↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/58

第四十三話 置いていく側

 発つ日は、十二の月の十八日に決まった。

 王都まで六日。着任は一の月の十日である。二十日ほど余るが、雪の季節は便が遅れる。遅れる分を見込んで、早く出る。

 前の日の夕方、俺は出張所の戸を開けたままにして、机を片づけた。


 片づけるものは、ほとんどなかった。台帳も覚書も目録も、置いていく。俺の抽斗に入っていたのは、使いかけの炭が三本と、封蝋の欠片だけだった。

 炭を、俺は置いていくことにした。


           ◆


 最初に来たのは、マヤだった。

 粉挽きである。五十を過ぎている。証の帳簿には最後まで触れなかった人だ。


「これ、持っていきな」


 布の袋を置いた。開けると、麦粉が入っている。


「王都で粉は買えます」


「買える」


 彼女は言った。


「買えるが、うちのは挽きが粗い。粗いほうがパンが重くなる。重いパンは腹が減らん」


「持っていきます」


「持っていけ」


 彼女はそれだけ言って、戻っていった。

 俺は袋の重さを量った。二斤半ある。六日の道で食べきる量ではない。


           ◆


 二斤半という重さを、俺は覚えておくことにした。

 この人は、証の帳簿に一度も触れなかった。寄合で候補に挙がったとき、粉が回らんくなると言って降りた。降りた人が、最後に持ってくるものが粉である。

 自分の仕事のものしか持ってこない。それがいちばん正しい渡し方だと思った。

 次に来たのは、トビだった。


「四十枚のときは、悪かったな」


「試したんですよね」


「試した」


 彼は帳場から持ってきた紙を出した。証が一枚ある。


「これ、返す」


「返す」


「あんたが最初に村に持ってきた紙だ。ゴルドが最初に使って、うちで酒に換えた」


 俺は、その紙を見た。

 手のひらの半分ほどの大きさで、刻印が薄い。十年使われていなかった印を、俺が押した。


「取っておいたんですか」


「取っといた」


 トビは言った。


「あの日、宿に四人おった。四人が見て、翌朝には三十戸が知っとった。あれが最初だ」


           ◆


「これは、村のものです」


 俺は言った。


「返しません。台帳に貼ってください」


「貼るのか」


「貼ります。横に、いつ誰が最初に使ったかを書いてください」


 トビは、少し不服そうな顔をした。


「あんた、そういうところがな」


「気味が悪いですか」


「ゴルドが言うとったな」


 彼は笑った。


「わしもそう思う」


           ◆


 最初の一枚が、台帳に貼られることになった。

 半年前、俺はあの紙を出張所の台帳から切って作った。大きさは手のひらの半分。真ん中に数字を書いて、下に刻印を押した。刻印は建物にあった。十年、誰も使っていなかった。

 その一枚が、いま村の記録になる。使われて、戻ってきて、貼られる。紙としては、これでいちばん長く残る形になった。


 ハウルは、夜になってから来た。

 村長である。六十を過ぎている。半年前、嫌がる九軒に一緒に来てくれた人だ。

 彼は座らなかった。戸口に立ったまま、こう言った。


「置いていくものと持っていくものは、分けたか」


「分けました」


「どうなった」


「持っていくものが、一つしかありませんでした」


 俺はゴルドの印を見せた。押せない三つ目の印である。

 ハウルはそれを見て、しばらく黙っていた。


「それでいい」


           ◆


「レンデル」


「はい」


「わしは、あんたに礼を言わん」


「はい」


「言うと、あんたがこの村に何かをしてくれたことになる」


 彼は言った。


「そうじゃない。あんたは仕事をした。仕事に礼を言うと、次の者にも礼が要ることになる。次の者は、礼が要る仕事だと思って来る」


 俺は、その言い方を頭の中で二度繰り返した。


「では、なんと言いますか」


「言わん」


 ハウルは言った。


「代わりに、あんたが決めたことを守る。それがこっちの仕事だ」


           ◆


 最後に来たのは、セリだった。

 夜が更けてからである。台帳を持っていた。この子は、いつも持っている。


「ヨナさん」


「はい」


「これ、読んでください」


 彼女が開いたのは、台帳の最後の頁だった。

 俺は読んだ。

 そこに書いてあったのは、四十一の質問だった。アンナが集めたものである。番号が振ってある。

 答えが、書き足されていた。


           ◆


「三十六まで、埋まりました」


「誰が埋めましたか」


「みんなです」


 セリは言った。


「わたしと、リナちゃんと、ロダンさんで十九。アンナさんが九。村長さんたちが六。ゴルドさんとトビさんとマヤさんで二」


「五つ残っていますね」


「残っています」


 彼女は頁をめくった。

 残っているのは、全部「誰が」の質問だった。三月前、俺が一つも答えられなかった五つである。


           ◆


「これ、埋まりませんでした」


「埋まりません」


 俺は言った。


「埋まらないのが、正しいと思います」


「なんでですか」


「答えが人だからです」


 俺は言った。


「人は変わります。いま埋めると、その人がいなくなったときに書き直します。書き直すのを忘れると、いない人の名前が残ります」


 セリはペンを取った。


「じゃあ、そう書いておきます」


「そう、というのは」


「答えが人の質問は、埋めない。埋めずに、毎年見る」


           ◆


 俺は、その一行を見ていた。

 毎年見る、というのは、俺が言ったことではない。

 この子が、いま自分で足した。


「セリさん」


「はい」


「一つ、頼めますか」


「なんですか」


「その頁を、毎年一度、寄合で読んでください」


「読みます」


「読んで、答えが変わっていたら、書き直してください」


「書き直します」


 彼女はそう言って、それから顔を上げた。


「ヨナさん。わたし、選ばれなくてよかったです」


           ◆


「悔しいと言っていました」


「言いました」


「変わりましたか」


「変わっていません」


 セリは言った。


「悔しいままです。悔しいままだけど、よかったです」


「両方ですか」


「両方です」


 彼女は台帳を閉じた。


「ヨナさんが、両方書けって言いました」


           ◆


 両方書けと言ったのは、俺だ。

 悔しいと、よかったの両方が本当なら、両方書く。片方だけ書くと、書かなかったほうが後で嘘になる。

 この子は、それを九月で覚えた。俺は十二年かかって覚えなかった。

 アンナは、来なかった。

 朝、俺は便に乗った。


 荷は服が二着と、木の椀と、引継ぎ書の写しが三十二枚。それに押せない印と、麦粉が二斤半。

 村の入口に、人が出ていた。

 数えなかった。数えると、数えたことになる。

 便が動き出してから、俺は一度だけ振り返った。

 看板が見えた。取の字が、まだ曲がっている。


           ◆


 二つ目の丘を越えたところで、御者が馬を止めた。

 道の脇に、人が立っている。

 アンナだった。

 厚い外套を着て、鞄を一つ提げている。書類の鞄だ。角が擦れている。


「乗るんですか」


「乗りません」


 彼女は言った。


「ここまでです」


「なぜ、村ではなく」


「村だと、取次官が取次官を見送ることになります」


           ◆


 俺は便から降りた。

 雪が降りはじめていた。道に積もるほどではない。


「渡すものがあります」


 アンナは鞄から紙を出した。一枚である。


 ——覚書 第十六枚


 ——取次官が村を出た日から、覚書に取次官の名前を書かない。役職名だけを書く。


 ——理由。名前を書くと、その人がやったことになる。役職名で書くと、次の人が同じことをする。


 俺は、その一枚を読んだ。


           ◆


「十五枚目までは、ヨナさんの名前が入っています」


 アンナは言った。


「入っています」


「消しますか」


 俺は少し考えた。


「消さないでください」


「なぜですか」


「十五枚目までは、俺が一人で決めた記録です」


 俺は言った。


「消すと、一人で決めた時期があったことが消えます。次の人が、最初から三人で決めていたと思います。思うと、一人で決めたくなったときに、自分だけが特別だと思います」


 アンナはうなずいた。


「では、残します」


           ◆


 彼女は鞄を閉じた。


「ヨナさん」


「はい」


「私は、まだ一度も取次官の仕事をしていません」


「していません」


「たぶん、失敗します」


「します」


 俺は即答した。

 彼女が少し笑った。


「即答するんですね」


「します」


 俺は言った。


「俺は九月で三回失敗しました。麦の見積りで二枚。断らないと書いて撤回。それから、証の上限を自分で決め続けたこと」


「三つ目は、失敗ですか」


「いちばん長く続いた失敗です」


           ◆


 雪が少し強くなった。

 御者が咳をした。急かしているのではない。寒いだけだ。


「行ってください」


 アンナは言った。


「一つだけ、伺っていいですか」


「どうぞ」


「失敗したら、手紙を書きます」


 彼女は言った。


「そのとき、答えを書かないでください」


「書きません」


「訊いたことと、考えたことだけ書いてください」


「書きます」


 俺は言った。


「答えは、そちらで出してください」


           ◆


 便が動き出した。

 振り返らなかった。

 振り返らなかったのは、戻らないからだ。

 三月前、王都へ立ち会いに行ったときは振り返らなかった。あのときは戻るからだった。

 同じ動作の理由が、逆になっている。

 膝の上に、麦粉の袋があった。二斤半ある。

 六日で食べきる量ではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。