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最強付与術師リオルは付与したくない  作者: 逆瀬ゆうり


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13/30

閑話 休息と鍛冶屋と、消えた蒸気


 デュラハン編の騒動が終わった翌日。


 《帰路の灯》は、休むことになった。


 正確には、ミナが朝食の席で両手をつき、普段より少し強めの声で言った。


「今日は、依頼を受けません」


 リゼがパンをかじりながら片眉を上げる。


「珍しく強いわね、ミナ」


「強く言わないと、リオルさんが『少しだけ調査を』と言い出しそうなので」


「言いません」


 リオルは即座に否定した。


 否定したが、鞄の中にはすでに、デュラハンが残した白い欠片と、陽だまり草の小瓶と、雷門の封標片に関するメモが入っている。


 リゼがじとっと見る。


「今、鞄の中で調査の準備してる顔してる」


「顔に出ますか」


「出るわよ。最近わかるようになってきた」


 ガルドが肉と豆の煮込みを食べながら、低い声で言った。


「休息も仕事だ」


「はい」


 リオルは素直に頷いた。


 ミナも柔らかく微笑む。


「ただ、装備品の点検はしておきたいです。ガルドさんの盾も、リゼさんのスティックも、かなり無理をしましたから」


「私のスティック、雷猪の時にちょっと焦げたのよね」


 リゼがスティックを見下ろす。


 赤いスティックの先端には、黒い焦げ跡が残っていた。


「焦げたというか、爆発壺が漏れたというか」


「その壺、実在するみたいに言わないでください」


 ガルドの盾も、ひどい状態だった。


 デュラハンの槍を受け、雷猪の突進を逸らし、雷門の中心を支えた大盾である。

 表面には深い擦過痕が走り、縁の一部はわずかに歪んでいる。


 ミナの白い杖にも、小さなへこみがいくつもあった。


「ぽこんしすぎました」


 ミナが少し恥ずかしそうに言う。


 リゼが笑った。


「ぽこんヒーラー、正式に板についてきたわね」


「正式には困ります」


「でも強いのよね、ぽこん」


「呼び方だけ、なんとか……」


 リオルは自分の短剣を確認した。


 ほとんど使っていないはずなのに、鞘に細かい傷がある。


 付与術で世界そのものに干渉していると、道具も意外と負担を受けるらしい。


「では、鍛冶屋へ行きましょう」


 ガルドが言った。


「王都の南工房街に、信頼できる鍛冶師がいる」


 こうして、休息日の予定は決まった。


 依頼ではない。

 戦闘でもない。

 ただの装備メンテナンス。


 そのはずだった。


   ◇


 王都南工房街は、朝から熱気に包まれていた。


 石畳の通りには、金属を叩く音が響く。

 煙突からは白い煙が立ち上り、工房の前には剣、鍋、農具、鎧の部品が並んでいる。


 ガルドが案内したのは、通りの奥にある古い鍛冶屋だった。


 看板には、鉄槌と炎の紋章。


【ボルク鍛冶工房】


 中へ入ると、むわっと熱気が押し寄せた。


「おう、ガルドじゃねえか」


 奥から現れたのは、太い腕をした中年の鍛冶師だった。


 短く刈った赤茶の髪。

 煤で黒くなった前掛け。

 鋭い目つき。


 いかにも頑固そうな人物である。


「ボルク。装備の点検を頼みたい」


「見せてみろ」


 ボルクはガルドの盾を受け取るなり、眉を跳ね上げた。


「おいおい。何を受けたらこんな傷になる」


「デュラハンの槍と、雷猪の突進だ」


「昨日の山の騒ぎか。なるほどな」


 ボルクは盾の縁を指で叩いた。


 こん、こん、と低い音がする。


「芯は無事だ。だが、外縁が少し眠ってる」


「眠ってる?」


 リオルが聞く。


 ボルクはちらりとリオルを見た。


「金属ってのはな、使い込むと場所によって疲れる。叩かれすぎた部分は、音が鈍る。俺はそれを眠ってると言ってるだけだ」


「なるほど」


 リオルは真剣に頷いた。


 リゼが小声で言う。


「あんたの“床の未練”とか“影の正直さ”に近い表現ね」


「近いかもしれません」


「近いんだ」


 ボルクはリゼのスティックを見て、今度は苦い顔をした。


「こいつは焦げすぎだ。魔術師はすぐ火力で解決しようとする」


「今回はかなり我慢した方よ」


「我慢してこれか」


「爆発壺を割らなかっただけ偉いと思って」


「何だその壺は」


「心の中にあるの」


「工房に持ち込むな」


 ミナの白い杖も点検される。


 ボルクは杖の小さなへこみを見て、首をかしげた。


「治癒師の杖にしては、妙に打撃痕が多いな」


 ミナは視線を逸らした。


「少し、叩く機会がありまして」


「何を」


「地面や空気や魔物などを……」


「治癒師とは」


 ボルクは深く考え込んだ。


 リオルは慌てて言う。


「ミナさんの打撃は、回復につながるんです」


「余計にわからん」


 もっともな反応だった。


 ひと通り装備を見たボルクは、炉の前に立った。


「盾の縁は打ち直す。スティックは焦げを落として、魔力の通りを整える。白い杖は……まあ、へこみを戻す」


「お願いします」


 ガルドが頷いた。


 リオルは炉をじっと見ていた。


 赤く燃える炎。

 熱された金属。

 水槽から立ち上る蒸気。

 槌が打ち込まれるたびに飛ぶ火花。


 すべてが、役目を持って動いている。


 ボルクがそれに気づいた。


「坊主、炉が気になるのか」


「はい。炎の流れと蒸気の動きが、とても複雑なので」


「鍛冶の炎は生き物みたいなもんだ。強すぎれば焼き殺す。弱すぎれば起こせない。蒸気も同じだ。逃がし方を間違えると、金属が歪む」


「逃がし方……」


 リオルの目が少し輝いた。


 リゼがすぐに言う。


「その顔、何か思いついたでしょ」


「少しだけ」


「危ない?」


「人には付与しません」


「それは知ってる」


 ボルクが腕を組む。


「付与術師か」


「はい。ただ、人や装備に直接付与するのは避けています」


「変わってるな。付与術師なら装備を強くしてなんぼだろう」


「装備を持つ人に影響が流れる可能性があるので」


 ボルクは数秒黙った。


 そしてガルドを見た。


「いつもこんな感じか」


「いつもだ」


「そうか」


 短い納得だった。


 リオルは炉の前に立った。


「炎そのものではなく、炎と金属の間にある熱の届き方。あるいは、水槽で発生する蒸気の逃げ道に付与すれば、金属への負担を減らせるかもしれません」


 ボルクの目が鋭くなった。


「面白い。だが、炉で遊ぶなよ。炎は機嫌を損ねると工房ごと食う」


「はい。小さく試します」


「どれくらい小さく」


「指先ほどの範囲で」


 リゼが不安そうに言う。


「その“指先ほど”が、たまに世界を変えるのよね」


「今回は大丈夫です」


「その言葉、信頼しきれないのよ」


 リオルは炉ではなく、水槽の上に立ち上る蒸気を見た。


 熱した小さな鉄片を水に入れると、じゅう、と音がして白い蒸気が上がる。


 リオルはその蒸気の一部へ手を向けた。


「極所付与」


 淡い光が、蒸気の中に宿る。


「対象、水槽上に発生した蒸気のごく一部。性質指定――周囲の空気を邪魔せず、すっと退く静けさ。二十四時間、増大」


 次の瞬間。


 音が消えた。


 じゅう、と鳴っていた蒸気の音が、ぷつりと切れた。


 白い蒸気の中に、丸い透明な穴が生まれる。


 ほんの指先ほどの、小さな空白。


 そこだけ、空気も蒸気も存在しないように見えた。


 リゼが固まる。


「……何あれ」


 ガルドが眉をひそめる。


「穴か?」


 ミナが一歩下がった。


「空気が……ない?」


 ボルクの顔が、職人の興味と本能的な恐怖で引きつった。


「おい坊主。今、何を作った」


 リオルも目を丸くしていた。


「……極所的な、真空状態です」


「真空?」


「空気も蒸気も退きすぎました」


「退きすぎたって何よ!」


 リゼが叫んだ。


 小さな真空の穴は、周囲の蒸気を吸い込むように歪んだ。


 次の瞬間、ぱん、と乾いた音が鳴る。


 蒸気が一気に戻り、白い煙が小さく弾けた。


 工房の中に、しばし沈黙が落ちる。


 ボルクがゆっくりとリオルを見る。


「坊主」


「はい」


「お前、鍛冶場で空を消したな?」


「空気を少し退かせただけです」


「それを空を消したって言うんだよ」


 リゼが頭を抱えた。


「休息回なのに、とんでもないもの出てきたわね」


 ミナが心配そうにリオルを見る。


「大丈夫ですか? 負担は?」


「僕は大丈夫です。ただ、想定より蒸気が素直に退いてしまいました」


「素直に退くと真空になるのね……」


 ガルドは水槽の上の空間を見つめていた。


「使い方を誤れば危険だな」


「はい」


 リオルは真剣に頷いた。


「生き物の近くでは絶対に使えません。呼吸に関わりますし、圧力差で怪我をします」


「それを聞けて安心したわ」


 リゼが言った。


「思いついた瞬間に戦闘で使い出さないか心配だったのよ」


「使いません」


「ほんとに?」


「人には絶対に使いません」


「魔物には?」


「必要がなければ使いません」


「必要があったら?」


「……範囲と対象を慎重に限定します」


「やっぱり怖いじゃない」


 ボルクは腕を組んで考え込んでいた。


 そして、突然にやりと笑う。


「だが、面白い」


 リゼが嫌な予感のする顔をした。


「鍛冶屋さん?」


「蒸気の抜けを極小で制御できるなら、焼き入れの時に気泡を逃がせるかもしれん。金属の表面に余計な膜を作らず、熱だけを通せる可能性もある」


 リオルの目も輝く。


「金属に直接付与せず、炎と蒸気の逃げ道だけを整える」


「そうだ。道具には手を出さず、鍛冶の環境だけを整える。坊主、お前の変なこだわりと相性がいい」


「変なこだわり……」


 ミナが小さく笑った。


「でも、リオルさんらしいです」


 リオルは少し困った顔をしながらも、否定しなかった。


 その後、ボルクの監督のもと、リオルはさらに小さな実験を行った。


 炉の炎そのものには付与しない。

 炎と金属の間にある、熱の通り道だけ。


「対象、炉内の小鉄片の表面から一ミリ離れた熱の層。性質指定――余計な焦げを置いていかない丁寧さ。二十四時間、増大」


 鉄片の表面が、いつもより均一に赤く染まった。


 次に、焼き入れの瞬間。


「対象、鉄片表面に発生する蒸気膜の端。性質指定――必要な分だけ道を空ける控えめさ。二十四時間、増大」


 今度は真空の穴は生まれなかった。


 蒸気が薄く、均一に逃げる。


 じゅう、という音がいつもより澄んでいた。


 ボルクは鉄片を取り出し、光にかざした。


「……表面が荒れてねえ」


「成功ですか?」


「小片ではな。実用品に使うには、何十回も試す必要がある」


 ボルクはリオルを見た。


「だが、これは鍛冶を変えるかもしれん」


「鍛冶を……」


 リオルは少し戸惑った。


 リゼが横から言う。


「また大ごとになりそうな顔してる」


「大ごとにはしたくありません」


「でも、したことが大ごとなのよ」


 ガルドが盾の修理を見ながら言った。


「戦いではなく、物を作るための付与か」


「はい」


 リオルは頷いた。


「誰かを強くするのではなく、物が本来の役目を果たしやすくなるように、環境を整える付与です」


 ミナが微笑む。


「それも、帰路の灯らしいですね」


「そうでしょうか」


「はい。壊れたものが、また使える場所へ帰るお手伝いです」


 リオルは炉の炎を見た。


 炎は赤く揺れている。


 先ほど真空を生んだ時のような危険な気配はない。


 ただ、金属を温め、形を変えるために燃えている。


「……付与は、修理にも使えるんですね」


 リオルは静かに言った。


 ボルクが鼻を鳴らす。


「当たり前だ。強くするだけが仕事じゃねえ。鍛冶も同じだ。折れた剣を直す。歪んだ盾を戻す。持ち主がまた前に立てるようにする。それが仕事だ」


 リオルはその言葉を胸にしまった。


 持ち主がまた前に立てるようにする。


 自分の付与も、そういうものであればいいと思った。


   ◇


 夕方。


 装備の応急整備は終わった。


 ガルドの盾は縁の歪みが戻り、音も澄んでいる。

 リゼのスティックは焦げが落ち、魔力の通りが軽くなった。

 ミナの白い杖も、へこみが目立たなくなっている。


 ボルクはリオルへ、小さな鉄片を渡した。


「試作品だ。蒸気抜き付与を使った最初の鉄片。持っていけ」


「いいんですか?」


「お前が持っていた方がいい。うちに置いておくと、俺が徹夜で実験しそうだ」


「休んでください」


「お前もな」


 ボルクはにやりと笑った。


「あと、次に工房で真空を作る時は先に言え」


「はい。すみませんでした」


 リオルは深く頭を下げた。


 リゼが呆れたように言う。


「普通、次に真空を作る予定なんてないのよ」


「研究としては必要かもしれません」


「ほら、また始まった」


 ミナがくすっと笑う。


 ガルドも盾を背負い直した。


「今日はもう戻るぞ。休息日だ」


「はい」


 リオルは試作品の鉄片を鞄にしまった。


 そこに、ふと淡い文字が浮かぶ。


【リオル:+1】


 リオルは固まった。


「……鉄片にも」


 リゼが覗き込んで、肩を震わせた。


「薬草の次は鉄片ね」


「これは付与回数の記録です。たぶん」


「たぶんって言った」


「でも、鉄片に好感度はないはずです」


「薬草の時も似たこと言ってたわよ」


 ミナが優しく言った。


「でも、今回は少し落ち着いていますね」


 リオルは鉄片を見つめた。


 怖くないわけではない。


 だが、以前のように青ざめて手放したくなるほどではなかった。


「はい。少しだけ」


 ガルドが短く言う。


「記録だ」


「……はい」


 リオルは小さく頷いた。


 記録。


 歩みを残すもの。


 鉄片は静かに鞄の中へ収まった。


 外へ出ると、工房街には夕焼けが差していた。


 戦いのない一日。


 それでも、リオルはまたひとつ知った。


 付与は、戦場だけの力ではない。

 誰かを強くするだけの力でもない。


 炎の通り道を整え、蒸気を逃がし、傷ついた装備がまた持ち主の手に戻るよう支えることもできる。


 ただし、油断すると局所的に真空を作る。


 その点だけは、今後かなり注意が必要だった。


 リゼが空を見上げながら言う。


「休息日なのに、最後に真空が出てくるの、やっぱり私たちらしいわね」


 ミナが微笑む。


「でも、誰も怪我をしませんでした」


 ガルドが頷く。


「装備も直った」


 リオルは少しだけ笑った。


「では、良い休息日だったということで」


「そうまとめるのは強引じゃない?」


 リゼはそう言いながらも、笑っていた。


 四人は夕暮れの王都を歩く。


 明日はまた、何かが起きるかもしれない。


 原初の書庫。

 王なき塔。

 白き兜の騎士が残した手がかり。


 気になることは山ほどある。


 けれど今は、修理された装備の重みと、工房の炎の匂いと、仲間たちの足音だけで十分だった。


 休息は、短い。


 それでも確かに、彼らの帰る場所を温めていた。

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