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最強付与術師リオルは付与したくない  作者: 逆瀬ゆうり


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デュラハン編-5 黒雷の前に、灯を置く

 王都へ戻った時、西門の前はすでに騒然としていた。


 防衛に出ていた冒険者たちが帰還し、衛兵隊が負傷者を誘導し、治癒師たちが簡易天幕の下で魔力酔いの処置をしている。


 大きな被害はない。


 それは、奇跡に近かった。


 雷猪を中心に膨らみかけた群れは、リオルたちの誘導によって山奥へ散った。

 王都側の街道に流れた魔物は、数えるほどしかいない。

 怪我人も軽傷が中心で、命に関わる者はいなかった。


 だが、街の空気は重い。


 クラウ山の上に、黒雲がまだ残っているからだ。


 山頂に落ちた一度目の黒雷。


 音は聞こえなかった。

 けれど、空が一瞬暗くなったのを、王都の人々も見ていた。


「黒い雷なんて、聞いたことがないぞ」


「山頂の石像と関係あるんだろ?」


「魔物の群れが出たって本当か?」


「王都まで来るのか?」


 不安は、火よりも早く広がる。


 リオルは西門をくぐりながら、周囲の声を聞いた。


 そして、胸が少し苦しくなった。


 スタンピードの芽は摘んだ。

 けれど、雷門はまだ閉じていない。


 黒雷は、三度落ちる。


 一度目はすでに落ちた。


 残り二度。


 その前に、門を閉じる方法を見つけなければならない。


「リオル」


 リゼが横から声をかけた。


「あんた、また全部背負う顔してる」


「……してましたか?」


「してた。眉間が“僕がなんとかしないと”って形になってた」


「眉間でそこまでわかるんですか」


「わかるわよ。最近、見慣れてきたし」


 リゼは軽く肩をすくめた。


「今回は街全体の話よ。あんた一人でどうにかする規模じゃない」


「はい」


 リオルは頷いた。


 頭ではわかっている。


 けれど、どうしても考えてしまう。


 もっと早く気づけていれば。

 もっと上手く付与できていれば。

 雷猪から欠片を外す時、もっと早く動けていれば。


 そんな思考が、足元の影のようについてくる。


 ガルドが隣を歩きながら言った。


「今日、街道に群れは出なかった」


「はい」


「それは、お前が道を整えたからだ」


「でも、まだ門は」


「まだ残っている問題は、これから対処する」


 ガルドの声は低く、落ち着いていた。


「終わっていないことと、何もできていないことは違う」


 リオルは少しだけ目を見開いた。


 ミナが後ろから微笑む。


「まずは報告と休憩です。疲れている時に考えると、悪い方へばかり考えてしまいますから」


 リゼが頷く。


「そうそう。疲れてる時の考え事は、だいたい敵よ」


「敵ですか」


「しかも地味に強い敵」


 リオルは小さく息を吐いた。


「わかりました。まず、報告します」


「よろしい」


 リゼは満足げに言った。


   ◇


 冒険者ギルドの会議室には、すでに主要な面々が集まっていた。


 ギルド長バルザック。

 受付嬢エリナ。

 衛兵隊の副隊長。

 薬師メリッサ。

 そして、魔導具に詳しい老学者のオルグ。


 机の中央には、二つの黒い欠片が並べられている。


 ひとつは、デュラハンから渡された雷門の欠片。

 もうひとつは、雷猪の牙から外した欠片。


 どちらも黒銀色で、表面に紫の細い文様が走っている。


 ただし、雷猪から外した欠片の方が荒れていた。

 まるで、長い間獣の怒りに浸かっていたように、表面がささくれている。


 老学者オルグは、丸眼鏡を何度も直しながら欠片を覗き込んだ。


「ふむ……これは、封標片じゃな」


「封標片?」


 リオルが聞く。


「古い封印陣には、門を閉じるための目印がいくつか置かれる。根、針、雷……それぞれが封印の流れを支える標じゃ。おそらく、この黒い欠片は雷の封標の一部」


 リオルはデュラハンの言葉を思い出した。


 根、針、雷。

 三つの封標のうち、雷が裂けた。


「根は、陽だまり草の丘にあった根標石のことだと思います」


 メリッサが頷いた。


「私も、祖母の古い薬草帳を調べました。陽だまり草の親株の周囲には“根の標”がある、と書かれていました。ただ、長い間、迷信や古い採取作法の話だと思われていたようです」


「針は、針鳴りの回廊でしょうか」


 ミナが言った。


 オルグが目を細める。


「おそらくな。針鳴りの回廊は古代魔導師の試験場であると同時に、封印網の調律施設でもあった可能性が高い」


 リゼが腕を組む。


「待って。じゃあ、私たちが今まで行った場所って、全部つながってたってこと?」


「偶然にしては出来すぎているな」


 ガルドが言った。


 リオルは黙って考える。


 針鳴りの回廊で、審問者は力の意味を問うた。

 陽だまり草の丘では、根標石が帰る場所を守っていた。

 そしてクラウ山頂には、雷門を押さえるデュラハンがいる。


 根は、巡らせる。

 針は、選別する。

 雷は、門を封じる。


 それぞれが別々の場所で、ひとつの大きな封印網を支えていた。


「でも、なぜ今になって雷の封標が裂けたんでしょうか」


 リオルが言うと、会議室が静かになった。


 オルグは少し考え、机の上に古い地図を広げた。


 王都周辺の地図だ。

 ユル草丘陵、針鳴りの回廊、クラウ山。

 三つの地点を線で結ぶと、大きな三角形になる。


 その中心に、王都がある。


「古い封印網は、王都を守るように配置されておる。だが、長い年月で忘れられ、整備されなくなった。根標石はひび割れ、針の試験場は放置され、雷門も劣化していたのじゃろう」


 メリッサが苦い顔をした。


「私たちが採取作法を忘れていたのも、封印の乱れに関係していたんですね」


「完全な原因ではないじゃろうが、根の封標が弱まっていたのは間違いない」


 リゼが口を挟む。


「それをリオルが整えた。針の方も審問者を突破して、たぶん調律された。で、最後に雷だけが大きく裂けてる」


「そう考えるのが自然じゃな」


 オルグは黒い欠片を指で示した。


「雷門を閉じるには、裂けた雷の封標を一時的にでもつなぎ直す必要がある。じゃが、封標片はまだ足りん」


 リオルは顔を上げた。


「足りない?」


「この二つは、外周と獣に刺さっていた欠片じゃろう。だが、中心片がない。雷門を閉じるには、門の中心で封を結ぶ“雷芯”が必要になる」


 リゼが嫌そうに眉を寄せる。


「その雷芯って、どこにあるの?」


 オルグは地図のクラウ山頂を指した。


「十中八九、デュラハンの石像の下じゃ」


 会議室に重い沈黙が落ちた。


 山頂。

 雷門。

 デュラハン。


 そこへ戻らなければならない。


 しかも、黒雷が二度目を落とす前に。


「雷芯を取ると、デュラハンはどうなりますか」


 リオルが静かに尋ねた。


 オルグは言葉を選ぶように、ゆっくり答えた。


「わからん。あのデュラハンが雷門に刻まれた番人なら、雷芯と存在が結びついている可能性がある。無理に抜けば、番人としての機能を失うかもしれん」


「つまり、壊れるかもしれない」


 ミナが小さく言った。


 オルグは否定しなかった。


 リオルは拳を握った。


 デュラハンは敵ではない。

 門を守っている。

 敗者に退路を与え、勝者に道を託した。


 そんな相手を、門を閉じるために壊す。


 それは、リオルにとって受け入れがたい選択だった。


「別の方法を探します」


 リオルは言った。


 リゼがちらりと彼を見る。


 バルザックが腕を組んだ。


「時間はないぞ」


「はい。でも、雷芯を壊さず、動かさず、封標としての役目だけを補強できるかもしれません」


「付与術でか」


「はい」


 リオルは黒い欠片を見つめた。


「これまでの封標も、完全に修理したわけではありません。根標石は、魔力の流れを“本来の道を思い出しやすく”した。針鳴りの回廊では、答えを示して試練を通った。雷門でも、壊れたものを無理に戻すのではなく、今あるものに役目を思い出させる方法があるはずです」


 オルグが目を見開いた。


「役目を思い出させる……か。ずいぶん曖昧な表現じゃが、付与術としては理にかなっておる」


 リゼが小さく笑う。


「リオルの得意分野ね。床にも空気にも、だいたい何か思い出させてるし」


「そういう言い方をされると変に聞こえます」


「変だけど効くからいいのよ」


 ガルドが言った。


「必要なのは、雷芯に触れることか」


「おそらく、近くで付与する必要があります」


「では、山頂まで行く必要があるな」


 ミナが続ける。


「二度目の黒雷が落ちる前に、ですか」


 リオルは頷いた。


「はい」


 バルザックは地図を見下ろした。


「山麓の魔力溜まりは沈静化したが、完全に安全ではない。王都側の守りはギルドと衛兵隊で固める。君たちは少人数で山頂へ向かえ。大人数で行くと、魔力を乱す可能性がある」


 リゼがスティックを担ぐ。


「結局、私たち四人ね」


「お前たちが一番、あの門番と話が通じる」


 バルザックはそう言った。


 話が通じる。


 デュラハンと、だ。


 リオルは少しだけ不思議な気持ちになった。


 初めは、山頂に現れた危険なデュラハンだった。

 だが今は、門を閉じるために協力すべき相手になっている。


 リゼがリオルの横腹を杖の先で軽くつついた。


「ほら、また考え込んでる」


「すみません」


「謝らなくていいから、食べなさい」


「え?」


 リゼはいつの間にか、会議室の隅に置かれていた焼き菓子をひとつ取っていた。


 それを半分に割り、リオルへ差し出す。


「山頂に行くなら、糖分いるでしょ」


「ありがとうございます」


 リオルは受け取った。


 会議室の緊張の中で、焼き菓子の甘さだけが少し日常に近かった。


 ミナが微笑む。


「休憩も大事です」


 ガルドも頷く。


「食べてから行こう」


 リゼは胸を張った。


「爆発壺も、燃料がないと割れないからね」


「割らない約束では?」


「必要な時は割るわよ」


「できれば控えめにお願いします」


「努力する」


 リオルは少しだけ笑った。


 重い道の前に、ほんの短い休息。


 けれど、それで足はまた前へ出る。


   ◇


 二度目の山道は、空気がさらに重かった。


 山麓の群れは散ったはずなのに、魔力はまだ山頂へ向かって渦を巻いている。


 黒雷の気配が、空に溜まっていた。


 リゼが空を見上げる。


「黒雲、さっきより低くない?」


「はい」


 リオルは雷門の欠片を確認した。


 二つの欠片を布で包み、さらに木箱に入れている。

 それでも紫の光は漏れ、山頂へ向かって細い線を伸ばしていた。


「門が欠片を呼んでいます」


 ミナが心配そうに聞く。


「持っていて大丈夫ですか?」


「今は大丈夫です。ただ、山頂に近づくほど反応が強くなると思います」


 ガルドが先頭を歩く。


「異常があればすぐ言え」


「はい」


 道中、小さな魔物が数匹現れた。


 だが、以前のように興奮して群れてはいない。

 山頂から漏れる魔力に惹かれながらも、群れの核を失ったことで迷っているようだった。


 リオルは戦わず、道端の石や影に付与して進路をずらした。


「対象、王都側へ向かう獣道の入口。性質指定――今日はなんとなく気が進まない雰囲気。二十四時間、増大」


 魔物たちは獣道を避け、山奥へ戻っていった。


 リゼが呟く。


「“なんとなく気が進まない雰囲気”で魔物を曲げるの、地味にすごいわね」


「強く怖がらせると暴れるので」


「わかるけど、言葉がゆるいのよ」


 ミナが少し笑った。


「でも、優しい付与ですね」


 リオルは少し困った顔をした。


「優しいかはわかりません。ただ、必要以上に傷つけたくないだけです」


「それを優しいと言うんだと思います」


 ミナはそれ以上、押さなかった。


 その距離感が、やはりリオルにはありがたかった。


 山頂に近づくにつれて、空気が青白く光り始めた。


 風に混じって、金属が震えるような音がする。


 ちりん。


 針鳴りの回廊を思い出させる、細い音。


 リオルは足を止めた。


「……針の封標も反応しています」


「ここで?」


 リゼが周囲を見る。


 山道の岩肌に、いつの間にか細い線が浮かんでいた。


 針のような文様。

 それが山頂へ向かって続いている。


 さらに、地面の隙間から小さな黄色い草が顔を出していた。


 陽だまり草ではない。

 だが、根標石の魔力に似た柔らかい気配がある。


「根も反応している」


 リオルは呟いた。


「三つの封標は、完全に別々ではなく、互いに支え合っているんです」


 ガルドが言う。


「なら、雷を整える時に根と針の力も使えるか」


「はい。使えるかもしれません」


 リオルは岩肌の針文様と、地面の小さな草を見た。


 根は、帰る場所を示す。

 針は、道を選別する。

 雷は、門を封じる。


 この三つをつなげれば、雷門を閉じる道筋が見えるかもしれない。


 リゼがにやりとする。


「つまり、今までの変な依頼が全部役に立つってことね」


「変な依頼ではありましたが、役には立ちます」


「そこは否定しないのね」


「はい」


 その時、空が一瞬暗くなった。


 黒雲の奥で、雷が膨らむ。


 音はまだない。


 だが、二度目の黒雷が近い。


 ミナが息を呑む。


「急ぎましょう」


 四人は山頂へ向かって走った。


   ◇


 山頂にたどり着いた時、デュラハンは石像のまま立っていた。


 黒馬にまたがり、槍を天へ掲げる姿勢。


 その槍先に、黒雲から紫の雷が細く注がれている。


 だが、前よりも石像の亀裂が増えていた。


 兜。

 肩鎧。

 馬の脚。

 外套。


 石化した表面に、黒いひびが走っている。


 リオルは息を呑んだ。


「デュラハンさん……」


 リゼが小声で言う。


「さん付けなんだ」


「門を守ってくれているので」


「まあ、そうね」


 山頂の魔法陣は、さらに強く光っていた。


 中心部には、黒い円形の裂け目がある。

 地面に開いた穴ではない。

 空間そのものに入ったひびのようなもの。


 その奥から、獣の唸り声が聞こえた。


 遠い。

 だが、確かに群れがいる。


 リオルは雷門の欠片を取り出した。


 二つの欠片が、激しく震え始める。


 山頂の中心へ戻りたがっている。


 その時、石像のデュラハンの兜に青白い火が灯った。


 石が剥がれる。


 ゆっくりと、デュラハンが目覚めた。


「来たか」


 声は前よりも掠れていた。


 ミナが心配そうに一歩前へ出る。


「大丈夫ですか?」


 デュラハンは答えない。


 代わりに、槍を地面へ突いた。


 山頂の魔法陣が一瞬だけ安定する。


「二度目の黒雷が近い」


 リオルは頷いた。


「雷門を閉じる方法を探しに来ました」


「雷芯を抜けば、門は閉じる」


 デュラハンが言った。


 会議室で聞いた話と同じだった。


 リオルは首を振る。


「それでは、あなたが壊れる可能性があります」


「我は門番。門を閉じるための道具」


「違います」


 リオルの声は、思ったより強く出た。


 リゼが少し驚いた顔をした。


 ガルドも黙って見ている。


 リオルはデュラハンを見上げた。


「あなたは撤退する人を見逃しました。弱い人を殺さなかった。門を止めるために、ずっとここで耐えている。それを道具とは言いたくありません」


 デュラハンの青火が揺れた。


「名もなき騎士に、情は不要」


「情ではありません」


 リオルは言った。


「あなたを壊さずに済む道があるなら、それを探すべきだと思います」


「時間はない」


「だから、試します」


 リゼが一歩前へ出た。


「うちの付与術師は、こういう時かなり頑固よ。諦めさせるより、協力した方が早いわ」


 ガルドも頷く。


「俺たちも同意だ」


 ミナが静かに言う。


「門を閉じたいです。でも、そのために誰かを犠牲にして当然だとは思いたくありません」


 デュラハンは四人を見た。


 兜の奥の青火が、わずかに細くなる。


「……ならば示せ」


 その言葉は、以前と同じだった。


 だが、槍は向けられていない。


 試練ではなく、願いのように聞こえた。


 リオルは雷門の中心を見た。


 黒い裂け目。

 その周囲に焼け切れた封印線。

 さらに中心には、石像の足元から伸びる紫の芯がある。


 あれが雷芯だ。


 雷芯はデュラハンと門をつなぎ、デュラハンの力で門を押さえている。

 抜けば門は閉じるかもしれない。

 だが、デュラハンは役目を失う。


 なら、抜かずにつなぎ直す。


 雷芯に直接付与するのではなく、周囲の封標へ。


「根と針の反応を使います」


 リオルは言った。


「リゼさん、山頂外周の針文様を照らしてください。前回の封印線ではなく、その外側です」


「了解」


 リゼが火花を放つ。


 山頂の岩肌に浮かんだ針文様が、赤橙の光で浮かび上がった。


「ガルドさん、中心ではなく、雷芯の手前に盾を立ててください。門を支えるのではなく、戻る道の目印として」


「わかった」


 ガルドが大盾を雷芯の手前に突き立てる。


 盾は門を塞ぐ壁ではない。

 帰る場所を示す杭だ。


「ミナさん、地面の小さな草に触れず、その周りの土をお願いします。親株を回復した時のように、根の流れを落ち着かせてください」


「はい」


 ミナは膝をつき、白い杖で土のそばを軽く叩いた。


「えいっ」


 ぽこん。


 小さな光が、山頂の土へ染み込む。


 山頂に点在する小さな草が、わずかに揺れた。


 根の封標が、ここまで力を伸ばしている。


 リオルは両手を広げた。


 人には付与しない。

 デュラハンにも付与しない。

 雷芯にも、直接は触れない。


 対象は、三つの封標の間にある“空白”。


 根と針と雷を隔ててしまった、忘れられた道筋。


「極所付与」


 淡い光が、山頂の地面を走る。


「対象、根の気配、針の文様、雷芯の周囲に残る封印の空白。性質指定――三つが互いの役目を思い出し、ひとつの輪としてつながり直す力。二十四時間、増大」


 山頂が、静かに光った。


 根の淡い金色。

 針の青白い線。

 雷の紫。


 三つの光が、ゆっくりと輪になっていく。


 デュラハンの足元のひびが、少しだけ閉じた。


 リゼが息を呑む。


「いける……?」


 だが次の瞬間、黒い裂け目の奥から強烈な魔力が噴き上がった。


 獣の咆哮。


 門の向こう側から、何かがこちらを押している。


 封印の輪が軋む。


 リオルの付与だけでは、押し返しきれない。


 デュラハンが槍を持ち上げた。


「黒雷が来る」


 空が暗くなる。


 二度目の黒雷。


 黒雲の中心に、巨大な雷が膨らんでいた。


 それが落ちれば、門の裂け目はさらに広がる。


 リオルは歯を食いしばった。


「まだ、足りない」


 デュラハンが言っていた言葉。


 まだ足りぬ。


 それは、力の大きさではない。


 つなぐものが足りない。


 根と針と雷。

 そして、門番。


 デュラハン自身が、輪の外に残っている。


 だが、デュラハンに直接付与はしたくない。


 勝手に変えたくない。


 リオルはデュラハンを見た。


「お願いがあります」


「言え」


「あなたの槍を、地面に置いてください。僕はあなたに付与しません。でも、あなたが置いた槍を、封印の輪の一部として使わせてください」


 デュラハンは一瞬、沈黙した。


 そして、長槍をゆっくりと地面に横たえた。


 それは降伏ではない。


 戦う力を、封じる力へ変える選択だった。


 リオルは槍そのものではなく、槍が地面に落とした影へ手を向ける。


「極所付与」


 黒雷が空から落ち始める。


「対象、デュラハンの槍の影。性質指定――戦うための線ではなく、門を閉じるための縫い目としての役目。二十四時間、増大!」


 槍の影が伸びた。


 根の光、針の光、雷の光を縫うように、影が封印の輪を走る。


 黒雷が落ちる。


 リゼが火花を全力で広げ、封印線を照らす。


「行けえええっ!」


 ガルドが盾を押さえ、雷芯の手前の目印を支える。


「崩れるな!」


 ミナが土を叩き、根の流れへ回復を送り込む。


「お願い、つながって!」


 リオルは両手を地面に押しつけた。


「帰る場所を、思い出せ!」


 黒雷が山頂を直撃した。


 世界が黒く染まる。


 音はない。


 ただ、体の奥まで震えるような衝撃が走った。


 封印の輪が、砕けかける。


 だが、槍の影が縫い目となって輪をつなぎ止めた。


 根が魔力を受け止める。

 針が流れを選別する。

 雷が門を封じる。


 二度目の黒雷は、門を広げるのではなく、封印の輪の中を巡った。


 そして、山頂の外へ逃げることなく、ゆっくりと地面に沈んでいった。


 黒雲が、少しだけ薄くなる。


 裂け目が小さくなった。


 完全には閉じていない。


 だが、確実に狭まっている。


 リゼが膝に手をつき、荒い息を吐いた。


「……今の、受けたの?」


 ガルドも盾に体を預ける。


「受けたというより、通した」


 ミナは土に手を当てたまま、ほっと息をついた。


「根が、まだ生きています」


 リオルは顔を上げた。


 デュラハンは、そこに立っていた。


 石像には戻っていない。

 黒銀の鎧のまま、槍を地面に置いた姿で。


 兜の奥の青火が、静かに揺れている。


「……我は、まだ在る」


 デュラハンが呟いた。


 リオルは力が抜けそうになった。


「よかった」


 本当に、心からそう思った。


 だが、安堵は一瞬だった。


 山頂の裂け目の奥から、低い声が響いた。


 獣の咆哮ではない。


 もっと深い。

 もっと重い。


 まるで、門の向こうで眠っていた何かが、目を開けたような声。


 デュラハンが槍を拾い上げる。


「三度目が来る前に、門の主が動く」


 リゼが顔を上げた。


「門の主?」


「獣哭きの谷に眠るもの。群れを呼ぶ核のさらに奥」


 ガルドが盾を構える。


「雷猪より上がいるのか」


 デュラハンは頷いた。


「雷門が完全に閉じる前に、最後の押し返しが来る」


 リオルは裂け目を見た。


 小さくなった門の奥に、巨大な影が揺れている。


 三度目の黒雷まで、時間は少ない。


 だが、今度は希望もある。


 根と針と雷は、つながり直した。


 デュラハンも壊れていない。


 門は、閉じかけている。


 リオルは震える手を握りしめた。


 力は、誰かを縛るためではない。


 道を整え、選ばせるための灯。


 そして今、その灯は門を閉じるための縫い目になった。


「次で、閉じます」


 リオルは言った。


 デュラハンが槍を構える。


「ならば、我も並び立とう」


 リゼが笑った。


「やっと味方っぽくなったわね、兜騎士」


 ガルドが頷く。


「頼りにする」


 ミナが静かに杖を握った。


「全員で、帰りましょう」


 山頂の黒雲が、最後の雷を孕んで渦を巻く。


 門の奥の巨大な影が、こちらへ近づいてくる。


 デュラハン編、最後の戦いが始まろうとしていた。

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