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死の周波数──18.3Hzの振動  作者: 比古狭霧


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8/15

第8話 届かなかった声

昨夜の録音ファイルの異常は、

翌朝になっても三上の手を止めさせていた。


研究棟の別のPCにデータを移植し、異なるOS、異なる解析ソフトで再生を試みるが、結果は同じだった。


どの環境で開いても、末尾の「00:00:03」という表記は、再生ヘッドが終端に達した瞬間に、


「00:00:04」

「00:00:05」


と、存在しないはずの時間を刻み始める。


バグではない。

書き込まれたデータそのものが、再生されるたびに自ら「時間を引き延ばしている」のだ。


三上は、昨夜から何も受け付けてくれない胃のあたりを軽く押さえ、モニターの電源を物理的に落とした。


「因果が逆だ。データが書き換わるなんてあり得ない。何かが、タイムラインの同期処理を狂わせているだけだ」


そう自分に言い聞かせるが、キーボードに置いた指先の微かな震えは止まらなかった。


そのとき、デスクの固定電話が、静まり返った部屋に鋭いベルの音を響かせた。受話器を取ると、藤堂玲奈からだった。


「三上さん……見つけてしまいました」


受話器の向こうの彼女の声は、低く、押し殺した興奮を帯びていた。


「新聞社の、地下のマイクロフィルム資料庫にいます。新名くんの件を洗うために、この地域の過去の死亡記事を遡っていたんです。そうしたら……」





一時間後、研究室に現れた玲奈は、

数枚のコピーを机に並べた。


独特の、古いインクと埃が混ざったような匂いが、湿った空気の中に広がる。


「十五年前の記事です。当時、この町の私立高校の男子生徒が、自宅で亡くなりました。学校側は『いじめ等の兆候は確認されず』と数行のベタ記事で片付けています。ですが……」


玲奈は、もう一枚の紙を重ねた。

それは当時の地域広報のコピーだった。


「この生徒の親は、数ヶ月前から学校へ相談していました。ですが学校は対処せず、町内会の民生委員へ連絡。民生委員は『家庭内の問題』として警察の生活安全課へ相談。警察は『事件性なし』として学校へ差し戻した。たらい回しにされた末に、彼は亡くなっています」


三上はコピーの文字を見つめたまま、深く眉をひそめた。


「新名と同じだ……。いや、でも藤堂さん。たらい回しにされた末の自殺なんて、全国を探せばいくらでもあるはずです。これだけで特異な事例だと決めつけるのは、まだ早いんじゃないでしょうか」


「いいえ、違うんです。もう一件あります。それも、全く別の場所で」


玲奈は、さらに古い、黄ばんだ縮刷版のコピーを滑らせた。二十年前の記事だ。


「二十年前は、病院です。長期入院していた少女が、病院の屋上から飛び降りました。彼女は、看護師の態度について病院の相談窓口に何度も訴えていたんです。しかし窓口は医師会へ相談。医師会は市役所の福祉課へ。福祉課は病院の経営母体へ。そうして、彼女は死にました」


「病院まで……? そんなところでまで、同じことが起きていたんですか?」


三上は思わず腕を組み直した。

視線が、重ねられた古い記事の山に吸い寄せられる。


「まだあります。信じられないかもしれませんが」


玲奈はさらに古い記事を重ねる。

三十年前のものだ。


「三十年前は、市役所です。窓口に生活困窮を何度も相談していた独居老人が、餓死しました。市役所は社会福祉協議会へ相談。協議会は民生委員へ。民生委員は親族へ。親族はまた、市役所へ。……全員、亡くなる前に何度も、色々なところに話をしているんです」


玲奈が、机の上のコピーを人差し指でトントン、と叩いた。


「学校、病院、市役所。場所も、年齢も、死因も全部バラバラです。でも、全く同じなんです。誰かが助けを求めて相談している。それなのに、誰も最後の判断をせず、書類と責任だけが回されて、最後には全員が、一人で死んでいる」


「……」


三上は深く背もたれに体を預け、冷え切った研究室の天井を見上げた。エアコンのルーバーが「パタ、パタ」と不規則に乾いた音を立てている。


「偶然だ」


三上は、自分に言い聞かせるように、少し声を落として言った。


「相談窓口が機能せず、責任の押し付け合いの末に悲劇が起きる。それはこの国の、どこの地方都市でも起きている典型的な行政や組織の怠慢です。システム上の欠陥に過ぎない。新名と、それらの事件に……因果関係があるとは言えません。そう結論づけるのは早急すぎます。ですが……」


「因果関係はありません。でも、構造が同じなんです。全員が、どこかに相談していた。それだけは事実です」


玲奈の、すがりつくような、それでいて確信を孕んだ視線が三上を射抜く。


三上は彼女から目をそらすようにノートを開き、現在の状況を整理した。ペンを走らせる音が、雨音に混じって小さく響く。


【観測メモ:類似事例に関する検討】

・過去(15年前、20年前、30年前)の事例における共通点。

・学校、病院、市役所など、相談が持ち込まれた機関は多岐にわたるが、「たらい回し」の末に当事者が孤立死するプロセスは極めて酷似。

・しかし、これらは社会構造的な問題、あるいは地域コミュニティの機能不全によるものと考えるのが妥当。

・オカルト的な「呪い」や「同一の怪異」として一括りにすることは科学的アプローチではない。判断保留。


書き終えたものの、ペンを持つ指先が、芯から冷えていくような感覚があった。


もし、本当に、玲奈の言う通りだとしたら。これが「相談」という行為そのものに共通する構造なのだとしたら、あの18.3Hzという周波数は、いったい何の振動だというのか。


「三上さん」


玲奈が、机の上のコピーを整理しながら、ふと手を止めた。


「実は、もう一件だけ、どうしても気になることがあるんです」


「もう一件? まだ何か見落としがありましたか?」


三上はノートを閉じ、玲奈の顔をまっすぐに見つめた。その表情の硬さに、自然と声が低くなる。


「当時のデータベースの目録には、掲載された記録が確かに残っているのに、何故か紙面そのものが切り取られていて、マイクロフィルムにも残っていない記事があるんです。意図的に消されたとしか思えない」


「切り取られている? そんな手の込んだ真似を誰が……。それは、いつの記事ですか?」


「昭和六十三年です」


その瞬間──。

チッ、と、背後でかすかな放電音がした。


「……?」


三上は鋭く肩を揺らし、振り返った。


PC的電源は切れているし、プリンターも作動していない。音のした方へ視線を向ける。


机の端に置かれた、ポータブル型の簡易音響計測器。フィールドワーク用の、手のひらサイズの筐体だ。当然、今は電源ボタンを押していない。液晶画面は消えているはずだった。


だが、その液晶のバックライトが、暗い部屋の中に淡い青色でじわりと浮かび上がっていた。


「三上さん、それ……」


玲奈が小さく息を呑み、三上の背後に一歩、身を寄せる。


電池残量も、測定モードの表記も何もない、真っ暗な液晶の底で、無機質なデジタルフォントが、何のボタンも押していないのに、画面の中央でカタカタと文字を刻み始めた。


"1988"


4桁の数字が、そこに表示されていた。


「昭和、六十三年……」


玲奈の声が、途切れ途切れにこぼれる。

三上は息を詰め、計測器との距離を数センチメートル縮めた。


それだけではなかった。


チ、チ、チ、と、時計の針が進むような小さな電子音が、計測器の内部から響く。


液晶のバックライトが、

人の呼吸のように、ゆっくりと明滅し始めた。


『1988』の数字の下に、もう一行だけ、ドット状のフォントが、じわり、と染み出すように浮かび上がった。


"ソウダンウケツ"


「……相談、受?」


三上が反射的に呟き、手を伸ばしかけた、その瞬間。


プツッ。


小さな放電音とともに、バックライトが消えた。


「……消えた?」


玲奈が、おそるおそる計測器に顔を近づける。


三上は差し伸べた手を空中で止めたまま、バックライトの消えた、ただの灰色で平坦な液晶画面を凝視した。


割れてもいないし、焦げた臭いもしない。

だが、バックライトの消えたその画面の底に、


『1988』

『ソウダンウケツ』


その文字だけが、液晶の素子そのものを内側から焼き付かせたように、灰色の中に、黒々と刻まれたまま残っていた。


三上はそっと手を触れようとしたが、

指先が液晶の手前で、凍りついたように止まった。

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