第三十四話 目録に載らないもの
偽造の四枚を、俺は焼かなかった。
台帳に貼って、横に書いた。
——真似られた印。麦の穂の三つ目の粒が丸い。本物は潰れている。
焼けば、証拠が消える。残せば、次に誰かが見分けられる。
これも、目録の一種だと思った。
◆
彫った男は、七日目に自分から出てきた。
ケルンの錠前屋で、名をハルクといった。四十を少し過ぎている。ゴルドが手を折らずに済んだのは、この男が逃げなかったからだ。
「なぜ出てきたんですか」
「塩を三度買った」
彼は言った。
「三度目に、店の女が奥から人を呼んだ。呼ばれる前に出た。出てから、次はどこで買うかを考えた。考えて、どこにもないと分かった」
「どこにもない」
「あんたの紙は、あんたの村でしか通らん」
彼は俺を見た。
「わしは、通る場所ごと真似ることができんかった」
◆
俺は、その言い方を頭の中で二度繰り返した。
通る場所ごと真似ることができない。
紙は真似られる。印も真似られる。真似られないのは、その紙を誰が受け取るかという合意のほうだった。
合意は、三村の寄合と、四つの印と、月に二度谷を越える記録係でできている。
彫るのがうまい男に、それは彫れない。
「四枚で、いくら得ましたか」
「塩が四樽と、銅貨が九枚だ」
「返せますか」
「返せん」
ハルクは言った。
「錠前で返す。村の錠を全部見る。壊れとるのは直す。それでどうだ」
俺はケルトを見た。カムリの村長は、右手の指が二本ない男である。
「うちが預かる」
ケルトが言った。
「窯が二つ止まっとる。錠前より、そっちを手伝わせる」
◆
六の月に入って、村は忙しくなった。
刈り入れの前は、どこの村でも人手が足りない。足りないところへ、三村ぶんの記録係が数を数えに回る。嫌がられる。半年前、俺が四十一戸を回ったときと同じだ。
刈り入れの前に、炭の窯を二つ直す。カムリの止まっていた窯である。ケルトが人を出し、ゴルドが金具を打った。
金具の代金は、証で払った。カムリの証である。四つ目の印が押してある。栗の実にした。カムリに栗の木が多いからだ。
俺は、その仕事に手を出さなかった。
数字も出さなかった。三村の記録係が出して、村長が押した。俺は見ていた。
見ているのは、思っていたより落ち着かない。
◆
「手が空いていますね」
アンナが言った。
「空いています」
「良いことです」
「良いことですか」
「良いことです」
彼女は台帳を閉じた。
「半年前、ヨナさんが三日寝ないで数えた仕事を、いま三人が二十日かけてやっています。遅いです。遅いですが、三人います」
「遅いのは、良くありません」
「遅いのは良くありません。三人いるのは良いことです」
彼女は言った。
「両方言わないと、片方だけが残ります」
◆
俺は、それを良いことだと自分に言い聞かせた。
言い聞かせないと、口を出しそうになる。数字が出るのが遅いのが分かる。どこで詰まっているのかも分かる。分かるのに黙っているのは、数えるより疲れる。
六の月の十日に、王都から便が来た。
トーレンからだった。今度は事務の書面ではない。
——差押えの目録を作る手続きが、始まりました。
——〈石環〉商会の書記が二人、三日前から支部に入っています。金庫の中身、備品、未収の債権を数えています。
——目録に載るものを書きます。金庫の残高が六十二枚。机が四つ。椅子が十一。掲示板が一つ。算盤が三つ。未収の登録料が九件。
——合計は、銀貨で七十枚に届きません。
俺は、その数字をしばらく見ていた。
支部の全部を売って、七十枚。
年に二百枚を回している場所の、中身がそれだけだった。
◆
二枚目に、トーレンはこう書いていた。
——目録を作っていて、気づいたことがあります。
——この支部の価値は、目録に一行も載りません。
——載るのは机と椅子です。載らないものを、三つ挙げます。掲示板の額を誰が書けるか。〈灰鉄〉の書式を誰が読めるか。〈黒沼〉に同じ組を三日出してはいけないと、誰が知っているか。
——それらは、全部、人の中にあります。人は目録に載りません。
——半年前、支部長は経費を二割落とせと言われました。二割落とすときに見るのは目録です。目録に載っているものは、削ると数字が動きます。載っていないものは、削っても数字が動きません。
——だから、載っていないほうから削られます。
俺は、そこで手紙を置いた。
◆
置いてから、しばらく何もしなかった。
半年前、支部長室で人員表を見せられた。赤い線が三本。上から二番目が俺だった。
あのとき俺は、数字は正しいと思った。人件費が三割高くて、そのうちの少なくない部分が内務に出ている。内務は依頼を受けない。素材を持って帰らない。魔物を一匹も倒さない。
削る順番を上から書けば、俺の名前はそのあたりに来る。
そう思った。そう思ったのは、俺も目録を見ていたからだ。
自分が載っていない側の人間だということに、俺は気づいていなかった。
「ヨナさん」
セリが顔を上げた。
「泣いてますか」
「泣いていません」
「そうですか」
彼女はまた書き始めた。この子は、こういうときに追わない。
◆
落ち着いてから、俺はもう一度、二枚目を読んだ。
人は目録に載りません、という一行を、この男は事務の書面の中に書いている。書く必要のない一行だ。書いても数字は動かない。
書く必要のないことを書く人間が、いま王都に二人いる。
半年前は、一人もいなかった。
その日の午後、俺は三村の記録係を集めた。
セリ、リナ、ロダン。それにアンナ。
「一つ、頼みたいことがあります」
「なんですか」
「目録を作ります」
俺は白紙を置いた。
「この取次所と、三つの村の目録です。売れるものではありません。売れないもののほうを書きます」
リナが首を傾げた。
「売れないもの、ですか」
「誰が何を知っているか、です」
俺は言った。
「ゴルドさんが罠の金具を打てること。マヤさんが粉の相場を三年ぶん覚えていること。ケルトさんが二十年前の話をできること。リナさんが谷を半日で越えられること」
「わたし、それ、書くんですか」
「書きます」
◆
「なんのためですか」
ロダンが訊いた。カムリの記録係になった若い男である。字は遅いが、六日かけて窯を実際に数えた男でもある。
「削られないためです」
俺は言った。
「いつか、この取次所も費えを減らせと言われます。言われたときに、目録を見て決めます。目録に載っていないものは、削っても数字が動きません。だから、載っていないほうから削られます」
「じゃあ、書いておけば」
「書いておけば、削るときに一度は目に入ります」
俺は続けた。
「目に入っても、削られるかもしれません。ですが、目に入らないまま削られるのとは違います」
アンナが、そこで口を開いた。
「反対はしません」
「しないんですか」
「しません。ただ、一つ足してください」
◆
「ヨナさんが何を知っているかも、書いてください」
俺は彼女を見た。
「俺は」
「書けませんか」
「書けます。ただ、自分で書くと」
「自慢になりますか」
「なります」
「では、私が書きます」
アンナは言った。
「私が書いて、ヨナさんが直します。間違っているところだけ」
◆
目録は、十四日かかった。
三村で百七十三項目になった。いちばん多かったのはノーレで、これはリナが細かいからである。いちばん少なかったのはトゥーレで、これは俺が見ている前で書きにくかったからだと、後でセリに言われた。
三日後、彼女は九枚持ってきた。
俺は読んだ。読んで、二箇所直した。
一つは、俺が〈灰鉄〉の書式を三年前から読めると書いてあったのを、書式が変わった年から、に直した。
もう一つは、俺が編成を組めると書いてあったのを、組んでいたが四人死なせたことがある、に直した。
直して返すと、アンナは二つ目のところで手を止めた。
「これは、要りますか」
「要ります」
俺は言った。
「組めるという事実だけを渡すと、次の人は組めることだけを引き継ぎます。四人死んだことは引き継がれません」
彼女は、その行を写した。
「ヨナさん」
「はい」
「この九枚、いつか誰かに渡すつもりですか」
俺は答えなかった。
答えなかったのは、答えを持っていなかったからではない。
持っていることに、そのとき初めて気づいたからだ。
◆
その晩、王都から便が来た。
バルテの字だった。今度は短い。
——六の月末日、目録に封をします。
——差押えは支部の資産に対して行いますが、未収の債権九件のうち二件は、契約の名義があなたのままです。
——名義人の立ち会いがないまま封じると、後日その二件が争いになります。
——立ち会われますか。ご返事は不要です。当日、来られるかどうかだけです。
俺は日付を数えた。
六の月末日まで、あと八日。
王都まで、六日かかる。




