第三十二話 潰れている粒
俺は受け取った。
紙の質は同じ。数字は銀貨一枚。三つの印が押してある。麦の穂、水車、〈銀羽〉の刻印。
見た目は、通る。
「どこですか」
「分かりません」
リナは言った。
「分かりませんけど、これだけ、数えるときに指に引っかかりました」
◆
俺は三十七枚を並べた。
並べて、一枚ずつ触った。
分からなかった。
【不足視】を向けた。技能は物にも効く。効くが、返ってくるのは「不足」だけだ。
浮かんだ。
——不足:なし
俺は手を止めた。
足りていない。この紙は、足りていない。足りていないのに、なしと出る。
つまり技能は、これを証として見ていない。ただの紙として見ている。ただの紙に、足りないものはない。
「セリさん」
「はい」
「ゴルドさんを呼んでください」
◆
ゴルドは、朝の火を落としてから来た。手が煤で黒い。
「これです」
彼は紙を受け取らなかった。受け取らずに、机の上のまま覗き込んだ。
「触ると分からんくなる」
彼はそう言って、顔を近づけた。
十秒もかからなかった。
「わしのじゃない」
「分かりますか」
「麦の穂だ。わしが打った型は、穂の三つ目の粒がな、こう、潰れとる」
彼は指で空に線を引いた。
「打ったとき、鏨が滑った。直そうと思って、直さんかった。直すと型を作り直しになる」
俺はもう一度、紙を見た。
穂の粒は、三つとも丸い。
「これは、誰かが真似て彫ったものだ」
ゴルドは言った。
「うまいぞ。だが、潰れとるところまでは真似られん。潰れとるのは、失敗だからだ」
◆
俺は、三つの印を順に見た。
麦の穂は、真似られている。
水車も、真似られている。
〈銀羽〉の刻印も、真似られている。
栗の実が、ない。
カムリが入ったのは、二十日前である。四つ目の印を足したのは、そのときだ。
「この紙は、二十日より前に作られています」
俺は言った。
「四つ目を知らない人間が作りました」
リナが顔を上げた。
「じゃあ、ノーレの人じゃないです」
「なぜですか」
「ノーレは、カムリが入ったとき、全員が寄合で聞きました」
◆
その日のうちに、俺は三通書いた。
一通目は三村の村長宛。栗の実の印がない証は、今日から受け取らないでください、と書いた。
二通目はカムリのケルト宛。四つ目の印を足しておいてよかった、と書いた。書いてから、これは礼だと気づいて、そのままにした。
三通目はケルンのメルダ宛。
——うちの証を、そちらで受け取っておられます。印が三つのものが混ざっていないか、確かめていただけますか。
書きながら、俺は自分の手が少し速くなっているのに気づいた。
速くなっているのは、焦っているからではない。
こういう仕事が、たぶん、いちばん得意だからだ。
◆
三通目を書きながら、俺は自分がケルンの誰も疑っていないことに気づいた。
疑っていないのではない。疑う手立てを持っていないだけだ。ケルンで型を彫れる人間が何人いるかを、俺は知らない。知らないので、数えるところから始める。
半年前、この村で俺がやったのも同じだった。何があるか分からないので、三日かけて全部数えた。
やり方は、いつも同じである。新しいことを思いつくのではなく、数える。
◆
メルダからの返事は、九日で来た。
商売の手紙は速い。
——三枚ありました。三枚とも、栗の実がありません。
——受け取ったのは、六の月の二日と四日です。持ってきたのは同じ男で、名は言いませんでした。荷はなく、証だけで塩を買おうとしました。
——うちは塩を渡しました。証は預かっています。取りに来られますか。
俺は、その三枚を取りに行かなかった。
行く代わりに、リナに頼んだ。彼女が行って、確かめて、持って帰った。
俺が行けば早い。行けば、俺が数えたことになる。
持って帰った三枚を、ゴルドがまた覗き込んだ。
「同じ型だ」
「四枚とも」
「四枚ともだ」
彼は言った。
「彫った奴は、腕がある。悪いことに使うのがもったいない腕だ」
「見つけられますか」
「型を彫れる人間は、この辺りに多くない」
ゴルドは指を折った。
「ケルンに三人。王都は知らん。ノーレとカムリには、おらん」
「三人ですか」
「三人だ」
彼は火のほうへ顎をやった。
「ただ、わしは行かんぞ」
「行きません」
俺は言った。
「行くと、鍛冶が鍛冶を疑いに行くことになります。あの三人は、あなたの同業です」
◆
ゴルドは、そこでしばらく黙っていた。
「あんた、そういうところがな」
「なんですか」
「気味が悪い」
彼は前掛けで手を拭いた。
「褒めとるんだ」
「そうですか」
「褒めとる」
◆
「ヨナさん」
セリが訊いた。
「印を作り直したほうがいいんじゃないですか」
「なぜですか」
「真似られたからです。新しくすれば、また真似られるまで時間が稼げます」
「稼げます」
俺は言った。
「ただ、作り直すと、潰れた粒がなくなります」
「新しいのにも、わざと潰しておけば」
「わざと潰したものは、真似られます」
俺は言った。
「失敗が見分けになるのは、失敗だからです。狙って作った失敗は、狙って真似られます」
セリは、しばらく考えていた。
「じゃあ、直せないんですね」
「直せません」
「不便です」
「不便です」
◆
俺は、その晩、台帳に一頁を足した。
——偽の証について。
——見分け方。麦の穂の三つ目の粒。本物は潰れている。潰れているのは、打ち損じである。
——なぜ見分けられたか。ゴルドが自分の失敗を覚えていたからである。
三行目を書いてから、俺は少し手を止めた。
この村を守ったのは、正確さではない。
正確に彫られた印は、真似られる。真似られなかったのは、失敗のほうだった。
失敗を直さずに残しておいたから、見分けられた。直していたら、四枚は通っていた。
◆
四行目を、俺はこう書いた。
——今後、印を作り直さない。潰れた粒は残す。
書いてから、その下にもう一行足した。
——ただし、この理由を知っている者が三人しかいない。ゴルド、レンデル、セリ。三人が同じ日にいなくなると、見分けられなくなる。
三人。ゴルドは五十を過ぎている。セリは十七だ。
俺は三十五になった。
書いたものを、俺は宿の壁には貼らなかった。
貼ると、偽の証があることが村の外にも伝わる。伝わると、隣領で受け取ってもらえなくなる。
貼らないと決めたのは俺一人である。アンナに言うと、反対しなかった。反対しない理由も言わなかった。
書き終えて、俺は自分の書いたものを読み返した。
半年前なら、四行目で終わっていた。五行目は書かなかった。
書けるようになったのは、たぶん、書かなかったせいで人が困るのを見たからだ。




