ゴブリン村編-1 弱すぎるゴブリンキング
鍛冶屋で装備を整えた翌日。
《帰路の灯》の四人は、冒険者ギルドに呼び出されていた。
リオルは、受付嬢エリナから差し出された依頼書を見て、少しだけ首をかしげた。
【調査依頼】
【対象:東の森のゴブリン村】
【内容:自治化の兆候および周辺勢力との関係調査】
【推奨:C級以上】
【備考:討伐依頼ではありません】
リゼが依頼書を覗き込み、目を細める。
「……ゴブリン?」
「はい」
エリナは真面目に頷いた。
「東の森にあるゴブリン村の調査です」
「いや、聞こえてるけど」
リゼは椅子の背もたれに寄りかかった。
「針鳴りの回廊、雷門、スタンピード未然防止、厄災影、白いデュラハン。その次がゴブリン?」
ガルドが腕を組む。
「順番としては、かなり戻った感があるな」
ミナも少し困ったように微笑んだ。
「普通なら、新人冒険者の初討伐対象として名前が出ることも多いですからね」
リオルは依頼書の文字を見つめた。
ゴブリン。
小柄で、群れで行動し、基本的には弱い魔物とされている。
もちろん油断すれば危険だが、少なくとも厄災影や雷門とは比べものにならない。
だが、リオルは依頼書から目を離さなかった。
「討伐依頼ではなく、調査依頼なんですね」
「はい」
エリナの表情が少し引き締まる。
「今回のスタンピード未遂の際、東の森のゴブリン村が、通常とは違う動きを見せました」
「通常とは?」
ガルドが尋ねる。
「魔力に引き寄せられた魔物の一部が東の森へ流れかけました。普通のゴブリン集団なら、混乱して逃げるか、逆に興奮して近隣を襲う可能性があります。ですが、その村は違いました」
エリナは追加の報告書を広げた。
「見張り台を使って接近を察知。丸太柵を閉じ、子どもや非戦闘個体を地下穴へ避難。さらに、煙と鳴子で魔物の進路を村の外へ逸らしたようです」
リゼが眉を上げた。
「ゴブリンが?」
「はい。しかも、村の外れには“こちらは危険、回り道”のような意味と思われる印まで残されていました」
ミナが目を丸くする。
「人間に向けた印ですか?」
「可能性があります。少なくとも、無秩序な群れではありません」
ガルドは低く唸った。
「自治的な村か」
「はい。これまでにも東の森でゴブリンの姿は確認されていましたが、近隣農村への被害はほとんどありません。作物を荒らす代わりに、森の木の実や小動物を管理している様子もあります」
リゼは少しだけ真面目な顔になった。
「つまり、よくある“見つけたから討伐”で済ませるとまずいかもしれないわけね」
「その通りです」
エリナは頷いた。
「ですが、問題もあります」
「ありますよね」
リオルが静かに言った。
「そうでなければ、僕たちには回ってこないと思います」
「最近、自覚が出てきたじゃない」
リゼが言うと、リオルは少し困った顔をした。
エリナは続ける。
「東の森のさらに奥に、オークの一団が移動してきています。その中心にいるのが、オークキングです」
ガルドの目が鋭くなった。
「オークキングか」
「はい。しかも、報告によれば歴代でもかなり強い部類です。巨大な戦斧を扱い、単なる怪力ではなく武術も使うとのことです」
ミナが表情を曇らせる。
「ゴブリン村と衝突する可能性があるんですね」
「すでにあります」
エリナは言った。
「オークキング側から、縄張り決定の一騎打ちを申し込まれているようです。相手はゴブリンキング」
「ゴブリンキングなら、それなりに強いのでは?」
リオルが尋ねる。
その言葉に、エリナは少しだけ沈黙した。
「それが……今回の調査で、最も不可解な点です」
リゼが嫌な予感のする顔をする。
「まさか」
「そのゴブリンキングは、とても弱いらしいです」
部屋が静かになった。
リゼがゆっくりと言った。
「ゴブリンキングなのに?」
「はい」
「キングなのに?」
「はい」
「名前負けにもほどがあるわね」
リオルは真剣に考え込んだ。
「ですが、弱いのに王であるなら、戦闘力以外の理由で選ばれた可能性があります」
ガルドが頷く。
「村をまとめているなら、王としての能力はあるのかもしれん」
ミナも言った。
「怯えているからこそ、危険に敏感なのかもしれません」
エリナは少し安堵したように微笑んだ。
「皆さんなら、そう見てくださると思っていました」
リゼが肩をすくめる。
「まあ、最近は薬草にも事情があったし、デュラハンにも事情があったしね。ゴブリンにも事情があってもおかしくないわ」
リオルは依頼書を受け取った。
「調査します。ただし、討伐ではありません」
「はい。ギルドとしても、まずは対話と状況把握を優先します」
「もしオークキングとの戦闘になった場合は?」
ガルドが尋ねる。
「原則として、外部冒険者が縄張り決闘に直接介入することは避けてください。周辺被害が出る場合や、非戦闘個体が襲われる場合は別です」
リゼが腕を組む。
「つまり、ゴブリンキングの代わりに私たちがオークキングを吹っ飛ばすのはなし、と」
「できれば」
「できれば、ね」
リオルは静かに言った。
「直接戦うのではなく、状況を整える方法を探します」
リゼが横目で見る。
「また世界に変な付与する気でしょ」
「必要なら」
「慣れてきた自分が怖いわ」
こうして、《帰路の灯》は東の森へ向かうことになった。
厄災級の影を退けたあとに、ゴブリン村。
順番としては、どう考えても奇妙だった。
だが、リオルたちは誰一人として油断しなかった。
弱いものほど、事情を抱えていることがある。
そして、弱さを軽く見る者ほど、足元をすくわれる。
彼らは最近、そういう依頼ばかり経験していた。
◇
東の森は、王都から半日ほど歩いた先にあった。
背の高い木々が並び、森の入口には獣除けの鈴が吊られている。
普通の森に見えるが、奥へ進むほど人の手とは違う“整えられ方”が見えてきた。
小さな枝を組んだ柵。
木の根元に隠された鳴子。
高い枝の上に作られた簡易の見張り台。
そして、地面に刻まれた矢印のような印。
ガルドがしゃがみ込む。
「これが報告にあった印か」
ミナが覗き込む。
「三本線が危険、丸が安全、でしょうか」
「たぶん、そうです」
リオルは地面の印を見た。
「森に不慣れな人でも、なんとなく方向がわかるように作られています」
リゼが感心したように言う。
「ゴブリンって、こういうことするの?」
「普通はしません」
ガルドが答えた。
「少なくとも、俺が知るゴブリンの群れとは違う」
リオルは周囲を見回した。
見張られている。
敵意は薄い。
だが、警戒心は強い。
木の上、茂みの奥、倒木の影。
小さな視線がいくつもこちらを見ている。
「出てきてください」
リオルは声を張りすぎないように言った。
「冒険者ギルドから調査に来ました。討伐ではありません」
しばらく沈黙。
やがて、茂みの奥から一匹のゴブリンが現れた。
小柄な体。
緑色の肌。
粗末だが清潔な革服。
手には木の槍を持っている。
彼は恐る恐るこちらを見上げた。
「ニンゲン……ギルド?」
「はい」
リオルはゆっくり頷いた。
「話を聞きに来ました」
ゴブリンは四人を順に見た。
ガルドの大盾を見て震え、リゼのスティックを見て後ずさり、ミナの白い杖を見て少し安心し、リオルを見て首をかしげた。
「おまえ、こわくない。でも、へん」
リゼが小さく吹き出した。
「初対面で本質突かれてるわよ」
「変でしょうか」
「変でしょ」
リオルは少し落ち込んだ。
ゴブリンは慌てて手を振る。
「わるい意味、ちがう。へん、でも、こわくない」
「それならよかったです」
「よかったの?」
リゼがまた突っ込む。
ゴブリンは自分の胸を叩いた。
「ギギ。見張り。村、案内する。でも武器、しまう。こわがる」
ガルドが盾を少し下ろした。
「俺の盾はしまえないが、構えない」
リゼもスティックを下げる。
「火も出さないわ。たぶん」
「たぶんは不安なので、出さないでください」
リオルが言う。
「はいはい」
ミナは優しく微笑んだ。
「案内をお願いします、ギギさん」
ギギはミナに一番懐いたようで、少しだけ背筋を伸ばした。
「こっち」
四人はギギの案内で森の奥へ進んだ。
◇
ゴブリン村は、想像よりずっと整っていた。
木の柵で囲まれた小さな集落。
丸太と泥で作られた家。
中央には広場。
周囲には保存用の木の実や干し肉を吊るす棚がある。
子どものゴブリンが数匹、遠巻きにこちらを見ていた。
大人のゴブリンたちは、槍や弓を持って警戒しているが、無闇に威嚇してはこない。
広場の端には、避難穴らしき入口がいくつもあった。
ミナが小声で言う。
「本当に、防衛と避難が整っていますね」
「はい」
リオルも頷いた。
「弱いからこそ、逃げ道をたくさん作っている」
ガルドが村の柵を見た。
「柵は強くない。だが、進路を限定する作りだ。時間稼ぎにはなる」
リゼが見張り台を見上げる。
「鳴子も多いわね。魔物だけじゃなく、火事や倒木にも使えそう」
ギギは少し誇らしげに言った。
「キング、言った。強くないなら、早く知る。早く逃げる。みんな残る」
その言葉に、リオルは少しだけ目を細めた。
強くないなら、早く知る。
早く逃げる。
みんな残る。
戦いの強さとは違う。
けれど、それは確かに王の考え方だった。
広場の奥に、一段高い木の台があった。
そこに座っているゴブリンを見て、リゼが思わず小声で言った。
「あれがキング?」
彼は、小さかった。
普通のゴブリンより少し背が高い程度。
体も細い。
頭には木の枝と骨で作った王冠をかぶっているが、王冠の方が重そうに見える。
手には短い杖。
腰には小さな短剣。
そして、ものすごく怯えていた。
リオルたちを見るなり、王冠を押さえて震える。
「ニ、ニンゲン……強いニンゲン……ギルド……終わり……村、終わり……?」
ギギが慌てて言った。
「キング、ちがう。調査。討伐ちがう」
「討伐ちがう?」
ゴブリンキングはおそるおそる顔を上げた。
ミナが前に出て、できるだけ柔らかく言う。
「はい。私たちは、あなたたちの話を聞きに来ました」
「話……聞く?」
「はい」
リオルも続けた。
「あなたが、ここのゴブリンキングですか」
ゴブリンキングは少し迷ったあと、こくこくと頷いた。
「グリム。いちおう、キング」
リゼが小声で言う。
「いちおうって自分で言った」
グリムは聞こえていたのか、しょんぼりした。
「強くない。ほんとはキング、ちがう。でも、前のキング、雷の日、倒れた。みんな、グリムにした」
ガルドが尋ねる。
「なぜ、お前が選ばれた」
グリムは王冠を両手で押さえた。
「グリム、怖がり。だから危ない音、早く聞こえる。変な風、早くわかる。木の実、数えるの得意。逃げ道、覚えるの得意。ケンカ、止めるの少し得意」
ミナが優しく言った。
「それは、とても大事なことですね」
グリムは目を丸くした。
「大事?」
「はい。村を守るために必要な力です」
グリムは少しだけ泣きそうな顔になった。
「でも、オークキング、来る。グリム、戦えない」
その名前が出た瞬間、村の空気が変わった。
ゴブリンたちが一斉に黙る。
ギギも唇を噛んだ。
リオルは静かに尋ねる。
「オークキングとの縄張りバトルについて、詳しく教えてください」
グリムは震える手で、広場の地面に枝で図を描いた。
「森の奥、オーク来た。大きい。強い。オークキング、ヴァルガ。斧、大きい。腕、速い。足、うまい」
「足がうまい?」
リゼが聞く。
ギギが代わりに説明する。
「オーク、普通、力まかせ。でもヴァルガ、違う。足さばき、すごい。斧、振るだけ違う。避ける、回る、引っかける」
ガルドの表情が険しくなった。
「武術を使うオークキングか」
「それは厄介ですね」
リオルが言った。
オークはもともと膂力が高い。
そこに武術が加われば、ただの力自慢ではなくなる。
グリムはさらに続けた。
「ヴァルガ、言った。森、狭い。どっちか王、決める。三日後、縄張りバトル。キング同士、一騎打ち。負けた方、従う」
ミナが心配そうに聞く。
「従うと、どうなるんですか」
グリムは肩を震わせた。
「木の実、半分。若いゴブリン、荷物運び。見張り台、オーク使う。村、たぶん残る。でも、自由、少ない」
「皆殺しではないのね」
リゼが言った。
「でも、村としては大問題」
グリムはこくこく頷いた。
「グリム、戦う。でも、たぶん一秒」
「一秒」
リゼが眉を寄せる。
「そこまで?」
ギギが真顔で言った。
「たぶん、半秒」
「部下の方が厳しい」
グリムはさらにしょんぼりした。
リオルは黙ってグリムを見ていた。
ゴブリンキング。
普通なら、群れの中で最も強い個体を想像する。
だが目の前のグリムは、強くない。
むしろ弱い。
臆病で、震えていて、王冠も似合っていない。
けれど、この村は整っている。
逃げ道がある。
見張りがある。
備蓄がある。
子どもや弱い者を先に隠す仕組みがある。
それは、グリムの怖がりが作った村だった。
リオルはゆっくり言った。
「あなたは、逃げることを恥ずかしいと思っていますか」
グリムは驚いた顔をした。
「逃げる、弱い」
「逃げ道があったから、スタンピードの時に村は無事だったんですよね」
「……うん」
「なら、それは弱さだけではありません」
グリムは何も言えなくなった。
リゼは少しだけリオルを見た。
リオル自身も、いつも帰る道を大切にしている。
撤退条件を決め、無理を避け、誰も置いていかないことを最優先にする。
だからこそ、グリムの怖がりをただ笑えなかった。
ガルドが言う。
「決闘に外部の者は入れないのか」
ギギが頷く。
「入れない。王と王。持つものだけ。武器、王冠、旗、服。村の声はあり」
「村の声?」
ミナが聞く。
「応援。歌。鳴子。昔から、王の後ろに村がいる証」
リゼが少し考える顔になる。
「なるほど。完全な一対一ではあるけど、王が背負うものは持ち込めるわけね」
リオルの目が、ほんの少し動いた。
王と王。
持つものだけ。
武器、王冠、旗、服。
村の声。
直接、グリム本人に付与することは避けたい。
だが、彼が持つものや、彼の後ろにあるものなら。
リオルはそこまで考えて、首を振った。
まだ早い。
まずは相手を見る必要がある。
その時、森の奥から低い角笛の音が響いた。
ぶおおおおおん。
ゴブリンたちが一斉に震えた。
ギギが叫ぶ。
「オーク!」
村の外、森の境界に大きな影が現れた。
オークたちだ。
数は十数体。
どれも大柄で、粗末ながらよく手入れされた武器を持っている。
その中央に、一際巨大なオークがいた。
身長はガルドよりも高い。
肩幅は丸太のよう。
右手には巨大な戦斧。
だが、ただ大きいだけではない。
立ち方が違った。
重心が低く、無駄がない。
戦斧を持つ手に力みがなく、いつでも振れる。
ガルドが低く言った。
「強いな」
リゼも頷く。
「あれ、ただの怪力じゃないわね」
リオルはオークキングの足元を見た。
一歩踏み出すたび、地面の草が同じ方向へ倒れる。
足運びが正確すぎる。
武術。
しかも、実戦で磨かれたものだ。
オークキング――ヴァルガは、村の柵の前で止まった。
そして、よく通る低い声で言った。
「ゴブリンの王。三日後、古戦場に来い」
グリムは台の上で震えている。
「は、はい……」
声が小さすぎて、たぶん届いていない。
ヴァルガは戦斧を肩に担いだ。
「逃げてもよい。その時は森を渡せ」
ギギが悔しそうに拳を握る。
グリムは何か言おうとした。
だが、声が出ない。
リゼが小声で言う。
「さすがに、これはきついわね」
ヴァルガは去る前に、近くの倒木へ斧を振った。
軽く。
本当に軽く、確認するような一振りだった。
倒木が、音もなく斜めに割れた。
切断面は滑らかだった。
力任せではない。
刃筋が完璧だった。
ガルドの表情がさらに険しくなる。
「本物だ」
ヴァルガはそれ以上何も言わず、配下のオークたちを連れて森の奥へ消えていった。
村には、重い沈黙が残った。
グリムは台の上で、王冠を押さえたまま固まっている。
やがて、ぽつりと言った。
「グリム、半秒もたないかも」
リゼは返す言葉に詰まった。
ミナは心配そうにグリムを見ている。
ガルドは森の奥を見据えていた。
リオルは、割られた倒木を見ていた。
強すぎるオークキング。
弱すぎるゴブリンキング。
普通に考えれば、勝負にならない。
だが、グリムには村がある。
逃げ道を作り、備蓄を守り、危険を早く知る力がある。
それは、斧では測れない強さだ。
リオルは静かに呟いた。
「勝つ方法が、戦闘力とは限りません」
リゼが振り返る。
「何か思いついた?」
「まだです」
リオルは正直に言った。
「でも、探します。グリムさんに直接付与せず、彼が王として立てる方法を」
グリムが目を丸くする。
「グリム、立てる?」
「はい」
リオルは頷いた。
「あなたを別の誰かに変えるのではなく、あなたがあなたのまま、王として立つ方法です」
グリムは震えながら、少しだけ王冠を握り直した。
森の奥では、オークキングの角笛がもう一度鳴った。
縄張りバトルまで、三日。
弱すぎるゴブリンキングが、歴代級のオークキングに挑むための時間は、あまりにも短かった。




