第十二話 紙が村を出る
刈り入れが終わって、二度目の便を出した。
麦が七十袋。角が九本。皮が六枚。護衛は五人になった。ロブが三人を選んで、ノーレから二人が入った。
ケルンで売れて、銀貨四十六枚になった。麦は十八枚のままである。上げないよ、とメルダは言った。角は一本二枚から二枚半に上がった。
俺が持って帰ったのは、そのうちの現金二十枚だけだ。
残りは、メルダの帳簿に載せた。
◆
「預かる、というのはこういうことかね」
ハウルが台帳を見ながら言った。
「トゥーレの取り分のうち十四枚を、ケルンのメルダ商会に置いてあります。次の便のとき、荷と相殺します。現金で持って帰らないぶん、道で獣に取られる心配がありません」
「向こうが潰れたら」
「取られます」
「潰れるかね」
「分かりません」
俺は言った。
「ですので、全部は置きません。半分より少なくしてあります。二十枚を持ち帰って、十四枚を置いた」
ハウルは、ふん、と言った。
この村長は、俺が「分かりません」と言うたびに、少し安心するようになった。
◆
ガレンが証を使ったのは、その三日後である。
麦の代金として、彼は証を十枚受け取っていた。銀貨十枚ぶんである。
彼はそれを、ノーレの鍛冶に払った。荷馬車の車輪を二つ、新しくするためだ。
鍛冶は受け取った。
受け取るとき、一度こちらを見なかったという。ガレンがそう言った。見なかったというのは、迷わなかったということだ。
「なぜ受け取ったんでしょう」
俺が訊くと、ガレンは肩をすくめた。
「うちの鍛冶は、次の便で鉄を仕入れる。鉄はトゥーレの角と一緒に運ぶ。運賃はその紙で払える。だから受け取った」
「使い道があった」
「そういうことだ」
紙が信用されたのではない。使い道が先にあった。
俺は出張所へ帰ってから、台帳にそう書いた。信用という言葉は使わなかった。使うと、後で誰かが理由を取り違える。
◆
二村の会合は、ノーレの村長の家で開いた。
トゥーレから四人、ノーレから五人。俺は数を数える側に座った。
議題は一つである。証を何枚まで出すか。
「三十枚が上限でした」
俺は言った。
「いま出ているのは二十五枚。ですが、この上限はトゥーレの若い衆が半年で獲れる見込みから、俺が一人で決めたものです。ノーレが入るなら、決め直さないといけません」
「あんたが決めればいい」
ノーレの男の一人が言った。
「決められます」
俺は言った。ここでも同じ答えになった。
「決められますが、決めた人間が一人だと、その人間がいなくなったときに誰も直せません。三月前に王都で、それが起きました」
部屋の何人かが顔を見合わせた。噂は届いている。
「では、どうする」
ガレンが言った。
「見込みを二つ出してください。ノーレの半年ぶんの麦と、トゥーレの半年ぶんの角と皮。俺は足して割るだけです。決めるのは、その数字を出した人たちです」
◆
数字が出るのに、二時間かかった。
「麦は、九十袋出せる」
ノーレの側が最初にそう言った。ハウルが首を傾げた。
「去年、あんたのところは七十だったろう」
「今年は畑を二枚増やした」
「増やした畑が、一年目から穫れるのか」
「穫れる」
「穫れんよ」
俺は口を挟まなかった。挟むと、俺の数字になる。
トゥーレの側は逆だった。
「角は、半年で二十本だ」
「二十」
俺は数えた台帳を開いた。
「先の半年は三十四本です」
「あれは運が良かった」
「運は、二度続きませんか」
「続かん」
ゴルドが言った。
「続かんから、少なく言う」
多めに言うほうが証を多く出せる。少なく言うほうが自分の村の責任が軽い。理由が逆なのに、どちらも本音である。
「では、こうしましょう」
俺は言った。
「多いほうの数字と、少ないほうの数字を、両方書きます。どちらで決めるかは、その場にいる全員で選びます。俺は選びません」
「あんたが決めんのか」
「決めません」
最後に、ガレンが自分の数字を三割下げた。
「刈り入れがいつも同じだと思うのは、俺の悪い癖だ」
上限は、銀貨六十枚ぶんに決まった。
俺が一人で決めていたら、たぶん五十枚にしていた。数字は上がったが、決め方は良くなった。どちらが正しいかは、半年後に分かる。
その日、覚書をもう一枚作った。
「署名は四人です。村長がお二人と、記録係が二人」
「記録係も要るのか」
ガレンが訊いた。
「要ります」
「書くだけの者だろう」
「書く人が署名しないと、書いてあることに誰も責任を持ちません」
俺は言った。
「決めた人と、書いた人は、別です。別なので、両方の名前が要ります」
ガレンは、しばらく考えてから筆を取った。
「そういうものか」
「そういうものにします」
二村の村長と、記録係が二人、署名した。
記録係の一人はセリである。もう一人は、ノーレの粉挽きの娘で、名をリナといった。十五だという。字が書けるのは村で三人しかいなくて、そのうち手が空いているのが彼女だけだった。
「わたし、何をすればいいんですか」
リナがそう訊いたので、セリが答えた。
「数えます。全部です」
「全部」
「麦も、鶏も、山羊も、鍋も、誰が誰にいくら貸しているかも」
俺が半年前に言った台詞を、彼女はそのまま使った。
言葉は、そうやって移る。移るときに、誰が最初に言ったかは落ちる。
落ちていい、と俺は思った。
◆
王都から手紙が来たのは、その翌日だった。
封蝋に〈銀羽〉本部の印がある。厚い。三枚入っていた。
一枚目は事務の書面だった。トゥーレ出張所を取次所へ格上げする、正式な通知である。手数料は村から徴収せず、素材買取益から充てる。取次官として俺を任命する。給金が出る。年に銅貨四十枚ではなく、月に銀貨四枚。
二枚目は、トーレンという男からだった。
——注釈の四十一個までは解けました。残り六個です。うち二つは、金庫番の老人が形を覚えていて、意味を思い出しました。あと四つです。
——第二勘定は、私が名前を付け直しました。〈繰入勘定〉と帳簿に書きました。誰が読んでも分かる名前にしました。あなたの印はもう使いません。
——不躾ですが、一つだけ伺いたい。あの略記は、なぜあの形だったのですか。円の中の点は、なぜ点だったのですか。
俺は二枚目を、しばらく持ったままにしていた。
なぜ点だったのか。理由はある。丸だけだと、書き足すときに線が重なって読み違える。だから中に点を打った。十二年前に一度だけ読み違えて、遺族への給付を二重に出しかけた。あのとき決めた。
誰にも言わなかった。訊かれなかったからだ。
訊かれたので、書くことにした。
◆
三枚目は、封筒の中にもう一つ封筒が入っていた。
宛名は、北の第三区の番地まで書いてある。差出人の欄は、〈銀羽〉王都支部ではなかった。個人の名前でもなかった。
こう書いてあった。
——王都支部 受付 アンナ(支部長不在のため、職員名にて)
中の書面は、遺族への死亡給付の支払通知だった。日付は十日前になっている。処理済みの判が押してある。
同封の短い紙に、一行だけあった。
——差出人を、決めました。
◆
その夜、俺は出張所の戸を開けて、外に立った。
村は暗い。宿に灯りが一つある。ゴルドの鍛冶場に火が残っている。
【不足視】は、見ようとしなくても動く。
村へ向けた。
——不足:記録する人(1)
二人いる。あと一人要る、ということだ。証が二村で回るなら、そうなる。
俺はそれを覚えておくことにして、それから、初めてのことをした。
自分に向けた。
十二年、一度もやらなかった。やる意味がないと思っていた。自分に足りないものは、自分がいちばんよく知っていると思っていたからだ。
浮かんだ。
——不足:引継ぎ先(1)
俺はしばらく、それを見ていた。
半年前、三十二枚を書いて出ていった。四十七個の注釈をつけて、六個を思い出せないまま、誰にも読めないものを残した。
同じことを、ここでもやりかけている。
台帳はセリが持っている。持たせている。だが、証をいくら出すかを最後に決めているのは、まだ俺だ。
戸を閉めて、灯りをつけた。
白紙を一枚出して、上に書いた。
——引継ぎ書。




