第三話 紙は食えない
三日で、俺は村を数えた。
戸数は四十一。人は百七十三人。うち十五歳から四十歳の男が三十四人、女が三十九人。
麦は、去年の収穫が二百二十袋。今年の見込みが二百袋。減っているのは、東の三枚が獣に踏まれたからだ。
鶏が百十羽。山羊が二十二頭。牛が四頭。鍛冶が一軒、宿が一軒、粉挽きが一軒。
塩が、樽で三つ。これは去年の残りで、次の入荷の予定がなかった。
村に現金がいくらあるかも数えた。四十一戸を回って、全部訊いた。嫌がられた家が九軒あったが、村長が一緒に来てくれたので、最後には全部教えてくれた。
合計、銀貨で十一枚。銅貨で三十二枚。
銀貨十一枚は、村の外へ出す金ではなかった。九軒の家が、それぞれ別の理由で、絶対に手放さないと決めている金だった。娘の嫁入り、屋根の葺き替え、病気の薬。誰かが四枚出せば輪は切れる。だが誰も出さない。出せば、その家の十年が終わるからだ。
俺はそれを、正しいと思った。
残りの銅貨三十二枚は、宿と粉挽きの釣り銭だった。四十一戸から一枚残らず集めても、銀貨四枚には足りない。惜しいところで足りないというのが、この村の十年だった。
それから、貸し借りを数えた。これがいちばん時間がかかった。
村のなかには帳面がない。誰が誰に何を貸したかは、全部、覚えている。ゴルドが去年ハウルの荷車を直した分。ハウルが一昨年ゴルドに麦を四袋回した分。粉挽きのマヤが、両方に貸しがあると思っている分。
三日目の夜には、俺の台帳に、貸し借りが百六十七件あった。
そのうち三十一件は、双方の記憶が食い違っていた。
◆
「この村には、物があります」
村長の家に、七人集まってもらった。村長、鍛冶のゴルド、粉挽きのマヤ、宿のトビ、それに畑の代表が三人。セリは壁際で、俺が貸した台帳に何か書いている。
「麦も、山羊も、鶏も、腕もある。足りていないのは物ではありません。物と物を交換する順番だけです」
「順番」
ゴルドが眉を寄せた。五十を過ぎた男で、腕が丸太みたいだった。
「たとえば、ゴルドさんが今、鍬を五本打てるとします。打てますか」
「打てる。鉄はある」
「その五本を、誰が買いますか」
「……買う奴はおらん。皆、鍬は持っとる」
「では、〈牙鹿〉を獲るための罠の金具を五組打てますか」
ゴルドは、少し黙った。
「打てる。だが、誰が金を払う」
「そこです」
俺は台帳を開いた。
「〈牙鹿〉の角は、王都で一本、銀貨二枚で売れます。皮は一頭分で銀貨一枚。三頭獲れば、角と皮で銀貨九枚になります。運賃を引いても七枚は残る。手数料の四枚は、そこから出ます」
部屋が静かになった。
「じゃあ、獲ればいいじゃないか」トビが言った。
「今まで、なぜ獲らなかったんですか」
誰も答えなかった。答えられないのではなく、答えが分かりきっていたからだ。
「獲った角を王都まで運ぶのに、また獣が出る道を通ります。運んで売れるかどうかも分からない。売れるまで、獲った者には一文も入らない。三日ぶんの仕事をして、半年後にいくらになるか分からないものを、誰も獲りません」
ハウルがうなずいた。
「その通りだ」
「なので、出張所が買います」
俺は言った。
「角一本、銀貨二枚。皮一頭分、銀貨一枚。持ち込まれたその日に、その場で払います。売れるか売れないかは、俺の側の問題にします」
ハウルが顔を上げた。
「あんた、銀貨を持っとるのか」
「持っていません」
「なら払えんだろう」
「これで払います」
俺は、書いておいた紙を出した。
出張所の台帳から切った紙で、大きさは手のひらの半分。真ん中に数字を書いて、下に〈銀羽〉の刻印を押してある。刻印は建物にあった。十年、誰も使っていなかった。
「引換証、と呼びます。これ一枚が銀貨一枚です。村のなかで使えます。宿代に使えます。麦と換えられます。ゴルドさんに鍬を打ってもらうのにも使えます」
「紙が食えるか」
ゴルドが言った。強い声ではなかった。ただ、当たり前のことを言った声だった。
「食えません」
俺は認めた。
「だから、三つ決めます」
◆
「一つ。俺が持っている金を全部、村長に預けます」
俺は袋を机に置いた。出張所の年間維持費、銅貨四十枚。今年の分。俺の一年分の生活費でもあった。
「銅貨で四十枚。銀貨に直して四枚です。これは俺の食い扶持には使いません。証を換えに来た人に払うためだけに置きます。中身は誰でも、いつでも数えられます」
「二つ。証を持ってきた人には、その場で銅貨に換えます。断りません。一枚でも換えます」
「三つ。証は、銀貨三十枚ぶんまでしか出しません」
ハウルが顔を上げた。
「なぜ三十だ」
「この村の若い衆が、半年で獲れる角と皮の見込みが、その辺りだからです」俺は台帳の頁をめくった。「獲れる分より多く出したら、証はただの紙になります。獲れる分より少なく出したら、村が動きません。三十が、いまの見込みの上限です。見込みが増えたら、上限も上げます。減ったら、下げます」
トビが手を挙げた。宿の主人だ。
「三十枚ぶん出しておいて、換え金は四枚ぶんしかないのか」
「ありません」
即答した。
トビが目を丸くした。
「正直だな」
「嘘をつくと、次が終わります」俺は言った。「全員が一度に来たら、俺は払えません。だから、来ないようにします。来ないようにするには、換えたい人がいつでも換えられる状態を、切らさないことです。いつでも換えられると分かっているものを、人は換えに来ません。俺が十二年、王都の金庫でやっていたのは、それだけです」
ハウルが、長く息を吐いた。
「あんた、王都で何をしとった」
「事務です」
◆
最初に受け取ったのは、ゴルドだった。
罠の金具を五組。代金は、証で三枚。
彼は紙を受け取って、しばらく手のひらに載せたまま見ていた。それから、そのまま宿へ行った。
俺とセリは、後ろからついていった。
ゴルドは宿の卓に証を一枚置いて、こう言った。
「酒」
トビは、証を見た。俺を見た。それから、また証を見た。
樽から一杯注いで、卓に置いた。
釣りとして、銅貨を七枚返した。
それだけのことだった。
ゴルドは黙って飲んだ。宿にいた四人が、それを見ていた。四人は何も言わなかったが、翌朝には村の四十一戸のうち三十戸が、宿で紙が酒に換わったことを知っていた。
三日目に、村の若い男が三人、出張所に来た。
「金具を借りたい」
「金具は俺のものではありません。ゴルドさんのものです」
「金がない」
「証を貸します」俺は台帳を開いた。「獲れたら、角で返してください。獲れなかったら、返さなくていい」
「なんで」
「獲れないほうが、俺の見立てが悪かったということです」
◆
七日後の朝、出張所の戸を叩く音で起きた。
外に、〈牙鹿〉の角が四本、並べてあった。
三人が並んで立っていた。一人は腕に布を巻いていたが、笑っていた。
俺は台帳を開いて、日付を書いた。
角一本で銀貨二枚。四本で八枚。この村で、十年ぶりに値のついた仕事だった。
証を八枚数えて渡してから、俺は自分の手が少し震えているのに気づいた。
同じ日の午後、王都から手紙が届いた。
差出人は〈灰鉄〉商会。宛名は、〈銀羽〉王都支部ではなかった。
——ヨナ・レンデル殿。




