↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/59

第三十四話 目録に載らないもの

 偽造の四枚を、俺は焼かなかった。

 台帳に貼って、横に書いた。


 ——真似られた印。麦の穂の三つ目の粒が丸い。本物は潰れている。


 焼けば、証拠が消える。残せば、次に誰かが見分けられる。

 これも、目録の一種だと思った。


           ◆


 彫った男は、七日目に自分から出てきた。

 ケルンの錠前屋で、名をハルクといった。四十を少し過ぎている。ゴルドが手を折らずに済んだのは、この男が逃げなかったからだ。


「なぜ出てきたんですか」


「塩を三度買った」


 彼は言った。


「三度目に、店の女が奥から人を呼んだ。呼ばれる前に出た。出てから、次はどこで買うかを考えた。考えて、どこにもないと分かった」


「どこにもない」


「あんたの紙は、あんたの村でしか通らん」


 彼は俺を見た。


「わしは、通る場所ごと真似ることができんかった」


           ◆


 俺は、その言い方を頭の中で二度繰り返した。

 通る場所ごと真似ることができない。

 紙は真似られる。印も真似られる。真似られないのは、その紙を誰が受け取るかという合意のほうだった。

 合意は、三村の寄合と、四つの印と、月に二度谷を越える記録係でできている。

 彫るのがうまい男に、それは彫れない。


「四枚で、いくら得ましたか」


「塩が四樽と、銅貨が九枚だ」


「返せますか」


「返せん」


 ハルクは言った。


「錠前で返す。村の錠を全部見る。壊れとるのは直す。それでどうだ」


 俺はケルトを見た。カムリの村長は、右手の指が二本ない男である。


「うちが預かる」


 ケルトが言った。


「窯が二つ止まっとる。錠前より、そっちを手伝わせる」


           ◆


 六の月に入って、村は忙しくなった。

 刈り入れの前は、どこの村でも人手が足りない。足りないところへ、三村ぶんの記録係が数を数えに回る。嫌がられる。半年前、俺が四十一戸を回ったときと同じだ。

 刈り入れの前に、炭の窯を二つ直す。カムリの止まっていた窯である。ケルトが人を出し、ゴルドが金具を打った。


 金具の代金は、証で払った。カムリの証である。四つ目の印が押してある。栗の実にした。カムリに栗の木が多いからだ。

 俺は、その仕事に手を出さなかった。

 数字も出さなかった。三村の記録係が出して、村長が押した。俺は見ていた。

 見ているのは、思っていたより落ち着かない。


           ◆


「手が空いていますね」


 アンナが言った。


「空いています」


「良いことです」


「良いことですか」


「良いことです」


 彼女は台帳を閉じた。


「半年前、ヨナさんが三日寝ないで数えた仕事を、いま三人が二十日かけてやっています。遅いです。遅いですが、三人います」


「遅いのは、良くありません」


「遅いのは良くありません。三人いるのは良いことです」


 彼女は言った。


「両方言わないと、片方だけが残ります」


           ◆


 俺は、それを良いことだと自分に言い聞かせた。

 言い聞かせないと、口を出しそうになる。数字が出るのが遅いのが分かる。どこで詰まっているのかも分かる。分かるのに黙っているのは、数えるより疲れる。

 六の月の十日に、王都から便が来た。

 トーレンからだった。今度は事務の書面ではない。


 ——差押えの目録を作る手続きが、始まりました。


 ——〈石環〉商会の書記が二人、三日前から支部に入っています。金庫の中身、備品、未収の債権を数えています。


 ——目録に載るものを書きます。金庫の残高が六十二枚。机が四つ。椅子が十一。掲示板が一つ。算盤が三つ。未収の登録料が九件。


 ——合計は、銀貨で七十枚に届きません。


 俺は、その数字をしばらく見ていた。

 支部の全部を売って、七十枚。

 年に二百枚を回している場所の、中身がそれだけだった。


           ◆


 二枚目に、トーレンはこう書いていた。


 ——目録を作っていて、気づいたことがあります。


 ——この支部の価値は、目録に一行も載りません。


 ——載るのは机と椅子です。載らないものを、三つ挙げます。掲示板の額を誰が書けるか。〈灰鉄〉の書式を誰が読めるか。〈黒沼〉に同じ組を三日出してはいけないと、誰が知っているか。


 ——それらは、全部、人の中にあります。人は目録に載りません。


 ——半年前、支部長は経費を二割落とせと言われました。二割落とすときに見るのは目録です。目録に載っているものは、削ると数字が動きます。載っていないものは、削っても数字が動きません。


 ——だから、載っていないほうから削られます。


 俺は、そこで手紙を置いた。


           ◆


 置いてから、しばらく何もしなかった。

 半年前、支部長室で人員表を見せられた。赤い線が三本。上から二番目が俺だった。

 あのとき俺は、数字は正しいと思った。人件費が三割高くて、そのうちの少なくない部分が内務に出ている。内務は依頼を受けない。素材を持って帰らない。魔物を一匹も倒さない。


 削る順番を上から書けば、俺の名前はそのあたりに来る。

 そう思った。そう思ったのは、俺も目録を見ていたからだ。

 自分が載っていない側の人間だということに、俺は気づいていなかった。


「ヨナさん」


 セリが顔を上げた。


「泣いてますか」


「泣いていません」


「そうですか」


 彼女はまた書き始めた。この子は、こういうときに追わない。


           ◆


 落ち着いてから、俺はもう一度、二枚目を読んだ。

 人は目録に載りません、という一行を、この男は事務の書面の中に書いている。書く必要のない一行だ。書いても数字は動かない。

 書く必要のないことを書く人間が、いま王都に二人いる。

 半年前は、一人もいなかった。

 その日の午後、俺は三村の記録係を集めた。


 セリ、リナ、ロダン。それにアンナ。


「一つ、頼みたいことがあります」


「なんですか」


「目録を作ります」


 俺は白紙を置いた。


「この取次所と、三つの村の目録です。売れるものではありません。売れないもののほうを書きます」


 リナが首を傾げた。


「売れないもの、ですか」


「誰が何を知っているか、です」


 俺は言った。


「ゴルドさんが罠の金具を打てること。マヤさんが粉の相場を三年ぶん覚えていること。ケルトさんが二十年前の話をできること。リナさんが谷を半日で越えられること」


「わたし、それ、書くんですか」


「書きます」


           ◆


「なんのためですか」


 ロダンが訊いた。カムリの記録係になった若い男である。字は遅いが、六日かけて窯を実際に数えた男でもある。


「削られないためです」


 俺は言った。


「いつか、この取次所も費えを減らせと言われます。言われたときに、目録を見て決めます。目録に載っていないものは、削っても数字が動きません。だから、載っていないほうから削られます」


「じゃあ、書いておけば」


「書いておけば、削るときに一度は目に入ります」


 俺は続けた。


「目に入っても、削られるかもしれません。ですが、目に入らないまま削られるのとは違います」


 アンナが、そこで口を開いた。


「反対はしません」


「しないんですか」


「しません。ただ、一つ足してください」


           ◆


「ヨナさんが何を知っているかも、書いてください」


 俺は彼女を見た。


「俺は」


「書けませんか」


「書けます。ただ、自分で書くと」


「自慢になりますか」


「なります」


「では、私が書きます」


 アンナは言った。


「私が書いて、ヨナさんが直します。間違っているところだけ」


           ◆


 目録は、十四日かかった。

 三村で百七十三項目になった。いちばん多かったのはノーレで、これはリナが細かいからである。いちばん少なかったのはトゥーレで、これは俺が見ている前で書きにくかったからだと、後でセリに言われた。

 三日後、彼女は九枚持ってきた。

 俺は読んだ。読んで、二箇所直した。


 一つは、俺が〈灰鉄〉の書式を三年前から読めると書いてあったのを、書式が変わった年から、に直した。

 もう一つは、俺が編成を組めると書いてあったのを、組んでいたが四人死なせたことがある、に直した。

 直して返すと、アンナは二つ目のところで手を止めた。


「これは、要りますか」


「要ります」


 俺は言った。


「組めるという事実だけを渡すと、次の人は組めることだけを引き継ぎます。四人死んだことは引き継がれません」


 彼女は、その行を写した。


「ヨナさん」


「はい」


「この九枚、いつか誰かに渡すつもりですか」


 俺は答えなかった。

 答えなかったのは、答えを持っていなかったからではない。

 持っていることに、そのとき初めて気づいたからだ。


           ◆


 その晩、王都から便が来た。

 バルテの字だった。今度は短い。


 ——六の月末日、目録に封をします。


 ——差押えは支部の資産に対して行いますが、未収の債権九件のうち二件は、契約の名義があなたのままです。


 ——名義人の立ち会いがないまま封じると、後日その二件が争いになります。


 ——立ち会われますか。ご返事は不要です。当日、来られるかどうかだけです。


 俺は日付を数えた。

 六の月末日まで、あと八日。

 王都まで、六日かかる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。