↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/57

第三十一話 三角が二つ

 トーレンからの問いは、一行だった。


 ——〈黒〉の項に、三角が二つ打ってあります。三角は期日が月をまたぐ印です。二つ打ってあるのはここだけです。意味を教えてください。


 俺は覚えていなかった。

 覚えていないと書いて出そうとして、手が止まった。

 三角が二つ。

 一つは期日。もう一つは。


「セリさん」


「はい」


「〈黒沼〉の依頼を、この半年で何件回しましたか」


「四件です」


 彼女は台帳を開いた。この子は開く前に答える。開くのは、俺のためだ。


「四件とも、二の月と八の月です」


           ◆


 二の月と八の月。

 俺は自分の手が動くのを見ていた。書きながら思い出すことがある。頭より先に手が覚えている。

 〈黒沼〉は、雨季の前後に依頼が集まる。集まると、期日が月をまたぐ。だから三角を打つ。

 もう一つの三角は、そのときに限って、報酬の締めが翌々月にずれるという印だった。

 なぜずれるのか。


 沼の水位が下がるまで、素材の検分ができないからだ。検分できないと買取価格が決まらない。決まらないと精算できない。

 だから〈黒沼〉の依頼は、決算が三月後になる。

 第二勘定を必ず通る。

 俺は返事を書いた。


 ——三角二つは、期日が月をまたぎ、かつ精算が翌々月にずれるという印です。〈黒沼〉だけです。理由は、沼の水位が下がるまで検分ができないからです。


 書いてから、一行足した。


 ——この印を打ったのは、九年前です。四人死んだ年の翌年でした。


           ◆


「ヨナさん、いま思い出しましたよね」


「思い出しました」


「どうやってですか」


「書いていたら、思い出しました」


「書く前は」


「分かりませんでした」


 セリはペンを走らせた。


「じゃあ、分からないときは書くんですね」


「そうかもしれません」


           ◆


 なぜ足したのかは、自分でも分からなかった。

 訊かれていない。

 訊かれていないことを書くのは、俺の癖ではない。十二年、俺は訊かれたことにだけ答えてきた。訊かれなければ言わなくていいと思っていた。

 その考え方が誤りだと、半年前に書いた。書いたが、直っていなかった。


 直っていないことに気づいたのは、四枚目を書いたときだ。

 レイ宛に、〈牙鹿〉の匂いの話を書いた。あれは訊かれていない。額にも乗らない。乗せると誰も受けない。

 書いておかないと、また誰か死ぬ。


           ◆


「四人って、誰ですか」


 セリが訊いた。


「〈石の門〉という組です。四人で入って、四人とも戻りませんでした」


「ヨナさんが出したんですか」


「俺が出しました」


 俺は言った。


「危険度はB級でした。等級も合っていました。手順も合っていました。合っていて、四人死にました」


「じゃあ、ヨナさんのせいじゃないです」


「そうかもしれません」


 俺は言った。


「ただ、翌年から俺は印を打つようになりました。誰にも言わずに」


           ◆


 便に出してから、俺はもう一度、四つの印を思い出そうとした。

 トーレンが解けていない四つのうち、一つは今答えた。残りは三つ。

 三つとも、思い出せなかった。


「思い出す方法、ありますか」


 セリが訊いた。


「形を見ることです」


 俺は言った。


「意味は忘れても、形は手が覚えています。金庫番の人がそうでした。丸に点を、あの人は書いているところを見ていた。見ていたから、形を覚えていた」


「じゃあ、書いてみたらどうですか」


 俺は顔を上げた。


「書く」


「その三つの印を、紙に書いてみるんです。手が覚えているなら、手が思い出すかもしれません」


           ◆


 やってみた。

 紙を出して、三つの印を、速く書いた。速く書くのが大事だと思ったからだ。丁寧に書くと、考えてしまう。

 一つ目は、四角の中に横線が一本。

 書いた瞬間に、右手が続きを書こうとした。四角の下に、小さく数字を書こうとしている。

 数字。


 等級だ。


「思い出しました」


「なんですか」


「等級の但し書きです」


 俺は書いた。


「依頼の危険度と、受ける側の等級が合っていないときに打ちます。B級の依頼を、A級に回した、というような場合です」


「なぜ合わせないんですか」


「合わせられない日があります」


 俺は言った。


「A級が三人しかいない日に、A級の依頼が四件来ることがあります。そういう日は、一件をB級に落とすか、A級一人に二件出すか、どちらかです」


「どっちにするんですか」


「その日の顔ぶれで決めます」


           ◆


 顔ぶれで決める、と言ってから、俺は口を閉じた。

 これが、紙に書けなかったものだ。

 誰と誰を同じ現場に出さないか。誰の報酬を先に払うか。誰の名前を掲示に出さないか。

 頭の中に百は入っている。書くと、全部、悪口になる。

 バルドは、書いておけと言った。


「セリさん」


「はい」


「この村で、誰と誰を同じ日に働かせないほうがいいか、あなたは知っていますか」


 セリはペンを置いた。それから、少し考えて言った。


「マヤさんとトビさんです」


 俺は驚いた。


「なぜですか」


「三年前に、粉の値で揉めました。いまは普通に話しますけど、二人で決めごとをすると長引きます」


「知っていましたか」


「村の子はみんな知っています」


           ◆


「マヤさんとトビさん、他にもありますか」


「ゴルドさんとケルトさんも、たぶん」


「なぜですか」


「二人とも鍛冶です」


 セリは言った。


「同じ仕事の人が二人で決めると、外の人が入れなくなります」


 俺は彼女を見た。

 十七の子が、いま言ったのは、俺が十二年かけて覚えたことだった。


「それも、村の子はみんな知っていますか」


「これは、わたしが考えました」


           ◆


 俺は、その晩、紙を一枚出した。

 上に、こう書いた。


 ——組み合わせの覚書。


 書いてから、手が止まった。

 止まったのは、書き方が分からなかったからではない。書けば悪口になる、という言い訳が、もう使えないと分かったからだ。

 村の子はみんな知っている。


 書かないことで守っているつもりだったものは、とっくに全員が知っていた。守られていたのは、俺だけだった。書かないでいれば、判断しているのが自分だという形が残る。

 俺は書いた。


 ——マヤとトビは、二人だけで決めごとをさせない。三人目を入れる。理由、三年前の粉の値。本人たちは済んだと思っている。済んでいるが、遅くなる。


 ——これは悪口である。悪口だが、書く。書かないと、次の人が同じ日に二人を組ませる。


 三件書いて、そこで止まった。

 四件目は、アンナとセリの組み合わせだった。

 二人の間に問題はない。問題はないが、二人とも俺の言うことをよく聞く。

 よく聞く人間だけで回すと、止まらなくなる。

 書くべきかどうか、俺は一晩置くことにした。


           ◆


 置いた一晩は、無駄にならなかった。

 翌朝、リナが谷を越えてきた。ノーレの証を三十七枚持っている。月に二度、突き合わせのために運んでくる。

 彼女は机に束を置いて、それから、一枚だけ別にした。


「これ、見てください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。