王のいない塔編-1 お告げ鳥と、空から届いた依頼
ストックが無くなり更新間隔が空きました。新章・王のいない塔編をお届けします!
不動庵から王都へ戻った《帰路の灯》を迎えたのは、平穏な夕暮れだった。
西へ傾いた陽が城壁を赤く染め、門を行き交う馬車の車輪が、石畳の上で乾いた音を立てている。
山道を下り、乗合馬車に揺られ、ようやく見慣れた街へ戻ってきたのだ。
「帰ったら、まずお風呂」
リゼが宣言した。
「次に甘いもの。そのあと、何もしない」
ガルドは大盾を背負ったまま、低い声で答える。
「装備の点検が先だ」
「なんで休息の予定まで硬いのよ」
「修行帰りだ。盾の留め具に緩みがあるかもしれない」
「ガルドの盾より、私の肩の方が悲鳴を上げてるわ」
ミナが少し笑った。
「皆さん、今日はよく休みましょう。不動波のダメージは回復していますが、疲労まで完全に消えたわけではありませんから」
「賛成」
リゼは即答した。
リオルも頷く。
「僕も、今日は依頼を受けない方がいいと思います」
三人が一斉にリオルを見た。
「何ですか」
「リオルが自分から休むって言った」
リゼが驚いた顔をする。
「珍しいですね」
ミナまで続いた。
「僕だって休みます」
「前回の休息日は、鍛冶場で真空を作ったわよね」
「あれは装備の整備中に起きた予想外の現象です」
「その前の休息日は、薬草の好感度を観察してた」
「好感度ではなく付与影響の経過観察です」
「休息の定義が少し変なんじゃない?」
リオルは反論しようとしたが、完全には否定できなかった。
ガルドが歩きながら言う。
「今日は休む。それでいい」
「はい」
ガルドの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。
ただ、不動庵へ向かう前に抱えていた焦りは、少し薄くなっているように見える。
ガルドが新たに得た力。
心から相手を尊敬し、盾を手放し、正座して深く頭を下げた時にだけ発動する不動波。
強力な開祖にさえ届いた一撃ではある。
しかし、発動中は完全に無防備であり、そもそも敵を心から尊敬できなければ使えない。
使い勝手という意味では、かなり難しい。
「ガルド」
リゼが歩きながら横目で見る。
「新しい技、次はいつ使えそう?」
「尊敬すべき相手と戦った時だ」
「それ、いつ来るのよ」
「わからん」
「しかも正座できる足場が必要よね」
「地面がある場所が望ましい」
「空中戦では使えないわね」
「もともと不動系は空中戦に向かない」
「ものすごく真面目に欠点を増やさないで」
ミナが口元を押さえて笑い、リオルも小さく笑った。
その時だった。
王都の中心部から、大きなどよめきが聞こえた。
笑い声ではない。
悲鳴でもない。
驚いた人々が、一斉に同じものを見つけた時の声だった。
「何かあったみたいですね」
ミナが足を止める。
通りを歩いていた人々も、次々と空を見上げている。
商人は荷車を止め、衛兵は門の上から身を乗り出し、冒険者たちは目元に手を当てた。
リオルも視線を上げる。
夕焼けの空に、一羽の白い鳥がいた。
鷲よりも大きい。
広げた翼の先だけが金色に輝き、羽ばたくたびに細かな光が空へ散っている。
首には青い飾り紐。
胸元には、茶色い革の鞄が下げられていた。
鳥は王都の上空を、ゆっくりと大きく旋回している。
「お告げ鳥だ……」
近くにいた老商人が、震える声で呟いた。
その言葉は、瞬く間に周囲へ広がった。
「お告げ鳥?」
「本物なのか?」
「前に来たのは何十年前だ?」
「王城への知らせか?」
「戦争でも始まるのか?」
リゼの表情から、先ほどまでの軽さが消えた。
「お告げ鳥って、あのお告げ鳥?」
「はい」
リオルも、実物を見るのは初めてだった。
お告げ鳥。
世界的に見て重要な問題が生じた時、どこからともなく現れる伝令鳥。
誰が育てているのか。
どこから飛んでくるのか。
誰の命令を受けているのか。
そのどれも分かっていない。
胸元の鞄には依頼書が入り、それを受け取るべき者のもとへ自ら降りる。
依頼元の名は、決して明かされない。
それでも、お告げ鳥が運ぶ依頼を疑う者は少なかった。
古い記録では、国境を越えて疫病の源を知らせたことがある。
海の底で眠る魔導炉の異常を、沿岸国より早く告げたこともある。
遠い地方に一人だけ残っていた封印師を、名も知らぬ冒険者たちが救いに向かった例もある。
お告げ鳥の依頼は、奇妙に見える場合があっても、不当なものではない。
私欲のための依頼は来ない。
誰かを陥れる依頼も来ない。
世界の摂理として、受ける者を無意味に使い潰すような案件は届けられない。
その代わり、依頼が届く時点で、放置してよい問題ではないとされていた。
「誰のところへ降りるんでしょう」
ミナが空を見つめる。
白い鳥は王城の上を通り過ぎた。
大聖堂の尖塔も越える。
冒険者ギルドの屋根の上で一度旋回したが、そこにも降りない。
そして、まっすぐこちらへ向かってきた。
「……こっちじゃない?」
リゼが言う。
「そのようです」
リオルの声がわずかに硬くなる。
お告げ鳥は四人の上を一周した。
金色の風が、髪と服を揺らす。
そして、最も広く安定して見えた場所――ガルドの大盾の上へ、器用に降り立った。
ガルドは首だけを後ろへ向けた。
「俺の盾を止まり木にした鳥は初めてだ」
「不動だから安心したんじゃない?」
リゼが言うと、お告げ鳥は短く鳴いた。
「クァ」
「肯定したように聞こえます」
ミナが微笑む。
「鳥にも不動の良さが伝わるんですね」
「そうか」
ガルドは少しだけ誇らしそうだった。
お告げ鳥は胸元の革鞄を嘴でつついた。
リオルが近づく。
「開けても大丈夫ですか」
「クァ」
返事の意味は分からない。
だが、鞄を示していることだけは確かだった。
リオルは留め具を外し、中から一枚の紙を取り出した。
紙は白く、薄い。
普通の紙に見えるが、夕日の中でも文字だけがはっきりと黒く浮かんでいる。
そこに書かれていたのは、驚くほど短い依頼だった。
【重要クエスト】
【王のいない塔の秘密あばけ】
【受託対象:《帰路の灯》】
【報酬:天コイン】
【依頼元:非公開】
【補足:受託後に出現する扉から現地へ移動可能。扉を通じた帰還も可能】
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
最初に口を開いたのは、リゼだった。
「……“秘密をあばけ”だけ?」
「はい」
「何が起きてるのかも、何を調べればいいのかも書いてない」
「そうですね」
「重要クエストにしては説明が雑じゃない?」
お告げ鳥がリゼを見た。
「クァ」
「文句があるなら自分で調べろ、って言われた気がする」
「雰囲気で鳥の言葉を決めないでください」
ミナは依頼名を見つめていた。
「王のいない塔……」
ガルドも同じ言葉を低く繰り返す。
その名には、覚えがある。
クラウ山の雷門を守っていた、兜が本体のデュラハン。
黒き門番から白き騎士へ変わり、厄災影を圧倒したあの騎士が、別れ際に残した手がかり。
【原初の書庫を求む者よ】
【次は、王なき塔へ】
「一致します」
リオルは言った。
「デュラハンさんが伝えた“王なき塔”と、お告げ鳥の“王のいない塔”。同じ場所を示している可能性が高いです」
リゼが腕を組む。
「原初の魔導書への手がかりかもしれない」
「はい」
リオルが探す、原初の魔導書。
自分の付与が相手の心を操作しているという長年の不安を解消するために、彼が求めているものだ。
付与を受けた相手に表示される【リオル:+1】。
実際には、ただ付与を受けた回数を記録しているだけ。
だが、リオルはそれを好感度上昇の表示だと思い込んでいる。
原初の魔導書なら、その記録を消し、皆を自分の付与から解放できるかもしれない。
そう信じている。
「受けるのね」
リゼが言った。
問いというより、確認だった。
リオルは依頼書を見つめる。
「受けたいです。ただ、僕一人の目的だけで決める依頼ではありません」
「世界的に重要な案件ですものね」
ミナが言う。
「それに、行ってから引き返せると書かれています。状況を確認する価値はあると思います」
ガルドは頷いた。
「俺も受ける」
リゼもすぐに続ける。
「私も。ここで見送って、あとで世界が大変になりましたって聞く方が嫌だもの」
リオルは三人を見た。
「ありがとうございます」
「そこは、パーティなんだから当然でしょ」
リゼが言う。
その言葉を、リオルは以前より自然に受け取れた。
まだ怖さはある。
それでも、これは付与の結果ではない。
三人が自分の意思で選んだことだ。
リオルは依頼書の下に浮かぶ【受託】の文字へ触れた。
紙が淡く光る。
その瞬間。
通りの中央に、一本の白い線が現れた。
線は縦に伸び、左右へ分かれる。
何もなかった空間から、ゆっくりと一枚の扉が形を取った。
壁はない。
建物もない。
石畳の上に、扉だけが立っている。
白銀の枠。
黒い取っ手。
表面には、高い塔と空の王座を組み合わせた紋章が刻まれていた。
周囲の人々が大きくどよめく。
お告げ鳥はガルドの盾から飛び立った。
扉の上を一度旋回し、リオルたちを見下ろす。
「これを開ければ、現地ですね」
リオルが言う。
「でも、今すぐ入らなくてもいいみたい」
リゼは扉の脇に浮かんだ小さな文字を見つけた。
【受託者の準備完了まで接続を維持】
【内側からの帰還可能】
「親切ですね」
ミナが安堵する。
ガルドは扉の周囲を一周した。
「背面には何もない」
扉の裏側から見ても、ただの白い板にしか見えない。
「開けた側だけが通路になるのでしょうか」
リオルは取っ手に触れず、周囲の魔力だけを確認する。
「少なくとも、今のところ敵意のある反応はありません」
リゼが扉を見上げた。
「じゃあ、一度ギルドに報告して、準備ね」
「はい」
「それから、休息は?」
リオルが少し黙る。
リゼは目を細めた。
「今日は依頼を受けないって言ってたわよね」
「受けないつもりでした」
「受けたわね」
「空から来たので、例外です」
「ずるい言い方」
ミナが笑った。
「短時間でも休みましょう。お告げ鳥の依頼だからこそ、疲れた状態で入るべきではありません」
ガルドも同意した。
「二時間休む。装備を確認し、水と食料を補充する。それから行く」
ガルドが言うと、誰も反対しなかった。
不動系らしく、決めた予定は動かなかった。
◇
冒険者ギルドへお告げ鳥の依頼書を持ち込むと、受付嬢のエリナは椅子から立ち上がった。
「本物のお告げ鳥依頼ですか……」
依頼書へ近づけた鑑定札は、金色に変わった。
偽造ではない。
ギルド長も奥から呼ばれ、事情を聞くと、すぐに特別な補給品を用意するよう指示した。
「依頼内容が少なすぎるな」
ギルド長は紙を見て眉を寄せる。
「ですが、お告げ鳥の依頼にはよくあることです」
エリナが言った。
「依頼者が事情を説明できない場合や、説明そのものが調査結果を歪める場合、目的だけが記されることがあります」
「答えを先に教えると、辿り着けなくなる類か」
「可能性はあります」
リオルは依頼書を見た。
何が起きているのか。
なぜ世界的に重要なのか。
なぜ王がいないのか。
何一つ分からない。
分かるのは、調べるべき塔があることだけ。
リゼが、報酬欄を指で示した。
「天コインって、本当にどこでも使えるの?」
エリナは頷いた。
「記録上は、そうです。現在の国でも、すでに滅びた国の遺跡でも、時代を隔てた交換所でも価値を認められると言われています」
「時代を隔てたって、未来でも?」
「天コインを扱う交換機構が残っていれば」
「なんだか急に壮大ね」
天コインは、どの国家も鋳造していない。
特定の王や神の姿も刻まれていない。
それでも、時代や場所を問わず価値を持つ。
お告げ鳥の依頼を達成した者だけが手にできる、特殊な報酬。
リオルは報酬よりも依頼内容の方が気になっていた。
「もし危険だと判断したら、帰還します」
「それで構いません」
ギルド長は即答した。
「お告げ鳥の依頼だからといって、死ぬまで進めという意味ではない。帰還扉が用意されているなら、それを使うのも調査のうちだ」
「はい」
リオルたちは、治療薬、保存食、水袋、縄、簡易灯、記録紙を受け取った。
リゼは炎の指輪を小袋の中へ収める。
「今回は使わないのですか」
ミナが聞く。
「何があるか分からないから持っていく。でも、爆発音九倍を使う時は先に言う」
「必ずお願いします」
「たぶん」
「必ずです」
「はい」
ガルドは盾の留め具を締め直した。
新しい不動波を試そうとはしなかった。
尊敬する相手がいるかも分からない上に、正座できる場所とも限らない。
リオルは鞄の中を確認する。
デュラハンの残した白い欠片。
根標石と針鳴りの回廊に関する記録。
原初の書庫へ続く手がかり。
王のいない塔が、それらとどうつながるのかは分からない。
二時間後。
四人は再び、白い扉の前に集まった。
お告げ鳥は近くの屋根にとまり、静かにこちらを見ている。
「全員、準備はいいですか」
リオルが尋ねる。
「いつでも」
リゼが答える。
「問題ない」
ガルドが盾を構える。
「はい」
ミナも白い杖を握った。
リオルは扉の取っ手を引いた。
扉の向こうに、王都とは違う景色が広がる。
風のない灰色の空。
音のない広い大地。
そして、その正面。
巨大な塔が立っていた。
白い外壁。
窓は見当たらない。
雲を突き抜けるほどの途方もない高さではないように思える。
地上から見れば、頂上が見えてもおかしくない大きさのはずだった。
それなのに。
「頂上が、見えない」
ミナが呟いた。
霧に隠れているわけではない。
雲もない。
塔の上部を見上げることはできる。
だが、どこまで見たのかが分からない。
視線を上へ滑らせても、頂上を捉えたという感覚だけが成立しなかった。
「大きすぎて見えないんじゃないわね」
リゼが目を細める。
「見えそうなのに、見えない」
「認識を阻害する何かがあるのかもしれません」
リオルは慎重に答えた。
扉をくぐる前に、足元へ小石を転がす。
小石は問題なく向こう側へ行き、灰色の地面の上で止まった。
燃えない。
消えない。
跳ね返されない。
「少なくとも、入口に罠はないようです」
ガルドが先頭に立つ。
「俺から行く」
白い扉を抜ける。
続いてリオル、リゼ、ミナ。
四人が向こう側へ渡っても、扉は消えなかった。
振り返れば、その向こうに王都の通りが見える。
帰る道は残っている。
リオルはそれを確認してから、ようやく塔へ視線を戻した。
何も聞こえない。
魔物の気配もない。
塔の周囲には建物も、門も、見張りもない。
ただ、王のいない塔だけが、静かに立っている。
「まずは外周を確認します」
リオルが言う。
「塔へ入る前に、帰還扉との距離と方向を記録しましょう」
「相変わらず慎重ね」
リゼが言う。
「世界的に重要な案件だからこそです」
「うん。それでいいわ」
四人は帰還扉の位置を確認し、塔までの距離を測りながら進み始めた。
近づいても、頂上は見えない。
外壁には文字も紋章もない。
王の名を示す旗もない。
塔の正面には、黒い両開きの扉が一つだけあった。
リオルたちがその前へ立つと、扉の中央に白い文字が浮かんだ。
【王のいない塔】
それだけだった。
歓迎もない。
警告もない。
目的も書かれていない。
リゼが杖を握り直す。
「本当に、手がかりなしね」
「はい」
ガルドは大盾を前へ出した。
「入るか」
リオルは背後を確認した。
遠くに、王都へ戻る白い扉が見える。
退路はある。
「入りましょう」
四人が一歩近づくと、黒い扉は音もなく内側へ開いた。
その向こうには、白い光に満ちた広い空間があった。
何が待っているのか。
なぜ王がいないのか。
なぜ、この塔の秘密が世界的に重要なのか。
答えは、まだどこにも見えない。
《帰路の灯》は、王のいない塔へ足を踏み入れようとしていた。




