第三十五話 八日しかない
六の月末日まで、八日。王都まで六日。
出るなら、二日以内に出る。
俺は、その晩は決めなかった。決めない、と自分で決めた。覚書の十五枚目に、一晩置くと書いてある。
翌朝、宿の壁に紙を貼りに行った。
——本日の兌換 証二枚 準備金残り 銀貨十九枚
十九。二十を切った。
貼っていると、ゴルドが来た。約束どおり、彼は言った。
「下げろ」
「下げます」
◆
貼りながら、俺は八日という数字を頭の隅で回していた。
八日で、二つ決めなければならない。上限を下げるかどうかと、王都へ行くかどうかである。
どちらも、決めるのは俺ではない形にしてある。してあるが、持ち出すのは俺だ。
その日のうちに、寄合を開いた。
三村の村長と記録係、それに俺とアンナ。九人である。
「上限を、七十一から六十に下げます」
俺は言った。
「理由は、準備金が十九枚に減ったからです。出ている証は百九十四枚。準備金の割合が、一割を切りました」
「割合が要るのか」
ケルトが訊いた。
「要ります」
俺は言った。
「全員が一度に来ることはありません。ですが、二割の人が同じ月に来ることはあります。半年前、俺は準備金四枚で証三十枚ぶんを出しました。一割三分です。それでも回ったのは、村が小さかったからです」
「いまは大きい」
「三村です。顔で足りなくなっています」
◆
「下げると、どうなる」
ガレンが訊いた。
「証の新規発行が止まります。刈り入れの人手の払いが、証で出せなくなります」
「困るな」
「困ります」
「では、下げんほうがいい」
「下げます」
俺は言った。
「困るのは、二月です。下げずに続けて、換えられない日が一日でも出たら、困るのは十年です。カムリがそうでした」
ケルトが、そこで小さくうなずいた。
「うちは十五軒出ていった」
部屋が静かになった。
「下げよう」
ハウルが言った。
「わしは反対せん。ただ、一つ訊く」
「はい」
「下げるのは、いつまでだ」
◆
俺は答えを持っていなかった。
持っていないので、そう言った。
「決めていません」
「決めろ」
ハウルは言った。
「下げるのはいい。いつ戻すかを決めんと、下げっぱなしになる。下げっぱなしは、村が死ぬ」
俺は台帳を開いた。
「準備金が二十五枚に戻ったら、七十一に戻します」
「二十五の根拠は」
「出ている証の一割三分です」
「半年前と同じか」
「同じです」
ハウルは腕を組んだ。
「あんた、半年前の数字をまだ使っとるのか」
◆
俺は、そこで止まった。
半年前の数字を、俺はまだ使っていた。使っていることに、言われるまで気づかなかった。
一度うまくいった数字は、たいてい長く使われる。長く使われているうちに、それが根拠だったことを誰も覚えなくなる。四十七個の注釈と、同じ形をしている。
一割三分は、半年前の数字である。村が四十一戸だったときの数字だ。
いまは三村で、戸数は九十を超える。人は四百近い。証は百九十四枚出ている。
同じ割合でいいはずがない。
「……根拠が古いです」
「そうだろう」
「数え直します」
「数え直せ」
ハウルは言った。
「今日は下げるだけ決める。戻す数字は、記録係に出させろ」
俺は書いた。書きながら、この人が金の話でしか引かないというのは、正しい見立てだったと思った。
金の話では、この人は引かない。
◆
寄合が終わったのは、日が傾いてからだった。
九人が帰っていく。ケルトは谷を越えて帰る。半日かかる道を、六十を過ぎた男が月に二度往復している。
寄合が終わってから、俺はバルテの手紙を出した。
「王都へ行きます」
部屋が、また静かになった。
「いつ出る」
「明日です。六日かかります。着くのが末日の前日です」
「何をしに行く」
「立ち会いです」
俺は言った。
「差押えの目録に封をするとき、名義が俺のままの契約が二件あります。立ち会わないと、後で争いになります」
「二件くらい、放っとけばよかろう」
ガレンが言った。
「放っておくと、争うのは俺ではありません」
俺は言った。
「争うのは、二件の相手です。片方は遺族です」
◆
アンナが手を挙げた。
「反対します」
俺は彼女を見た。二度目である。
「理由を伺います」
「行っても、金は増えません」
「増えません」
「増えないのに六日かけて行くのは、立ち会いのためではないですよね」
俺は答えなかった。
「見たいんですよね」
アンナは言った。
「支部がどうなるかを、自分の目で」
◆
その通りだった。
この人は、俺が自分でも言葉にしていないものを先に言う。受付を四年やると、そうなるのかもしれない。窓口に来る人間は、たいてい本当の用件を三番目に言う。
立ち会いは要る。二件は本当にある。ただ、それだけなら書面でも済む。俺が名義人であることを認める一筆を送れば、バルテは受け取る。あの人はそういう人だ。
六日かけて行くのは、見たいからだ。
十二年いた場所が終わるところを、見ておきたい。
「一晩置きますか」
アンナが訊いた。
「置きません」
俺は言った。
「置くと、間に合わないからです。いま決めます」
「では、聞きます」
「行きます。理由は二つです」
俺は指を折った。
「一つ、二件の立ち会いが要る。これは筋です。二つ、俺が見たい。これは私事です」
俺は続けた。
「私事のほうが大きいです。それを書いてください」
◆
アンナは、覚書の十五枚目を開いた。
反対の理由と、取次官が最後にどう決めたかを、両方書き残す。彼女はペンを取った。
——反対者の理由。行っても金は増えない。立ち会いは書面で済む。真の理由は私事である。
——取次官の判断。行く。私事のほうが大きいと本人が認めた。
書いてから、彼女は顔を上げた。
「これ、読まれますよ」
「読まれます」
「取次所に来た人は誰でも読んでいいと、ヨナさんが書きました」
「書きました」
「村の外の人も読めます」
「読めます」
俺は言った。
「読ませてください」
◆
書き終えて、彼女は覚書を箱に戻した。
箱には鍵をかけない。半年前に、かけないと決めた。かけると、鍵を持つ人間がまた一人になるからだ。
出る朝、セリが門の前にいた。
半年前と、同じ場所である。あのとき彼女は台帳を持っていて、書いていなかった。
今日は、書いていた。
「何を書いているんですか」
「ヨナさんが、私事で行くと書いたことを」
彼女はペンを止めずに言った。
「これ、大事だと思うので」
「なぜですか」
「次の人が、私事で動きたくなったときに、書いていいって分かるからです」
俺は便に乗った。
乗ってから、村が見えなくなるまで、一度も振り返らなかった。
振り返らなかったのは、戻ってくるからだ。




