第四十一話 渡すかどうかを決めるのは
セリが封を開けたのは、その日の夕方だった。
開けたところを、俺は見ていない。彼女は宿の裏で読んだと、あとで言った。
翌朝、彼女は出張所に来た。封は持っていなかった。
「渡しました」
「そうですか」
「一つ、抜きました」
◆
俺は顔を上げた。
「抜いた」
「はい」
セリはペンを持っていない。持っていない彼女を見るのは、久しぶりだった。
「四つのうち、一つを抜きました。三つだけ渡しました」
「理由を伺えますか」
「言いたくありません」
俺は、少し黙った。
「言いたくない、というのは」
「言うと、ヨナさんが直すからです」
◆
その通りだった。
理由を聞けば、俺は判断する。判断すれば、直すか直さないかを決める。決めるのは俺になる。
渡すかどうかを決めてくださいと言ったのは、俺だ。
決めた理由まで訊くのは、決めさせていないのと同じである。
「分かりました」
俺は言った。
「訊きません」
「いいんですか」
「よくありません」
俺は言った。
「よくありませんが、訊かないほうが筋です。筋と、よい悪いは、別のことがあります」
セリは、そこで少しだけ笑った。
◆
筋と、よい悪いは別のことがある。
言ってから、俺はそれが半年前の自分に向けた言葉でもあると気づいた。あのとき俺は、支部長の言うことが正しいと思った。数字は合っていた。合っている数字に従うのが筋だと思った。
筋は通っていた。通っていて、王都の掲示板は空になった。
三日後、アンナが出張所に来た。
彼女は紙を三枚持っていた。俺の書いたものである。
「読みました」
「はい」
「三枚とも、重いです」
「重いです」
「これを書くのに、七日かかったんですね」
「かかりました」
彼女は紙を机に置いた。
「一つ、伺います」
「はい」
「四枚目は、どこですか」
◆
俺は、その質問を予期していなかった。
「四枚あったと、なぜ思いますか」
「セリさんの覚書に、四つと書いてあります」
アンナは言った。
「——答えられない四つは、どうするか。保留。取次官が決める。七日以内に決めると本人が言った。そう書いてあります」
俺は目を閉じた。
あの子は、註までつけていた。註をつけたのは、あれが初めてだったと言っていた。
書いた記録が、書いた本人の意図を越えて働くことがある。
セリは、俺の四枚目を隠した。隠したことを、自分の書いた記録が指している。
◆
「四枚目は、俺が書きました」
俺は言った。
「渡すかどうかは、セリさんに決めてもらいました。彼女が抜きました。理由は訊いていません」
「訊かないんですか」
「訊きません」
「では、私が訊いてもいいですか」
「構いません」
俺は言った。
「ただ、あなたが訊いて答えが出たら、それはあなたのものです。俺には言わないでください」
アンナは、しばらく俺を見ていた。
「ヨナさん、それは逃げていませんか」
◆
「逃げています」
俺は即答した。
彼女が驚いた顔をした。
「認めるんですか」
「認めます」
俺は言った。
「四枚目に書いたのは、俺がこの村で誰をいちばん扱いにくいと思っているかです。書きました。書いて、渡す判断を他人に投げました。投げたのは、自分で渡す勇気がなかったからです」
「それでも投げたんですね」
「投げました」
俺は言った。
「投げたことは、覚書に書いてあります。逃げたことも、記録には残ります。残ればいい、と思っています」
◆
アンナは三枚を鞄に入れた。
「四枚目のことは、セリさんに訊きません」
「なぜですか」
「あの子が抜いたなら、抜いた理由があります」
彼女は言った。
「私は、この村に来て九月です。あの子は生まれてからずっといます。誰が扱いにくいかについては、あの子のほうが正しい」
◆
この村に来て九月。生まれてからずっといる。
九月と、十七年である。数字を比べる仕事を長くやっていると、こういう比べ方を忘れる。
「ヨナさん」
「はい」
「一つ、決めておきたいことがあります」
アンナは言った。
「私が取次官になったあと、ヨナさんに手紙で相談してもいいですか」
「いいです」
「答えてくれますか」
「答えます」
「では、条件を一つ」
彼女は言った。
「答えを書かないでください」
俺は顔を上げた。
「訊いたことと、考えたことを書いてください。答えは、こちらで出します」
「それは」
「ヨナさんが、セリさんに言ったことです」
◆
その日の夕方、王都から便が来た。
トーレンの字だった。事務の書面ではない。私信である。
——一つ、お耳に入れておきます。
——本部の人事が、王都支部の費えを見ています。二の月か三の月に、削減の指示が出る見込みです。
——前回、同じ指示が出たのは九月前です。そのときこの支部が何をしたかは、あなたがいちばんよくご存じです。
——次に指示を受けるのは、あなたです。
俺は、その四行を三度読んだ。
◆
「なにか、まずいことですか」
アンナが訊いた。
「まずくありません」
「顔が」
「そうですか」
俺は紙を渡した。彼女は読んで、顔を上げた。
「九月前と、同じことが起きるんですね」
「起きます」
「今度は、ヨナさんが削る側です」
「そうです」
俺は言った。
「削る側に立つと分かっていて、村を出ます」
◆
その夜、俺は寝つけなかった。
九月前、俺は人員表の赤い線を見て、数字は正しいと思った。
正しかった。人件費は三割高く、内務は依頼を受けず、素材を持って帰らず、魔物を一匹も倒さない。削る順番を上から書けば、俺の名前はそのあたりに来る。
二月後か三月後に、俺が同じ表を作る。
作るとき、俺は自分がどこに来るかを知っている。知っていて作るのは、知らずに作るより難しい。
◆
その日から、俺は反対する役になった。
覚書の十五枚目を書き直した。
——反対する者は、取次官から給金を受けない。
この一行は、そのまま残した。俺は本部から給金を受けているので、取次所からは受けていない。形は合っている。
合っているが、俺はまだ取次官である。一の月まで、俺が取次官で、アンナが後任だ。
二人が同じ部屋にいて、片方が決めて、片方が反対する。
最初の五日は、うまくいかなかった。
◆
うまくいかない理由は、はっきりしていた。
アンナが決めた数字に、俺が反対しない。反対する理由がないからではない。彼女の出す数字が、俺の出す数字とほとんど同じだからだ。
六日目に、俺はそれを言った。
「同じ数字が出ます」
「出ます」
「あなたは、俺のやり方を九月見ています」
「見ました」
「見たとおりにやると、俺と同じ間違いをします」
アンナはうなずいた。
「分かっています」
「では、どうしますか」
「ロダンさんに出させます」
◆
ロダンは、カムリの記録係である。遅い。窯を六日かけて数え直した男だ。
「わたしが決める前に、ロダンさんに同じ数字を出させます」
アンナは言った。
「あの人は、わたしのやり方を見ていません。遅いので、途中を飛ばしません」
「二人の数字が違ったら」
「違ったところが、飛ばしたところです」
俺は、その言い方を書き留めた。
「一つ、反対します」
俺は言った。
「ロダンさんは、カムリの記録係です。三村ぶんの数字を出させると、カムリの仕事が止まります」
「止まります」
「では」
「止めます」
アンナは言った。
「二月だけです。二月で、ロダンさんに数字の出し方が移ります。移ったら、カムリに戻します」
◆
俺は、反対を取り下げた。
取り下げてから、覚書に書いた。
——反対者の理由。カムリの記録が二月止まる。
——取次官の判断。止める。二月で数字の出し方が移るため。
——反対者は取り下げた。理由、期限が切ってあるため。
書きながら、俺は自分が書いている立場に気づいた。
半年前、この欄に書かれていたのは、俺の判断だった。
いまは、俺が反対した側として書かれている。
同じ紙の、違う行にいる。




