第四十二話 置いていくものと持っていくもの
十二の月に入って、俺は荷を作りはじめた。
ハウルに言われたことを、俺は覚えている。
行くにしても行かんにしても、置いていくものと持っていくものを、先に分けろ。分けんまま動くと、両方が半端になる。
分けはじめて、三日で止まった。
置いていくものが、多すぎたからではない。持っていくものが、一つもなかったからだ。
◆
荷は、来たときと同じである。
服が二着。木の椀。それに、王都から持ってきた引継ぎ書の写しが三十二枚。
村で増えたものは、全部村のものだった。
台帳は三冊とも取次所に置く。覚書十五枚も置く。目録百七十三項目も置く。印は四つとも村にある。
持っていくものが一つもないというのは、良いことのはずだった。
良いことのはずなのに、荷を眺めていると落ち着かない。
「ヨナさん」
セリが顔を出した。
「それだけですか」
「それだけです」
「半年前と同じですね」
「同じです」
◆
「じゃあ、九月なにも増えなかったんですか」
彼女はそう訊いた。
訊き方に悪気はない。この子はいつもそうだ。悪気がないから、避けられない。
「増えました」
「どこにですか」
「持っていけないところにです」
俺は言った。
「増えたものは、全部、村に置いていくものになりました」
「持っていったらいいじゃないですか」
「持っていくと、村から減ります」
◆
持っていくと、村から減る。
言ってから、俺はそれが半分しか本当でないことに気づいた。
台帳も覚書も目録も、持っていっても村から減らない。写しを作ればいい。写しを作らずに置いていくと決めたのは、俺だ。
減るのが嫌なのではない。**持っていくと、村がまだ俺のものだということになる。**
「持っていくものが一つもないと、寂しいですか」
セリが訊いた。
「寂しいです」
「言うんですね」
「言います」
俺は言った。
「言わないと、残る理由を別のところに探しはじめます」
「探すと、どうなるんですか」
「村のためだ、と言い出します」
俺は言った。
「村のためだと言い出した人間は、そのあと村の言うことを聞かなくなります」
◆
その日の午後、ゴルドが来た。
布に包んだものを机に置いた。
開けると、印が入っていた。麦の穂である。三つ目の粒が潰れている。
「三つ目ですか」
「三つ目だ」
「二つで足りると、前に」
「足りる」
ゴルドは言った。
「これは、あんたが持っていけ」
◆
俺は、その印を手に取った。
彫りが深い。二つ目より深い。
「これは、押せません」
「押すな」
「押せない印を、なぜ」
「押せんから渡す」
彼は前掛けで手を拭いた。
「村の印は二つある。二つで足りる。これは三つ目だ。押したら偽物になる」
俺は、その言い方を考えた。
「持っていけ」
ゴルドは言った。
「王都で困ったときに、それを見ろ。見て、この村がまだあるということだけ思い出せ。それ以上の使い道はない」
◆
俺は頭を下げた。
下げてから、一つ訊いた。
「粒を潰したのは、失敗だと言いましたね」
「言った」
「この三つ目も、潰れています」
「潰した」
彼は言った。
「今度は、わざとだ」
「わざと潰したものは、真似られると」
「真似られる」
ゴルドはうなずいた。
「だから押すなと言った」
◆
俺は印を布に戻して、荷に入れた。
持っていくものが、一つになった。押せない印である。
押せない印を持ち歩くというのは、妙な話である。
だが、この村で俺が受け取ったものの中で、持っていって村から減らないものは、たぶんこれだけだった。押せないから、村の何も減らない。
◆
十二の月の八日に、ハルクが出張所へ来た。
証を四枚彫った錠前屋である。カムリで窯を手伝って、半年になる。
「発つそうだな」
「発ちます」
「一つ頼みがある」
彼は紙を出した。図が描いてある。金具の図面だった。
「窯の口金だ。うちのやり方で描いた。カムリの窯は、八つのうち六つが動いとる。あと二つは、この金具がないと直らん」
「ゴルドさんに」
「見せた」
ハルクは言った。
「打てると言われた。ただ、鉄がない。王都で買うと安い」
◆
「買ってきてほしい、ということですか」
「違う」
彼は首を振った。
「買う道を作ってほしい。わしが買いに行けるようにだ」
俺は図面を見た。
「〈銀羽〉の取次を通せば、鉄は動きます。ただ、あなたは組合員ではありません」
「なれるか」
「なれます」
俺は言った。
「ただ、登録には身元の保証が要ります。あなたは去年、証を四枚偽造しています」
ハルクは、少し笑った。
「そうだな」
◆
俺は、その場では答えなかった。
答えなかったのは、答えを持っていなかったからではない。俺が答えると、俺が決めたことになるからだ。
夕方、アンナに話した。
「保証人を立てれば通ります」
彼女は言った。
「誰が立てますか」
「ケルトさんです」
俺は言った。
「カムリの村長です。半年、あの人が預かっています」
「では、ケルトさんに訊いてください」
「私が、ですか」
「あなたが取次官です」
◆
アンナは、その日のうちにカムリへ人をやった。
返事は二日で来た。
——立つ。ただし条件がある。窯が八つ全部動いたら、保証を外す。
俺はその一行を読んで、しばらく考えた。
保証を外す、というのは、突き放すことではない。
窯が八つ動けば、ハルクは自分で立つ。立てるようになった人間に保証をつけたままにすると、いつまでも保証がいることになる。
ケルトは、二十年前に一人の商人を信じて、村の十五軒を失っている。
その人が、期限を切って保証を立てると言っている。
◆
俺は、その返事をアンナに渡した。渡して、それだけにした。
登録の書面を作るのも、本部へ回すのも、彼女の仕事である。俺は書式の場所だけ教えた。教えると、彼女は一度で覚えた。
「ケルトさん、なんて言ってました」
セリが訊いた。
「窯が八つ動いたら、保証を外すそうです」
「外すんですか」
「外します」
「冷たくないですか」
「逆です」
俺は言った。
「外さない保証は、外れなくなります。外れないと、その人は一生保証つきです」
◆
その晩、俺は覚書の最後に一枚足した。
——保証は、期限を切って立てる。期限がない保証は、保証された者を立てなくする。
書いてから、これは俺が思いついたことではないと気づいて、下に足した。
——カムリ村長ケルトの言。
名前を書くのは、初めてだった。
半年前、俺の帳簿に人の名前は一つもなかった。勘定の名前と、日付と、数字しかなかった。
いまの覚書には、名前が十七ある。
数えてみて、俺は少し驚いた。




