第二十二話 六日かけて戻る
二日目の宿で、男が一人、俺の向かいに座った。
断りもなく座ったので、宿の主人だと思った。違った。
背が高い。肩の張り方で、荷を担ぐ仕事ではないと分かる。剣を背負っていた。柄の巻きが擦り切れて、下の革が出ている。買い替えていない。買い替える金がないか、換える気がないかのどちらかだ。
「あんた、〈銀羽〉か」
俺の荷に、取次所の書付が挟んである。それを見たらしい。
「取次官です」
「取次所ってのは、なんだ」
「出張所の一つ上です」
「ふうん」
男は、それ以上訊かなかった。訊かずに、俺の皿を見た。
「それ、頼んだのか」
「はい」
「まずいぞ」
◆
男はバルドと名乗った。
名乗られて、俺は箸を止めた。〈銀羽〉のA級である。三年前まで、俺が編成を組んでいた。組んでいたと言っても、こちらから顔を合わせたことはほとんどない。
「〈鉄槌〉の」
「元、な」
バルドは自分の椀を持ち上げた。
「抜けた。三月前だ」
「理由を、伺っても」
「クレイグが死んだ」
◆
クレイグの名前を、俺は知っている。
三十一だった。〈黒沼〉の依頼は、危険度に対して報酬が低い。低いと知っていて、俺はあの依頼を〈鉄槌〉に回した。回したのは、あそこなら生きて帰ると思ったからだ。
六人で入って、五人で出た。
〈黒沼〉で死んだ。給付が未払いのまま、遺族が北の第三区に移った。送り先の変更を知っているのは、たぶん俺だけだった。俺は引継ぎ書に第三区としか書けず、番地は机の左の抽斗に入れた。
「給付が出なかった」
バルドが言った。
「三月、出なかった。組合に行くたびに、書類が回ってると言われる。回ってる先を訊いても、誰も知らん」
「今は」
「先月、出た」
彼は椀を置いた。
「受付の女が、自分の名前で出したそうだ。俺は会ってない。婆さんが手紙を見せてくれた」
俺は何も言わなかった。
言えることがない。番地はアンナが持って出た。持って出るまでの三月、それは俺の机の抽斗にあった。俺は最後の日に、アンナにその場所を伝えた。伝えて、門を出た。
伝えたことで、俺は自分の仕事を終えたつもりでいた。終えていない。三月かかっている。
「そのあと、その女も辞めたと聞いた」
◆
「それで、抜けたんですか」
「出たから抜けた」
バルドは首を振った。
「出なけりゃ抜けなかった。出るまでは、抜けたら誰が催促するんだって話だからな」
俺は、その言い方を頭の中で二度繰り返した。
「出るまで、あなたが催促していたんですか」
「他に誰がいる」
彼は指を三本立てた。
「婆さんは字が読めん。クレイグの弟は十三だ。俺が行くしかない。三月で九回行った」
「九回」
「九回だ。九回目に、受付の女が言った。番地が分かりましたって」
バルドは笑わなかった。
「そのとき、俺は礼を言わなかった。三月かかっただろうが、と言った。言ってから、しまったと思った」
◆
九回目に礼を言えなかった男が、いま俺の向かいで椀を持っている。
俺は、この人の顔をほとんど知らなかった。編成は紙の上でやる。名前と等級と、誰と組ませてはいけないかだけを見る。顔を見ないほうが、公平に組めると思っていた。
思っていたのは、たぶん半分だけ本当だ。あとの半分は、顔を見ると組みにくくなるからだった。
俺たちは、翌朝から同じ便に乗った。
バルドが乗り込んできたので、俺は少し詰めた。彼は詰められた分だけ座って、それから寝た。よく寝る男だった。
三日目の午後、道で止まった。
前の荷車が横倒しになっている。荷は麦だ。袋が破れて、道に散っている。
バルドは降りて、荷車を起こしに行った。俺も降りた。
起こすのに、六人かかった。バルドが一人で片側を持ち上げ、残りの五人が反対から押した。力の使い方が違う。俺は押す側にいて、ほとんど役に立たなかった。
麦は半分ほど拾えた。拾えなかった分は、鳥が来ていた。
荷主は、若い男だった。半泣きになっている。
「これ、期日があるんです」
「どこへ」
「王都の〈灰鉄〉です。明後日までに入れないと、契約が」
俺は、袋の数を数えた。三十一袋あったうち、無事なのが十九。破れて拾い直したのが七。合わせて二十六。
「二十六です」
「三十一のはずなんです」
「五袋、足りません」
男は座り込んだ。
道の端に、拾えなかった麦が散っている。鳥が三羽降りて、また飛んだ。
五袋。この男にとっては、たぶん半年ぶんの利だ。
◆
「契約書を見せてください」
俺は言った。男は鞄から出した。よくある形式だ。〈灰鉄〉の書式は、俺が十二年見てきた。
俺は三条を指した。
「ここに、荷が減った場合の取り決めがあります。読みましたか」
「読みましたけど、意味が」
「三割まで減っても、契約は生きます。減った分の代金が引かれるだけです」
男が顔を上げた。
「三割……」
「三十一の三割は九です。あなたは五袋です。生きています」
「でも、遅れます」
「遅れる分は、四条です。二日までは違約になりません。今日は五日目の朝で、期日は明後日です。間に合います」
男は契約書を見た。それから、俺を見た。
「あんた、なんで読めるんですか」
「事務です」
男は納得しない顔をしたが、それ以上訊かなかった。
訊かれないほうが助かる。読めるのは、十二年読んだからだ。十二年読んだ理由を説明すると長くなるし、説明しても、たいていの人には要らない話になる。
◆
便に戻ってから、バルドが言った。
「あんた、あれを暗記してるのか」
「〈灰鉄〉の書式は、三年前に変わりました。変わったとき、全部読みました」
「なんで」
「読まないと、うちの冒険者が損をするからです」
「うちの」
バルドが、そこで俺を見た。
俺は、自分が何を言ったかに気づいた。
半年前に切られた。木札は返した。俺はもう、うちの、と言う立場ではない。
「言い間違いです」
「そうか」
バルドは、それ以上言わなかった。
言わずに、しばらくしてから、こう訊いた。
「あんた、名は」
「レンデルといいます」
便が揺れた。
バルドは、揺れが収まってからも、まだ黙っていた。
「ヨナ・レンデルか」
「はい」
「そうか」
彼は前を向いた。
「掲示に、あんたの名前が出てたことはなかったな」
「出ません。内務です」
「知ってる」
バルドは、腕を組んで目を閉じた。
「クレイグの婆さんの番地な。あれ、誰が知ってたと思う」
俺は答えなかった。
答えると、あの三月が短くなる。三月は、短くしてはいけない。
◆
王都の門が見えたのは、六日目の夕方だった。
石の壁が長い。半年前、俺はここから出た。出るときは荷が一つだった。戻るときも一つだ。中身は違う。
バルドが荷台から降りて、伸びをした。
「どこへ行く」
「支部です」
「やめとけ」
彼は門のほうを見ずに言った。
「掲示板を、先に見ろ」




