第二十九話 三十一枚足りない
トーレンの手紙は、四枚あった。
一枚目は数字だけだった。
支部が半年で作れる見込みは、銀貨六十枚。内訳は、依頼の手数料が四十二枚、素材の仲介が十一枚、登録料と更新料が七枚。
二枚目に、その根拠が書いてあった。
掲示板に貼れる依頼票の枚数、査定を書ける人間の数、受け手の数。数字の出し方が丁寧だった。俺が三日かけて出す形と、ほとんど同じである。
三枚目に、こうあった。
——期日は六の月末日。支払うべき額は、銀貨九十一枚です。
——六十では、三十一枚足りません。
◆
九十一という数字の出どころを、俺は知っている。
〈石環〉商会に六の月まで待たせた六十枚。それに、支部長が〈灰鉄〉へ先に回した三十一枚。回したのは、その三十一枚が俺個人に取り立てに行っていたからだ。
順番を入れ替えただけで、金は一枚も増えていない。
入れ替えたとき、あの人はそれが分かっていた。分かっていて、そうした。
「三十一枚」
アンナが言った。
「同じ数字ですね」
「同じです」
俺は手紙を置いた。
「足りない三十一枚は、もともと俺の名前だった三十一枚です」
◆
四枚目は、トーレン個人の字だった。
——引継ぎ書の書き直しは、九枚まで進みました。原本三十二枚のうち、九枚ぶんです。
——書き直していて、気づいたことを申し上げます。あなたが答えられなかったものが、四つあります。四つとも、判断そのものではなく、なぜその判断をしたかです。
——判断は書けます。理由は書けない。あなたの引継ぎ書に残っていたのは、理由が書けないものだけでした。
——それは、あなたが怠けたからではないと思います。理由を書ける判断は、誰でもできます。誰でもできる判断は、引継ぎ書に書く必要がない。だから残らない。
——残ったものだけが、あなたの仕事でした。
俺は四枚目を、しばらく持ったままにしていた。
◆
「ヨナさん」
セリが訊いた。
「答えられなかった四つって、なんですか」
「思い出せません」
「思い出せないんですか」
「思い出せないから、答えられませんでした」
セリはペンを止めた。
「それ、書いておきますね」
「何をですか」
「思い出せないと書いてある、ということを」
その日から三日、俺は自分で計算をやり直した。
トーレンの数字は正しかった。
依頼の手数料が四十二枚というのは、掲示板に六枚貼って全部受けられた場合の見込みである。六枚は、俺が王都を出るときに埋めた枚数だ。あれから増えていない。
増やす方法は、ある。
〈黒沼〉の周辺で薬草が採れなくなっているので、採取地を北へ動かす。動かすと往復が増えるので、額を上げる。上げると受け手が戻る。戻れば、月に十二枚は貼れる。
月に十二枚貼れれば、手数料は八十枚を超える。九十一に届く。
届くが、それには査定を書ける人間が要る。レイは三月前に入った。一人で書けるようになったのは、俺が横に立って二時間かけた四枚が最初である。
俺は紙にそれを書いた。書いて、それから破った。
それは俺の仕事ではない。
俺が書いて送れば、レイが書く機会が一つ減る。
◆
破った紙を、俺は拾い直した。
破ったのは正しい。ただ、破ったものを机に置いておくのも違う。俺は屑籠に入れて、その上に別の紙を重ねた。重ねたのは、目に入ると書き直したくなるからだ。
四日目の朝、ハウルが出張所に来た。
誰かが喋ったらしい。この村は、そういうところだ。
「三十一枚だそうだな」
「はい」
「村が出す」
俺は顔を上げた。
半年前、同じ言葉を同じ人から言われた。あのときは村に金がなかった。今はある。素材の買取益が入り、便が三度出て、準備金は銀貨二十三枚ある。取り分を合わせれば、三十一は出せる。
出せる。
出せると分かった瞬間に、俺は自分の中で天秤が傾く音を聞いた。
「出せます」
俺は言った。
「証ではなく、現金で出せます。取り分から二十、準備金から十一」
「じゃあ出そう」
「出しま——」
◆
「待ってください」
アンナが言った。
俺は口を開けたまま止まった。
ハウルが彼女を見た。
「反対します」
彼女は立っていた。座らずに、机の横に立っていた。
「アンナさん」
「覚書の十五枚目です。取次官の出した数字に、理由をつけて反対する者を一人置く。私です」
「……はい」
「反対する者が反対したとき、取次官はその日のうちに決めてはならない。一晩置く」
彼女は言った。
「書いたのは、ヨナさんです」
◆
ハウルが、少し面白そうな顔をした。
「あんた、そういう役なのか」
「そういう役です」
「いつ決まった」
「十日前です」
「わしは聞いとらん」
「今日、初めて使いました」
アンナはそう言って、俺を見た。
「ヨナさん。理由を三つ言います」
俺は座り直した。
座り直したのは、たぶん、逃げ場がなかったからだ。半年前、王都で三十二枚を書いていたときにも、同じ座り方をした覚えがある。
「聞きます」
「今日は聞くだけです」
彼女は言った。
「聞いて、明日決めてください」
◆
その晩、俺は寝つけなかった。
寝つけない理由は、三十一枚ではない。
止められたことが、こんなに腹立たしいとは思っていなかった。
俺は正しい。三十一枚は出せる。出せば支部は潰れない。潰れなければ、遺族への給付が止まらない。北の第三区の番地は、いま、この村にある。
全部正しい。正しいのに、一晩置けと言われた。
十二年、俺はこれをやられてきた。額が大きいから。前例がないから。上に回すのが面倒だから。三回出して三回とも止まった。橋は四回落ちた。
自分が止める側に回ったことは、一度もない。
止められる側の気持ちだけを、俺は知っている。
暗いところで、俺は一つだけ、自分に正直になった。
俺は、彼女が間違っていてほしいと思っている。
間違っていてくれれば、明日、俺は出せる。
◆
思ってしまってから、俺はそれを打ち消さなかった。
打ち消すと、無かったことになる。無かったことにしたものは、次に同じ場面が来たときに、また同じ形で出てくる。
朝、宿の壁に紙を貼りに行った。
——本日の兌換 証なし 準備金残り 銀貨二十三枚
貼っていると、後ろにアンナが立っていた。
「眠れましたか」
「眠れませんでした」
「私もです」
彼女は紙を見た。
「二十三枚。ここから十一枚出すと、十二枚です」
「出ます」
「出ます」
アンナはうなずいた。
「では、一つ目です」




