王のいない塔編-3 何もない塔と、届かない答え
《帰路の灯》とキングリバースによる共同調査は、まず記録の整理から始まった。
白い広間の空中に、無数の逆文字が並んでいる。
床の材質。
壁の厚さ。
入口の扉。
内部の魔力。
外周の長さ。
頂上へ向けた上昇試験。
音、光、熱、振動に対する反応。
キングリバースが約二週間かけて得た情報は膨大だった。
だが、どの記録を読んでも、王のいない理由にはつながらない。
「調べてない場所を探す方が難しそうね」
リゼが空中の記録を眺めながら言った。
【主要対象は解析済み】
【同一対象への追加解析も実施】
【新規情報の増加率、極小】
「二週間も一人でこれを続けてたの?」
【肯定】
「よく嫌にならなかったわね」
【解答未取得は、継続理由になる】
「真面目すぎる」
リゼは少し呆れたように言った。
リオルには、キングリバースの返答がどこか切実にも聞こえた。
答えを導くために存在する者が、答えへ届かない。
それでも解析をやめるという選択肢がないのだろう。
「まず、これまでの調査結果を疑わずに使いましょう」
リオルが言った。
「同じことを繰り返しても意味がありません。僕たちは、キングリバースとは違う見方をします」
【合理的】
ガルドは大盾を広間の入口近くへ立てた。
「帰還扉の確認役も必要だ。一定時間ごとに外を見る」
「お願いします」
塔の外、少し離れた場所には王都へ戻る白い扉が残っている。
こちら側から開ければ、いつでも帰還できる。
重要クエストであっても、退路は消さない。
それが《帰路の灯》のやり方だった。
四人と一体は、役割を分けた。
ガルドは、塔内の位置と距離を測る基準。
リゼは、光、熱、音、魔力への反応を見る。
ミナは、呪い、傷、生命、苦痛の痕跡を探す。
リオルは、付与できる対象と、物が果たしている役目を読む。
キングリバースは、全員の観測結果を統合し、矛盾や見落としを探す。
「これだけ揃えば、何か一つくらい出るでしょ」
リゼが言った。
【当機も、その可能性を期待】
「期待することもあるのね」
【解答へ至る確率上昇を望む状態を、期待と定義可能】
「相変わらず説明が長いわね」
◇
最初に調べたのは、広間の形だった。
見た目は円形。
だが、頂上さえ認識できない塔で、見た目どおりの空間だと決めつけるのは危険だった。
ガルドが広間の中央に立つ。
「ここを基準点にする」
大盾の下端を床へ置き、足を止める。
「絶対不動」
ガルドの身体が、白い床へ深く固定された。
物理的に沈んだわけではない。
だが、彼の位置が「ここ」として強く定まる。
リオルは細い縄の片端を、ガルドの大盾の横へ結んだ。
盾そのものへの付与は避ける。
代わりに、縄へ小さな付与をかけた。
「極所付与」
「対象、この縄が伸びた長さの記憶。性質指定――縮んでもたるんでも、最も長く伸びた時を忘れない几帳面さ。二十四時間、増大」
リゼが笑う。
「縄が几帳面になった」
「測量用です」
縄のもう一端を持ち、リゼが壁沿いを歩く。
ミナは反対方向から、足音の数を記録する。
キングリバースは空中から二人の位置を追った。
一周。
リゼとミナは、ほぼ同時に入口へ戻ってきた。
「普通に一周できた」
リゼが言う。
「距離は?」
リオルが縄を確認する。
「見た目から予想した範囲内です」
【歩数、縄長、外周推定、整合】
キングリバースも告げる。
「空間がねじれているわけではない?」
【少なくとも本広間の水平面では、重大な不整合なし】
ガルドは絶対不動を解除した。
「基準点も動いていない」
「最初から普通の円形だったみたいですね」
ミナが言う。
リゼは少し不満そうだった。
「何かおかしい方が、まだ手掛かりになったのに」
「異常がないことも情報です」
リオルはそう言ったが、そこから先へは進まなかった。
円形の広間は、本当に円形だった。
秘密の入口も、伸び縮みする通路もない。
◇
次は壁の調査だった。
キングリバースは、すでに壁の材質と厚さを解析している。
内部に空洞はない。
隠し扉も見つかっていない。
それでも、リオルたちは別の方法を試した。
リゼが壁の前へ立ち、小さな火花を一つ浮かべる。
「熱を当てるわよ。燃やすほどじゃないから」
「お願いします」
火花が壁面を横へ移動する。
リゼは熱の逃げ方を観察した。
もし薄い場所や継ぎ目があれば、温度の広がり方が変わる。
しかし、火花はどこを通っても同じだった。
「全部同じ」
リゼは眉をひそめる。
「均一すぎて、むしろ気持ち悪いくらい」
続いて、リオルが銀色の細かな砂を取り出した。
王都のギルドでもらった、隙間検査用の銀砂だ。
壁際の床へ薄く撒き、その動きへ付与する。
「対象、壁に沿って流れる銀砂。性質指定――小さな隙間を見つけた時だけ、少し居座りたくなる好奇心。二十四時間、増大」
「砂が好奇心旺盛になった」
「隙間を見つけるためです」
リゼの弱い風魔法で、銀砂を壁沿いに流す。
砂は白い壁の根元を一周し、どこにも留まらなかった。
床と壁の境目にさえ、粒一つ入る隙間がない。
ミナが白い杖を壁へ近づける。
「傷や修復の痕跡もありません」
【当機の解析結果と一致】
キングリバースが言う。
「この壁、いつ作られたの?」
リゼが尋ねる。
【年代推定不能】
「壊れてないから?」
【経年変化に使用可能な指標なし】
「古いのか新しいのかも分からない」
【肯定】
答えは増えない。
白い壁は、ただ白い壁として立っている。
◇
階段を探すため、今度は音を使った。
「上に空間があるなら、何か返ってくるはずよ」
リゼは手を上げた。
炎の指輪は外している。
爆発音九倍は、未知の塔で使うにはあまりにも危険だった。
「最小の空気弾で試すわね」
指先の空気を小さく弾く。
ぱん。
音は上へ向かった。
だが、返ってこない。
反響がない。
吸収されているようにも、遠くへ抜けたようにも聞こえない。
ただ、音の続きが存在しなかった。
「もう少しだけ強くする」
「慎重にお願いします」
ぱんっ。
先ほどより鋭い音。
やはり返らない。
キングリバースが、自身の所有する小さな銀球を一つ浮かべた。
【反射音測定】
銀球が短い音を発する。
天井方向へ、細い振動が走る。
【反射なし】
【減衰過程、取得不能】
【消失地点、特定不能】
リゼが見上げる。
「音まで、頂上と同じね。途中が分からない」
「天井自体は見えているのに」
ミナが言う。
広間の上には、白い天井があるように見える。
手を伸ばして届く高さではない。
だが、巨大な広間としては普通の範囲だ。
ガルドが長い投げ縄を取り出した。
「物を上げる」
縄の先に重りを結び、天井へ向けて投げる。
重りは上昇した。
しかし、天井へぶつかる前に速度を失い、そのまま落ちてきた。
「届かなかった」
「高さは?」
リオルが尋ねる。
「見た目より遠い」
【同様の試験、実施済み】
【到達距離と視認距離に不一致】
キングリバースが言った。
リオルは天井を見た。
「見えている場所へ、物が届かない」
「でも、それ以上の意味はまだ分からない」
リゼが続ける。
その通りだった。
異常は見つかる。
だが、異常が王の不在と結びつかない。
◇
ミナは、広間の中央で目を閉じた。
白い杖を両手で持ち、治癒魔力を薄く広げる。
誰かを癒やすためではない。
苦痛や傷の痕跡を探すための感知だった。
「何もありません」
しばらくして、ミナは目を開けた。
「呪いも、傷も、病的な魔力も感じません。ここで誰かが倒れた痕跡もないです」
「王が殺された場所ではない?」
リゼが聞く。
「少なくとも、この広間にはそういう痕跡はありません」
【過去生命反応、取得不能】
キングリバースが補足する。
【ただし、不在の証明にはならない】
「王がいたことも、いなかったことも証明できない」
ガルドが言う。
【肯定】
ミナは壁際まで歩き、何度も感知を繰り返した。
結果は同じ。
困っている生命もいない。
助けを求める声もない。
何かが封じられて苦しんでいる気配もない。
世界的に重要な依頼。
それなのに、目の前には危険も被害も見当たらない。
「誰も困っていないように見えるのが、一番気になります」
ミナが静かに言った。
「お告げ鳥は、意味のない依頼を運ばないはずですから」
リオルも同じことを考えていた。
危機が見えない。
だからといって、危機がないとは限らない。
ただ、その所在が分からない。
◇
昼を過ぎても、進展はなかった。
一行は一度塔の外へ出て、帰還扉が維持されていることを確認した。
外から塔を一周する。
ガルドが入口を基準点に残り、リオル、リゼ、ミナが左右へ分かれた。
地面には、付与した小石を一定間隔で置く。
「対象、僕たちが置いた小石の表面。性質指定――一度通った道であることを、次に見た時だけ思い出しやすい目印。二十四時間、増大」
小石は淡く光る。
塔の外周も、問題なく一周できた。
入口は一つ。
窓はない。
別の扉もない。
外壁の状態はどこも同じだった。
見上げても頂上は見えない。
キングリバースが浮遊して上空へ向かう試験は、すでに何度も行われている。
一定の高さを越えると現在位置を確定できず、気づけば入口付近へ戻っている。
リゼは試しに、空へ光の目印を飛ばした。
火ではなく、熱をほとんど持たない小さな光球。
光球は上昇していく。
やがて小さくなり、見えなくなった。
落ちてもこない。
反応もない。
「また何も分からない」
リゼは両手を腰に当てた。
「光球を一個失っただけね」
「魔力は戻っていますか?」
「少しずつ戻ってる。どこかで解除されたみたい」
【消失過程、観測不能】
キングリバースも告げる。
塔の外でも、答えは見つからなかった。
◇
午後。
再び白い広間へ戻った一行は、今度は「王」という言葉そのものを調べた。
「王様ー!」
リゼが広間の中央で叫んだ。
返事はない。
反響すらない。
「いないなら返事しないでしょう」
リオルが言う。
「分かってるけど、こういう単純なことも試しておかないと」
ガルドが広間へ向けて、低く名乗った。
「我々は《帰路の灯》。この塔の秘密を調べるために来た。応答できる者がいるなら、姿を示してほしい」
何も起きない。
ミナも、できるだけ穏やかに呼びかけた。
「お話ができる方はいませんか。困っているなら、できる範囲でお手伝いします」
やはり返事はない。
キングリバースは、空中へいくつもの問いを並べた。
【王は存在したか】
【王は現在不在か】
【王という役職は必要か】
【王の不在は異常か】
【王の不在は正常か】
【塔の名称は状態を示すか】
【塔の名称は固有名か】
逆文字が回転する。
だが、答えへ変換されない。
【判定不能】
【参照対象なし】
【因果取得不能】
すべて、同じところで止まった。
リゼが顔をしかめる。
「質問を変えても駄目」
「答えを出すための対象がないのでしょうか」
リオルが言う。
【その可能性は既に検討】
【しかし、“対象がない”という結論も確定不能】
「何を言っても、最後は分からないに戻るのね」
【遺憾ながら、肯定】
キングリバースの王冠が、ほんの少し傾いた。
人間であれば、肩を落としたようにも見えただろう。
◇
リオルは、最後に付与術で別の角度から試した。
塔そのものに付与するのは危険だ。
ならば、塔と接しているものへ。
広間の床へ落ちる、自分たちの影。
壁際へ置いた銀砂。
縄。
光。
音の余韻。
そうした一時的な対象へ、役目を与えて反応を見る。
「極所付与」
「対象、白い床へ落ちる僕たちの影。性質指定――近くに隠されたものがあれば、そちらへ少しだけ寄りたくなる好奇心。二十四時間、増大」
四人の影が淡く揺れる。
だが、どこへも寄らない。
広間の光が均一なため、影自体も薄い。
リオルは次に、入口から広間中央へ伸ばした縄へ付与する。
「対象、床を這う縄の先端。性質指定――上へ続く道を見つけた時だけ、少し持ち上がりたくなる期待。二十四時間、増大」
縄は動かない。
「縄が期待しても駄目か」
リゼが言う。
「そういう言い方をすると、少し可哀想に聞こえます」
「付与したのはリオルでしょ」
次は、銀砂。
「対象、広間へ撒いた銀砂の並び。性質指定――周囲と異なる働きをする場所だけ、避けずに集まりたくなる調査熱心さ。二十四時間、増大」
銀砂は均等に散ったまま。
何も示さない。
リオルは付与を解除した。
連続して使っても、意味がない。
「駄目です」
正直に言う。
「僕が認識できる役目の範囲では、何も反応しません」
ガルドが尋ねる。
「塔全体への付与は」
「まだしません」
リオルは首を横に振った。
「何なのか分からない対象に、“秘密を見せる”ような強い付与をかけるのは危険です。塔の機能を壊す可能性があります」
【適切な判断】
キングリバースが同意する。
【当機も大規模損傷解析は実施していない】
【秘密のために対象を破壊すれば、解決の意味を失う可能性あり】
リゼがため息をついた。
「慎重な二人が揃うと、調査は安全だけど進まないわね」
「壊してから戻せない方が困ります」
「分かってる。だから、文句は言っても勝手には撃たない」
リゼは杖を肩へ戻した。
以前なら、苛立ちのまま火球を撃っていたかもしれない。
今は、火を使わない選択もできる。
リオルはそのことを、少し頼もしく思った。
◇
日が傾いた頃。
塔の外の空は、灰色のままほとんど色を変えなかった。
王都側の扉を覗くと、向こうでは夕方になっている。
こちらにも時間は流れているらしい。
だが、光の変化が少ないため、長くいると感覚が鈍る。
一行は塔の入口付近に簡易の休憩場所を作った。
帰還扉へすぐ戻れる位置。
キングリバースは休まない。
白い広間の中央に浮かび、今日得た観測結果を統合している。
空中へ、新しい記録が追加されていく。
水平距離、整合。
壁面、異常なし。
生命反応、なし。
呪詛、なし。
隠し空間、未検出。
上方到達、失敗。
呼びかけ、応答なし。
付与反応、なし。
新しい情報は増えた。
だが、結論は変わらない。
【秘密、未取得】
【王不在理由、未取得】
【世界的影響、未取得】
リゼが保存食をかじりながら言った。
「今日一日かけて、分からないことが増えた気がする」
「正確には、分からない方法を減らしました」
リオルが答える。
「前向きに言うわね」
「無駄ではありません」
「うん。分かってる」
ミナは温かい飲み物を四人へ配った。
「怪我人が出なかったのは良いことです」
「調査対象が何もしてこないからな」
ガルドが言う。
「攻撃も妨害もない。こちらを追い出そうともしない」
リオルは白い広間を見る。
塔は静かだ。
敵意はない。
歓迎しているようにも見えない。
ただ、こちらが何をしても反応しない。
「キングリバース」
リオルが呼ぶ。
【応答】
「二週間調べていて、一番気になったことは何ですか」
逆文字の動きが止まった。
キングリバースは、すぐには答えなかった。
【当機は通常、対象へマイクロダメージを与え、変化から答えを得る】
【しかし本件では、変化を観測しても因果がつながらない】
【解析対象は存在する】
【情報も取得できる】
【それでも、問いへ届かない】
王冠の目が、白い広間を見渡す。
【答えが拒絶されている感覚ではない】
【当機が、答えに必要な問いを持っていない可能性がある】
リゼが飲み物の器を止めた。
「質問を間違えてるってこと?」
【可能性あり】
「でも、依頼は“王のいない塔の秘密をあばけ”でしょ。これ以上どう聞き直すのよ」
【不明】
また、不明。
それでも、今日初めて聞いた種類の不明だった。
秘密が見つからないのではなく。
秘密へ近づくための問いが、まだ見つかっていない。
リオルは依頼書を取り出した。
【王のいない塔の秘密あばけ】
文字は変わっていない。
追加の説明も出ていない。
お告げ鳥が、なぜ自分たちを選んだのかも分からない。
「明日は、調べる対象ではなく、調べ方そのものから見直しましょう」
リオルが言った。
ガルドが頷く。
「同じ手を続けても届かない」
「そうね」
リゼも依頼書を見た。
「壁も床も天井も調べた。外も回った。上にも飛ばした。呼びかけもした。調べられる場所は、かなり調べたわ」
ミナは静かに言う。
「でも、ここが王のいない塔であることだけは、最初から変わっていません」
誰も、その言葉に続けられなかった。
王がいない。
それが問題なのか。
それとも、問題ではないのか。
なぜ世界にとって重要なのか。
答えはまだ、何一つ見えない。
白い広間の中央で、キングリバースの王冠が淡く光る。
伝説の解読者も。
最強の付与術師も。
無詠唱の天才魔術師も。
絶対不動の盾役も。
痛みを癒やす治癒師も。
今はただ、何もない塔の前で立ち止まっていた。
進む階段さえ、まだ見つけられないまま。




