↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/58

第十三話 まだ俺の名前で生きている

 看板を掛け替えたのは、雨の日だった。

 〈銀羽〉トゥーレ出張所、と彫ってある板を外して、取次所、と打ち出した鉄の板を上げた。彫る道具が村にないので、ゴルドが鉄を叩いて字にした。取の字が少し曲がっている。


「曲がってる」


「見えりゃいい」


 ゴルドは梯子を降りて、雨に濡れた手を前掛けで拭いた。


「出張所と取次所で、何が違う」


「依頼を受けられます。査定して、額を決めて、掲示できます。今までは王都に回すだけでした」


「回すだけで半年かかっとったな」


「かかっていました」


 俺は板を見上げた。雨で、打ち出した溝に水が溜まっている。


「あと、手数料を村から取らなくてよくなりました。素材の買取益から充てます」


「それは大きい」


 ゴルドはそう言って、鍛冶場へ戻っていった。


           ◆


 給金も変わった。年に銅貨四十枚だったものが、月に銀貨四枚になる。

 十二年勤めて、俺の給金が上がったのは三度目だ。三度目で、初めて自分で稼いだ気がした。


「これで、ヨナさんは〈銀羽〉に戻ったんですか」


 セリが台帳から顔を上げずに訊いた。彼女は最近、書きながら喋る。手が止まらなくなったらしい。


「戻っていません」


「でも、給金が出ますよ」


「本部から出ます。王都支部からではありません」


「同じ〈銀羽〉でしょう」


「同じ看板です」


 俺は言った。


「名前が、別の場所に置き直されただけです」


 セリはペンを止めた。それから、何か書き足した。俺が言ったことを書いている。彼女は最近、俺の言ったことをそのまま書く。あとで読み返すと、自分がずいぶん妙なことを言っているのが分かる。


           ◆


 取次所になって最初に届いたのは、依頼ではなかった。

 請求書だった。

 封を切って、俺は宛名のところで止まった。


  ——ヨナ・レンデル殿


 〈銀羽〉王都支部、ではない。トゥーレ取次所、でもない。個人の名前だけが書いてある。

 中身は、消耗品の代金だった。矢が二千本、包帯が四十巻、油が六樽。三の月に納めたぶんの、支払われていない残り。

 銀貨で、十八枚。

 支払期日は、三月前に過ぎている。


「ヨナさん」


「はい」


「顔が」


「そうですか」


 俺は請求書を机に置いた。置いてから、置いた手が汚れているような気がして、拭いた。


「これは、王都支部の買い物です」


「じゃあ、なぜヨナさんに来るんですか」


「発注したのが俺だからです」


           ◆


 説明するのに、思ったより時間がかかった。

 〈銀羽〉の発注には、支部長の承認が要る。判をもらって、書式を整えて、商会へ出す。ここまでで、早くて十日。支部長が不在だと、二十日。

 消耗品の締め日は月の十四日で、ここを越すと次の入荷が一月後になる。矢が切れる。矢が切れると、依頼が止まる。


「だから、先に出していました」


「先に、というのは」


「俺の名前で発注します。商会は俺を知っているので、それで通ります。品物が入ってから、支部の承認を取って、勘定を振り替えます」


「振り替える」


「俺が立て替えた形にしておいて、あとで支部の金で埋める。埋めるまでのあいだ、その金は宙に浮きます。浮いた分を置いておく場所が要ります」


 セリが顔を上げた。


「それが、〈二〉ですか」


 俺は彼女を見た。

 教えた覚えはなかった。


「手紙で読みました。トーレンさんの」


「読んだんですか」


「ヨナさんが机に出しっぱなしにしていました」


 その通りだった。


「そうです。第二勘定です」


 俺は言った。


「支部の金ではない金を、置いておくところです」


           ◆


 第二勘定に入っていたものを、俺は数え上げられる。数え上げられるが、口に出すのは初めてだった。

 一つ、俺が立て替えた発注の代金。

 二つ、依頼が終わったのに報酬をまだ渡していない冒険者のぶん。〈黒沼〉の依頼は決算が三月後になるので、必ずここを通る。

 三つ、死んだ者の遺族へ払う給付。送り先が決まるまで、ここに置く。


 四つ、商会への支払準備。期日が来るまで動かさない。

 俺は指を折りながら言った。額も覚えている。覚えているというより、忘れる方法がない。


「三の月の締めで、一つ目が銀貨で三十一枚。二つ目が二十四枚。三つ目が九枚。四つ目が百二十枚です」


「合わせると」


「百八十四枚」


 セリがペンを置いた。


「この村の全部より多いです」


「多いです」


 村にあった現金は、銀貨十一枚と銅貨三十二枚だった。半年前に俺が数えた。


「全部、他人の金です」


 俺はそう言った。


「支部の金は、一枚も入っていません」


「じゃあ、残高があるように見えても」


「使えません」


 セリはしばらく黙っていた。それから、小さい声で言った。


「支部長さんは、それを知っていますか」


 俺は答えなかった。

 答えは、引継ぎ書の三十二枚のどこかに書いてある。書いてあるが、〈二〉としか書いていない。注釈には、第二勘定、としか書いていない。

 第二勘定とは何か、を書いた紙は、ない。

 書かなかった。当たり前だったからだ。


           ◆


 その夜、俺は請求書を机に広げたまま、【不足視】を向けた。

 紙に向けたのは初めてだった。人と、棚と、掲示板には向けたことがある。紙一枚に何が足りないのかは、考えたこともなかった。

 浮かんだ。


  ——不足:名義の書き換え(十九)


 俺は数字を二度読んだ。

 十九。

 この請求書のことではない。俺の名前で生きている契約が、まだ十九ある、ということだ。


「ヨナさん。十九って、何がですか」


「契約です」


 俺は言った。


「俺の名前で結んだ約束が、王都でまだ十九、生きています」


           ◆


 半年前、俺は木札を返した。登録簿から名前が消えた。それで終わったと思っていた。

 終わっていなかった。

 俺が辞めても、俺の名前で結んだ約束は、王都でまだ息をしている。誰も書き換えていない。書き換えられる人間が、あそこにいない。


「ヨナさん。いま、何が見えたんですか」


「十九、と」


「十九」


 セリはペンを持ち直した。


「じゃあ、書きます」


 俺は白紙を出して、上に書いた。


 ——名義一覧。


 書きながら、一度、手が止まった。

 これを誰に送るかを、決めていなかったからだ。

 筋で言えば、王都支部長に送る。契約は支部のものだ。宛名を書き換える権限を持っているのは、あの部屋にいる。

 俺は、送らないことにした。


 半年前、俺は支部長に三日で引継ぎ書を渡した。三十二枚に四十七個の注釈をつけて、それで足りると思った。足りなかった。足りないと分かったのは、読めなかった側ではなく、読めるように書かなかった側の落ち度だ。

 同じ相手に、同じやり方で、もう一枚渡しても同じことになる。

 トーレンに送る。


 あの男は、四十七個のうち四十一個を自分で解いた。解けない六個について、意味ではなく理由を訊いてきた。円の中の点は、なぜ点だったのか。

 訊く人間に渡すほうが、届く。

 俺は宛名を書いた。それから、下に一行足した。


 ——この一覧は、支部長にも見せてください。私からは送りません。理由は、私が書いても読まれないからです。


 書いてから、少し考えて、その一行を消した。

 消して、こう書き直した。


 ——支部長にも見せてください。


 理由は、書かないことにした。

 書くと、悪口になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。