中心に回っている。


 そして、その根元に何かが埋まっていた。


 石板のようなもの。

 小さな魔導具。


 針鳴りの回廊で見た古代文字に、少しだけ似た文様が刻まれている。


「……原初の書庫に関係するものかもしれません」


 リオルの声は小さかった。


 リゼが驚く。


「薬草採取で?」


「偶然とは思えません」


 ガルドが周囲を警戒する。


「近づくか?」


 リオルは親株を見た。


 下手に触れれば、草原全体の薬草が枯れるかもしれない。

 だが、このままでは採取した陽だまり草を持ち帰れない。


 孤児院の子どもたちが待っている。

 日没までの時間も限られている。


 簡易クエストのはずだった。


 低ランク依頼のはずだった。


 だが、目の前には古い付与と、草原全体を結ぶ親株がある。


 リオルは静かに息を吸った。


「壊さずに、仕組みを読まないといけません」


 リゼがスティックを握り直す。


「戦うより面倒そうね」


「はい」


 リオルは頷いた。


「でも、戦わずに済むなら、その方がいいです」


 ミナは籠の中の陽だまり草をそっと押さえた。


「この子たちも、戻りたいだけなのかもしれません」


 ガルドが短く言う。


「なら、戻らずに済む理由を作る必要がある」


 リオルは親株へ視線を向けた。


 戻ろうとする薬草。

 薬効を必要とする人たち。

 草原を守る古い付与。


 どれか一つを力でねじ伏せれば、きっと簡単だ。


 だが、それではたぶん、何かを壊す。


「……帰る場所を、変える」


 リオルは呟いた。


 針鳴りの回廊で作った、光る足跡の道。


 あの時、彼は足跡に「帰路としての見えやすさ」を付与した。


 ならば、今回は。


 薬草にとっての“帰る場所”を、どう扱うか。


 リオルが考え込んだその時、親株の中央の雫が光った。


 草原全体の陽だまり草が、一斉に葉を震わせる。


 籠の中の薬草たちも、再び動き出した。


 リゼが叫ぶ。


「また逃げる!」


 リオルは籠の縁へ手を向けた。


 だが、すぐに手を止める。


 押さえつけるだけでは、解決しない。


 けれど、何もしなければ薬草は戻ってしまう。


 リオルの額に汗が浮かぶ。


 日常のはずの薬草採取は、いつの間にか、力の使い方を問う小さな試練へ変わっていた。


 そして丘の上で、親株の根元に埋まった古い魔導具が、ゆっくりと青白い光を放ち始めた。

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