ガルド・不動波の開祖編-1 動かぬ盾役の焦り
ガルドは、焦っていた。
もちろん、焦りが良くないことは知っている。
盾役が焦れば、守るべき場所を間違える。
前に出るべき時に出遅れ、下がるべき時に踏みとどまり、仲間の動きを塞ぐ。
焦りは判断を鈍らせる。
それは戦場で何度も見てきた事実だった。
だから、ガルドは焦っていない顔をしていた。
いつも通り、無口で、落ち着いていて、大盾を背負い、必要な時だけ短く言葉を発する。
リゼはきっと気づかない。
ミナも気づいていないかもしれない。
リオルは、たぶん何かを察している。
いや、リオルは床や空気の変化には敏感だが、人の焦りにも同じくらい敏感なのかどうかは、まだ判断が難しい。
だが、ガルド自身にはわかっていた。
最近の戦いで、自分にできることが限られている、と。
霧鳴りの迷宮では、空気の壁と床の付与に支えられた。
針鳴りの回廊では、盾を支点にして進んだ。
雷門では、デュラハンの槍や雷猪の突進を受けた。
炎の洞窟では、盾を正面に構えれば鏡に燃やされるため、ほとんど前へ出られなかった。
ガルドのユニークスキルは【絶対不動】。
足を止めている間、防御力が跳ね上がる。
強力なスキルだ。
それは疑いない。
だが、足を止めなければ力を発揮できない。
動きながら守る。
遠くの相手へ干渉する。
仲間の攻撃に合わせて前線を押し上げる。
そういう場面で、ガルドはどうしても一歩遅れる。
もちろん、仲間たちは何も言わない。
リゼは「ガルドがいるから無茶できる」と笑う。
ミナは「前に立ってくれるだけで安心します」と言う。
リオルはいつも、ガルドの足元や盾の前の空気に付与して、彼が持つ力を最大限に活かそうとしてくれる。
それはありがたい。
とてもありがたい。
だが、だからこそ思う。
このままではいけない。
もっと戦略に幅を出せるようにならなければ。
守るだけでなく、守ることで戦況を動かせる盾役にならなければ。
そう考えたガルドは、王都の冒険者ギルドに併設された資料室で、一冊の古い武術書を開いていた。
題名は――。
【不動系技能概論・波動篇】
横から覗き込んだリゼが、怪訝な顔をした。
「何それ。すごく硬そうな本」
「硬い本だ」
「感想まで硬いわね」
ガルドは本から目を離さずに答えた。
「不動系スキルについて調べている」
「ガルドの【絶対不動】みたいな?」
「ああ」
リオルも興味深そうに近づいてきた。
「不動系スキルには、他にも種類があるんですか」
「ある。珍しいがな」
ガルドは本の一節を指で示した。
「たとえば【重心不動】。姿勢が崩れにくくなる。商人や荷運びにも出ることがあるらしい」
「戦闘以外にもあるんですね」
「ああ。【座標不動】は、一度決めた場所から動かされにくい。護衛向きだ。【反響不動】は、攻撃を受けた衝撃を周囲へ返す。ただし自分も痛い」
リゼが眉をひそめる。
「嫌なスキルね」
「それでも使い手はいる」
ガルドはページをめくった。
「その中でも特異なのが、これだ」
そこには、太い文字でこう書かれていた。
【不動波】
ミナもやってきて、そっと本を覗き込む。
「不動波……」
「不動系スキルでありながら、動かずして周囲にダメージを与えることができる技能だ」
リゼが目を丸くする。
「不動なのに攻撃できるの?」
「ああ。自分は動かない。だが、立つ場所を中心に、波のように力を広げる。距離は短いが、盾役が攻撃手段を持つには十分だ」
リオルは真剣に言った。
「ガルドさんの【絶対不動】と相性が良さそうですね」
「俺もそう思った」
ガルドは本を閉じる。
「同じ不動波が開眼するとは限らない。むしろ、しない可能性の方が高い。だが、不動系としての新しい可能性を探る価値はある」
リゼは少し意外そうにガルドを見た。
「ガルドが自分から強くなりたいって言うの、珍しいわね」
「珍しいか」
「うん。いつも、黙って前に立つ人って感じだし」
ガルドは少しだけ黙った。
「前に立つだけでは足りない場面が増えた」
その声は、いつも通り低く落ち着いている。
だが、リオルには、そこにほんの少しの重さがあるように聞こえた。
「そんなことはありません」
リオルはすぐに言った。
「ガルドさんが前に立ってくれるから、僕たちは――」
「わかっている」
ガルドは静かに遮った。
「お前たちが俺を軽んじていないことは、わかっている。だからこそだ」
リオルは口を閉じた。
ガルドは続ける。
「信頼されているなら、それに応えたい。今のままでも役割はある。だが、もう一段、できることを増やしたい」
ミナは静かに頷いた。
「それは、とても自然なことだと思います」
リゼも腕を組み、少しだけ笑った。
「いいじゃない。ガルドの強化イベントね」
「強化イベント?」
「気にしないで。言ってみたかっただけ」
ガルドは本を鞄にしまった。
「不動波の開祖がいるという道場がある。王都から北東に二日ほどの山寺だ」
「開祖って、まだ生きてるの?」
リゼが聞く。
「ああ。長命種ではなく人間らしいが、かなり高齢だそうだ」
「そんな人が今も現役なの?」
「不動系だからな」
「理由になってる?」
ガルドは真面目に答えた。
「動かないほど消耗が少ない」
「なってるような、なってないような……」
リオルは少し考え、尋ねた。
「ガルドさんは、一人で行くつもりだったんですか」
ガルドは一瞬だけ視線を逸らした。
それだけで答えはわかった。
「本来なら、一人で行くべきだと思っていた」
「どうしてですか」
「俺の問題だからだ」
それは、ガルドらしい答えだった。
硬い。
真面目。
そして、少しだけ不器用。
ミナが穏やかに言う。
「でも、ガルドさんが不在になると、私たちも困ります」
「そうだ」
ガルドは頷いた。
「それに、不動系の道場には妙な習慣がある」
「妙な習慣?」
リゼが食いついた。
「不動系は、本人が動けないことが多い。だから、移動や戦闘は基本的にパーティ行動を美とするらしい。本人が強くても、仲間が来ない者は相手にされないことがある」
リゼは数秒黙り、それから笑った。
「不動系らしいわね。自分が動けないから、周りと一緒に動く文化になってるんだ」
「むしろ、本人が動かないのが前提だからこそ、周囲との連携を重視する」
ガルドは真剣だった。
「だから、道場へ行くならお前たちと一緒の方がいい」
少し間を置いて、彼は付け加えた。
「パーティの戦力アップも、立派な仕事であれば幸いだ」
リゼが吹き出した。
「言い方が硬い!」
「そうか」
「幸いだ、って。休暇申請の文面みたい」
ミナも口元を押さえて笑っている。
リオルは真面目に言った。
「立派な仕事です。ガルドさんの新しい可能性を探すことは、パーティ全体にとって大切です」
ガルドは頷いた。
「助かる」
リゼがスティックを肩に担ぐ。
「じゃあ、行きましょ。不動系の道場。なんか面白そうだし」
「修行です」
ガルドが訂正する。
「面白い修行かもしれないじゃない」
「否定はしない」
こうして、《帰路の灯》は新たな目的地へ向かうことになった。
不動波の開祖がいるという道場。
そこには、動かない者たちの、動かないなりの世界が待っていた。
◇
道場は、北東の山寺にあった。
名を、《不動庵》。
山道を登り、苔むした石段を進むと、古びた門が見えてくる。
門には大きな木札が掲げられていた。
【動かぬ者、ここに在り】
【来る者、歓迎】
【去る者、また歓迎】
【迎えには行けぬ】
リゼはそれを読んで、肩を震わせた。
「迎えには行けぬ」
「不動系だからでしょう」
リオルが真面目に言った。
「わかるけど、看板に書く?」
ガルドは門の前で一礼した。
「礼を失するな」
「はいはい」
門をくぐると、広い庭があった。
そこには、いろいろな不動系の修行者がいた。
いや、いたというより、配置されていた。
庭の中央には、大岩の上に座り続ける大男。
池のほとりには、片足立ちのまま微動だにしない女性。
縁側には、湯呑みを持ったまま一時間くらい動いていなさそうな老人。
木陰には、矢が飛んできてもまばたきしない少年。
リゼが小声で言った。
「思ったより本当に動かない」
ミナも少し困ったように笑う。
「静かですね」
だが、静かなだけではなかった。
庭の端で、若い修行者が木剣で大岩に打ち込んでいる。
普通なら岩は動かない。
しかし、その大岩に座る大男は、打ち込まれた衝撃を受けるたび、周囲の砂を円状に震わせていた。
リオルは目を見開く。
「衝撃が広がっています」
ガルドが頷く。
「あれが不動波に近い技かもしれない」
リゼは池の女性を見た。
女性の周囲では、水面に落ちた葉が、不自然に彼女を避けて流れていく。
「何あれ」
近くにいた小柄な修行者が説明してくれた。
「あれは【水面不動】です。水の揺れに合わせて自分は動かず、周囲の流れだけを変えます」
「不動なのに周囲を動かすんだ」
「不動系は、本人が動かないぶん、周囲が動くのです」
「なるほど……?」
別の場所では、丸い座布団の上に座った老人が、庭を滑るように移動していた。
ただし、本人は一切動いていない。
弟子たちが座布団ごと押している。
リゼがそれを見て吹き出した。
「動いてるじゃない!」
小柄な修行者は真面目に答える。
「師範代は動いていません。座布団が動いています」
「その理屈、リオルと相性よさそうね」
リオルは少し考えた。
「確かに、対象の定義として興味深いです」
「本気で考えないで」
さらに奥には、二人組で修行する者たちがいた。
一人が動かず立ち、もう一人が周囲を走り回る。
動かない者が目を閉じたまま、走る仲間の位置を正確に指示している。
ミナが感心したように言った。
「連携の訓練ですね」
ガルドも静かに見ていた。
「不動系は、一人では完結しない」
「ガルドさんも、そう思っているんですか」
リオルが尋ねると、ガルドは少しだけ黙った。
「以前は、盾役は一人で立つものだと思っていた」
「今は?」
「一人で立つ場所を、仲間が意味のある場所にしてくれる」
短い言葉だった。
だが、そこにはこれまでの旅の重みがあった。
リオルは小さく頷いた。
◇
庭の奥の縁側に、ひときわ大きな座布団があった。
そこに、一人の老人が座っていた。
白い髭。
しわだらけの顔。
小さな体。
見た目だけなら、普通の穏やかな老人である。
だが、周囲の空気が違った。
彼の周囲だけ、音が少し重い。
風が近づくと、風の方が遠慮するように流れを変える。
ガルドは一目でわかった。
この老人が、不動波の開祖だ。
老人は目を閉じたまま言った。
「よう来た」
声は静かだったが、庭の隅々まで届いた。
リゼが小声で言う。
「声は動いてるのね」
「声は届くものじゃ」
老人が目を閉じたまま返した。
リゼがびくっとした。
「聞こえてる!」
「不動とは、耳を閉じることではない」
老人はゆっくり目を開けた。
その視線は、まずガルドへ向いた。
「絶対不動の者よ。何を求めて来た」
ガルドは一歩前へ出て、深く頭を下げた。
「自分の不動に、次の形を見つけたい」
「なぜ」
「今のままでは、守れる範囲が狭い」
老人はしばらく黙っていた。
庭の空気も、静かになる。
「盾役として不足か」
「不足ではない。だが、足したい」
「よい答えじゃ」
老人は少し笑った。
「不足を埋める者は焦る。足す者は積む。焦りはまだあるが、積む気もある」
ガルドはわずかに目を伏せた。
見抜かれたのだろう。
焦りを。
リオルは思わずガルドを見た。
ガルドはいつもと変わらない顔をしている。
だが、拳が少しだけ握られていた。
老人は次に、リオルたちを見た。
「仲間も来たか」
リゼが胸を張る。
「不動系はパーティで来ないと相手にされないって聞いたので」
「その通り」
老人は頷いた。
「不動とは、周囲に来てもらう技じゃ。ならば、来てくれる者がおるかを見る。仲間がおらぬ不動は、ただの置物になりかねぬ」
リオルは少し感心した。
「深いですね」
「置物も悪くはないがの」
「そこは否定しないんですね」
老人は楽しそうに笑った。
「さて、絶対不動の者よ。不動波を学びたいか」
「はい」
「ならば、まず見るがよい」
老人が手を軽く上げる。
すると、庭の反対側から二人の若者が歩いてきた。
一人は、背の高い青年。
黒い稽古着を着ており、腰には金属の輪がいくつも下がっている。
彼は歩いているのに、どこか地面に固定されているような奇妙な安定感があった。
もう一人は、弓を背負った少女。
緑の髪を短く切り、軽装の革鎧を着ている。
背中の弓は小ぶりだが、矢筒には羽根の形が少しずつ違う矢が並んでいた。
老人が言った。
「我が一番弟子、マグナ」
青年が礼をする。
「磁石の不動、マグナだ」
リゼが小声で言う。
「磁石?」
老人は続けた。
「そして、その相棒、追尾弓のセナ」
少女が軽く手を上げる。
「よろしく。逃げても当てるよ」
「怖い挨拶ですね」
ミナが少し困った顔をした。
マグナはガルドを見た。
「絶対不動か。いいな。堅そうだ」
ガルドは答える。
「磁石の不動とは」
「動かない俺を中心に、引き寄せる力と弾く力を調整する。不動系の中では、わりと忙しい方だ」
「忙しい不動」
リゼがまた小声で笑う。
セナは弓を軽く叩いた。
「私は追尾弓。放った矢が、狙った気配を追う。魔法も落とせるよ」
「魔法も?」
リゼの眉がぴくりと動いた。
「うん。火球でも風刃でも、矢が追いつけば落とす」
「へえ」
リゼの目が少し楽しそうになる。
老人はガルドたちへ視線を戻した。
「開祖と戦う前に、一番弟子と相手をしてもらう」
ガルドは静かに頷いた。
「俺一人でか」
「否」
老人は首を振った。
「不動系は、仲間と共にあるもの。お主の不動がこのパーティの中でどう働くか、それを見る。ゆえに、パーティで挑め」
リオルは少し驚いた。
「僕たちも参加していいんですか」
「もちろんじゃ」
老人は当たり前のように言った。
「むしろ一人で挑むなら帰れと言うところじゃった」
リゼが笑う。
「徹底してるわね」
「不動は、自分で行かぬ。ならば、来てくれる者を大事にせねばならぬ」
ガルドはその言葉を静かに受け取った。
自分で行かない。
だから、来てくれる仲間を大事にする。
それは彼の中で、何かに触れた。
老人は木槌を一度、床に置いた。
こつん。
それだけで、庭の空気が変わる。
「勝敗は簡単。マグナを一歩動かすか、セナの弓を止めるか。あるいは、こちらが参ったと言えばお主らの勝ち」
マグナが笑う。
「俺を動かすのは大変だぞ」
セナも弓を構えた。
「私の矢を止めるのもね」
リゼがスティックを握る。
「面白そうじゃない」
ミナは少し緊張しながらも頷いた。
「怪我をしないよう、気をつけます」
リオルはガルドを見た。
「ガルドさん」
「何だ」
「僕たちは、ガルドさんを中心に動きます」
ガルドは少しだけ目を細めた。
「……助かる」
リゼがにやりとする。
「じゃあ、動かない人たちの忙しい戦い、始めましょうか」
庭の中央で、ガルドが大盾を下ろした。
マグナは動かず立つ。
セナは弓に矢をつがえる。
リオルは足元の土と空気の流れを読み、ミナは後方で白い杖を握り、リゼはスティックの先に小さな火花を灯した。
不動波の開祖の道場。
その最初の試練が、始まろうとしていた。




