幕間 辞表
六の月の二十日、カルロは辞表を書いた。
三枚書いて、二枚破った。破ったのは、理由が長すぎたからである。
三枚目は、四行で済んだ。
着任から九月。預り金から六十枚を引き出し、支部を支払不能にした。責は自分にある。以上。
書いてから、彼はそれを引き出しに入れた。
出すのは、期日の後だと決めていた。期日の前に出すと、逃げたことになる。
◆
本部からの書面が届いたのは、その翌日だった。
二通あった。
一通目は人事の部署からで、支部長交代の準備を進めるという通知である。予想していた。
二通目に、彼は驚いた。
差出人が、トゥーレ取次所になっている。宛先は本部の人事だが、写しが支部に回されていた。
カルロは読んだ。
——王都支部に、査定を書ける者が一人います。名をレイといいます。六月前に入りました。
——支部長の交代が起きる場合、この者の査定のやり方を変えさせないでください。
——理由は、この者のやり方が正しいからではありません。この者が、自分で理由を言えるやり方で書いているからです。
最後に、署名があった。
——本件は、私の職掌の外です。職掌の外だと承知のうえで書いています。処分が要るなら、受けます。
◆
「支部長」
階段の下から、書記官が呼んだ。
「〈石環〉の書記が、明日も来ると言っています」
「通せ」
「目録の続きだそうです」
「通せと言った」
カルロは、その一行を二度読んだ。
九月前、彼は同じ人間に、椅子を勧めなかった。
辞めてもらう、と言った。経費を二割落とせと本部に言われている、と言った。〈銀羽〉は冒険者の組合だ、冒険者でない人間をこれ以上抱えられない、分かるな、と言った。
分かります、とあの男は即答した。
何か言い返されると思っていたので、彼は顔を上げた。言い返されなかった。
いま思えば、あのとき言い返されたほうが、ずっと楽だった。
◆
処分が要るなら、受けます。
この一行を書くのに、あの男は何を賭けたのだろうか、とカルロは考えた。
取次官は本部の任命である。人事に口を出せば越権になる。越権を承知で書いて、そう書いたと明記している。隠していない。
隠さないというのは、たぶん、いちばん高くつくやり方だ。
彼は書面を持って、一階へ降りた。
掲示板の前に、レイが立っている。札を貼っているところだった。
「レイ」
「はい」
「何枚だ」
「十四枚です。全部、額が入っています」
レイは振り返った。手にまだ札を持っている。
「先週から三枚増えました。〈黒沼〉の採取地を北へ動かしたので、受け手が戻ってきています」
「動かしたのは、お前か」
「僕が書きました」
レイは少し言い直した。
「書き方は、教わりました」
「誰にだ」
レイは、そこで黙った。
黙り方が、隠している黙り方ではなかった。名前を出していいかどうかを考えている顔だった。
「言わなくていい」
カルロは言った。
「知っている」
◆
「支部長」
レイが呼び止めた。
「一つ、伺っていいですか」
「なんだ」
「半年前、掲示板が空になった月があります。記録を見ました」
「あった」
「あのとき、誰も査定できなかったんですか」
カルロは、すぐには答えなかった。
「私が査定した」
「支部長が」
「三日でやめた。相場を知らんかった」
彼は言った。
「知らんまま書くと、受け手が来ない。来ないと分かってから、書くのをやめた」
「やめて、どうしたんですか」
「そのままにした」
◆
二階に戻って、彼は引き出しから辞表を出した。
出して、机に置いた。置いたまま、しばらく見ていた。
辞めるのは決めている。
決めているが、辞め方を決めていない。
九月前、彼は前任者に三日を与えた。三日では無理ですと言われた。無理だと言われたのに、引継ぎ書に書いておけと言った。
書いておけと言えば済むと思っていた。
済まなかった。三月かけて、本部から来た男が四十三個まで解いた。残り四つのうち一つは、この前の便で解けた。
三日ではなかった。九月かかっている。まだ終わっていない。
◆
彼はペンを取って、辞表の下に一行足した。
——引継ぎに、六月をいただきたい。
書いてから、彼はその一行を見て、少し笑った。
九月前、同じことを言った男がいた。
引継ぎに、どれくらいいただけますか。
三日だ、と自分は答えた。
三日と答えたときの自分は、引継ぎというのが書類の受け渡しだと思っていた。書けば渡る。渡れば終わる。そう思っていた。
いまは違うことを知っている。
渡すというのは、置くことではない。届いたかどうかまでが、渡すことだ。
◆
その夜、カルロは金庫室に降りた。
トーレンが、まだ座っていた。
「支部長」
「辞める」
「そうですか」
トーレンは驚かなかった。頁から目を上げただけだった。
「六月かけて引継ぐ。次の者が来るまでに、書き直しを終わらせたい」
「十四枚まで来ています。三十二枚ぶんで、たぶん六十枚になります」
「六十」
「増えます。増えたほうがいい」
トーレンは言った。
「増えた分は、私が読める分です」
カルロはうなずいた。うなずいてから、一つ訊いた。
「トーレン。私は、何を引き継げばいい」
◆
トーレンは、少し考えた。
「支部長が持っているもので、紙にないものを教えてください」
「私にそんなものがあるか」
「あります」
彼は即答した。
「支部長は、九月のあいだに四度、預り金から引き出しました。四度とも、引き出す先を選んでいます。屋根と、人と、前渡しです。私腹は一枚もありません」
「褒める話ではない」
「褒めていません」
トーレンは言った。
「間違った金から、正しい先を選んだ人です。その選び方は、次の人が持っていません」
カルロは、そこで初めて椅子に座った。
金庫室の椅子である。九月のあいだ、一度も座ったことがなかった。




