炎の指輪編-1 炎の洞窟に突入せよ
リゼは天才マジシャンである。
それは本人も認めているし、周囲もだいたい認めている。
魔力の制御は鋭い。
魔法の組み立ては速い。
戦況判断も悪くない。
そして何より、彼女にはユニークスキルがある。
【詠唱省略・ただし爆発音三倍】
通常なら長い詠唱を必要とする魔法を、リゼはほぼ無詠唱で放つことができる。
戦闘において、これは圧倒的な強みだった。
魔物が間合いに入る前に火球を撃てる。
相手の攻撃を見てから、即座に防御魔法を差し込める。
罠が動いた瞬間に、火花で照らせる。
速い。
とにかく速い。
《帰路の灯》がこれまで何度も窮地を切り抜けてきたのは、リゼの無詠唱による即応力があってこそだった。
しかし、当の本人がそのユニークスキルで最も気に入っている部分は、そこではない。
「爆発音三倍って、やっぱり最高よね」
王都冒険者ギルドの食堂で、リゼは胸を張って言った。
リオルは水を飲みかけて、そっとコップを置いた。
「そこなんですか」
「そこよ」
リゼは真剣だった。
「無詠唱は便利。強い。実用的。まあ天才っぽい。そこは認めるわ」
「自分で言うんですね」
「事実だもの。でもね、無詠唱って意外と地味なのよ」
「地味でしょうか。高速処理魔法としては、かなり高度で格好いいと思います」
リオルが真面目に言うと、リゼは一瞬だけ動きを止めた。
「……そういう真正面の褒め方、たまにやりづらいのよね」
「すみません」
「謝らなくていいの」
リゼは咳払いをした。
「とにかく、私が言いたいのは、魔法には華が必要ってこと。火球を撃つなら、どおんって鳴ってほしい。爆炎なら、ちゃんと爆炎らしくあってほしい」
ガルドは肉入りスープを食べながら、低い声で言った。
「戦場では音が大きいほど敵を呼ぶ」
「現実的なこと言わないで」
「大事だ」
「知ってるわよ。最近はかなり抑えてるでしょ」
実際、リゼは変わっていた。
針鳴りの回廊では、火を照らすために使った。
雷門では、封印線を浮かび上がらせるために使った。
ゴブリン村では、罠の動線を示すために使った。
爆発だけではない火の使い方を、彼女は確実に覚えている。
ただし、それはそれとして爆発音は好きだった。
ミナが微笑みながら言う。
「リゼさんらしいですね」
「でしょ?」
「でも、耳を守る準備は必要かもしれません」
「ミナまで現実的!」
リゼが嘆くと、ギルドの情報掲示板の前で誰かが声を上げた。
「おい、炎の指輪の噂、聞いたか?」
その言葉に、リゼの耳がぴくりと反応した。
リオルは少し嫌な予感がした。
リゼは席を立つ。
「炎の指輪?」
彼女の声が、明らかに弾んでいる。
情報を話していた冒険者が振り向いた。
「ああ。西の火喰い山にある《炎の洞窟》の奥で見つかるっていうレアアイテムだ。身につけると、火属性魔法の爆発音が三倍になるらしい」
リゼの目が輝いた。
「三倍?」
「らしいぜ。威力じゃなくて音だけって話だけどな」
「音だけ」
リゼはゆっくりと両手を組んだ。
「素晴らしいわ」
リオルはすぐに言った。
「実用性は低そうです」
「そこじゃないのよ、リオル」
「でも、リゼさんはすでに爆発音三倍ですよね」
「そう」
リゼは満面の笑みで振り返った。
「つまり、炎の指輪をつければ、三倍に三倍で――」
「九倍ですね」
ミナが計算した。
リゼは拳を握った。
「爆発音九倍!」
食堂の空気が少し止まった。
ガルドが静かに器を置く。
「却下だ」
「まだ何も言ってない!」
「顔が言っていた」
「欲しい!」
「言ったな」
リゼはテーブルに両手をついた。
「爆発音九倍よ? 夢じゃない!」
「悪夢かもしれません」
リオルは真面目に言った。
「周辺の魔物を呼びますし、洞窟内では反響でこちらの耳にも危険です。場合によっては落石も起きます」
「わかってるわよ」
「味方の集中も乱れます」
「わかってる」
「ミナさんの治癒中に爆発音九倍が鳴ったら――」
「わかってるってば!」
リゼは頬を膨らませた。
「実戦で常用するとは言ってないでしょ。でも欲しいの。こういうのは、持ってるだけで魔法使いとしての心が潤うのよ」
「心が潤う……」
リオルは首をかしげた。
リゼが珍しく、少しだけ照れたように視線を逸らす。
「私のユニークスキルって、便利だけど、変でしょ」
「変ではありません」
「爆発音三倍よ?」
「特徴的ではあります」
「それを世間では変って言うのよ」
リゼは自分のスティックを指先で回した。
「小さい頃は、無詠唱よりも爆発音の方ばかり笑われたの。うるさい、迷惑、びっくりするって。でも私は、それが嫌いじゃなかった。むしろ、私の魔法って感じがした」
リオルは黙った。
リゼは続ける。
「だから、爆発音三倍をもっと爆発音三倍にする指輪があるなら、見てみたいのよ。使うかどうかは別として」
少しだけ、食堂の空気が変わった。
リゼの派手好きはいつものことだ。
だが、その奥にある感情を聞く機会は多くない。
ミナは柔らかく微笑んだ。
「それなら、探しに行く価値はありますね」
ガルドは腕を組んだまま、少し考えて言った。
「使いどころは制限する。それが条件だ」
「いいの?」
リゼがぱっと顔を上げる。
「欲しい理由はわかった。なら、行ってもいい」
リゼはすぐにリオルを見た。
「リオルは?」
リオルは少し困った顔をした。
「炎の洞窟は危険です。まず情報を集めてからです」
「つまり、反対ではない?」
「実用性には疑問があります」
「それはもう聞いた」
「でも、リゼさんにとって大切なものなら、調査する価値はあると思います」
リゼは一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ笑った。
「ありがと」
リオルは頷く。
「ただし、爆発音九倍は洞窟内で試さないでください」
「……ちょっとだけなら」
「だめです」
「外なら?」
「周囲確認後です」
「やった」
「まだ許可していません」
こうして、《帰路の灯》の次の目的地は決まった。
火喰い山の炎の洞窟。
そこに眠るという、レアアイテム――炎の指輪。
身につければ爆発音三倍。
リゼなら合計九倍。
実用的かどうかは、誰も深く考えないことにした。
◇
炎の洞窟は、王都から西へ二日ほど進んだ先、火喰い山の中腹にあった。
火喰い山は、常に薄い煙を上げる火山地帯である。
活火山というほど激しくはないが、地面のあちこちから熱気が漏れ、岩肌は赤茶けている。
温泉も湧くらしいが、場所を間違えると湯ではなく熱湯に落ちるので、観光地としてはあまり人気がない。
山道を進むうち、空気が少しずつ乾いていった。
ミナが額の汗を拭う。
「熱いですね」
ガルドは鎧の留め具を少し緩めた。
「長時間の行動は消耗が大きい」
リゼは逆に楽しそうだった。
「この熱気、いいじゃない。火属性の魔力が濃いわ」
「リゼさんは平気なんですか」
リオルが尋ねる。
「火の魔力には慣れてるからね。ただ、喉は乾く」
リオルはすぐに水袋を確認した。
「水は多めに持ってきました。炎の洞窟内では、脱水と熱疲労に注意しましょう」
リゼがにやにやする。
「冒険前のリオル、毎回すごく真面目よね」
「冒険中も真面目です」
「知ってる。だから助かってる」
さらっと言われて、リオルは少しだけ言葉に詰まった。
以前なら、こういう言葉を受け取るのが苦手だった。
今も得意ではない。
けれど、少しは慣れてきた。
少なくとも、リゼには付与していない。
なら、この言葉はリゼ自身のものだ。
「……ありがとうございます」
リオルが言うと、リゼは少しだけ満足げに前を向いた。
山道の途中、溶岩石の崖に巨大な裂け目が見えた。
そこから、赤い光が漏れている。
炎の洞窟の入口だった。
入口の周囲には、古い石碑が三つ立っている。
文字は熱で削れて読みにくいが、リオルはしゃがみ込んで確認した。
「古代文字ですね」
「また?」
リゼが顔を近づける。
「原初の書庫関連?」
「直接ではなさそうですが、古い魔導師の管理地だった可能性はあります」
リオルは文字をなぞる。
「“炎は照らす。炎は焼く。炎は奪う。炎を見る者、己の熱を忘れるな”」
ミナが少し不安そうに言う。
「炎が奪う……?」
ガルドも眉をひそめた。
「妙な文だな」
「火は熱を与えるだけではなく、奪う場合もあります」
リオルは言った。
「燃焼には周囲の酸素や熱の流れが関わります。ですが、この石碑の言い方は、もっと魔術的です」
リゼは入口の赤い光を見つめた。
「炎の洞窟なのに、炎が奪う、ね。まあ、入ってみればわかるでしょ」
「油断は禁物です」
「してないわよ」
リゼはスティックを握る。
「ただ、炎相手なら私の出番でしょ」
リオルは頷いた。
「はい。頼りにしています」
リゼはまた少しだけ動きを止めた。
「……そういうの、さらっと言うようになったわね」
「事実なので」
「ほんと、ずるいわ」
ミナが微笑み、ガルドは何も言わず盾を構えた。
四人は炎の洞窟へ足を踏み入れた。
◇
洞窟の内部は、外よりさらに熱かった。
壁の亀裂から赤い光が漏れ、足元には黒い溶岩石が続いている。
天井からは熱気が揺らぎ、遠くで炎がごうごうと鳴る音が聞こえた。
ただの洞窟ではない。
火属性魔力が濃い。
空気そのものが乾き、喉の奥が焼けるようだった。
リオルはすぐに布を取り出した。
「口元を覆ってください。乾いた熱気を直接吸い続けると危険です」
ミナが全員に湿らせた布を配る。
「水分もこまめに取りましょう」
リゼは布を口元に当てながら言った。
「炎の指輪、奥ってどれくらい?」
「噂では、第三火室のさらに奥です」
リオルは情報屋から聞いた簡易地図を広げた。
「第一火室、第二火室、第三火室。その先に、炎の鏡があるとされています」
「炎の鏡?」
ガルドが聞く。
「詳しい情報は少ないです。近づいた者は撤退しているので」
「倒されてないの?」
リゼが尋ねる。
「鏡の前まで行った冒険者は少なく、ほとんどが熱と炎の反射で近づけなかったそうです」
「ふーん」
リゼはまだ余裕のある顔をしている。
だが、洞窟がそれを許さなかった。
最初の難所は、入口から十分ほど進んだ場所にあった。
通路全体を、炎の壁が塞いでいる。
赤い炎ではない。
青白い芯を持つ、濃い橙色の炎。
壁から壁まで隙間なく燃え、天井まで届いている。
リゼがスティックを構える。
「火なら、散らせるか試すわ」
「待ってください」
リオルが止めた。
「普通の火ではありません。熱の流れが周期的に変化しています」
「周期?」
「はい。見てください」
リオルは炎の壁の根元を指さした。
炎はずっと同じ勢いで燃えているように見える。
だが、よく見ると三呼吸ごとに、ほんの一瞬だけ色が薄くなる。
熱が下がる瞬間がある。
リゼも目を細めた。
「本当だ。火力が一瞬落ちる」
ガルドが言う。
「あの瞬間に通るのか」
「人が通るには短すぎます」
ミナが測るように息を合わせた。
「一秒もありませんね」
「はい」
リオルは炎の壁を観察する。
「炎そのものを消すと、反動で熱が跳ね上がる可能性があります。洞窟全体の火属性魔力がこの壁を維持しているので、無理に消すのは危険です」
リゼが少し不満そうにする。
「つまり、私の火で相殺はなし?」
「はい。たぶん、相性が悪いです」
「火の洞窟なのに、火が使いづらいのね」
「炎特化だからこそ、炎への反応が敏感なのかもしれません」
ガルドが盾を前に出す。
「俺が盾で防いで通路を作るのは」
「盾が熱を持ちすぎます。ガルドさんが危険です」
「なら、どうする」
リオルは炎の壁を見つめた。
火が強い瞬間ではなく、弱まる瞬間。
熱が下がる一瞬。
そこに極所付与をかける。
対象は炎ではない。
熱でもない。
“下がる瞬間”そのもの。
「少し試します」
リオルは足元の小石を拾った。
リゼが見慣れた顔で言う。
「また小石」
「石は便利です」
「知ってる」
リオルは小石を炎の壁の手前へ投げた。
小石は炎に触れる直前、熱で赤くなり、すぐに黒く焦げた。
だが、炎が薄くなる瞬間だけ、ほんの少し奥へ入り込んだ。
「周期は一定です」
リオルは深く息を吸う。
「極所付与」
淡い光が、炎の壁の前に広がった。
「対象、炎の壁が三呼吸ごとに熱を下げる瞬間。性質指定――次の熱へ戻るのを少しだけためらう余白。二十四時間、増大」
リゼが目を丸くした。
「瞬間に付与したの?」
「はい」
「瞬間って対象になるの?」
「僕が認識できれば」
「相変わらずずるいわね」
炎の壁が、三呼吸目に薄くなる。
その瞬間。
いつもならすぐ戻るはずの熱が、半秒、さらに一秒、わずかに低いまま残った。
炎の壁に、薄い通路のような揺らぎが生まれる。
「今です。ただし、走らずに」
リオルが言った。
「走ったらだめなの?」
リゼが聞く。
「風で炎が乱れます。歩幅を揃えて、呼吸を止めて通ります」
ガルドが先頭に立つ。
「俺が前だ」
「はい。ただし盾を炎に近づけすぎないでください」
「わかった」
ガルド、リオル、リゼ、ミナの順で進む。
炎の壁は熱い。
熱が下がっているとはいえ、肌がひりつく。
湿らせた布がすぐに乾きそうになる。
だが、通れる。
炎が戻りかけるたび、リオルの付与した“ためらう余白”が、ほんの少しだけ熱を引き留める。
四人は無事に炎の壁を抜けた。
背後で、炎が元の勢いに戻る。
ごうっ。
リゼが振り返って笑った。
「今の、すごかったわ。炎を消さずに通った」
「熱が下がる瞬間を延ばしただけです」
「だけ、じゃないのよ」
ミナが自分の腕を確認する。
「火傷もありません」
ガルドも頷く。
「盾も無事だ」
リオルはほっとした。
「よかったです」
だが、これで終わりではなかった。
第一火室に入ると、さらに強い熱気が四人を迎えた。
広い空間の中央に、溶岩の川が流れている。
川といっても、本物の溶岩ではない。
赤い魔力を帯びた液体状の炎だった。
その上に、黒い石橋が三本かかっている。
どれも細い。
しかも、熱で揺らいで見える。
リゼが顔をしかめる。
「橋、嫌な感じね」
リオルは石橋を見た。
「三本のうち、二本は熱で幻が混ざっています」
「本物は一本?」
「いえ、全部本物ですが、渡れる状態なのは一本だけです」
「面倒くさいわね」
ガルドが石橋を叩くために近づこうとした。
リオルが止める。
「待ってください。近づくだけで熱波が来ます」
溶岩の川から、一定間隔で熱波が噴き上がっている。
熱波が来た瞬間、橋の表面が赤く染まり、数秒後に黒く戻る。
ここにも周期があった。
「また熱が下がる瞬間があるわけね」
リゼが言う。
「はい。ただし、さっきより複雑です」
リオルは足元の砂を拾い、橋へ向けて撒いた。
砂は熱波で舞い上がり、三本の橋の上で違う動きを見せる。
左の橋では、砂が途中で燃える。
中央の橋では、砂が橋の手前に戻される。
右の橋では、砂が熱波の間だけ沈むように落ち着く。
「右です」
リオルが言った。
「右の橋は熱波が下がる瞬間に、表面温度も下がっています」
ガルドが右の橋を見る。
「だが、渡っている途中で熱波が来る」
「そこで付与します」
リオルは橋そのものではなく、橋の表面から少し上にある空気の層へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が右の橋に沿って伸びる。
「対象、右橋の表面から足首までの高さにある熱が引く瞬間。性質指定――足を置く場所だけ、熱の戻りを後回しにする順番待ち。二十四時間、増大」
リゼが小声で言う。
「熱に順番待ちさせた」
「足場だけです」
「だからそれがすごいのよ」
橋の上に、薄い光の足跡のようなものが浮かんだ。
歩くべき位置。
熱が下がる瞬間にだけ安全になる、小さな点。
「僕の足跡通りに進んでください。外れると危険です」
「了解」
ガルドが先頭に立つ。
重い鎧で細い橋を渡るのは危険だ。
しかし、彼の足取りは安定している。
リオルが足場の熱を見て、次の一歩を指示する。
「右前。少し待って。今です」
ガルドが踏む。
熱波が来る。
だが、ガルドの足元だけ熱の戻りが遅れる。
リオル、リゼ、ミナも続く。
途中、リゼが足を滑らせかけた。
橋の石が熱でわずかに膨張したのだ。
「リゼさん!」
リオルは反射的に手を伸ばしかける。
人には付与しない。
だから、足元の空気へ。
「対象、リゼさんの右足の下にある空気。性質指定――転ぶ前に足場のふりをする支え。二十四時間、増大!」
リゼの足が、見えない薄い板に支えられたように止まる。
彼女は体勢を立て直した。
「助かった!」
「リゼさんには付与していません!」
「今それ言う必要ある!?」
「大事なので!」
ミナが後ろで笑いそうになりながらも、慎重に橋を渡る。
四人は無事、第一火室の向こう側へたどり着いた。
リゼは肩で息をしながら、橋を振り返る。
「炎の指輪、思ったより遠いわね」
「まだ第一火室です」
リオルが言う。
「わかってるわよ」
「引き返すなら今です」
リゼはじっとリオルを見た。
そして、にやりと笑った。
「ここまで来て引き返すわけないでしょ」
「ですよね」
「爆発音九倍が私を待ってるのよ」
「指輪が待っているかはわかりません」
「待ってるの」
リゼは自信満々だった。
ガルドが低く笑う。
「欲があると足が進むな」
「夢と言って」
「夢か」
ミナが水袋を差し出した。
「夢でも、水分補給はしてください」
「はい、ミナ先生」
リゼは素直に水を飲んだ。
◇
第二火室へ向かう通路は、第一火室よりも狭かった。
壁から炎が噴き出す穴がいくつもあり、周期的に火柱が横切る。
火柱は避けられないほど速くはないが、熱の余波が厄介だった。
リオルは何度も立ち止まり、熱の下がる瞬間を見極めた。
火柱が消えた直後。
壁の赤みが引く瞬間。
床に溜まった熱が天井へ逃げる一瞬。
その一つ一つに、極所付与をかける。
「対象、火柱が消えた直後の空気。性質指定――熱気の尻尾を残さない潔さ。二十四時間、増大」
「対象、壁の赤熱が黒へ戻る瞬間。性質指定――次の火柱まで余熱を抱え込まない忘れっぽさ。二十四時間、増大」
「対象、床の熱が上へ逃げる流れ。性質指定――足元に居座らない遠慮。二十四時間、増大」
リゼは途中から楽しそうに聞いていた。
「熱気の尻尾」
「忘れっぽい壁」
「遠慮する床」
「リオル語、火山でも絶好調ね」
リオルは真剣に答える。
「わかりやすい認識が必要なので」
「そこはもう知ってる」
実際、リオルの付与は的確だった。
炎を消すのではなく、熱が下がる瞬間を拾い、その戻りを少しだけ遅らせる。
火の流れそのものは乱さない。
だから洞窟の防衛機構も暴走しない。
この方法で、四人は第二火室の入口まで進むことができた。
だが、そこにあったものを見て、全員が足を止めた。
第二火室の入口は、炎ではなく、赤い扉で閉ざされていた。
扉の中央には、鏡のような円形の金属板がはめ込まれている。
その金属板には、揺らめく炎が映っていた。
リゼが近づこうとする。
リオルが慌てて止めた。
「待ってください」
「何?」
「その板、熱の反射が変です」
ミナも息を呑む。
「鏡……ですか?」
「炎の鏡ではないと思います。おそらく、その前段階の仕掛けです」
ガルドが盾を構えた。
「どう危険だ」
リオルは小石を拾い、扉の前へ転がした。
小石が金属板に映った瞬間。
ぼっ。
小石が青い炎に包まれ、灰になった。
リゼの表情が変わる。
「映ったものを燃やす?」
「はい。ただし、本体ではなく反射を起点に熱が飛んでいます」
リオルは金属板を見つめた。
炎の鏡。
噂のボスが持つ能力と似ている。
近づくと、鏡に映ったものを燃やす。
これがただの扉の仕掛けなら、奥にいる本物はさらに危険だ。
リゼは少しだけ口元を引き結んだ。
「炎の指輪、ずいぶん厳重に守られてるじゃない」
「引き返しますか」
リオルが聞くと、リゼは金属板を見たまま言った。
「いいえ」
「理由は?」
「ここまで来たら意地」
「意地ですか」
「あと、ちょっと悔しい」
リゼはスティックを握った。
「炎の洞窟で、火の魔法使いが引き返すのは癪だわ」
リオルは少しだけ笑った。
「わかりました。では、燃やされない方法を探しましょう」
「頼りにしてる」
その言葉に、リオルは頷いた。
「はい」
扉の前で、炎が揺れる。
金属板に映るものを燃やす仕掛け。
それは、奥にいる炎の鏡の予告にすぎない。
リオルは、熱が下がる瞬間を探した。
金属板に映った炎が、周期的に一瞬だけ暗くなる。
そこに、また隙がある。
「ここも同じです」
リオルは呟いた。
「熱が下がる瞬間がある」
リゼが笑う。
「じゃあ、またそこに付与?」
「はい」
リオルは金属板そのものではなく、金属板に映る炎の“暗くなる瞬間”へ手を向けた。
「極所付与」
淡い光が、鏡面の中で揺れた。
「対象、金属板に映る炎が暗くなり、熱の反射が一瞬だけ弱まる瞬間。性質指定――映ったものを燃やす前に、相手を見間違えたか考える間。二十四時間、増大」
リゼがこらえきれずに言った。
「鏡に考えさせた!」
「反射判定を遅らせました!」
「わかってるけど!」
金属板の炎が一瞬暗くなる。
その間に、リオルは小石をもう一度転がした。
小石が映る。
燃えない。
半秒後、ぼっと小さく火がついたが、すぐに消えた。
「判定が遅れています。通れます」
ガルドが扉を押した。
重い扉が、ゆっくりと開く。
向こうから、今までとは違う熱気が流れ込んできた。
いや、熱気ではない。
一瞬、冷たい。
リオルは眉をひそめた。
炎の洞窟の奥から流れてきた風が、なぜか肌を冷やした。
ミナも気づく。
「今……寒くありませんでしたか?」
リゼが首をかしげる。
「炎の洞窟で?」
ガルドが奥を見る。
第二火室の向こうは、赤く燃えている。
壁も床も炎に照らされている。
だが、その奥から確かに冷たい風が吹いた。
リオルは石碑の言葉を思い出した。
【炎は照らす。炎は焼く。炎は奪う。炎を見る者、己の熱を忘れるな】
「炎が、熱を奪っている……?」
リオルは小さく呟いた。
炎の洞窟は、ただ熱いだけの場所ではなかった。
熱が下がる瞬間を利用して進んできたその先で、今度は熱そのものが奪われ始めている。
第二火室の奥で、炎が静かに揺れた。
まるで、こちらを見ているように。




