第三十話 三つの理由
「一つ目。この三十一枚は、王都の穴です」
アンナは机の向かいに座っていた。紙を持っていない。全部、頭に入れて来ている。
「村の金で王都の穴を埋めると、次も埋めることになります」
「次があるとは限りません」
「あります」
彼女は即答した。
「支部の年の費えは二百枚です。半年で作れるのが六十枚。今回の九十一を埋めても、次の期日にまた足りません。穴は毎期出ます」
「支部が立ち直れば、出なくなります」
「立ち直るのに、何年かかりますか」
俺は答えられなかった。
三年、と言いかけて、根拠がないのでやめた。
◆
「二つ目。出すと決めるのが、ヨナさん一人になります」
「寄合に諮ります」
「諮って、誰か反対しますか」
俺は黙った。
三日前、上限を七十六から七十一に直したときのことを思い出した。あのとき、三人の村長は全員が「異存ない」と言った。数字を確かめてから直したのは、記録係の三人である。
村長たちは、俺が出した数字に反対したことがない。
「ハウルさんは出すと言いました」
「言いました」
アンナは言った。
「ハウルさんが出すと言ったのは、ヨナさんが困っているからです。三十一枚の中身を、あの人は知りません。〈石環〉と〈灰鉄〉の区別も、期日も、支部の半年の見込みも知りません」
「説明します」
「説明したら、反対しますか」
◆
俺は、そこで初めて言葉に詰まった。
説明すれば、ハウルは分かる。分かった上で、それでも出すと言うだろう。あの人はそういう人だ。半年前、嫌がる九軒に一緒に来てくれた。
だが、それは「分かって決めた」ことになるだろうか。
俺が説明した内容を、あの人が確かめる手立ては、どこにもない。
「三つ目です」
アンナが言った。
「支部は、潰れていいかもしれません」
◆
「潰れると、遺族の給付が止まります」
俺は言った。
「北の第三区の番地は、いま、この村にあります。あなたが持ってきました」
「持ってきました」
「潰れたら、あの給付は誰が出しますか」
「分かりません」
アンナは言った。
「分からないので、先に数えてください」
「何をですか」
「支部が潰れて、本当に困る人です」
彼女は言った。
「ヨナさんは、支部を助けようとしています。支部は建物と看板です。困るのは人です。人を数えないまま建物に三十一枚入れるのは、半年前に王都でやっていたことと同じ形です」
◆
同じ形、という言い方に、俺は反応した。
「どこがですか」
「橋です」
アンナは言った。
「橋が四回落ちて、四回とも直しました。落ちる理由は直していません。理由を直すには承認が要って、承認が下りないから、目の前の橋を直した。目の前が正しいので、誰も止めませんでした」
「……はい」
「いま、目の前に支部があります」
俺は椅子の背に体を預けた。
預けてから、自分が息を吐いたのに気づいた。
「あなたは、王都でこれを言えましたか」
「言えませんでした」
アンナは首を振った。
「受付だったからではありません。言う役が、あそこに置いてなかったからです」
◆
俺は、その日は決めなかった。
決めなかったが、逃げたのではない。数えることにした。
二日かけて、支部が潰れて困る人を書き出した。
書き出すのに二日かかったのは、名前まで書いたからだ。
一つ。遺族が三件。クレイグの祖母と弟。〈石の門〉のフェルの妻。それから、名前を思い出せない一件がある。半年前、俺の帳簿では〈遺/三〉としか書いていなかった。
二つ。報酬の未払いが五件。全部、依頼が終わっている。渡していないだけだ。
三つ。〈石環〉商会。貸した六十枚が焦げる。
四つ。〈灰鉄〉商会。三十一枚はもう払われている。困らない。
五つ。北の街道。支部が依頼を出さないと、魔物が減らない。減らないと荷が通らない。通らないと、ケルンの市が痩せる。ケルンが痩せると、メルダは麦を十八枚で買えなくなる。
五つ目を書いたところで、俺は手を止めた。
◆
五つ目は、この村に返ってくる。
街道が止まれば、便が出せない。便が出せなければ、素材が売れない。素材が売れなければ、証の裏付けが消える。
支部が潰れると、半年か一年遅れて、この村の紙が紙に戻る。
俺はその線を、台帳の余白に引いた。
引いてから、アンナを呼んだ。
「五つ目があります」
彼女は読んだ。読んで、しばらく黙っていた。
「これは、私は数えていませんでした」
「数えていませんでしたか」
「はい」
彼女は顔を上げた。
「私が反対した理由の一つ目は、これで弱くなります。王都の穴は、村の穴でもあります」
「では」
「弱くなっただけです。消えていません」
◆
「三十一枚出しても、街道は直りません」
アンナは言った。
「街道が直るのは、支部が依頼を出せるようになったときです。三十一枚は、借金を消すだけです」
「借金が消えないと、支部は動けません」
「動けないのは、金がないからではありません」
彼女は言った。
「査定を書ける人間が、一人しかいないからです」
俺は顔を上げた。
「レイさん、ですか」
「三月前に入って、四枚書けるようになった人です。あの人が二十枚書けるようになれば、手数料は八十枚を超えます。九十一に届きます」
「半年では届きません」
「届きません」
アンナはうなずいた。
「だから、期日を動かすほうを考えるべきです。金を作るのではなく」
◆
俺は、その晩、四通書いた。
一通目はバルテ宛。
——六の月末日に、九十一枚は揃いません。揃わない理由を、数字で申し上げます。
——支部が半年で作れるのは六十枚です。足りないのは三十一枚。この三十一枚は、貴商会が三の月に受け取るはずだった分を、支部が〈灰鉄〉へ回したものです。回した理由は、その三十一枚が私個人に取り立てに来ていたからです。
——つまり、いま足りている六十枚は、貴商会が待ってくださった六十枚です。足りない三十一枚は、私のために動いた三十一枚です。
——ですので、私からお願いします。あと半年、待っていただけませんか。
二通目はトーレン宛。査定を書ける人間を増やす手順を、五枚に分けて書いた。
三通目はレイ宛。〈黒沼〉の採取地を北へ動かす件と、その額の出し方。
四通目は、支部長宛にした。
半年前、俺が書かなかった相手である。
◆
書き終えて、俺は覚書の十五枚目を開いた。
反対の理由と、取次官が最後にどう決めたかを、両方書き残す。
俺は書いた。
——反対者アンナの理由は三つ。王都の穴は次も出る。決めるのが取次官一人になる。困る人を先に数えていない。
——取次官の判断。三十一枚は出さない。理由は、出しても街道が直らないため。ただし反対者の一つ目の理由には誤りがある。王都の穴は、遅れて村の穴になる。
——この誤りは、取次官が指摘した。反対者はそれを認めた。
書いてから、俺は少し考えて、もう一行足した。
——一晩置いてよかった。置かなければ、俺は出していた。




