幕間 書き直し
レイが〈銀羽〉に入って、六月になる。
最初の三月で、彼は掲示の札を六十枚ほど書いた。そのうち五十枚は、去年の同じ月の記録を写しただけだった。
いま、彼の机には二冊ある。
一冊は原本の写しである。三十二枚。字が速い。
もう一冊は、彼とトーレンが書いている新しいほうだ。いま十四枚まで来た。
原本の九枚ぶんで、新しいほうは十四枚になっている。
書き直すと増える。トーレンはそれを、良いことだと言った。
◆
「レイ。今日の分だ」
トーレンが紙を置いた。レンデルからの返事である。便で十二日かかる。訊いて、返って、また訊く。一往復に二十四日かかる。
だから、一度に十二問ずつ送っている。
「答えが返ってきたのは」
「十のうち、八だ」
トーレンは頁を繰った。
「残り二つは、覚えていないと書いてある」
「覚えていない、で通るんですか」
「通る」
トーレンは即答した。
「覚えていないものを覚えていると書くほうが、危ない。前の人はそれをやらなかった」
レイは、その言い方に少し引っかかった。
「トーレンさんは、あの人の味方なんですか」
「味方ではない」
トーレンは頁から目を上げなかった。
「あの人が四十七個の注釈を書いたせいで、私は三月使っている。恨んでいないと言えば嘘になる」
「じゃあ」
「ただ、四十七個で済んでいる」
◆
彼は原本を持ち上げた。
「支部の一年が、三十二枚に入っていた。注釈が四十七個要る書き方だが、三十二枚だ。私が同じことを書いたら、二百枚を超える」
「二百」
「書いてみるか」
レイは書いてみた。
その日の午後、彼は自分が三月やってきた掲示の査定の手順を、誰にでも読めるように書こうとした。
一枚では終わらなかった。
三枚書いて、まだ「相場をどう見るか」に入っていなかった。
「……分かりました」
「分かったか」
「速く書ける人は、速く書ける理由があります」
「そうだ」
トーレンはうなずいた。
「だから、あの人を責めても仕方がない。責める代わりに、読めるようにする。それが私たちの仕事だ」
◆
三日後、レンデルから別の封が届いた。
トーレン宛が一通。レイ宛が一通。
レイは自分の名前が書いてある封を、しばらく持ったままにしていた。
彼にとって、王都の外から自分宛の書面が来たのは、これが初めてだった。
中身は五枚あった。
——〈黒沼〉の周辺で薬草が採れなくなっています。半年前からです。採取地を北へ動かすと、往復が一日増えます。
——増えた一日分を額に足してください。足し方は、宿の相場から出します。宿は日に銀貨半分です。
——ここまでは、あなたが二時間で自分で出した理屈です。同じことを、私が書きました。同じになったので、あなたの出し方は正しいです。
レイは、その三行を二度読んだ。
◆
四枚目に、こうあった。
——ここから先は、私がまだあなたに渡していないものです。
——採取地を北へ動かすと、〈牙鹿〉の縄張りに入ります。〈牙鹿〉は薬草を食べません。ですが、匂いを追います。採取に出た者が三日以上同じ場所に留まると、寄ってきます。
——なので、同じ区画に同じ組を三日以上出さないでください。組を二つ作って、二日で交代させます。手間は増えます。増えた手間は、額には乗りません。乗せると誰も受けません。
——この判断に、根拠はありません。九年前に一度、そうしなかった年があって、四人死にました。それだけです。
レイは、四枚目を持ったまま動かなかった。
◆
「トーレンさん」
「なんだ」
「これ、引継ぎ書に書いてありましたか」
トーレンは受け取って読んだ。読んで、原本をめくった。
三十二枚を、頭から終わりまで繰った。二度繰った。
「書いていない」
「じゃあ」
「書いていないが」
彼は一枚目を開いた。四十七個の注釈が並んでいる。
「〈黒〉の項に、三角が二つ打ってある。三角は期日が月をまたぐ印だ。二つ打ってあるのはここだけだ」
「意味は」
「分からん。四つ残っている印の一つだ」
トーレンは紙を置いた。
「訊いてみる。これが答えかもしれん」
◆
その晩、レイは掲示板の前に立った。
十一枚貼ってある。全部に額が入っている。
二枚は彼が半日悩んで書いた。九枚は、悩まずに書けた。
悩まずに書けるようになった九枚のことを、彼はもう説明できない。
説明できないものが、たった六月で九枚できている。
彼は事務室に戻って、紙を一枚出した。
上にこう書いた。
——説明できるうちに書く。
書いてから、その紙を壁に貼った。
貼っているところを、支部長が通りかかって見ていた。
支部長は何も言わなかった。言わずに、階段を上がっていった。




