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最強付与術師リオルは付与したくない  作者: 逆瀬ゆうり


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16/30

ゴブリン村編-3 弱き王の勝利

 決闘前日の朝。


 リオルたちは、ゴブリン村のギギに案内され、縄張りバトルの会場となる古戦場へ向かった。


 そこは、東の森の奥にぽっかり開けた石混じりの広場だった。


 昔、人間同士の小競り合いがあった場所らしく、地面には割れた石畳、朽ちた杭、半ば土に埋まった古い武具の残骸が残っている。


 決闘の場としては、かなり厄介だった。


 足場が悪い。

 隠れた溝がある。

 草に覆われた石が滑る。

 古い杭が邪魔になる。


 だが、オークキング・ヴァルガのような武術に長けた戦士なら、この程度の悪路はむしろ利用するだろう。


 ガルドは地面を踏みしめ、険しい顔をした。


「ヴァルガは強い。ここでも足を取られないだろうな」


 リゼも周囲を見回す。


「むしろ、地形ごと武器にしてきそうね。あの斧で杭を砕いて飛ばすくらいは普通にやりそう」


 ミナはグリムの様子を見た。


 グリムは王冠を押さえながら、古戦場の端で震えていた。


「グリムさん、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫じゃない……」


 正直だった。


「古戦場、怖い。オークキング、もっと怖い。斧、たぶん、ぶんって来る。グリム、ぴゃってなる。終わり」


 リゼが小声で言った。


「擬音だけで負け筋が見えるわね」


 前日から準備はしてきた。


 王冠には、村のみんなの手を思い出す付与。

 鳴子には、位置を知らせる音として聞き分けやすくなる付与。

 旗の影には、王の後ろに村がいることを地面へ映す付与。


 グリムは、以前よりも少しだけ立てるようになった。


 ギギの突きなら、数秒は避けられる。

 村の声を聞けば、転んでも起き上がれる。


 だが、相手はオークキング・ヴァルガ。


 歴代でも強い部類のオークキング。

 戦斧と武術に長け、足運びも斧筋も完成されている。


 グリムが三日で追いつけるような相手ではない。


 下見をしても、準備をしても、決定打が見つからない。


 それは、グリム自身にも伝わっていた。


「やっぱり、無理……」


 グリムはその場に座り込んだ。


「王冠、みんなの手、わかる。でも、怖い。足、止まる。声、聞こえても、斧、来たら、終わり」


 ギギが何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。


 村のゴブリンたちも黙っている。


 空気が重くなった。


 これでは、戦うどころではない。


 どれほど王冠を整えても、どれほど村の声を背負っても、グリムの恐怖そのものは消えない。


 いや、消してはいけない。


 リオルは、グリムを見つめた。


 震える足。

 落ち着かない視線。

 危険を探す癖。

 見えない逃げ道を、無意識に探し続ける目。


 そこで、ふと気づいた。


「……怖いままで、いいのかもしれません」


 リゼが振り返る。


「どういうこと?」


「怖さを消す必要はありません。グリムさんは、怖いからこそ危険を早く見つけられる」


 リオルは古戦場を見渡した。


「オークキングが得意なのは、武術です。斧、足運び、間合い、力の流し方。なら、同じ武術で勝負する必要はありません」


 ガルドが腕を組む。


「グリムが得意なものは、空間把握か」


「はい」


 リオルは頷いた。


「村の見張り台の位置。鳴子の配置。避難穴。溝。備蓄。逃げ道。グリムさんは、空間を読むことが得意です」


「でも、読むだけじゃ勝てないわよ」


 リゼが言う。


「普通なら、そうです」


 リオルの視線が、ゴブリン村の方へ向いた。


「でも、ゴブリン村には、無数の仕掛けがあります」


 ギギが目を丸くした。


「仕掛け?」


「鳴子、落とし枝、煙筒、逃げ道の石、転ばせる溝、音を鳴らす木片。全部です」


「でも、あれ、村守るもの。古戦場、違う」


「だから解析します」


 リオルは静かに言った。


「村に張り巡らされた仕掛けの中で、実際に動いた罠の軌跡。その全部に極所付与をかけます」


 リゼが嫌な予感のする顔をした。


「待って。今、全部って言った?」


「対象はひとつひとつ違います」


「それ、絶対に大変なやつでしょ」


「はい。でも、二十四時間だけなら可能です」


 ガルドが尋ねる。


「何を付与する」


 リオルは答えた。


「並列ビッグデータ処理です」


 沈黙。


 リゼがゆっくり口を開いた。


「……ごめん。今、何て?」


「並列ビッグデータ処理です」


「ゴブリン村の罠に?」


「はい」


「また、とんでもない方向に行ったわね」


 リオルは真剣だった。


「村の仕掛けには、実際に危険を防いできた記録があります。どの鳴子がいつ鳴ったか。どの溝が魔物の足を遅らせたか。どの逃げ道が子どもたちを安全に通したか。それらの軌跡を、二十四時間限定で高速演算処理させます」


 ミナが少し考えながら言った。


「村の経験を、古戦場に合う罠として再構成するということですか?」


「はい」


 リオルは頷いた。


「さらに、王冠に残る歴代ゴブリンキングの補修跡や、村に伝わる古い印も組み合わせます」


 ギギが震えた。


「歴代キング?」


「王冠には、前の王たちが使ってきた痕跡があります。完全な記憶ではありませんが、危険を避け、村を残してきた知恵の断片があります」


「それも演算に入れるのね」


 リゼは額に手を当てた。


「ゴブリン村の罠のビッグデータと、歴代ゴブリンキングの叡智で、古戦場専用の罠を作る……。冷静に言葉にすると、だいぶおかしいわね」


「でも、ルール違反ではないか確認が必要です」


 リオルはグリムたちを見た。


「決闘前に会場を整えることは、許されていますか?」


 ギギは長老ゴブリンを見る。


 長老は、しわがれた声で答えた。


「古戦場、王が先に来て、旗、立てる。足場見る。石どける。印つける。昔から、ある。罠、直接相手に隠す、だめ。でも、場を整える、だめじゃない」


「発動条件は、どうでしょう」


「王と王、向き合う。開始の鳴子。そこから、場の仕掛け、動くなら、王の準備」


 リゼがにやりとした。


「つまり、決闘前に古戦場を整えるのはあり。罠も、グリム側の準備として成立する。ただし、第三者が途中で動かすのはなし」


「はい」


 リオルは頷いた。


「なら、僕は開始後には何もしません。全て、決戦当日にオークキングと向かい合うまでは発動しないように調整します」


 グリムが震えながら聞いた。


「でも……罠、グリムも当たる?」


「当たります」


 リオルは正直に言った。


 グリムの顔が真っ青になった。


「終わり……!」


「ただし、回避できます」


「グリム、できない」


「ひとりでは難しいです」


 リオルは村の方を見た。


「でも、村人の声と、あなた自身の危機察知があればできます」


 ミナが優しく言った。


「グリムさんは、ひとりで戦うのではありません。村の声を聞いて、危険を見て、避けるんです」


 ガルドも言う。


「半秒しか持たないなら、半秒立つ前に勝てばいい」


 グリムは固まった。


「半秒、立つ前?」


 リオルは言った。


「はい。開始と同時に罠が発動することがわかっていれば、半秒耐える必要はありません。最初の一歩で勝負を終わらせます」


 リゼが笑った。


「弱い王様の勝ち方としては、最高に性格が悪くていいわね」


「性格が悪いでしょうか」


「褒めてるのよ」


 グリムは王冠を握った。


 足は震えている。

 手も震えている。

 それでも、目だけが少しずつ動き始めた。


 逃げ道を探す目。


 危険を先に知る目。


「……怖いままで、勝てる?」


 リオルは頷いた。


「はい。怖いままで勝ちましょう」


   ◇


 そこからの準備は、まるで小さな戦争だった。


 リオルたちはゴブリン村へ戻り、村中の仕掛けを確認した。


 鳴子の紐。

 落とし枝の軌跡。

 地面の浅い溝。

 煙を流す竹筒。

 子どもが逃げ込む穴の入口。

 魔物を誘導する石積み。

 乾いた葉を踏ませて音を出す小道。


 それらは粗末だった。


 だが、すべて実用だった。


 強くない者が生き残るための工夫。

 怖がりの王が、怖さを形にした村の仕組み。


 リオルは一つ一つに手を向けた。


「極所付与」


「対象、過去に動いた鳴子の紐の揺れ跡。性質指定――どの危険に反応したかを思い出しやすさ。二十四時間、増大」


「対象、魔物の足を遅らせた溝の縁。性質指定――足運びを乱した時の条件を記録として並べやすさ。二十四時間、増大」


「対象、避難穴へ続いた足跡の残り香。性質指定――安全な逃げ道を選んだ理由の見えやすさ。二十四時間、増大」


「対象、村の旗の影に残る風向きの記憶。性質指定――危険が来る方向を比べる資料としての整理しやすさ。二十四時間、増大」


 リゼは途中で数えるのをやめた。


「これ、何個目?」


「三十七個目です」


「数えてたのね」


「はい。対象を混同すると危険なので」


「そういうところは本当に几帳面よね」


 ミナはリオルの顔色を見ながら、水を渡した。


「無理はしないでくださいね」


「はい。まだ大丈夫です」


 ガルドは村のゴブリンたちと一緒に、古戦場へ運ぶ木材や紐をまとめていた。


「この仕掛けは、持っていけるか」


「持っていける。軽い」


「これは?」


「それ、子ども落ちる。だめ」


「なら使わない」


 ガルドとゴブリンたちの会話は短いが、妙に噛み合っていた。


 そして最後に、リオルはグリムの王冠へ向かった。


 王冠には、歴代ゴブリンキングの手垢、補修跡、傷、焦げ跡、草紐が残っている。


 リオルは、王冠そのものではなく、その補修跡の間にある小さな空白へ手を向けた。


「極所付与」


 淡い光が、王冠の内側を満たす。


「対象、歴代ゴブリンキングが王冠を直してきた補修跡の間に残る記録の隙間。性質指定――村を残すための判断を、今の王が参照できる形に並べる力。二十四時間、増大」


 王冠が、低く光った。


 グリムはびくっと震えた。


「な、なにか、頭、いっぱい……」


「気持ち悪いですか?」


「ちがう。声じゃない。絵、いっぱい。昔のキング、逃げた道。隠した食べ物。強い敵、避けた。火、消した。雨の日、橋、落ちた」


 リオルは慎重に尋ねた。


「怖いですか」


「怖い。でも……知ってる怖い。グリムだけじゃない怖い」


 ミナが静かに微笑んだ。


「歴代の王たちも、怖かったんですね」


 グリムは王冠を抱えた。


「怖かった。でも、残した」


 その言葉を聞いて、ゴブリンたちが静かに頷いた。


 怖い王は、グリムだけではなかった。


 歴代の王たちもまた、強敵を避け、災害を逃れ、食料を守り、村を残してきた。


 それは派手な武勇ではない。


 だが、確かな王の叡智だった。


   ◇


 決闘当日。


 古戦場には、ゴブリン村とオークの一団が向かい合っていた。


 ゴブリン側には、グリム、ギギ、長老、そして村人たち。

 後方には、村の旗と鳴子が並んでいる。


 オーク側には、オークキング・ヴァルガと十数体のオーク。


 ヴァルガは巨大な戦斧を肩に担ぎ、堂々と立っていた。


 その姿は、やはり圧倒的だった。


 戦斧の刃は磨き込まれ、柄には手に馴染むよう革が巻かれている。

 足運びは静かで、視線は鋭い。


 ヴァルガはグリムを見ると、低く言った。


「逃げなかったか」


 グリムの足は震えていた。


 膝がかくかくと鳴っている。

 王冠を押さえる手も震えている。


 けれど、彼は逃げなかった。


「グ、グリム……来た」


 声は小さい。


 それでも、言えた。


 ヴァルガは目を細めた。


「弱い王よ。なぜ来た」


 グリムは唇を震わせた。


 後ろで、鳴子が鳴る。


 かろん。


 東にギギ。

 西に長老。

 後ろに子どもたち。

 旗の影に、村がいる。


 グリムは言った。


「ヴァルガ、強い。グリム、弱い。たぶん、すごく弱い」


「ならば、従え」


「でも」


 グリムは王冠を握った。


「グリム、怖いから、村を守った。強い敵、早く見る。危ない道、早く知る。食べ物、数える。子ども、隠す。逃げ道、作る」


 ヴァルガは黙って聞いている。


「ヴァルガは強い。格上。グリム、知ってる。敬意、ある」


 グリムの声は震えていた。


 だが、言葉は止まらなかった。


「でも、格上が来た時、オークの村も危ない。もっと強い敵、来るかもしれない。グリムなら、怖いから、早く気づく。オークの子も、ゴブリンの子も、逃がせる」


 オークたちがざわめいた。


 ヴァルガの眉がわずかに動く。


 グリムは、震える足で一歩前に出た。


「勝つべきは、ゴブリンじゃない。守るべきは、種族だけじゃない。森にいる、みんな」


 その言葉は、弱かった。


 声量も足りない。

 王らしい迫力もない。


 だが、確かに届いた。


 ヴァルガは戦斧を下ろした。


「言葉は聞いた。だが、縄張りは力で決まる」


「う、うん」


「構えろ」


 グリムは短い木杖を握った。


 手が震えて、杖先もぶるぶる揺れている。


 リゼが小声で言った。


「本当に大丈夫?」


 リオルは緊張した顔で頷いた。


「発動条件は、王と王が向かい合い、開始の鳴子が鳴った瞬間です」


「グリムが避けられるかは?」


「村の声と、本人の危機察知次第です」


「つまり、最後はグリム次第」


「はい」


 ガルドは静かに言った。


「それでいい」


 ミナは祈るように手を組んだ。


 決闘の立会人役である長老ゴブリンが、鳴子を持ち上げた。


 ヴァルガが戦斧を構える。


 その瞬間だけで、空気が変わった。


 重い。

 速い。

 強い。


 グリムは息を止めた。


 半秒もたない。


 それは、きっと事実だった。


 だから、半秒立つ前に勝つ。


 鳴子が鳴った。


 かろん。


 決闘開始。


 同時に、古戦場が動いた。


 地面の浅い溝が、かすかに沈む。

 乾いた葉が一斉に舞う。

 朽ちた杭に結ばれた細い草紐が走る。

 石畳の隙間から煙が上がる。

 古い武具の残骸が反射板となり、光を散らす。


 それは、単体では大した罠ではない。


 だが、リオルが付与した並列ビッグデータ処理によって、ゴブリン村の無数の仕掛けと歴代王の叡智から解析された、古戦場専用の連動罠だった。


 ヴァルガは即座に反応した。


 斧を振る。

 草紐を断ち、煙を切り裂き、足元の溝を踏み越える。


 さすがだった。


 だが、罠の目的はヴァルガを傷つけることではない。


 彼の武術を、一瞬だけ選択肢で埋めることだった。


 右へ避ける。

 左へ払う。

 前へ踏み込む。

 後ろへ引く。

 斧を振る。

 柄で受ける。


 強いからこそ、ヴァルガは全部に対応できる。


 対応できるからこそ、一瞬だけ判断が増える。


 その一瞬。


 グリムの耳に、村の声が届いた。


「東!」


 ギギの声。


「足元!」


 長老の声。


「右、だめ!」


 子どもの声。


 グリムは悲鳴を上げながら、まだ斧が振られる前に、右ではなく左後ろへ転がった。


 見栄えは最悪だった。


 王らしくもない。

 勇ましくもない。


 だが、避けた。


 ヴァルガの斧が空を切る。


 その瞬間、古戦場の中央に仕込まれていた最後の仕掛けが発動した。


 ヴァルガが踏み込むはずだった石畳の下で、空洞が鳴る。


 どん。


 足元が崩れるほどではない。


 ただ、重心を一瞬だけ狂わせる音。


 武術に長けたヴァルガだからこそ、その微細な違和感を無視できなかった。


 彼の踏み込みが止まる。


 そこへ、グリムが転がった勢いのまま、杖を突き出した。


 攻撃ではない。


 杖先が、ヴァルガの戦斧の柄に引っかかった。


 戦斧は落ちない。

 だが、斧筋が完全に止まる。


 ヴァルガの斧が、グリムの首元から拳一つ分の位置で静止した。


 そしてグリムの杖先は、ヴァルガの胸元に触れていた。


 威力はない。


 ダメージもない。


 だが、決闘の形式では、王の武器が相手の胸に届いた。


 しかも、グリムはまだ立っていない。


 震えながら、転んだまま、しかし確かに届かせた。


 古戦場が静まり返った。


 リゼが息を止める。


 ミナは両手を握りしめる。


 ガルドは小さく頷いた。


 リオルは、ただ見ていた。


 ヴァルガは動かなかった。


 そして、低く笑った。


「……見事」


 グリムは目を白黒させた。


「え?」


「今の一手。お前ひとりの力ではないな」


「う、うん」


 ヴァルガは斧を引いた。


「村の罠。村の声。王冠。逃げ道。全てを使ったか」


「うん」


「卑怯とは言わん」


 オークたちがざわめく。


 ヴァルガは彼らを一瞥して黙らせた。


「王とは、背負うものを戦場に持ち込む者だ。お前は村を持ち込んだ」


 グリムは震えながら、ようやく立ち上がった。


 足はまだ震えている。


 でも、逃げてはいない。


「ヴァルガ、強い。グリム、勝った、たぶん罠。ずるい、思うなら、もう一回……」


「いや」


 ヴァルガは首を振った。


「俺は一度、斧を止められた。お前の杖は胸に届いた。縄張りバトルは、お前の勝ちだ」


 ゴブリンたちが、一瞬遅れて歓声を上げた。


 高い声。

 鳴子の音。

 子どもたちの跳ねる音。


 グリムは信じられないという顔をしていた。


「グリム……勝った?」


 ギギが叫ぶ。


「キング、勝った!」


 長老が涙を浮かべて頷く。


「弱い王、勝った」


 リゼが満足げに腕を組んだ。


「半秒立つ前に勝ったわね」


 リオルはほっと息を吐いた。


 ミナも微笑む。


「震えていても、勝てましたね」


 グリムは自分の足を見た。


 まだ震えている。


 けれど、その震えはもう恥だけではなかった。


   ◇


 勝負が終わったあと、グリムはヴァルガの前に立った。


 まだ見上げるほどの体格差がある。


 声も震えている。


 それでも、彼は言った。


「ヴァルガ。オークの村、ゴブリンの村、ケンカ、やめたい」


 ヴァルガは黙って聞いている。


「オーク、強い。罠、壊す、得意。ゴブリン、怖い。危ないの、早く見る。罠、作る。たぶん、一緒なら、森、もっと守れる」


「俺に従えと言うのか」


 グリムはぶんぶん首を振った。


「ちがう! 怖い! そんな言わない!」


 リゼが吹き出した。


 ヴァルガの眉がぴくりと動く。


 グリムは慌てて続けた。


「えっと……従う、ちがう。相談。オークの力、ゴブリンの仕掛け。強い敵、来たら、一緒に守る。木の実、分ける。肉、少し分けてほしい。見張り台、貸す。罠、教える。でも、村、自由」


 ヴァルガは腕を組んだ。


 しばらく沈黙したあと、低く言った。


「悪くない」


 オークたちが驚いた顔をする。


 ヴァルガは続けた。


「俺たちは罠を作るのが下手だ。だが壊すのは得意だ。森の外から来る魔物に対しては、お前たちの見張りと罠が役に立つ」


 グリムの顔が少し明るくなる。


「じゃあ」


「ただし」


 ヴァルガの声が低くなる。


 グリムがびくっと震えた。


「罠は、俺たちにもわかるように印をつけろ。今日のような仕掛けを知らずに踏めば、オークでも転ぶ」


「う、うん。印つける」


「それと、木の実だけでは腹が減る。肉の交換を増やせ」


「相談する」


「よかろう」


 ヴァルガは大きな手を差し出した。


 グリムは一瞬、食べられるのではないかという顔をした。


 リゼが小声で言う。


「握手よ、握手」


「握手……」


 グリムはおそるおそる、その大きな手に自分の小さな手を乗せた。


 握手というより、ほとんど包まれている。


 それでも、成立した。


 ゴブリン村とオークの一団の間に、奇妙な同盟が生まれた瞬間だった。


   ◇


 その後、問題になったのは、古戦場に張り巡らせた罠の後片付けだった。


 リゼが広場を見回して言う。


「で、これ、どうするの?」


 古戦場には、草紐、鳴子、煙筒、浅い溝、仕掛け石、反射板、落とし枝などが複雑に残っている。


 発動済みとはいえ、放置すれば危険だ。


 ギギが困った顔をした。


「ゴブリン、片付け、時間かかる」


 グリムも震える。


「間違えて踏む、怖い」


 リオルが手を上げかけた。


「では、僕が――」


 その前に、ヴァルガが戦斧を担いだ。


「壊せばいい」


 リゼが目を丸くする。


「え?」


「罠の破壊は、オークが得意だ」


 ヴァルガはそう言うと、斧を軽く振った。


 草紐が一瞬で切れる。

 杭が安全な方向へ倒れる。

 煙筒が割れ、溝の縁が崩され、仕掛け石が外される。


 力任せではない。


 罠の構造を見て、危ない場所から順に壊している。


 ガルドが感心したように言う。


「戦斧で罠解除か」


「繊細さはないけど、速いわね」


 リゼが言う。


 ギギが目を輝かせた。


「オーク、すごい。罠壊す、速い」


 オークの一人が鼻を鳴らす。


「ゴブリン、罠作る、細かい。面倒。でも、悪くない」


 ギギとそのオークは、しばらく顔を見合わせた。


 そして、なぜか同時に頷いた。


 ミナが小さく笑う。


「相性がいいのかもしれませんね」


 リオルも頷いた。


「ゴブリンが作り、オークが壊し、互いに学ぶ。防衛にはかなり向いています」


 リゼがグリムとヴァルガを見比べる。


「そもそも、オークキングの口調が荒いだけで、話してみると意外と理性的だったわね」


 ヴァルガがこちらを見た。


「荒いとは何だ」


「荒いでしょ」


「普通だ」


「それが荒いのよ」


 グリムはその会話を聞き、王冠を押さえながら小さく呟いた。


「グリム……怖がりすぎた?」


 ギギが真剣に言う。


「キング、かなり怖がりすぎた」


「ギギ……」


 長老も頷いた。


「怖い、役に立つ。でも、怖がりすぎ、話聞こえない」


 グリムはしょんぼりした。


「次、少し聞く」


 ヴァルガが低く笑った。


「怖いなら、怖いと言え。逃げるなら、逃げ道を見せろ。戦うなら、今日のように村ごと来い」


 グリムは震えながらも、少しだけ背筋を伸ばした。


「うん。ヴァルガ、怖い。でも、少し、話せる」


「それでよい」


 リゼがリオルの横で言う。


「なんだかんだ、仲良くなりそうね」


「はい」


 リオルは古戦場の片付けを見ながら頷いた。


「強いから守れるものと、怖いから守れるものがあります。両方あれば、きっと森は安定します」


 ミナが微笑む。


「弱さを隠さなくていい勝利でしたね」


 ガルドも静かに言った。


「王の形は、一つではない」


 リオルはグリムを見た。


 足はまだ震えている。

 声もまだ小さい。

 ヴァルガの隣に立つと、体格差で消えてしまいそうだ。


 それでも、グリムは王冠をかぶっていた。


 村の手が乗った王冠。

 歴代の怖がりと知恵を宿した王冠。

 弱い王が、弱いまま勝つための王冠。


 グリムはリオルの方を向いた。


「リオル、ありがとう」


「僕は王冠と仕掛けを整えただけです」


「でも、グリム、怖いまま勝てた」


 リオルは少しだけ目を伏せた。


「それは、グリムさんが逃げなかったからです」


 グリムは王冠を押さえ、震える足を見た。


「逃げなかった。でも、すごく逃げたかった」


「それでいいと思います」


 リオルは言った。


「逃げ道を知っている王が、必要な時だけ踏みとどまった。それが今日の勝ちです」


 グリムは少しだけ笑った。


 まだ弱そうで、まだ怖がりで、まだ王冠に押しつぶされそうだった。


 けれど、村のゴブリンたちはその笑顔を見て、歓声を上げた。


 弱きゴブリン王の勝利。


 それは、強者を倒す物語ではなかった。


 強者に、自分の価値を認めさせる物語だった。


   ◇


 帰り道。


 リゼが伸びをしながら言った。


「いやあ、今回は平和に終わったわね」


 リオルは少し考えた。


「平和だったでしょうか」


「誰も大怪我してないし、村同士が同盟っぽくなったし、いい終わりでしょ」


「そうですね」


 ミナが微笑む。


「それに、グリムさんが自信を持てたようでよかったです」


 ガルドが頷く。


「ヴァルガも悪い王ではなかった。口調が荒いだけだ」


「グリムさんが怖がりすぎた部分もありましたね」


 リオルが言うと、リゼが笑った。


「まあ、あの見た目で斧持って来られたら怖いけどね」


「はい」


 リオルは素直に頷いた。


 ただ、今回は一つ大きな発見があった。


 付与は、強くするだけではない。

 弱さを消すだけでもない。


 弱さが、ちゃんと働く場所を整えることもできる。


 怖がりは、危機察知になる。

 逃げ道は、村を守る知恵になる。

 震える足でも、勝てる時がある。


 リオルは、自分の手を見た。


 人に付与するのは、まだ怖い。

 相手の心を変えてしまうのではないかという恐れは、簡単には消えない。


 でも、今日も誰かを別人にはしなかった。


 グリムはグリムのまま、勝った。


 それが、リオルには少し嬉しかった。


 リゼが横から言う。


「で、リオル」


「はい」


「ゴブリン村の罠にビッグデータ処理って、やっぱり冷静に考えるとおかしいわよ」


「効果はありました」


「それは認める」


「では」


「でもおかしい」


 リオルは困ったように黙った。


 ミナがくすっと笑い、ガルドもわずかに口元を緩めた。


 森の奥では、ゴブリンの鳴子とオークの角笛が、ぎこちなくも同じリズムで鳴っている。


 どうやら、さっそく共同見張りの練習を始めたらしい。


 相性の良い種族同士なのかもしれない。


 少なくとも、罠を作る側と壊す側としては。


 《帰路の灯》は王都へ戻る。


 またひとつ、変な依頼を終えて。


 そしてリオルの鞄の中には、グリムからお礼にもらった小さな鳴子が入っていた。


 そこには、案の定、淡く文字が浮かんでいる。


【リオル:+1】


 リオルはそれを見て、少しだけ固まった。


 リゼが覗き込む。


「今度は鳴子ね」


「……経過観察します」


「はいはい」


 ミナが優しく笑った。


「きっと、良い記録ですね」


 リオルは小さな鳴子を見つめた。


 怖がりの王が、怖いまま勝った記録。


 それなら、悪くないのかもしれない。


 かろん、と鳴子が小さく鳴った。

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