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第十九話「変わるものと残るもの」

 気づけば、長い時間が流れていた。

 岐阜を拠点にしてから、信長は動き続けた。各地を攻め、勝ち、また動いた。浅井、朝倉、武田、本願寺、名前だけは俺の耳に届いた。戦の規模は大きくなり続けた。

 しかし「やり方」が変わっていた。

 忍びが先行して情報を集める。調略が敵の内側を崩す。大軍が整然と動く。軍の分業が精緻になった。清洲にいた頃の、俺が走り回って情報を持ち帰っていた時代とは、別の戦になっていた。

 俺はその変化を、少し離れた場所から見ていた。


 金ヶ崎の撤退は、久しぶりに俺が動いた場面だった。

 浅井が背後から来るという報が入った。前には朝倉がいる。挟まれる形になった。信長が引くと決めた。

 撤退は混乱する。特に追撃が来た時は。

 俺は後衛に回った。

 耳を立てて、鼻を動かして、どこから追撃が来るかを読み続けた。右から気配が膨らんだ時には、それを伝えた。退路の安全を確かめながら、兵の動きを後ろから支えた。

 派手な動きはしなかった。しかしやれることはやった。

 撤退が完了した時、俺は後衛から前に戻った。

 (まだ動ける)

 走る速度が以前より落ちていることは、自分でもわかっていた。しかしまだ使えると思っていた。その時は。


 それからまた、時間が経った。

 大きな戦はあった。長篠もあった。信長の軍は強くなり続けた。しかし俺の出番は減り続けた。

 忍びがいた。軍が整っていた。役割が細かく分かれていた。俺でなければできないことが、少なくなっていた。

 体の変化に気づいたのは、ある日の朝だった。

 いつものように城内を歩いていた。それだけのことなのに、息が少し上がった。以前はなかったことだ。

 疾走を試してみた。

 速度が出た。しかし以前ほどではなかった。止まった後の消耗が、前より大きかった。

 (衰えているな)

 当然のことだ。元の世界でも、どの生き物も老いる。俺だけが例外ではない。ただ、それが今来ているということだ。


 信長がある日、短く言った。

 「無理はするな」

 それだけだった。

 以前は「見てこい」「判断しろ」だった。今は「無理はするな」だ。

 俺の位置が変わったことを、その一言が全部言っていた。

 戦場に出ることが減った。いざという時の切り札として、待機することが増えた。抑止力として、そこにいることが役割になった。


 信長が安土に城を築いた。

 俺もまた移動した。

 安土城は岐阜とも清洲とも違った。大きかった。高かった。湖が見えた。

 しかし俺の日常は、どこに移っても変わらなかった。

 戦場に出ない。清蔵から報告を受ける。城内を歩く。その繰り返しだ。

 清蔵は相変わらず有能だった。三十がらみだった頃の面影を残しながら、少し落ち着いた顔になっていた。各地の情報を整理して、俺に必要な部分だけ伝えてくれる。

 動かない日が続いた。

 静かだった。

 (停まっているな)

 そう思う日がある。しかし俺にできることを考えると、今の役割に答えが出ない日もある。


 それでも、俺は一つのことをやめていなかった。

 目の前の人間を見ることだ。

 念話は短距離しか届かない。しかし城内にいれば、人は必ず目の前を通る。家臣が来る。使者が来る。商人が来る。そのたびに俺は見ていた。

 見えるものと、中身が違う人間が多かった。

 ある新しい家臣がいた。信長の前では忠義を口にした。丁寧に頭を下げた。しかし念話の届く距離に来た時、俺には別のものが見えた。計算があった。自分の立場を守るための動きが、全ての言葉の裏にあった。

 悪いとは言わない。保身は人間の自然な動きだ。しかしその男は忠義を装っていた。装っていることに慣れすぎていて、自分でも気づいていないかもしれない。

 別の日、使者が来た。遠方からの報告を持ってきた男だ。丁寧な言葉を使っていた。しかし声の奥に焦りがあった。恐怖があった。報告の内容が悪いことを、本人が知っていた。言葉は整っていたが、体が先に答えを出していた。

 城下で商人と行き合ったこともあった。俺を怖がりながらも、近づいてきた。珍しいものを商売に使えないかと考えている空気があった。恐怖より打算が勝った男だ。それはそれで正直だと思った。

 人は様々だった。

 表の言葉と、中身が一致している者は少ない。ほとんどの人間は、何かを隠しながら生きている。

 しかしそれでも、共通するものがあった。

 どの人間にも、何かを守ろうとする動きがあった。家族か、立場か、信念か、命か、守るものの中身は違う。しかし守ろうとする動き自体は、どの人間にも同じようにあった。


 ある日、気になることがあった。

 大きな違和感ではない。小さな引っかかりだ。

 軍議の後、家臣たちが廊下に出てきた。信長への忠義を口々に言っていた。しかしその言葉が、軽かった。

 言葉の重さが、以前と違う。

 以前、清洲にいた頃、家臣たちが信長への忠義を言う時は、もっと重みがあった。信行との対立があり、内側の綻びがあり、それでも従うと決めた者たちの重さがあった。

 今は違う。信長は強い。勝ち続けている。従うことが正解だとわかっている。だから忠義を言う。

 計算が先に立っている。

 熱のない忠誠だ。

 忠誠であることは間違いない。しかし理由が変わっている。信長だから従うのではなく、信長が勝つから従う。それは同じではない。

 (何かが引っかかる)

 明確な言葉にはできなかった。しかし俺の中に、何かが残った。


 夜、蔵の中で俺は考えた。

 人は変わる。

 清洲にいた頃と、今とでは、同じ顔をした人間が違う動きをしている。戦が続く中で、人の中身が少しずつ変わっていく。

 戦も変わった。

 俺が走り回っていた頃の戦と、今の戦は別のものだ。規模も、方法も、関わる人間の数も。

 役割も変わった。

 俺は戦う者から、見る者になった。戦場で動くのではなく、城の中で見続けることが、今の俺の場所だ。

 しかし、変わらないものもある。

 見ること自体は、変わっていない。清洲で吉法師と会った日から、俺はずっと見てきた。人の動きを、戦の形を、言葉の裏を。その習慣は、衰えても変わらなかった。

 見ることだけは、やめていなかった。

 俺はそれでいいと思った。

 安土の夜が、静かに流れていった。


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