第十七話 期日は動かせません
あのとき、バルテはこう名乗った。〈石環〉商会のバルテ、〈銀羽〉に貸しがある側の人間だ、と。名乗り方に嫌味がなかったので、覚えている。取り立てに来る人間の名乗り方ではなかった。
文面は短かった。
——王都支部への貸付、期日は変わりません。三の月の末日です。
——支部からの返答が三度ありましたが、三度とも額が違いました。どれが正しいのか、こちらでは判じられません。
——レンデル殿。あなたが〈銀羽〉の人でないことは承知しています。承知したうえで伺います。あの支部の残高のうち、我々に渡ることになっている分は、いくらですか。
◆
「答えられますか」
アンナが訊いた。
「答えられます」
「では、答えますか」
俺は黙った。
黙ったのは、答えを知らないからではない。百二十枚だ。第二勘定の四つ目、商会への支払準備。三の月の締めで、銀貨百二十枚。数字は口から出かかっている。
「出すと、どうなりますか」
セリが訊いた。
「商会は、その額で支部に迫ります」
「合っているなら、いいじゃないですか」
「合っています。三月前の数字としては」
俺は言った。
「今いくらあるかは、俺は知りません」
◆
アンナが、机の端を指で叩いた。彼女が考えているときの癖だと、この十日で分かった。
「支部長は、そこから引いています」
「引いていますか」
「引いています。私がいた二月で、四度」
「額は」
「分かりません。私は受付です。金庫の帳面は見られません」
彼女は指を止めた。
「ただ、屋根を直しました。人を二人雇いました。〈鉄槌〉に前渡しをしました。それだけで、六十は出ます」
六十。
百二十のうち六十が消えているなら、期日に払えるのは半分だ。
半分でも払えれば、まだいい。問題は、残りの六十がどこから出ると彼が思っているかだ。おそらく、これから入る手数料から出ると思っている。入る前提で使っている。
入らない。掲示板に依頼票が出ていなければ、手数料は入らない。
「ヨナさん」
セリが言った。
「その百二十というのは、誰の金ですか」
「商会の金です。まだ渡していないだけで、渡すことは決まっています」
「じゃあ、支部長さんは、他人の金で屋根を直したんですね」
「そうです」
「悪い人ですか」
十七の子は、こういう訊き方をする。
大人はしない。大人は、悪いかどうかを訊く代わりに、事情を並べる。並べているうちに、訊きたかったことが消える。
◆
俺は、すぐには答えなかった。
答えは決まっている。決まっているのに、口に出すのが難しかった。難しいのは、答えが二つあって、両方本当だからだ。
「悪くありません」
俺は言った。
「屋根は漏っていました。三年前から漏っていて、書類が濡れます。雇った二人は、俺が抜けた穴を埋めるためです。〈鉄槌〉への前渡しは、あそこが受けなければ北の街道の依頼が止まるからです」
「全部、要ることですね」
「全部、要ることです」
「じゃあ、なにが悪いんですか」
「順番です」
俺は台帳を引き寄せて、白紙の頁を開いた。
「屋根を直すのに使っていい金と、使ってはいけない金があります。使っていい金がなかったので、彼は使ってはいけない金を使いました。使ってはいけないと書いてなかったからです」
「書いてなかったのは」
「俺です」
◆
その日、俺は三通書いた。
一通目はバルテ宛。
——三の月の締めで、貴商会に渡ることになっていた額は、銀貨百二十枚です。ただしこれは私が支部を出る前の数字です。現在の残高は知りません。
——数字だけをお渡しします。取り立ての材料としてお使いになるのは自由ですが、私は取り立てを勧めません。理由は二通目に書きます。
二通目もバルテ宛にした。分けたのは、一通目だけを他人に見せられるようにするためだ。
——期日どおりに全額を取ると、支部は止まります。止まると、依頼が出ません。依頼が出ないと、街道の魔物が減りません。街道が使えないと、貴商会の荷が通りません。
——半分を三の月に、残りを六の月にしていただけませんか。半年で、支部は自力で作れます。作れる根拠は、同封の掲示板の数字を見てください。
三通目は、トーレン宛に書いた。
——支部の掲示板に、いま何枚の依頼票が貼ってあり、そのうち何枚に額が入っているかを教えてください。至急です。
◆
「なぜ、掲示板なんですか」
セリが訊いた。
「支部が生きているかどうかは、掲示板で分かります」
俺は封をしながら答えた。
「二十六枚貼ってあって、二十六枚に額が入っていれば、生きています。額が入っていないものが半分あれば、査定する人間がいません。一枚も貼っていなければ、終わっています」
「終わっていたら、どうしますか」
「半年で作れる、という根拠がなくなります。そうしたら、二通目は出せません」
書き終えて、俺は三通を並べた。
一通目は数字だけ。二通目は頼み。三通目は問い合わせ。順番も、封の色も分けた。バルテが一通目だけを商会の会議に出せるようにするためだ。
こういう気の回し方を、俺は十二年やってきた。誰にも褒められたことがない。褒められる種類の仕事ではないからだ。
「三通とも、封の色が違います」
セリが言った。
「一通目は、誰に見せてもいいものです。二通目は、あの人が一人で読むものです」
「三通目は」
「頼みごとです」
俺は三通を便に載せた。
載せてから、自分が何をしているのかを、少し考えた。
俺は取り立てられる側ではない。俺の金でもない。俺の勤め先でもない。
それでも書いた。
書かない理由を探せば、いくらでもある。俺を切った男の支部だ。俺の名前で残った契約は十九件で、そのうち一件も、あちらから書き換えを申し出てきていない。
放っておけば潰れる。潰れれば、俺を切った判断が間違いだったと、誰の目にも見える形になる。
それでも書いた理由は、たぶん一つしかない。
潰れると、遺族の給付が止まる。
北の第三区の番地は、俺の机の左の抽斗に入っていた。アンナが持って出た。いま、この村にある。
◆
返事は、十二日後に来た。
トーレンからだった。
——掲示板に、依頼票は四枚です。四枚とも、額は入っていません。
俺は紙を持ったまま、しばらく動かなかった。
四枚。
半年前、あそこには二十六枚貼ってあった。査定済みが十四枚、額が入っていないのが十二枚。十二枚は三十分で終わる仕事だった。俺は終わらせずに、背を向けた。
背を向けたとき、掲示板の上に浮かんでいたものを、俺は覚えている。
——不足:査定者(1)
一だった。
一人いれば、足りた。




