第三十八話 一つも答えられない
三日目の朝、アンナは紙を持ってきた。
一枚だと思っていた。四枚あった。
「反対の理由ですか」
「違います」
彼女は机に置いた。
「質問です」
◆
俺は読んだ。
番号が振ってある。四十一まであった。
一。取次官が村を出た場合、証の上限を上げる判断は誰が出すか。
二。上げた判断が外れた場合、埋めるのはどの村の取り分か。
三。準備金が二十枚を切った日に、誰が誰に言うか。
四。偽の証が五枚目に出たとき、ゴルドが不在なら誰が見分けるか。
五番目で、俺は手を止めた。
五。取次官が村を出た場合、この四十一の質問に答える人は誰か。
「答えてください」
アンナは言った。
「三日で四十一集めました。三村の記録係と、村長三人と、ゴルドさんとトビさんとマヤさんに訊きました」
「訊いた」
「訊きました。私が考えた質問は、一つもありません」
◆
四十一の質問を、俺は二度読んだ。
二度読んで、書いた人間の見当がついたものがいくつかあった。四番はゴルドだ。印の話しかしていない。十七番と十八番はマヤで、粉の相場が絡んでいる。三十番はトビで、宿に預ける金の話になっている。
村の人間は、自分の困りごとしか訊かない。
四十一を並べると、村の困りごとが四十一あることになる。俺は、そのうちのいくつを知っていただろうか。
俺は、その日の午前を全部使った。
答えられたのは、九つだった。
九つは、覚書に書いてある。書いてあるので答えられる。
残り三十二は、書いていない。書いていないので、俺の頭にある。頭にあるものは、俺が村を出ると、村から出る。
昼にセリが茶を持ってきて、俺の手元を見て、何も言わずに戻っていった。
午後、俺はもう七つ答えた。
合計十六。残り二十五。
「二十五です」
「二十五ですね」
「半年前は、四十七でした」
俺はそう言った。言ってから、比べる意味がないことに気づいた。
「四十七は注釈です。これは質問です」
アンナは言った。
「注釈は、あるものに名前をつけたものです。質問は、無いものを指したものです」
◆
答えられなかったものに、俺は印をつけなかった。
つけると、後で見たときに「答えられなかったもの」として読める。読めるが、なぜ答えられなかったかが落ちる。落ちると、次の人は同じところで止まる。
その晩、俺は二十五を並べ直した。
並べ直すと、種類が三つに分かれた。
一つ目は、書けば済むもの。十一ある。面倒なだけで、書けば終わる。
二つ目は、書いても伝わらないもの。九つある。相場の見方、顔ぶれの読み方、いつ止めるかの勘。書いても、読んだ人がそのとおりにやると外す。
三つ目が、五つ残った。
五つは、こうだ。
——取次官が村を出た場合、この四十一の質問に答える人は誰か。
——反対する役の人が取次官になった場合、反対するのは誰か。
——印を三つから四つに増やしたように、次に増やすのは誰が決めるか。
——三村の寄合が割れた場合、どうするか。
——取次官が戻ってこない場合、誰がそれを判断するか。
五つとも、**人の話**だった。
◆
「一つも答えられませんでした」
翌朝、俺はそう言った。
「五つですか」
「五つです」
アンナは紙を見た。
「これは、私が集めた中でいちばん多かった種類です」
「多かった」
「四十一のうち、十九が同じことを訊いています。誰が、です」
彼女は言った。
「村の人は、仕組みのことを訊きません。仕組みは動いているのを見ています。訊くのは、その仕組みを誰が回すかです」
◆
俺は椅子に座り直した。
半年前、王都で引継ぎ書を書いたとき、俺は仕組みを書いた。書式、期日、勘定の名前、注釈。全部、仕組みである。
人のことは書かなかった。書くと悪口になるからだと思っていた。
悪口になるからではなかった。
人のことを書くと、**その人がいなくなったときに書き直さなければならない**。仕組みは書けば残る。人は残らない。
残らないものを書くのが、面倒だった。
「アンナさん」
「はい」
「あなたは、俺に行くなと言いますか」
「言いません」
彼女は即答した。
「反対の理由を、三日探しました。見つかりませんでした」
◆
「見つからない」
「はい」
アンナは四枚目をめくった。
「ヨナさんが行くと、村は困ります。困りますが、困ることと、行くべきでないことは別です」
「どう別ですか」
「困るのは、村がまだヨナさんに寄りかかっているからです」
彼女は言った。
「寄りかかっているうちは、いつまでも困ります。一年後に出ても、三年後に出ても、同じ四十一が出ます。数は減っているかもしれませんが、五つ目は残ります」
「五つ目」
「誰が、です」
彼女は紙を置いた。
「これは、ヨナさんがいるかぎり答えが出ません。答えがヨナさんだからです」
◆
俺は、その言い方をしばらく頭の中で回していた。
答えが俺だから、答えが出ない。
俺がいなくなると、答えが出る。出るというより、出さざるを得なくなる。
「では、あなたは賛成ですか」
「賛成でもありません」
アンナは言った。
「私は反対する役です。賛成する役ではありません。反対の理由がないので、何も言いません」
「何も言わないというのは」
「ヨナさんが決めてください、ということです」
◆
その日の午後、俺は一人で歩いた。
村を一周した。半年前、四十一戸を回って現金を数えた道である。あのときは嫌がられた家が九軒あった。
いまは、誰も俺を見て構えない。ゴルドが鉄を叩いている。トビが樽を転がしている。マヤの粉挽きが回っている。
カムリから来たハルクが、窯のそばで火を見ていた。錠前屋である。四枚の証を彫った男だ。
俺に気づいて、少し頭を下げた。俺も下げた。
この村は、俺がいなくても回る。
回るところを、俺は毎日見ている。見ていて、少し寂しい。
寂しいというのを、俺は認めることにした。
認めないと、残る理由を別のところに探しはじめる。
◆
夕方、出張所に戻った。
セリが台帳を書いている。俺が入っても顔を上げなかった。書き終わってから顔を上げた。
「決めましたか」
「決めます」
「いつですか」
「今日です」
俺は座った。
「セリさん。一つ訊きます」
「はい」
「あなたは、俺がいなくなったら困りますか」
彼女はペンを置いた。それから、正直に答えた。
「困ります」
「そうですか」
「でも」
彼女は続けた。
「困るのは、ヨナさんに訊けなくなるからです。訊けなくなると、自分で決めます。自分で決めると、たぶん、いまより速くなります」




