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第八話 足りないものが見える

 荷馬車は夜明け前に出た。

 麦が五十袋。角が四本。皮が四枚。ノーレの空の塩壺が二つ。御者はノーレの男で、名をヤンといった。

 護衛は三人。トゥーレの若い衆で、〈牙鹿〉を四頭獲った連中である。名はロブ、ケイン、ジオ。ロブが腕に布を巻いていた男だ。もう巻いていない。

 セリは荷台の後ろに座って、台帳を膝に抱えていた。


 俺は歩いた。荷が重いので、平地では歩いたほうが速い。


           ◆


 一日目は何も出なかった。

 夜は野宿した。ロブが火を焚き、ケインが見張りに立った。ジオは寝てすぐ起きた。何度も起きた。三年前に父親を〈牙鹿〉に殺されていると、後でロブが言った。

 夜半、俺が起きていると、ジオが火のそばに座っていた。


「眠れませんか」


「あんたこそ」


「数えていました」


「何を」


「明日、獣が出たときに、何をするかです」


 ジオは火に枝をくべた。


「あんたは戦えんのだろう」


「戦えません」


「じゃあ何を数える」


「戦える人が何人いて、どこに立っているかです」


 ジオは、それは数えても仕方がないだろう、という顔をした。


「三年前」彼は言った。「親父が荷馬車を出した。麦を運ぶと言って。止めたんだ、俺は」


「はい」


「止めたのに出た。三頭に囲まれて、脚をやられて、動けんまま朝までいたらしい。見つかったときにはもう」


 彼はそこで止めた。


「あの日、誰も止めんかった。俺だけが止めた。だから俺が正しかったんだと、三年ずっと思っとった」


 俺は黙っていた。


「だが違うな。止めても麦は売れん。売れんかったら、次の年に別の誰かが出る」


 ジオは枝を折った。


「あんたの紙は、それを変えるのか」


「変わるかどうかは、明日と、その次にかかっています」


「頼りない答えだな」


「頼りある答えは、たいてい嘘です」


 ジオは、はじめて少し笑った。


           ◆


 二日目の昼過ぎ、林が切れたところで、ヤンが馬を止めた。


「出た」


 三頭いた。

 道の左の斜面に、横並びで立っている。逃げる姿勢ではなかった。角が長い。前に二本、後ろへ一本。前の二本が地面と平行に伸びていて、それで荷馬車の脚を払うのだと聞いていた。


「罠は」


「張る時間がない」ロブが言った。「向こうから来る」


 ケインが槍を構えた。震えていた。ジオは動かなかった。動かないのが、いちばん悪い。

 俺は荷台の陰から出た。

 出たところで、何もできない。俺は戦えない。

 だが、見えた。


           ◆


 【不足視】は、見ようとしなくても動くことがある。

 いつもは棚や帳簿や人だ。魔物に向けたことはない。前線に出たことがないからだ。役に立った試しはない、と登録簿には書いてある。

 三頭の上に、それぞれ浮かんでいた。


  ——不足:後肢の踏み替え(左)


  ——不足:後肢の踏み替え(左)


  ——不足:視野(右後方)


 俺は読んだ。読んでから、意味を考えた。

 考えるのに、三つ数えるくらいかかった。

 後肢の踏み替えが足りない、というのは、左へ回られると足を組み替えられないということだ。組み替えられなければ向きを変えられない。向きを変えられなければ、角は前にしか届かない。

 三頭目は、右の後ろが見えていない。


「ロブさん」


 俺は言った。声が思ったより大きく出た。


「左です。全部、左へ回ってください」


「左」


「その二頭は、左に回られると向きを変えられません。三頭目は右の後ろが見えていない。だから、三頭目には右の後ろから」


「なんで分かる」


「見えます」


 ロブは一度だけ俺を見た。

 それから、左へ走った。


           ◆


 俺は数えていた。

 癖だった。何かが起きているとき、俺は数える。回数と時間を数えて、後で並べ直す。そうしないと落ち着かない。

 ロブが左へ入るのに、四つ。

 一頭目が向きを変えようとして、変えきれずに横腹を見せるのに、二つ。

 ケインの槍が入るのに、一つ。


 二頭目が同じことをするのに、また四つ。

 三頭目は逃げた。ジオが追おうとして、ロブが襟をつかんで止めた。

 全部で二十を数えないうちに終わっていた。

 誰も死ななかった。ケインが左手を切ったが、浅い。

 角が二本、増えた。


           ◆


「ヨナさん」


 セリが荷台から降りてきた。声が上ずっている。


「いまの、なんですか」


「【不足視】です」


「戦闘では役に立たないって」


「役に立たないと思っていました」


 本当だった。

 俺は前線に出たことがない。魔物に向けたことがない。向ける機会がなかったから、機能するかどうかを試したことがなかった。試していないものを、俺は「役に立たない」と申告した。十二年、登録簿にそう書いたままにした。

 誰も確かめなかった。俺も確かめなかった。

 ロブが血を拭きながら戻ってきた。


「あんた、それ、王都で言わんかったのか」


「言いませんでした」


「なんで」


 俺は答えを探した。


「訊かれなかったからです」


 ロブは、しばらく黙っていた。


「訊かれんかったら、言わんのか」


 言わなかった、と俺は思った。

 十二年、そうやってきた。訊かれたことに答え、訊かれないことは書かなかった。編成の理由も、相場の根拠も、規定の番号も、全部そうだ。訊かれないから書かない。書かないから、誰も訊けなくなる。

 その積み重ねが、いまの王都だった。


「言うべきでした」


 俺はそう言った。

 ロブは、ふん、と鼻を鳴らして、角を荷台に積んだ。


「なあ」


 積みながら、彼は言った。


「さっきの、左に回れってやつ。あれ、俺が三年やって分からんかったことだ」


「はい」


「一目で分かるのか」


「見えるだけです。意味は自分で考えます。今日は三つ数えるくらいかかりました」


「三つか」


「遅いほうです」


「遅いほうって、あんた」ケインが手を押さえながら言った。「俺、まだ何が起きたか分かってませんよ」


 ジオが、二頭目の角を持ち上げた。


「これ、いくらになる」


「一本、銀貨二枚です」


「二本で四枚」


「四枚です」


 三人が顔を見合わせた。


「じゃあ、いまの二十数える間に、四枚稼いだのか」


「稼ぎました」


 ロブが荷台を叩いた。


「十年、この道は誰も通らんかったんだぞ」


「通れなかったからです」俺は言った。「通れないと決まっていたのではなくて、通る理由がなかったんです。通って何になるか、誰も計算していなかった」


           ◆


 三日目の夕方、ケルンが見えた。

 トゥーレの十倍はある。石の壁があって、門が二つある。商会の旗が四本立っていた。

 俺たちは南の門から入った。

 入ってすぐ、荷馬車が止まった。

 ヤンが何かを見ていた。俺も見た。

 門の内側の柱に、木の札が下がっている。新しい。削り跡がまだ白い。


 ——〈銀羽〉手形、当面お断り。

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