ガルド・不動波の開祖編-3 VS 開祖――動かぬ者の理不尽
一番弟子マグナを一歩動かした。
それは、ガルドにとって大きな一歩だった。
自分の【絶対不動】は、ただ守るだけではない。
仲間の動きと重なれば、受けた力を波として周囲へ返すことができる。
まだ小さい。
まだ拙い。
だが、確かに不動波の芽はあった。
だからこそ、次に立ちはだかる相手の異常さがよくわかった。
不動波の開祖。
名を、巌心。
白い髭をたくわえた小柄な老人。
見た目だけなら、縁側で茶を飲んでいるのが似合う穏やかな人物である。
だが、彼が庭の中央に座った瞬間、空気が変わった。
座った。
ただ、それだけだった。
それなのに、庭全体が「ここが中心だ」と理解したように静まり返った。
リゼが小声で言う。
「……やばいわね」
リオルも頷いた。
「はい。魔力の圧ではありません。存在の重心そのものが、あそこに固定されています」
「存在の重心って何よ」
「わかりません。でも、そう表現するしかありません」
ミナは白い杖を握り、少し緊張した顔で巌心を見ていた。
ガルドは大盾を構える。
開祖は穏やかな声で言った。
「改めて、規則を告げる」
その声は大きくない。
しかし、庭の端まで確かに届く。
「お主らは四人で挑め。仲間との共闘は許可する。いや、不動系の戦いにおいて、仲間がいることも強さのうちじゃ」
巌心は、ガルドをまっすぐ見た。
「盾役とは、一人で完成するものではない。来てくれる者、背を預ける者、声をかける者。そのすべてが、不動の意味を作る」
ガルドは無言で頷いた。
巌心は続ける。
「勝利条件は一つ。わしに一撃を届かせること。傷でなくてもよい。衝撃でもよい。わしが“届いた”と認めれば、お主らの勝ちじゃ」
リゼがスティックを握る。
「こちらの敗北条件は?」
「継続不能。あるいは、降参。あるいは、ガルドが己の不動を見失うこと」
「最後だけ急に精神的ね」
「不動とは、心も含むからの」
巌心は目を細めた。
「そして、わしの技能も説明しておく。隠して勝っても修行にはならぬ」
庭の砂が、かすかに震えた。
「わしが不動である間、物理は通らぬ」
ガルドの盾を握る手に力が入る。
「同じく、魔法も通らぬ」
リゼが眉をひそめる。
「火も?」
「火も」
「爆発は?」
「爆発も」
「音は?」
「さて、それは試してみるがよい」
リゼの目が少し輝きかけたが、リオルがすぐに言った。
「ここは道場なので、爆発音は控えめにお願いします」
「わかってるわよ」
巌心はさらに言った。
「そして、わしの不動波は、戦闘参加者すべてに届く」
ミナの表情が引き締まる。
「敵味方を問わず、ですか」
「そうじゃ。わしは一人で戦う。なぜなら、味方がいれば、その味方にも波が届くからじゃ」
庭に、重い沈黙が落ちた。
「わしが戦闘終了を認識せぬ限り、距離も関係ない。微弱ではあるが、継続してダメージが入り続ける」
リゼが乾いた笑いを漏らした。
「とんでもないわね。逃げても削られるってこと?」
「戦闘参加者である限りはな」
「それ、一人でいるしかないじゃない」
「その通り」
巌心は穏やかに頷いた。
「ゆえに、わしは一人じゃ」
その言葉は、ただの事実として語られた。
だが、リオルには少しだけ寂しく聞こえた。
仲間がいることも強さ。
そう言いながら、巌心自身は仲間を持てない。
不動波が強すぎるがゆえに。
ミナも同じことを感じたのか、白い杖を胸元へ寄せた。
巌心は微笑む。
「同情はいらぬ。これはわしの選んだ道じゃ」
ガルドが低く言った。
「では、俺たちは四人で行く」
「うむ。それがよい」
巌心は庭の中央で座したまま、両手を膝に置いた。
「始めよう」
木槌が、こつんと鳴った。
その瞬間。
痛みが来た。
◇
「っ……!」
リゼが小さく息を呑む。
ミナも眉を寄せた。
リオルは自分の胸元を押さえる。
痛みは強くない。
針で刺されたような痛みでもない。
剣で斬られたような鋭さもない。
ただ、身体の内側を小さな波が通り抜けるような感覚だった。
どん。
心臓の鼓動とは別に、鈍い波が一度。
また、どん。
全身に、微弱なダメージが入る。
「これが、不動波……」
ミナが呟く。
リゼが歯を食いしばった。
「地味に嫌な痛みね」
「微弱ですが、続くと危険です」
リオルはすぐに周囲を見た。
距離は関係ない。
障害物も関係ない。
戦闘参加者全体へ届く波。
なら、波が伝わる媒介を探す必要がある。
地面か。
空気か。
魔力か。
それとも、戦闘という認識そのものか。
ガルドは大盾を構えた。
「まず、俺が行く」
彼は前へ出ようとした。
いや、正確には、重心を前へ乗せようとした。
だが、その瞬間、巌心の足元から静かな波が広がった。
どん。
ガルドの身体が、わずかに止まる。
痛みは軽い。
しかし、踏み込みの芯を乱すには十分だった。
「ぬ……」
ガルドは盾を地面に突き立て、【絶対不動】を発動する。
いつもなら、これで体勢は安定する。
だが、巌心の不動波は止まらない。
どん。
また、波が来る。
ガルドの身体は動かない。
それでも、内側にダメージが入る。
「防御で止まらないのか」
ガルドが低く言う。
巌心は座したまま答えた。
「盾で止める波ではない。戦いに参加したという事実へ届く波じゃ」
「事実に届く……」
リオルは思わず繰り返した。
リゼがスティックを構える。
「だったら、短期決戦ね!」
彼女は火球を作る。
無詠唱。
火球は一瞬で形になり、巌心へ向かって飛んだ。
巌心は動かない。
火球は、そのまま老人へ直撃するはずだった。
だが、届く直前で消えた。
燃え尽きたのではない。
弾かれたのでもない。
最初からそこに火球などなかったかのように、すっと消えた。
「魔法無効……本当にそのままなのね」
リゼが顔をしかめる。
巌心は穏やかに言う。
「不動とは、こちらへ来るものを必要とせぬ状態じゃ」
「すごく腹立つ説明ね!」
リゼは続けて火花を散らした。
攻撃ではなく、視界を乱す光。
だが、それも巌心の周囲へ近づくと消える。
光だけが消えたわけではない。
リゼの魔法としての意味が、巌心の不動に触れた瞬間に無効化されたのだ。
ガルドが盾を構え、正面から近づく。
物理が通らないなら、押すだけでも試す。
彼の足元を、リオルが支える。
「極所付与!」
リオルはガルドではなく、ガルドの足元の地面へ手を向けた。
「対象、ガルドさんが踏み込む土の表面。性質指定――不動の者を送り出す足場としての覚悟。二十四時間、増大!」
土が淡く光る。
ガルドはその足場を使い、一歩踏み込んだ。
不動のまま、前へ進む。
矛盾のようだが、今のガルドにはそれができる。
立つ場所を変え、そこで不動になる。
だが、巌心の周囲に入った瞬間、ガルドの盾が止まった。
目に見えない壁ではない。
抵抗すらない。
ただ、盾の接近が“成立しない”。
「物理無効……」
リオルは息を呑んだ。
ガルドの盾は確かに進んでいる。
だが、巌心に届くという結果だけが消されている。
ガルドは盾を押し込もうとする。
腕に力を込める。
しかし、巌心の衣の端すら揺れない。
巌心は静かに言った。
「力はある。踏み込みも悪くない。だが、まだ“わしへ届く力”ではない」
どん。
不動波が来る。
ガルドがわずかに膝を曲げた。
リオル、リゼ、ミナにも、同じように波が入る。
ミナがすぐに白い杖を地面へ打った。
「えいっ」
ぽこん。
小さな打撃。
それが回復へ変わり、三人へ広がる。
だが、ミナはすぐに表情を変えた。
「回復量が薄いです……!」
「不動波に削られている?」
リオルが聞く。
「はい。回復は入ります。でも、波が次々に来るので追いつきません」
巌心が頷く。
「治癒もよい。だが、この波は止めねば終わらぬ。癒やすだけでは、いずれ疲れる」
その言葉は厳しいが、正しい。
ミナの回復は強力だ。
しかし、不動波は距離に関係なく継続する。
このままでは、こちらが先に消耗する。
◇
リオルは、巌心の不動波を読むために、庭全体へ意識を広げた。
波は地面を伝っているように見える。
だが、地面だけではない。
空気にも揺れがある。
魔力にも揺れがある。
そして、こちらが「戦っている」と認識している限り、胸の奥に直接届いてくる感覚がある。
これは、普通の衝撃波ではない。
戦闘参加者を指定する概念に近い波。
リオルは背筋が冷えるのを感じた。
「対象が、僕たち自身ではなく……戦闘参加という状態にかかっている?」
リゼが顔をしかめる。
「何それ。戦ってるという事実を殴られてるってこと?」
「近いかもしれません」
「嫌すぎるわね」
ガルドが一度、巌心の前から下がった。
彼の額には汗が浮かんでいる。
大きな傷はない。
だが、波が積み重なっている。
「リオル。波そのものを止められるか」
「試します」
リオルは庭の地面へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が、巌心から広がる波の一部に触れる。
「対象、巌心さんから広がる不動波が地面へ触れる縁。性質指定――遠くまで行く前に、足元で少し考え直す慎重さ。二十四時間、増大!」
波が一瞬だけ鈍る。
庭の砂が淡く光った。
リオルは手応えを感じた。
だが、次の波でそれは砕かれた。
どん。
付与した“慎重さ”ごと、不動波が押し流す。
リオルの胸にまた微弱な痛みが入った。
「止まりません」
リオルは息を吐く。
「不動波の地面成分だけなら少し鈍らせられます。でも、他の経路から届きます」
巌心は満足そうに頷いた。
「よく見た。地面、空気、魔力、意識。どれも波の道じゃ。一つ塞いでも足りぬ」
「全部塞ぐのは……」
ミナが言いかける。
リオルは首を振った。
「たぶん、無理です。少なくとも今の僕には」
リゼがスティックを握り直す。
「なら、発生源を止めるしかない」
「はい」
リオルは巌心を見る。
発生源は、巌心本人。
だが、巌心には物理も魔法も通らない。
付与術も、本人にはかけたくない。
いや、たとえかけようとしても通るかわからない。
不動である間、あらゆる干渉が無効化される。
巌心は静かに座っているだけ。
それだけで、こちらは削られ続ける。
リゼが次に試したのは、音だった。
爆発音ではない。
短く鋭い破裂音。
炎の鏡での経験がある。
音は、光や熱とは別の経路を持つ。
「リオル、耳」
「はい」
リオルは全員の周囲の空気へ、小さな付与をかけた。
「対象、僕たちの耳元の空気。性質指定――大きい音を角の取れた音として受け止める柔らかさ。二十四時間、増大」
リゼが巌心へ向けて空気弾を放つ。
ぱんっ!
音が庭を走る。
巌心の髭が、わずかに揺れた。
リゼの目が光る。
「揺れた!」
しかし巌心は笑った。
「よい音じゃ」
それだけだった。
ダメージはない。
不動波も止まらない。
「音は届くが、攻撃としては通らない……」
リオルが呟く。
リゼが悔しそうに唇を噛む。
「炎の鏡にはあれだけ効いたのに」
「相手が違います」
ガルドが言った。
「開祖は音を拒んでいない。ただ、動かない」
巌心は頷く。
「その通り。音は聞こえる。声も届く。だが、わしを動かすものではない」
「腹立つくらい格好いいこと言うわね」
リゼは小さくぼやいた。
◇
時間が経つほど、不動波の厄介さが増していった。
一撃一撃は弱い。
だが、止まらない。
どん。
身体の内側に響く。
どん。
集中が削られる。
どん。
呼吸が浅くなる。
ミナが回復を回すが、消耗の方が少しずつ上回る。
ガルドが盾を構え続ける。
リゼが光や音で揺さぶる。
リオルが地面、空気、波の縁に付与する。
それでも、巌心には届かない。
物理無効。
魔法無効。
不動波による全体継続ダメージ。
理不尽だ。
だが、巌心はズルをしているわけではない。
ただ、極めている。
動かないという一点を。
リオルは次に、巌心の周囲の空気ではなく、巌心と庭の境目を見た。
不動とは、そこに在ること。
なら、在る場所との関係を変えられないか。
「極所付与」
リオルは巌心の座る座布団の周囲の影へ手を向けた。
「対象、巌心さんの座る場所と庭の境目に落ちる影。性質指定――ここから先が戦場であることを少しだけ曖昧にする境界線。二十四時間、増大!」
リゼが驚く。
「戦場の境界に付与したの?」
「不動波が戦闘参加者へ届くなら、戦場の境界を曖昧にすれば、波の指定が揺らぐかもしれません!」
影が淡く揺れた。
次の不動波。
どん。
痛みが来る。
だが、ほんの少しだけ弱い。
ミナが気づく。
「今、少し軽くなりました!」
「効いてます!」
リオルの声に希望が混ざる。
しかし、巌心が目を細めた。
「よい着眼じゃ」
彼は膝の上に置いた手を、ほんのわずかに開いた。
「だが、わしは戦場に座っておるのではない」
次の瞬間。
不動波の感覚が変わった。
巌心を中心に庭が戦場なのではなく、巌心が認識した相手こそが戦場である。
境界が、庭からリオルたちの内側へ移った。
どん。
痛みが強く戻る。
リオルの付与した影の境界は、意味を失った。
「対応された……!」
リオルは歯を食いしばる。
リゼが叫ぶ。
「このお爺ちゃん、強すぎない!?」
巌心は楽しそうに笑った。
「強すぎると言われるほど長く座ってきたからの」
「座りすぎよ!」
「よく言われる」
こんな状況でも、会話は少し穏やかだった。
だからこそ余計に理不尽だった。
◇
ガルドは、ここまでほとんど攻めていなかった。
攻められなかった、と言うべきかもしれない。
盾で押しても届かない。
踏み込んでも止められる。
受けた力を波に変えようとしても、巌心の不動波に飲み込まれる。
自分の波は、あまりにも小さい。
一番弟子マグナには届いた。
しかし、開祖には届かない。
ガルドの胸に、また焦りが生まれかけた。
やはり足りない。
まだ届かない。
自分は、ただ守るだけなのか。
その時、リオルが叫んだ。
「ガルドさん、下がらないでください!」
ガルドは顔を上げた。
リオルは、波に削られながらも言った。
「ガルドさんがそこに立っているから、僕たちは試せています!」
リゼも続ける。
「そうよ! ガルドが中心にいるから、まだ崩れてない!」
ミナが白い杖を握りしめる。
「私たちは大丈夫です。だから、そこにいてください」
ガルドは、三人の声を聞いた。
そこにいてください。
それは、盾役にとって最も重い言葉であり、最も必要な言葉だった。
動けないのではない。
動かないことを、仲間が求めている。
ならば。
ガルドは大盾を地面に突き立てた。
「わかった」
彼は短く答える。
「俺は、ここにいる」
その瞬間、ガルドの【絶対不動】が深く沈んだ。
足元へ。
盾へ。
呼吸へ。
彼は攻めようとするのを一度やめた。
ただ、受ける。
不動波も、焦りも、仲間の声も。
全部受ける。
そして、その全てを地面へ落とす。
どん。
巌心の不動波が来る。
ガルドは受けた。
盾ではなく、身体で。
身体ではなく、不動で。
足元の砂が、ほんの少しだけ円を描いて揺れた。
リオルはそれを見た。
「今……」
ガルド自身の波。
まだ小さい。
だが、巌心の波に消されず、一瞬だけ存在した。
巌心の目も、それを捉えていた。
「ほう」
老人は初めて、少しだけ嬉しそうに声を漏らした。
「ようやく、不動を攻めに使おうとするのをやめたか」
ガルドは答えない。
ただ、立っている。
巌心は言った。
「不動波とは、攻撃の技ではない」
リゼが驚く。
「え? でも周囲にダメージ与えてるじゃない」
「それは結果じゃ」
巌心は静かに答えた。
「不動波とは、受けたものを、己の不動を通して世界へ返す技。傷つけようとする者には痛みとなり、支えようとする者には足場となる」
リオルは息を呑んだ。
傷つけるだけではない。
世界へ返す技。
ガルドの目が、わずかに動いた。
そこに、何かの糸口があった。
だが、まだ届かない。
巌心は再び目を閉じた。
「では、ここからが本番じゃ」
不動波の周期が変わった。
どん。
さっきより、少し強い。
どん。
痛みが、内側へ深く入る。
ミナが慌てて回復を回す。
「強くなっています!」
リゼが歯を食いしばる。
「まだ上がるの!?」
巌心は穏やかに言った。
「開祖を名乗る以上、弟子に見せねばならぬものがあるからの」
ガルドは盾を握った。
小さな波の感覚は、まだ足元に残っている。
しかし、巌心の波はさらに強くなった。
今のままでは、また飲み込まれる。
リオルは考える。
不動波は、攻撃ではなく、世界へ返す技。
傷つけようとする者には痛み。
支えようとする者には足場。
なら、こちらが巌心へ届けるべきものは、攻撃ではないのかもしれない。
だが、勝利条件は一撃を届かせること。
届かせる。
何を?
物理では届かない。
魔法でも届かない。
音も、境界も、波の遮断も決定打にはならない。
なら、ガルドの不動を通した“何か”を届けるしかない。
しかし、その方法はまだ見えない。
巌心の不動波が、さらに一度、庭を揺らした。
どん。
リオルたちの体力が、確実に削られていく。
戦いはまだ続く。
開祖は座したまま、あまりにも遠かった。




