訳あり薬草採取 前編 初心者向け依頼のはずだった
冒険者には、休息が必要である。
どれほど腕が立っていても、迷宮を続けて攻略すれば疲労は溜まる。
命を賭けた戦いのあとには、身体だけでなく心も休ませるべきだ。
霧鳴りの迷宮でロックゴーレムを倒し、針鳴りの回廊では審問者を突破した。
仮とはいえ《帰路の灯》というパーティ名まで得たリオルたちは、今まさに休息を取るべき段階にいた。
だから、王都冒険者ギルドで受付嬢のエリナが差し出した依頼書を見た時、リゼは眉をひそめた。
「薬草採取?」
「はい」
エリナはにこやかに頷いた。
「初心者冒険者が最初に受けるような、基本中の基本の依頼です」
依頼書には、確かにそう書かれている。
【依頼名:陽だまり草の採取】
【推奨:F級以上】
【採取数:三十束】
【場所:王都西方・ユル草丘陵】
【報酬:銀貨三枚】
【備考:訳あり】
リゼは最後の一行を指で叩いた。
「この“訳あり”って何?」
「少しだけ条件が特殊でして」
「少しだけ?」
「はい。採取した陽だまり草が、帰る頃にはただの雑草になってしまうそうです」
「それ、少しだけ?」
リゼの声が低くなった。
ガルドが依頼書を覗き込む。
「薬効が抜けるということか」
「はい。薬師さんによると、朝露が残った状態で採取し、日没までに持ち帰らないと効力が保てないそうです。ただ、最近はそれを守っても薬効が抜ける事例が続いています」
ミナが心配そうに言った。
「陽だまり草は、解熱薬や体力回復薬の材料になります。子どもや高齢の方にも使える、優しい薬草です」
「詳しいですね」
リオルが言うと、ミナは少し照れたように微笑んだ。
「治癒師の勉強で、薬草も少し学びました。魔法で治せることばかりではありませんから」
リオルは素直に頷いた。
「すごいです」
「いえ、まだ勉強中です」
リゼがふたりを見比べる。
「……で、これを私たちが受けるの?」
エリナは少し困ったように笑った。
「本来なら新人向けなのですが、失敗が続いていまして。とはいえ、強い魔物が出る場所ではありません。皆さんには休養も兼ねて、軽めの依頼をと思いまして」
「軽め」
リゼは依頼書の“訳あり”をもう一度見る。
「その言葉、罠の匂いがするのよね」
ガルドは腕を組んだ。
「だが、迷宮続きだったからな。野外で薬草採取なら、気分転換にはなる」
「僕も賛成です」
リオルが言った。
リゼが目を細める。
「あんた、薬草なら人に付与しなくて済むから安心とか思ってない?」
「……薬草には、好感度がないと思うので」
「やっぱり思ってた」
リオルは真面目な顔で続ける。
「ただ、植物にも反応がある可能性はゼロではありません。なので、できるだけ薬草そのものには付与せず、周囲の土や空気を調整します」
「初心者向け薬草採取で、そんな慎重になる人初めて見たわ」
エリナは苦笑しながら、追加の紙を差し出した。
「依頼主は、王都南通りの薬師メリッサさんです。詳しい採取方法は、そちらで確認してください」
こうして《帰路の灯》は、初めての低ランク依頼を受けることになった。
低ランク。
簡単。
初心者向け。
その言葉を信じてよかったことなど、冒険者稼業ではほとんどない。
だが、この時の四人はまだ知らなかった。
迷宮の番人よりも、巨大ゴーレムよりも、ある意味で厄介な相手が存在することを。
それは、採取したはずの薬草である。
◇
薬師メリッサの店は、王都南通りの端にあった。
扉を開けると、乾燥薬草の香りがふわりと漂う。
壁一面に小瓶や束ねた草が並び、奥の作業台では、眼鏡をかけた若い女性が薬研を動かしていた。
「冒険者ギルドから来てくれた方々ですね」
メリッサは疲れた顔で立ち上がった。
「陽だまり草の採取をお願いしたいんです」
「薬効が抜けると聞きました」
ミナが言うと、メリッサは深く頷いた。
「はい。以前は普通に採れていました。けれどここ十日ほど、採取しても店に戻る頃には効力が消えてしまって……」
「原因は?」
ガルドが尋ねる。
「わかりません。陽だまり草は朝露と日光を同時に含んだ時に、もっとも薬効が強くなります。なので、本来は日の出から二時間以内に採取するのが理想です」
リゼが窓の外を見る。
「今から向かえば、ぎりぎり?」
「はい。ユル草丘陵までは徒歩で一時間半ほどです。ただし、採取の注意点がいくつかあります」
メリッサは作業台の下から、木製の小さな籠を取り出した。
「まず、金属の刃物は使わないでください。茎が驚いて薬効を逃がしてしまいます」
「茎が驚くの?」
リゼが眉を上げる。
「表現としては、です」
メリッサは真面目だった。
「根ごと抜くのもだめです。葉の根元を指で摘み、朝露を落とさずに三枚葉の束だけを取ってください。それと、採取した草はこの籠へ入れてください。内側に冷却草を編み込んであります」
リオルは籠を見つめた。
「籠には付与しても大丈夫でしょうか」
「え?」
メリッサが瞬きする。
「いえ、籠の涼しさや湿度保持を強めれば、薬効を保ちやすくなるかもしれないので」
「そんなことができるんですか?」
「人にではなく、籠に対してなら」
リゼが小声で言う。
「籠に対してなら、って言い方がもうおかしいのよ」
リオルは少し悩んだ。
「ただ、籠にステータスボードがあるか不明なので……」
「籠の好感度まで心配しないで」
「念のためです」
メリッサは会話の意味がわからず、困惑した表情で籠を抱えている。
ミナがそっと話を戻した。
「陽だまり草は、誰に使う予定なんですか?」
メリッサの顔が曇った。
「近くの孤児院で、熱を出している子が何人かいます。重病ではないのですが、体力が落ちていて。陽だまり草の薬があれば、かなり楽になるはずなんです」
リオルの表情が変わった。
「子どもたちが」
「はい。だから、できれば今日中に」
「受けます」
リオルは即答した。
リゼが肩をすくめる。
「もう受けてるけどね」
「急ぎましょう」
「そこは同意」
ガルドが籠を受け取る。
「俺が持つ」
「待ってください」
リオルが真剣な顔で言った。
「ガルドさんが籠を持っている状態で籠に付与すると、ガルドさんへ影響が流れる可能性が」
「ないと思うぞ」
「ゼロではありません」
「じゃあ、地面に置いた籠へ付与してから持つ。それでいいか?」
リオルは少し考え、頷いた。
「はい。それなら大丈夫です」
リゼはメリッサに小声で言った。
「うちの付与術師、こういう感じだから気にしないで」
「は、はい」
リオルは床に置かれた籠へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が、木の編み目に染み込む。
「対象、籠の内側の空気。性質指定――朝露を落ち着かせる涼しさ。二十四時間、増大」
籠の内側に、ひんやりとした空気が生まれた。
メリッサが目を丸くする。
「すごい……冷却草の効果が何倍にもなっています」
「籠の空気に付与しただけです」
「それが普通はできないんです」
メリッサは感心したように言った。
リオルは少しだけ困った顔をした。
褒められるのは、まだ慣れない。
ただ、今回は人ではない。
籠の空気だ。
籠の空気が自分を好きになることは、たぶんない。
そう自分に言い聞かせながら、リオルたちは薬師の店を出た。
◇
ユル草丘陵は、王都西方に広がるなだらかな丘だった。
春から夏にかけては多くの薬草が芽吹き、初心者冒険者の訓練にも使われる。
強い魔物は少なく、せいぜい草ウサギや小型スライムが出る程度。
普通なら、のんびり歩いて薬草を摘み、昼前には戻れる場所である。
普通なら。
「道、戻ってない?」
リゼが言った。
四人は丘陵へ向かう途中の小さな森に入っていた。
王都からユル草丘陵へ行くには、この“ななめ森”を抜ける必要がある。
名前の通り、木々がどれも少しずつ傾いて生えている、変わった森だ。
地図上では短い森。
歩いて二十分ほどで抜けるはずだった。
だが、三十分歩いても出口が見えない。
ガルドが近くの木に刻まれた傷を見た。
「これは俺が十分前につけた目印だ」
「つまり、同じ場所を回っている?」
ミナが言う。
リゼは空を見上げた。
「初心者向け依頼の序盤で、もう迷いの森ってどうなの?」
「ななめ森には、方向感覚を狂わせる苔があると聞いたことがあります」
ミナが言った。
「でも、普段はここまで強くないはずです」
リオルはしゃがみ込み、木の根元を見た。
青白い苔が、木の影に沿って薄く広がっている。
「この苔、光の反射を少し変えています」
「それで迷うの?」
「はい。木の影が本来と違う方向に見えるので、無意識に進路がずれます」
ガルドが唸る。
「地味に厄介だな」
「でも、人に付与しなくても対処できます」
リオルはそう言って、近くの小石を拾った。
「また石?」
リゼが言う。
「石は裏切りません」
「人間不信みたいな言い方しないで」
リオルは小石を地面に置き、その周囲の影へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が、木漏れ日と影の境目に広がる。
「対象、僕たちの周囲十歩分の影。性質指定――太陽の方向への正直さ。二十四時間、増大」
すると、地面に落ちていた影の向きが、わずかにずれた。
見た目には自然だが、先ほどまでよりずっと読みやすい。
リゼが目を細める。
「影を正直にしたの?」
「はい」
「影って嘘つくの?」
「この森では、ついていました」
「影にまで誠実さを求める付与術師……」
ガルドが周囲を見る。
「進む方向がわかるな」
リオルはさらに、ガルドがつけた木の傷ではなく、落ち葉へ手を向けた。
「対象、通った場所の落ち葉。性質指定――踏まれた記憶の残りやすさ。二十四時間、増大」
落ち葉に残った足跡が、淡く浮かび上がった。
「これで同じ道に戻ったらわかります」
ミナが感心したように言う。
「迷わないための付与ですね」
「はい。人に付与していないので安心です」
リゼが歩きながら呟く。
「最近、そこに突っ込むのも慣れてきたわ」
「慣れは危険です」
「何が?」
「人に付与しない方針への慣れは歓迎ですが、付与そのものに慣れすぎると油断が」
「はいはい。慎重なのはわかったから、まず森を抜けましょ」
リオルの付与によって、森の迷いは薄れた。
影は太陽の位置を示し、落ち葉は通った道を記録する。
四人は同じ場所を回ることなく、少しずつ前へ進んだ。
途中、小型スライムが二匹現れたが、ガルドが盾で押し返し、リゼが小さな火花で追い払った。
ミナは倒す必要がないと判断し、スライムが逃げる道を空けた。
「薬草採取で無駄な戦闘は避けたいです」
ミナが言うと、リオルは強く頷いた。
「その通りです。戦わずに済むなら、それが一番です」
「でも、リオルは罠とか仕組み相手だと少し楽しそうよね」
リゼが横から言う。
「そんなことはありません」
「今も影を正直にした時、ちょっと目が輝いてた」
「……仕組みがわかると安心するだけです」
「はいはい」
リゼは笑った。
からかいではあるが、悪意はない。
リオルはそれを少しずつ理解し始めていた。
やがて木々が薄くなり、前方に明るい丘が見えた。
ユル草丘陵だ。
柔らかな陽射しが草原を照らし、風が緑の波を作っている。
遠くには白い小花が揺れ、低い丘の上には黄色い草の群れが広がっていた。
ミナが目を細める。
「あれが陽だまり草です」
黄色い三枚葉。
葉の縁に朝露を抱き、太陽に向かって小さく開いている。
見た目は素朴だが、近づくとほんのり温かい香りがした。
「やっと普通の薬草採取っぽくなったわね」
リゼが言う。
「そうですね」
リオルも少し安心した。
迷いの森はあったが、強い魔物はいない。
罠ダンジョンのような殺意もない。
ここからは丁寧に薬草を摘んで帰るだけ。
そう思った。
思ってしまった。
◇
陽だまり草の採取は、想像以上に繊細だった。
まず、朝露を落としてはいけない。
葉の根元を強く持つと薬効が逃げる。
かといって弱すぎると葉がちぎれる。
根を傷つけると、周囲の株までしおれてしまう。
ガルドが大きな指で摘もうとして、三人に止められた。
「俺は見張りに回る」
彼は即座に判断した。
「その方がよさそうね」
リゼが苦笑する。
「私は?」
「リゼさんは、陽射しの調整をお願いします」
ミナが言った。
「陽だまり草は日光が強すぎると葉を閉じます。でも日陰にしすぎても薬効が弱くなります」
「めんどくさい草ね」
「繊細なんです」
リゼはスティックを軽く振り、小さな火の玉を浮かべた。
ただし熱はほとんどない。
光だけを柔らかく広げ、雲がかかった時に草へ明るさを足す。
「こういう使い方、最近増えてきたわね」
「リゼさんの火は、照らすこともできますから」
リオルが言うと、リゼは少しだけ黙った。
「……針鳴りの時の話?」
「はい」
「あれ、覚えてたの」
「大事なことなので」
リゼは視線を逸らした。
「そう」
それ以上は何も言わない。
人間関係が急に進むわけではない。
ただ、言葉がひとつ残っていたことを知る。
それくらいの距離が、今の彼らにはちょうどよかった。
ミナは膝をつき、陽だまり草の葉を丁寧に観察した。
「三枚葉で、中央の葉に朝露が残っているものだけを採ります。白い斑点があるものは避けてください」
「白い斑点?」
リオルが尋ねる。
「薬効が抜けかけている印です。通常は夕方に出ますが……」
ミナは周囲を見回し、眉をひそめた。
「朝なのに、少しありますね」
リオルも草原を見た。
確かに、黄色い葉の一部に白い小さな斑点が浮かんでいる。
「薬効が抜ける現象と関係があるかもしれません」
「はい」
ミナは慎重に葉を摘み、籠へ入れた。
その手つきは静かで、迷いがない。
リオルは彼女の動きを見ながら、自分も真似しようとした。
だが、葉に触れる直前で手が止まる。
「どうしました?」
ミナが尋ねる。
「薬草に直接触れて、僕の付与の影響が残っていたら……」
「今、付与していませんよね?」
「していません。でも、僕自身に隠しステータス的な何かがある可能性が」
リゼが少し離れた場所から言った。
「あんた、自分を呪物か何かだと思ってる?」
「そこまでは」
「じゃあ摘みなさい。孤児院の子たちが待ってるんでしょ」
その言葉で、リオルの迷いが消えた。
「はい」
彼はそっと陽だまり草へ手を伸ばした。
葉の根元を軽く支え、朝露を落とさないように摘む。
成功。
小さな三枚葉が、手のひらに収まった。
「できました」
「初めて薬草摘んだ子どもみたいな顔してるわよ」
「実際、初めてです」
「そうなの?」
リゼが驚く。
「僕は幼い頃から、付与術の訓練ばかりだったので」
何気ない一言だった。
リゼは少しだけ表情を変えたが、深くは聞かなかった。
ミナも同じだった。
ガルドだけが、遠くを警戒しながら静かに言う。
「なら、今日が初薬草採取だな」
「はい」
「失敗しなければ、いい経験になる」
「失敗しないようにします」
「いや、多少失敗してもいい。覚えればいい」
リオルは少し目を瞬いた。
失敗してもいい。
それは簡単な言葉のようで、リオルには少し難しかった。
彼の付与は、失敗すれば誰かの心を変えてしまうかもしれない。
そう思って生きてきた。
だから、失敗していいと言われると、どう受け取ればいいかわからない。
「……気をつけて、覚えます」
リオルはそう答えた。
ガルドはそれ以上言わなかった。
四人は役割を分け、少しずつ陽だまり草を集めていった。
ミナが選別する。
リオルが露を落とさないように摘む。
リゼが光量を調整する。
ガルドが周囲を警戒し、籠を守る。
途中、リオルは籠の内側の空気へ追加で付与した。
「対象、籠の内側の湿度。性質指定――朝露と仲良く留まる性質。二十四時間、増大」
リゼが反応する。
「湿度と朝露を仲良くさせたの?」
「蒸発しにくくしただけです」
「もう翻訳が必要ね、リオル語」
ミナがくすっと笑った。
リオルは首をかしげたが、悪い気はしなかった。
三十束。
採取数が揃う頃には、太陽は少し高くなっていた。
まだ日没までは十分に時間がある。
帰路の森も、リオルの付与が残っているため迷いにくいはずだ。
リゼが籠を覗き込む。
「ちゃんと集まったわね。初心者向け依頼、完了」
ガルドが頷く。
「油断せず戻るぞ」
「はい」
ミナが籠の中の陽だまり草を確認した。
そして、表情を曇らせた。
「……待ってください」
リオルが振り返る。
「どうしました?」
「数が、減っています」
「え?」
四人が籠を覗く。
さきほど確かに三十束あったはずの陽だまり草が、二十七束になっていた。
リゼが眉をひそめる。
「数え間違い?」
「いえ、私が確認しました。三十束ありました」
ミナの声は確かだった。
ガルドが周囲を見る。
「誰かが取った気配はない」
リオルは籠の内側をじっと見た。
冷気は保たれている。
朝露も落ちていない。
だが、束の一部が不自然に細い。
まるで、葉だけが少しずつほどけて消えたように。
「籠から出た?」
リゼが地面を見る。
草原の上に、黄色い葉が三枚、落ちていた。
いや、落ちていたのではない。
動いていた。
葉が、わずかに震えながら、元の株へ向かって這うように戻っている。
「……薬草が歩いてる」
リゼが呟いた。
リオルはしゃがみ込み、その葉を観察する。
葉の根元から、髪の毛ほどの細い根が伸びていた。
その根が地面を探り、少しずつ親株の方へ進んでいる。
ミナが驚いた顔をした。
「陽だまり草に、こんな性質はありません」
ガルドが籠を持ち上げる。
「また一束減ったぞ」
籠の中で、陽だまり草の束がほどけ、葉が外へ滑り出そうとしていた。
リオルはすぐに籠の周囲の空気へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が籠を包む。
「対象、籠の縁の内側。性質指定――外へ出ようとする葉への引き止めやすさ。二十四時間、増大」
葉の動きが止まった。
リゼが言う。
「薬草を拘束した?」
「いえ、籠の縁を説得力のある境界にしました」
「同じようなものじゃない」
リオルは葉に直接触れず、地面へ落ちた一枚を観察した。
そこに、見覚えのある魔力の流れがあった。
付与術に似ている。
ただし、リオルのものではない。
もっと古い。
もっと広い。
草原全体に薄く染み込んでいる。
「これは……帰巣性の付与?」
「帰巣性?」
ミナが尋ねる。
「採取されたものが、元の場所へ戻ろうとする性質が増大しています。薬草自体の力ではなく、この草原にかけられた古い付与のようなものです」
リゼが草原を見回した。
「誰がそんな面倒なことを?」
「わかりません。ただ、この付与が強まっているせいで、採取しても薬草が戻ってしまう。無理に止めると、薬効が抜けるのかもしれません」
ミナが顔を曇らせる。
「だから、店に戻る頃にはただの草になっていたんですね」
ガルドが低く言った。
「では、どうする。籠に閉じ込めたまま運ぶか」
「可能ですが、危険です」
リオルは首を振った。
「薬草そのものの戻ろうとする力を無理に押さえ続けると、薬効が壊れるかもしれません。それに、この付与は草原全体につながっています。強引に破ると、他の株まで傷む可能性があります」
「つまり、薬草を傷つけず、戻ろうとする性質も壊さず、日没までに持ち帰る必要があるってこと?」
リゼが言った。
「はい」
「初心者向け依頼とは?」
「表向きは」
「出た、表向き」
その時、丘の奥から柔らかな光が漏れた。
陽だまり草の群生地の中央。
そこに、他の株より大きな一本が生えている。
高さは膝ほど。
黄色い葉が幾重にも重なり、中央には透明な雫を抱いていた。
ミナが息を呑む。
「親株……?」
リオルはその大きな陽だまり草を見つめた。
親株の根元から、草原全体へ魔力の糸が伸びている。
この草原の帰巣付与は、あの親株を中心に回っている。
そして、その根元に何かが埋まっていた。
石板のようなもの。
小さな魔導具。
針鳴りの回廊で見た古代文字に、少しだけ似た文様が刻まれている。
「……原初の書庫に関係するものかもしれません」
リオルの声は小さかった。
リゼが驚く。
「薬草採取で?」
「偶然とは思えません」
ガルドが周囲を警戒する。
「近づくか?」
リオルは親株を見た。
下手に触れれば、草原全体の薬草が枯れるかもしれない。
だが、このままでは採取した陽だまり草を持ち帰れない。
孤児院の子どもたちが待っている。
日没までの時間も限られている。
簡易クエストのはずだった。
低ランク依頼のはずだった。
だが、目の前には古い付与と、草原全体を結ぶ親株がある。
リオルは静かに息を吸った。
「壊さずに、仕組みを読まないといけません」
リゼがスティックを握り直す。
「戦うより面倒そうね」
「はい」
リオルは頷いた。
「でも、戦わずに済むなら、その方がいいです」
ミナは籠の中の陽だまり草をそっと押さえた。
「この子たちも、戻りたいだけなのかもしれません」
ガルドが短く言う。
「なら、戻らずに済む理由を作る必要がある」
リオルは親株へ視線を向けた。
戻ろうとする薬草。
薬効を必要とする人たち。
草原を守る古い付与。
どれか一つを力でねじ伏せれば、きっと簡単だ。
だが、それではたぶん、何かを壊す。
「……帰る場所を、変える」
リオルは呟いた。
針鳴りの回廊で作った、光る足跡の道。
あの時、彼は足跡に「帰路としての見えやすさ」を付与した。
ならば、今回は。
薬草にとっての“帰る場所”を、どう扱うか。
リオルが考え込んだその時、親株の中央の雫が光った。
草原全体の陽だまり草が、一斉に葉を震わせる。
籠の中の薬草たちも、再び動き出した。
リゼが叫ぶ。
「また逃げる!」
リオルは籠の縁へ手を向けた。
だが、すぐに手を止める。
押さえつけるだけでは、解決しない。
けれど、何もしなければ薬草は戻ってしまう。
リオルの額に汗が浮かぶ。
日常のはずの薬草採取は、いつの間にか、力の使い方を問う小さな試練へ変わっていた。
そして丘の上で、親株の根元に埋まった古い魔導具が、ゆっくりと青白い光を放ち始めた。




