デュラハン編-6 白き兜の騎士
山頂の空は、黒く渦を巻いていた。
三度目の黒雷が、雲の奥で膨らんでいる。
雷門の裂け目は小さくなったものの、まだ完全には閉じていない。
その奥から、巨大な影が近づいていた。
獣の形にも見える。
人の形にも見える。
だが、どちらでもない。
何百もの魔物の叫びを一つに固めたような影。
雷門の向こう、獣哭きの谷に眠るもの。
デュラハンは槍を構え、低く告げた。
「厄災影」
リゼが顔をしかめる。
「名前からして、まともじゃないわね」
「伝説級の災いだ」
デュラハンの声は静かだった。
「谷に封じられし群れの王。門が裂けた時、最後に押し返してくるもの」
ガルドが盾を握る手に力を込める。
「勝てる相手か」
デュラハンは少し黙った。
そして、正直に言った。
「一分にも満たぬ」
「一分?」
リオルが聞き返す。
「勝率だ。一分、つまり一パーセントにも届かぬ」
山頂の空気が凍った。
リゼの表情から軽口が消える。
ミナも息を呑む。
ガルドは盾を構えたまま、わずかに目を細めた。
デュラハンは続ける。
「ゆえに、我は相打ちを選ぶつもりであった。雷芯を抜き、我が存在ごと門を閉じる。それしかないと考えていた」
「それは……」
ミナの声が震えた。
「あなたが消えるということですか」
「我は門番。役目を終えれば、それも道」
「違います」
リオルは即座に言った。
デュラハンの兜が、ゆっくりとリオルへ向く。
リオルは一歩前へ出た。
「まだ方法を試しきっていません」
「時間はない」
「だから、今聞きます」
リオルはデュラハンを見上げた。
「あなたの体は、どこまでがあなたなんですか」
リゼが一瞬だけ振り向いた。
「この状況で何聞いてるの?」
だが、ガルドは気づいたように低く言った。
「付与対象の確認か」
「はい」
リオルは頷いた。
「デュラハンさんに直接付与するのは避けたい。でも、鎧や馬や槍がどこまで本人なのか分からないと、付与の境界を間違えます」
デュラハンは沈黙した。
黒雲の奥で雷が膨らむ。
門の向こうでは、厄災影が近づいている。
それでも、デュラハンは答えた。
「我が本体は、兜だ」
リゼが目を丸くした。
「兜?」
「そうだ」
デュラハンは自らの兜へ手を当てた。
「首なし騎士と呼ばれるが、我に首はない。魂を宿す器はこの兜。鎧は戦うための殻。馬は駆けるための器。槍は封じるための杭」
「だから、兜付きだったんですね」
リオルが呟く。
「首があるように見せるためではなく、兜そのものが本体だった」
「紛らわしいわね、デュラハン」
リゼが小声で言った。
デュラハンはわずかに兜を傾ける。
「……紛らわしい、か」
「だって普通、デュラハンって首なしのイメージじゃない。兜が本体って、初見じゃ分からないわよ」
「なるほど」
デュラハンは少しだけ考え込んだ。
この状況で本気で納得しているように見えて、リオルは一瞬だけ調子を崩しそうになった。
だが、すぐに気を取り直す。
「では、兜には付与しません」
「よい」
「鎧の中にある可動部の隙間、関節の空間、装甲と装甲の間、馬鎧の接続部、槍を握る手甲の内側。それらはあなた自身ではなく、鎧の機構ですか」
「そうだ」
「そこに付与する許可をください」
デュラハンの青火が揺れた。
「我を強化するのか」
「あなたではなく、あなたが動かす鎧の“隙間”を整えます」
リオルは真剣だった。
「あなたの意志は変えません。兜には触れません。ただ、あなたが選んだ動きを、鎧が邪魔しないようにします」
デュラハンはしばらく黙った。
そして、槍をわずかに下げた。
「許す」
その言葉に、リオルは息を吸った。
「ありがとうございます」
リゼがスティックを構える。
「リオル、やるなら早く。あの影、もうかなり近いわ」
門の奥で、巨大な影が腕のようなものを伸ばしていた。
裂け目が、内側から押し広げられる。
リオルはデュラハンの鎧を見た。
黒銀のメタルアーマー。
魔力を滑らせる表面。
重装でありながら、騎馬戦を可能にする精密な可動部。
普通の付与術師なら、鎧全体に防御力や筋力補助を付与するだろう。
だが、リオルは違う。
彼は極所を見た。
肩鎧の内側、動きを妨げるわずかな隙間。
肘関節の軋み。
手甲と槍の柄の間に生じる空気。
胸甲の内側で魔力が反射する薄い空間。
膝当てと脚甲の接合部。
馬鎧と鞍の間。
蹄鉄と岩盤の接触直前の空気。
人ではない。
兜でもない。
魂でもない。
鎧の中にある、無数の“空白”。
「極所付与」
リオルの手から、淡い光が広がった。
「対象、右肩甲の内側の隙間。性質指定――槍を振る時の迷いのなさ。二十四時間、増大」
デュラハンの右肩が、静かに動いた。
重い鎧のはずなのに、空気を切る音が変わる。
「対象、左肘関節の空間。性質指定――戻りの速さを邪魔しない素直さ。二十四時間、増大」
槍を引く動作が、目に見えて鋭くなる。
「対象、手甲と槍柄の間の空気。性質指定――握りを伝える忠実さ。二十四時間、増大」
デュラハンの槍が、まるで腕の延長のように静かに震えた。
「対象、胸甲内側の魔力反射面。性質指定――雷を暴れさせず巡らせる落ち着き。二十四時間、増大」
黒銀の鎧を流れていた紫雷が、乱れを失って細い線になった。
「対象、膝甲の継ぎ目。性質指定――踏み込みの遅れを置き去りにする軽さ。二十四時間、増大」
黒馬が一歩踏み出しただけで、山頂の岩盤が震えた。
「対象、馬鎧と鞍の隙間。性質指定――騎手と馬の意図がすれ違わない一体感。二十四時間、増大」
黒馬の青白い目が強く光る。
「対象、蹄鉄の下に生まれる一瞬の空気。性質指定――地面を掴む前に勝ち筋を知る先読み。二十四時間、増大」
リゼが呆然とした声を漏らした。
「……何個かけるのよ」
「全部、対象が違います」
リオルは汗を浮かべながらも、止まらない。
「対象、外套の影。性質指定――攻撃の余波を後ろへ逃がす流れ。二十四時間、増大」
「対象、兜を除く首元の空白。性質指定――本体に衝撃を届かせない距離感。二十四時間、増大」
「対象、槍先直前の空気。性質指定――封じるべきものを見失わない集中。二十四時間、増大」
付与の光が、デュラハンの鎧の隙間を埋めていく。
いや、埋めるのではない。
隙間が、役目を思い出していく。
鎧は重さを失わず、防御を失わず、それでいて動きを邪魔しなくなる。
槍は鋭さを増し、馬は騎士の意志と一体化し、雷は暴走せず鎧の中を巡る。
黒銀だった鎧が、内側から白く輝き始めた。
ミナが小さく言った。
「白く……」
デュラハンの鎧を走る紫雷が、金白色へ変わっていく。
雷門の封印光。
根の金色。
針の青白さ。
雷の紫。
三つが混ざり、デュラハンの鎧を白く染めていた。
黒き門番は、白き騎士へ姿を変えていく。
ガルドが低く唸った。
「凄まじいな」
リゼはぽかんと口を開けた。
「これ、もう別物じゃない?」
リオルは最後に、デュラハンの足元の影へ手を向けた。
「対象、白き騎士がここに立つ理由。性質指定――相打ちではなく、帰るための戦いとしての見えやすさ。二十四時間、増大」
デュラハンの兜の奥の青火が、白く変わった。
彼は槍を持ち上げる。
その動きに、重さはある。
だが、遅さがない。
「これは……」
デュラハン自身が、戸惑ったように呟いた。
「我が鎧か」
「鎧の隙間に付与しました」
リオルは肩で息をしながら言った。
「あなた自身は変えていません。動くのは、あなたの意志です」
デュラハンは、静かに頷いた。
「承知した」
その時、雷門の裂け目が大きく開いた。
厄災影が、ついに山頂へ腕を突き出す。
黒い爪。
獣の骨のような指。
無数の魔物の顔が浮かんでは消える腕。
門の向こうから、伝説級の厄災が這い出ようとしていた。
三度目の黒雷が、空で膨らむ。
デュラハンは白い槍を構えた。
黒馬だった馬も、今は白銀の馬鎧をまとっている。
蹄の周囲には金白色の雷が走っていた。
リゼが思わず言う。
「白い騎士……」
ミナが続ける。
「ホワイトナイトですね」
デュラハンはその言葉を聞き、わずかに兜を傾けた。
「白騎士」
少しだけ、気に入ったように聞こえた。
そして次の瞬間。
白騎士は消えた。
「え?」
リゼが声を漏らした時には、もう遅い。
デュラハンは厄災影の腕の前にいた。
速すぎた。
馬の踏み込み。
鎧の可動部。
槍の連動。
雷の巡り。
すべてが、リオルの付与によって異常なほど噛み合っていた。
デュラハンは槍を一閃した。
金白色の線が、山頂を横切る。
厄災影の腕が、門の縁ごと切り裂かれた。
影が咆哮する。
だが、その咆哮が終わる前に、白騎士はすでに二撃目を放っていた。
槍先が影の胴を貫く。
雷が内側から走り、無数の魔物の顔を一瞬で焼き払う。
ガルドが呟いた。
「……強い」
リゼが呆然と続ける。
「強いっていうか、速すぎるんだけど」
ミナも目を丸くしていた。
「さっきまで、一パーセント未満って……」
リオルはただ、息を呑んで見ていた。
デュラハンと付与術の相性が良すぎる。
人間の体なら、関節や筋肉や神経の限界がある。
付与しすぎれば負担になる。
だが、デュラハンは兜が本体。
鎧は器。
可動部の隙間にいくら付与しても、肉体への負担がない。
しかも、もともと高位の門番であり、騎馬戦の達人。
鎧のわずかな遅れ、魔力のわずかな乱れ、槍と手甲のわずかなズレ。
それらが全て消えた時、デュラハンは本来の性能を超えた。
白騎士は、厄災影の周囲を駆け抜ける。
蹄が岩盤に触れるたび、封印の輪が輝いた。
槍が突くたび、門の裂け目が縫い合わされる。
厄災影は反撃しようとした。
巨大な口を開き、黒い雷を吐く。
だが、デュラハンは槍を軽く回した。
槍の周囲の空気に、リオルが付与した「封じるべきものを見失わない集中」が宿っている。
黒雷は槍先に吸い込まれ、白い雷へ変わって門の縫い目に流れた。
デュラハンが、ほんの少しだけ兜を傾けた。
「……ぬ?」
拍子抜けしたような声だった。
リゼが思わず叫ぶ。
「今、“ぬ?”って言った!?」
「言いましたね」
ミナも少し笑いそうになっていた。
ガルドでさえ、口元をわずかに緩めた。
デュラハン自身が、一番驚いているようだった。
一パーセントにも満たない勝率。
相打ち覚悟。
そのはずの厄災影が、あまりにも手応えなく押し返されている。
リオルは慌てて叫んだ。
「油断しないでください!」
その瞬間、厄災影が膨れ上がった。
切り裂かれた影が、山頂の黒雲を吸い込み、巨大な獣の形へ変わる。
第二形態。
四本の腕。
六本の角。
背中には、黒雷の翼。
口の中には、無数の赤い目。
リゼが顔を引きつらせる。
「出たわね、第二形態!」
ガルドが盾を構える。
「今度はまずいか」
だが、デュラハンはもう動いていた。
白騎士は黒雷の翼が開ききる前に、影の足元へ潜り込む。
馬が踏み込む。
蹄鉄下の空気が、勝ち筋を先読みする。
槍が跳ね上がる。
第一撃で、黒雷の翼が片方消える。
第二撃で、四本の腕がまとめて縫い止められる。
第三撃で、六本の角が封印光に砕かれる。
厄災影が叫ぶ。
その叫びを、リゼの火花が照らした。
「リオル、中心!」
「見えました!」
影の胸の奥に、黒い核がある。
リオルはデュラハンではなく、その核へ向かう道筋に残る封印線へ付与した。
「対象、厄災影の核へ至る封印線の隙間。性質指定――白騎士の槍を迷わせない一本道としての明確さ。二十四時間、増大!」
封印線が一本の光になる。
ミナが山頂の土を叩いた。
「えいっ!」
ぽこん。
根の力が白騎士へではなく、封印の輪へ巡る。
輪が安定する。
ガルドが大盾を雷芯の手前に押し込み、門の中心を支える。
「行け!」
白騎士が駆けた。
まっすぐ。
迷いなく。
白い槍が、厄災影の核を貫いた。
音はなかった。
ただ、黒い影が内側から白く染まり、裂け目の奥へ引き戻されていく。
厄災影の第二形態は、ほとんど何もできずに崩壊した。
リゼが口を開けたまま固まる。
「……瞬殺?」
ガルドが静かに言う。
「ほぼ、そうだな」
ミナが小さく息を吐く。
「よかった……のでしょうか」
リオルは目を瞬いた。
勝った。
勝ってしまった。
あれほど恐ろしい存在だった厄災影を、デュラハンが圧倒した。
いや、デュラハンだけではない。
リゼの火が照らし、ガルドの盾が支え、ミナの回復が封印を巡らせ、リオルの付与が隙間を整えた。
だが、最後に槍を通したのは、白き兜の騎士だった。
三度目の黒雷が、空から落ちる。
しかし今度は、門を広げる雷ではなかった。
閉じるための雷。
封印の輪を巡り、雷芯へ落ち、槍の影が縫った線を通って、根と針へ流れていく。
門の裂け目が、ゆっくりと閉じた。
獣哭きの谷の咆哮が遠ざかる。
黒雲が割れ、山頂に朝のような光が差した。
静寂。
雷門は閉じた。
◇
白騎士は、山頂の中央で槍を下ろした。
鎧は白銀に輝いている。
黒かった馬も、今は白い雷をまとっていた。
兜の奥の火は、青でも紫でもなく、柔らかな白だった。
「門は閉じた」
デュラハンが言った。
リゼが大きく息を吐く。
「終わった……のよね?」
リオルは雷門の跡を見た。
裂け目は消えている。
魔力の漏れもない。
山頂に残るのは、根、針、雷の封印線が淡く結ばれた円だけ。
「はい。閉じています」
ミナがその場に座り込むように膝をついた。
「よかったです……」
ガルドも盾を下ろす。
「王都への危機は去ったな」
リオルはデュラハンの方を向いた。
「あなたも、無事で」
言いかけて、止まった。
デュラハンの体が、淡く透け始めていた。
「デュラハンさん?」
「雷門は閉じた。我が役目は、ここには残らぬ」
ミナが立ち上がる。
「消えてしまうんですか?」
「消えるのではない」
デュラハンは、白い馬の首を撫でた。
「帰るのだ」
リオルは息を止めた。
帰る。
その言葉は、この旅で何度も聞いてきた。
帰路。
帰る場所。
仮の根元。
撤退する資格。
進む資格。
デュラハンは、白い兜を少し傾けた。
「我が名は失われた。だが、役目だけは残っていた。門番として刻まれ、壊れることで終わるはずであった」
兜の奥の白火が、リオルを見る。
「付与術師。汝は、我を道具として終わらせなかった」
「僕は……鎧の隙間に付与しただけです」
「それでよい」
デュラハンの声は、わずかに穏やかだった。
「隙間を整えられたからこそ、我は己の意志で槍を振れた」
リゼが腕を組んだ。
「最後、かなり余裕そうだったけどね。ぬ? って言ってたし」
デュラハンの兜が、ほんの少しだけ横を向いた。
「……想定より、容易であった」
「かわいい言い訳ね」
「かわいい?」
デュラハンがまた兜を傾ける。
リゼは笑った。
「そういうところよ」
ミナも少しだけ微笑んだ。
ガルドは静かに言った。
「どこへ帰る」
「封印の道の奥。根と針と雷が交わる場所。かつて我らが守った、白き騎士たちの座」
「仲間がいるんですか」
リオルが尋ねる。
「記憶は薄い。だが、呼ぶ声がある」
デュラハンは山頂の空を見上げた。
黒雲はもうない。
青い空が広がっている。
「今なら、帰れる」
リオルは少しだけ寂しさを覚えた。
デュラハンは敵として現れた。
戦った。
試された。
怖い相手だった。
けれど今は、ただ消えてほしくないと思った。
「また会えますか」
リオルが言うと、デュラハンは少しだけ沈黙した。
「道が交われば」
それが約束なのか、ただの事実なのかはわからない。
だが、リオルは頷いた。
「では、その時はまた」
「うむ」
デュラハンは槍を立てた。
白い雷が静かに広がり、馬の蹄元に小さな門を作る。
それは黒い裂け目ではない。
白く、穏やかな道だった。
デュラハンは馬にまたがり、最後に四人を見た。
「帰路の灯」
兜の奥の白火が、少しだけ強くなる。
「敗者に退路を。勝者に重き道を。そして、道に迷う者には灯を」
リオルは胸に手を当てた。
「はい」
「汝らの灯が、次の門にも届かんことを」
白馬が一歩進む。
デュラハンの姿が、光の中へ溶けていく。
完全に消える直前、リゼが手を振った。
「元気でね、白兜!」
デュラハンが、ほんの少しだけ振り返った。
「白兜……」
気に入ったのか、困ったのか、よくわからない声だった。
そして、白き兜の騎士はどこかへ帰っていった。
山頂には、静かな風だけが残った。
◇
王都に戻る頃には、クラウ山の黒雲は完全に消えていた。
魔力濃度も下がり、山麓の魔物たちはそれぞれの縄張りへ散っている。
ギルドでは、雷門閉鎖の報告に大きな歓声が上がった。
冒険者たちはリオルたちを囲み、口々に称えた。
「本当に門を閉じたのか!」
「デュラハンはどうなった?」
「白い騎士になって帰ったって本当か?」
「リオル、お前、今度はデュラハンまで強化したのか?」
リオルは慌てて否定した。
「デュラハンさん本人には付与していません! 鎧の隙間です!」
「鎧の隙間?」
「可動部の空白や、手甲と槍の間の空気や、蹄鉄の下の一瞬の空気です!」
冒険者たちは一斉に黙った。
そして、誰かが言った。
「……やっぱりよくわからんけど、すごいな」
リゼが横で笑う。
「大丈夫。私たちもたまによくわからないから」
「リゼさん」
「でも効くのよね」
ミナが優しく続けた。
「誰かを無理に変える付与ではありませんでした。デュラハンさんが自分で戦うための、支えの付与でした」
ガルドも頷く。
「奴は自分の意志で槍を振った」
リオルはその言葉を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
自分は、デュラハンを操作しなかった。
意志を変えなかった。
ただ、鎧の隙間を整えた。
それでも、あれほどの力になった。
付与は、相手を縛る鎖ではない。
相手が自分の力で進むために、道を整える灯にもなる。
その実感が、またひとつ胸に残った。
ギルド長バルザックが、四人の前に立った。
「王都は守られた。君たち《帰路の灯》の功績だ」
リゼが小さく呟く。
「仮名だったはずなのに、もう定着してるわね」
「悪くない」
ガルドが言う。
ミナも頷いた。
「はい。私は好きです」
リオルは少し照れたように目を伏せた。
「僕も……嫌ではありません」
「そこは好きって言えばいいのに」
リゼが突っ込む。
「まだ、少し慣れなくて」
「まあ、今はそれでいいわ」
エリナが報酬袋と一緒に、小さな白い金属片を差し出した。
「山頂に残っていたそうです。デュラハンが消えたあと、封印陣の中央に」
リオルはそれを受け取った。
白銀の小さな欠片。
兜の飾りの一部のようにも見える。
そこには古代文字が刻まれていた。
【白き門番、帰路を得る】
【原初の書庫を求む者よ】
【次は、王なき塔へ】
「王なき塔……」
リオルは呟いた。
また、原初の書庫への手がかりだ。
リゼが覗き込む。
「次の行き先まで指定してくるなんて、ずいぶん親切ね」
「親切でしょうか」
「罠かもしれないけど」
「その可能性はあります」
「そこは否定してほしかったわ」
ガルドが腕を組む。
「だが、今は休むべきだ」
ミナが強く頷いた。
「はい。絶対に休むべきです」
リゼがリオルを見る。
「特にあんた。何十個付与したと思ってるの」
「数えていません」
「数えなさいよ」
「対象が全部違ったので」
「そういう問題じゃないの」
リオルは困った顔をした。
けれど、その表情は穏やかだった。
◇
その夜。
リオルは宿屋の窓から、クラウ山を見ていた。
山頂に黒雲はない。
ただ、月明かりに照らされた山の輪郭が静かに見えるだけだ。
小瓶の中の陽だまり草の葉には、まだ小さく【リオル:+1】が残っている。
デュラハンの白い欠片にも、同じように淡い文字が浮かんでいた。
【リオル:+1】
リオルはそれを見て、以前ほど青ざめなかった。
怖さが消えたわけではない。
けれど、今日見た。
自分の付与で、デュラハンは操られたわけではない。
むしろ、自分で選んだ道を進んだ。
なら、この数字も、本当にただの記録なのかもしれない。
まだ断言はできない。
でも、そうかもしれないと思えるくらいにはなった。
扉の向こうから、リゼの声がした。
「リオル、生きてる?」
「はい」
「薬草と兜片に話しかけてない?」
「経過観察中です」
「やっぱりしてるじゃない」
リオルは少しだけ笑った。
その笑いは、自分でも驚くほど自然だった。
扉の外で、ガルドの低い声がする。
「明日は休むぞ」
ミナも続いた。
「朝食のあと、散歩くらいにしましょう。依頼は受けません」
「はい」
リオルは素直に答えた。
窓の外で、夜風が吹く。
どこか遠くで、白い馬の蹄音が聞こえたような気がした。
気のせいかもしれない。
けれどリオルは、山の方へ小さく頭を下げた。
「また、道が交われば」
白き兜の騎士は、どこかへ帰っていった。
王都は守られた。
そして《帰路の灯》は、また次の手がかりを得た。
原初の魔導書へ続く道は、少しずつ、しかし確かに開かれていく。




