第七話 まだ渡せません
ガレンへの返事は、朝のうちに書いた。
断る文面である。
「断るんですか」
セリが台帳から顔を上げた。彼女はもう、俺が何を書いているか横から読む。止めていない。止める理由がない。
「断ります」
「向こうから使いたいって言ってきたのに」
「だから断ります」
俺は筆を置いた。
「いま出ている証が十三枚。換え金が銅貨三十枚。銀貨に直して三枚です」
「はい」
「ノーレは六十戸です。トゥーレより多い。あそこで証を使えるようにすると、換えに来る人がノーレにも出ます。ノーレに窓口を作らないといけない。窓口を作ると、換え金を二つに分けないといけない」
「三枚を、二つに」
「一枚半ずつです」
セリは何も言わなかった。
「一枚半で、六十戸の村の窓口は開けません。開けた日に閉まります。閉まったら、トゥーレの証も一緒に紙になります」
「じゃあ、ずっと断るんですか」
「便が終わるまでです」
◆
返事には、断る理由と、受ける条件を書いた。
条件は三つある。
一つ。ケルンで売れて、換え金が銀貨十枚を超えること。
二つ。ノーレに、証を数えて記録する人を一人置くこと。誰でもいい。字が書ければいい。
三つ。証を出す上限は、二村の見込みを合わせて決め直すこと。トゥーレだけで決めない。
三つ目を書くとき、少し手が止まった。
上限を自分で決められなくなる、ということだからだ。
十二年、王都で額を決めていたのは俺だった。誰にも相談しなかった。相談する相手がいなかったし、相談すると遅くなった。遅くなると依頼が止まる。
速いほうが正しいと、ずっと思っていた。
その結果が、四十七個の注釈である。
俺は三つ目を消さずに封をした。
◆
昼過ぎ、王都からもう一通、届いた。
封蝋がない。糊で留めてある。字は大きくて、線が震えていた。
差出人の名は、知らない女の名だった。読んで、しばらくしてから分かった。
クレイグの妻だ。
——ヨナ・レンデル様。夫が世話になりました。給付のことでご相談があります。北の第三区へ移ったこと、支部に届けたのですが、まだ何も参りません。書類にお名前があったので、こちらへ書きました。
俺は紙を膝の上に置いた。
書類に名前があった、という部分を二度読んだ。
死亡給付の起票は内務が行う。起票者の欄に署名する。遺族に渡る控えにも、その署名が残る。十二年で何枚書いたか数えていない。数えたことがなかった。
遺族は、その名前を見ている。
俺は知らなかった。
◆
返事を書いた。
払えない、と最初に書いた。
俺は退職している。出張所に金はない。あっても、それは村の証の裏付けで、俺の一存で動かせない。
書いてから、その下に順序を書いた。
——支部へもう一度出しても止まります。〈銀羽〉本部の監査部宛に、直接お出しください。宛先は西区の第四棟です。文面は、支部への届出日と、届出を受けた職員の名前を先に書いてください。日付と名前があると、支部が「受け取っていない」と言えなくなります。それがない書面は、支部で止まります。
——受理されると、本部から支部へ照会が行きます。照会が来ると、支部は十日以内に回答しないといけません。回答しないと、本部が代位で払います。そういう規定です。
——規定の番号は覚えていません。番号がなくても、内容を書けば通ります。
最後の一行を書いてから、俺は筆を止めた。
規定の番号を覚えていない。
十二年使っていた規定である。番号でしか呼ばなかった。頭の中では番号で並んでいた。それが出てこない。
注釈の六個と同じだった。
自分の仕事だったものが、外へ出た途端に、こういう形で欠けていく。
◆
「ヨナさん」
セリが戸口にいた。いつからいたのか分からない。
「それ、ヨナさんの仕事じゃないですよね」
「違います」
「三通目ですよ」
数えていたらしい。
〈灰鉄〉商会に一通。ガレンに一通。クレイグの妻に一通。
「そうですね」
「なんで書くんですか」
俺は封をした。
「書ける人が、ほかにいないからです」
言ってから、それは理由になっていないと思った。
書ける人がいないのは、俺がそうしたからだ。誰にも読めない帳簿を作り、誰にも渡さないまま十二年やった。いま書ける人がいないことは、俺の手柄ではない。
だが、そう言うと長くなる。
セリは、少しのあいだ俺を見ていた。
「明日、出発ですよね」
「明日です」
「わたしも行きます」
「危ないですよ」
「台帳を持つ人がいります」
彼女はそう言って、俺の返事を待たずに戸を閉めた。
待たれなかったので、断れなかった。
◆
夜、村長のハウルが出張所へ来た。
手に、俺が預けた袋を持っている。銅貨三十枚。
「持っていけ」
「置いていきます」
「道で要るだろう」
「要りません。宿代はノーレの荷から出ます」
ハウルは袋を机に置いた。置いてから、座らずに立っていた。
「あんた、戻ってこんかったらどうする」
五日前にも同じことを訊かれた。訊いたのはドルフだった。
「頭割りで払ってください。一枚あたり銅貨二枚と、余りが四枚」
「前は四枚と言った」
「証が十三枚に増えました。三十枚を十三で割ると、二枚と少しです」
ハウルは、そうか、と言った。
「数え直したのか」
「毎晩数えています」
「毎晩か」
「数えないで寝ると、翌朝の自分が信用できません」
村長は笑わなかった。笑うところではなかったのだと思う。
「若い衆の礼はどうする」
「証で三枚ずつです。九枚出ます」
「出したら、二十二枚になるな」
俺は顔を上げた。
村長が、流通している証の枚数を覚えている。誰にも言っていない。台帳に書いてあるだけだ。
「上限が三十枚でしたね」
「三十枚です」
「じゃあ、あと八枚か」
ハウルは戸口へ歩いて、そこで振り返った。
「あんたが決めた上限だ。あんたが破らんでくれ」
「破りません」
破らない、と口に出したのは初めてだった。




