第二十七話 書けない二つ
四十枚。
準備金は、そのとき銀貨で二十六枚あった。四十枚を換えると、十四枚足りない。
「理由は、伺いましたか」
「訊いていません」
俺は服を着て、宿へ行った。
◆
トビは帳場にいた。証を紐で束ねて、机に置いている。数えなくても四十枚あるのが分かる厚さだった。
「換えられんか」
「換えられません」
俺は即答した。
「いま、準備金は二十六枚です。四十枚は出ません」
トビは、少し驚いた顔をした。
「言うのか」
「言います」
「断らんと書いてあったろう」
「書きました」
俺は言った。
「書いたのは俺です。書いたことが間違っていました。準備金が尽きたら、断ります。断らないと言い続けるほうが、あなたに嘘をつくことになります」
◆
トビは、しばらく束を見ていた。
「わしは、試したんだ」
「試した」
「四十枚出したら、どうなるかを見たかった」
彼は束を押しやった。
「宿をやっとると、金を預かる話が来る。旅の連中がな。預かって、紙を渡して、それで回るんじゃないかと思った。回るなら、わしもやろうかと思った」
「やめてください」
「やめる」
トビは言った。
「あんたが二十六と言ったからだ。四十出せると言っとったら、わしはやっとる」
◆
翌朝、俺は宿の壁に紙を一枚貼った。
トビに断ってから、釘で留めた。
——本日の兌換 証二枚 準備金残り 銀貨二十四枚
書いたのは、それだけである。
貼っている俺を、朝の宿にいた三人が見ていた。そのうちの一人が、粉挽きのマヤだった。
「なんだいこれは」
「今日、証を何枚換えたかと、うちにいくら残っているかです」
「毎日貼るのかい」
「毎日貼ります」
マヤは紙を見て、それから俺を見た。
「あんた、それは商売の中身だろう」
「そうです」
「見せていいのかい」
「見せないほうが、危ないんです」
◆
貼ってみて分かったことがある。
書くのは一分で済む。難しいのは、数字が下がった日にも同じ紙を貼ることだった。下がった日は、貼る前に一度、手が止まる。止まってから貼る。それを毎日やる。
三日で、村は慣れた。
四日目には、誰も紙の前で立ち止まらなくなった。
五日目に、ゴルドが鍛冶場から出てきて、こう言った。
「昨日より一枚減っとるな」
俺は驚いた。読んでいないと思っていた。
「見ていたんですか」
「毎朝、通る」
彼は前掛けで手を拭いた。
「二十四が二十三になった。それだけだ。それだけだが、見とると、二十が近づいたら誰か言うだろうな」
「言ってください」
「言うさ」
◆
残った二つは、片づかなかった。
一つ目は、上限をどう決めるか。
二つ目は、最後に決めるのは誰か。
俺は三日、それを机の端に置いたままにした。置いておくと、朝と晩に目に入る。目に入るたびに、書ける気がして、書き出すと止まった。
四日目の夜、アンナが机の向かいに座った。
「ヨナさん。二つとも、同じ問題です」
「同じですか」
「同じです」
彼女は紙を引き寄せた。
「上限を決めるのは、数字の話です。最後に決めるのは誰かは、人の話です。ヨナさんは、数字のほうだけを書こうとしています」
「数字が決まれば、人は要らないはずです」
「数字は、外れます」
アンナは言った。
「ケルンの麦、二十枚と書いて、十八枚でしたよね」
◆
俺は答えなかった。答えられなかったからだ。
その通りだった。
俺は麦を二十枚で見積もって、二枚外した。二枚は村の金である。俺は自分で埋めようとして、書いた一行を消して、ハウルに諮ることにした。
あのとき、諮ってよかったと今は思う。
ただ、諮ると決めたのも俺だった。
「誰かに止められたことは、ありますか」
アンナが訊いた。
「ハウルさんに一度あります」
「いつですか」
「準備金が九枚のときです。条件は十枚だったので、一枚出すと言われました」
「それは、止めたことになりますか」
俺は考えた。
「なりません」
あれは、俺の条件を通すために足そうとしてくれた話だ。止めたのではない。
「では、一度もありませんね」
「ありません」
◆
アンナは、そこで話を変えた。
「ヨナさん。王都で、支部長に止められたことはありますか」
「あります」
「何回ですか」
「数えていません」
俺は思い出しながら言った。
「橋の四十枚。〈黒沼〉の増員。冬の前の毛皮の買い増し。掲示の額を先に動かす件は、三回出して三回とも止まりました」
「全部、ヨナさんが正しかったんですよね」
「そう思っています」
「では、止められて困りましたね」
「困りました」
彼女はペンを置いた。
「困ったのに、いま、止める人を置こうとしています」
俺は黙った。
黙ってから、自分がなぜ二つを書けなかったのかが、少し分かった。
◆
「止められるのが、嫌なんです」
俺は言った。
「十二年、止められてきました。止められて、そのたびに、止めた人間が理由を持っていないことを知りました。額が大きいから。前例がないから。上に回すのが面倒だから」
「はい」
「だから俺は、自分で決められる場所に来て、決められるようになって、それが楽でした」
言ってから、俺は自分の声が少し高くなっていたのに気づいた。
こういう喋り方を、俺はしない。
「楽なので、置きたくないんです」
アンナはうなずいた。責めなかった。
「置く人の条件を、書けますか」
「条件」
「誰か、ではなく、どういう人か、です」
◆
それなら書けた。
人を選ぶのは難しいが、条件を書くのは難しくない。難しくないということは、たぶん、逃げているということでもある。
俺は三つ書いた。
一つ。数字を読める人。読めないと、反対が気分になる。
二つ。反対したときに、代わりの案を出せなくてもよい人。案を持っていないと反対できないことにすると、誰も反対しなくなる。
三つ。俺に生活を握られていない人。
三つ目を書いたとき、手が止まった。
セリは村長の孫で、俺が給金を出している。リナも同じだ。ハウルとガレンは村長で、証が止まれば村が困る。ゴルドは証で仕事を受けている。
この村で、俺に生活を握られていない人間はいない。
俺が作った仕組みが、俺を止める人を村から消していた。
「一人います」
アンナが言った。
「どなたですか」
「私です」
◆
「アンナさんも、俺が給金を出しています」
「出していません」
彼女は首を振った。
「私はまだ、この村の職員ではありません。〈銀羽〉も辞めています。三月ぶん、宿代は自分で払っています」
知らなかった。
トビが安くしていると聞いて、それで終わりにしていた。
「なぜ、そうしているんですか」
「決めていなかったからです」
アンナは言った。
「ここで働くと決めたら、給金をもらいます。もらったら、私はヨナさんに止められる側に回ります。それを、三月ぶん先延ばしにしました」
「先延ばしに」
「はい」
彼女は俺を見た。
「ヨナさん。私を職員にしないでください。そのかわり、反対する役をやります」
◆
その晩、俺は覚書の十五枚目を書いた。
——取次官の出した数字に、理由をつけて反対する者を一人置く。
——反対する者は、取次所から給金を受けない。
——反対する者が反対したとき、取次官はその日のうちに決めてはならない。一晩置く。
——反対の理由と、取次官が最後にどう決めたかを、両方書き残す。
四つ目を書きながら、俺は少しおかしくなった。
書き残す、というのは、要するに悪口を紙に書くということだ。
半年前、俺は書かなかった。書くと悪口になるからと言って、頭の中に百も抱えて出ていった。
書けるようになったのは、書かれる側が自分になったからかもしれない。
四つ目には、続きがある。書き残したものを誰が読むか、である。
俺は「取次所に来た者は誰でも読んでよい」と書いた。書いてから、それだと村の外の人間も読めることに気づいた。気づいたが、直さなかった。
読まれて困ることを決めているうちは、たぶん、まだ半分しか変わっていない。
紙を置いたとき、外で馬の音がした。
こんな時刻に便は来ない。
戸を叩く音が、二回。急いでいる叩き方だった。




