幕間 金庫を開ける
三の月の末日は、雨だった。
バルテは商会の書記を二人連れて、〈銀羽〉王都支部の門をくぐった。門番は止めなかった。止めるように言われていないらしい。それだけで、中の様子がだいたい分かった。
受付に人がいなかった。
掲示板に、依頼票が四枚貼ってある。四枚とも、査定済みの札が付いていない。バルテは足を止めて、それを数えた。数えるまでもなく四枚だった。
「支部長は」
奥から出てきた若い男が、二階を指した。
◆
カルロ・ヴェインは、机に座っていた。
バルテは書面を出した。貸付の証書と、支払催告の写しが三通。三通とも、この三月のあいだに送ったものだ。
「本日が期日です」
「知っている」
「いくら、ご用意いただけますか」
カルロは、すぐには答えなかった。答えないというのは、ないという意味である。バルテは十九年この仕事をしていて、その沈黙を何百回も聞いた。
「六十だ」
カルロが言った。
「百二十のうち、六十」
「残りは」
「今は、ない」
バルテは書面を畳んだ。畳みながら、内心では驚いていた。
驚いたのは額ではない。額を正確に言ったことにだ。取り立てられる側は、たいてい額を間違える。多く言うか、少なく言うかは人によるが、正確に言う者はまずいない。正確に言うには、自分の帳簿を読めていなければならない。
「支部長。ひと月前にこちらへ伺ったとき、あなたの部下は九十と言いました。その前は百四十と言いました」
「間違いだ」
「今回は」
「合っている」
カルロは、そこで初めて顔を上げた。
「先月から、数字だけは合うようになった」
◆
金庫室は、地下にあった。
石の階段を下りると、思ったより広い。棚が三方にあって、帳簿が並んでいる。床に、本部から来たという男が座って、頁を繰っていた。
バルテは、金庫の中を見せてもらった。
銀貨で、六十二枚。あとは書付だけだった。
「これで全部ですか」
「全部だ」
バルテは書記に数えさせた。数え終わるまでに、四半刻かかった。そのあいだ、彼は棚の帳簿の背を見ていた。
一冊だけ、背に紙が貼ってある。細い字で〈繰入勘定〉と書いてあった。インクが新しい。
「あれは」
床に座った男が答えた。
「名前を付け直しただけです。中身は、まだ調べています」
「前は」
「〈二〉でした」
バルテは、その字を覚えていた。
二年前、この支部との取引で、こちらの請求と向こうの回答が食い違ったことがある。そのとき送られてきた明細の隅に、丸の中に点を打った印が並んでいた。何の印かと訊いたら、事務方の男が出てきて、こう答えた。
——別の勘定から来ている、という印です。
あのとき、この支部の回答はいつも合っていた。三日で返事が来て、額が動かなかった。
二年前は、そうだった。
◆
差し押さえの書面を出すのは、簡単な仕事である。
物を選び、目録を作り、封をする。バルテは十九年で三百回以上やった。慣れている。慣れているが、好きではない。
彼は書面を出さなかった。
代わりに、鞄から別の紙を出した。二日前に届いたものだ。
「支部長。一つ、伺います」
「なんだ」
「半年で、この支部は自力で百二十作れますか」
カルロは、質問の意味が分からないという顔をした。
「作れる、というのは」
「手数料です。依頼を出して、査定して、掲示して、受けさせる。それで入る金です。半年で六十作れれば、残りは払える計算になります」
「……分からん」
「分からない、で結構です」
バルテは紙を裏返した。
「私のところに、こういう手紙が来ました。半分を三の月に、残りを六の月にしてほしい、と。根拠に、掲示板の枚数を見ろと書いてあります」
「誰からだ」
バルテは答えなかった。
答えないことにしたのは、頼まれたからではない。頼まれてはいない。
ただ、この男が名前を知ったら、そこで考えるのをやめるだろうと思った。
◆
「掲示板の枚数は、いま四枚です」
バルテは言った。
「半年前、私がここへ来たときは二十六枚ありました。二十六枚のうち、額が入っていたのが十四枚です。私は数えました。金を貸す前には、必ず数えます」
カルロは黙っていた。
「四枚では、六十は作れません。したがって、この手紙の頼みには根拠がありません」
「では、差し押さえるのか」
「いいえ」
バルテは紙を鞄に戻した。
「三の月ぶんとして、六十をいただきます。残りは六の月まで待ちます。手紙の頼みどおりにします」
「根拠がないと言ったばかりだろう」
「言いました」
バルテは鞄の留め金を締めた。
「根拠はありません。ですが、掲示板を数えて手紙を書く人間が、まだこの組合のどこかにいます。私が金を貸したのは、その数え方に対してです」
◆
階段を上がりながら、バルテは一度だけ振り返った。
金庫室の床で、男がまだ頁を繰っている。
残り四個です、と誰かに書いていた男だ。
雨は上がっていた。
掲示板の前を通るとき、バルテは四枚をもう一度見た。
四枚のうち一枚に、朝はなかった札が付いていた。査定済み、と書いてある。字は、たどたどしかった。




