第十三話:侍は、呪いの本質を知る
「……少し、事態を甘く見すぎていたか」
婚約者候補の令嬢たち(アナスタシア、マリーベル、ジョアンナ)と強固な同盟を結び、それぞれの派閥に属する貴族たちをも味方に引き入れた。計算上、アンジェリカに明確な敵意を向ける存在は、学園内からほぼ消滅したはずであった。
しかし――冬休暇の最中も、王太子たちとカレンと名乗る子爵令嬢は密に接触を重ね、急速にその絆を深めていたらしい。 単に仲を深めるだけであれば放置しておけば良い。……問題は、その後の学園内における「異常な現象」であった。
彼らが学園でこれみよがしにその仲の良さを披露し始めるや否や、一度は綺麗に消え去っていたはずの「アンジェリカに対する根拠なき悪意」が、まるで感染症のように学園全体へ再発・伝染し始めたのだ。
春に控えた三分生の卒業式に向けた社交ダンスの稽古で、王太子とカレンがペアを組んで踊る。 騎士科の模擬戦の合間、カレンが騎士団長子息へ手作りの差し入れを渡しに行く。 領地経営レポートの発表会にて、宰相子息を中心とした王太子グループの発表で、カレンが司会進行を務める。 魔法演習の実技において、魔法省長官の子息とカレンが二人で連携魔法を披露してみせる。
――ただ、それだけの「出来事」に触れただけの一般生徒たちが、洗脳でもされたかのように王太子たちとカレンへ熱狂的な好意を寄せ、同時に、場に居合わせてもいないアンジェリカに対して苛烈な悪意と憎悪を抱くようになるのだ。
王太子たちが直接何かを煽動したわけではない。 彼らとカレンが何らかの「出来事」が起きるたび、失われたと思っていたあの不気味な『呪い』が蘇ってくる。
となれば――アンジェリカの配役(本性)を「榊原直之」という武士へ置き換えた程度では、この呪いの根絶には至っていないということになる。
「……たぶん『シナリオの強制力』ね」
隣で事態を観察していたアナスタシアが、苦々しい顔で呟いた。 俺がその言葉の意味を図りかねて眉をひそめると、彼女は噛み砕くように詳細を語り始めた。
「前にもちょっと話したけど……ゲームっていうのはね、プレイヤーの選択によって多少分岐があったとしても、物語の大きな『結末』や『役柄』そのものが根本から覆ることは滅多にないの。もしこの世界を縛っているのが『呪い』なのだとしたら、私たちがどれだけ運命を変えようとしても、物語を元の筋書きへ無理やり引き戻そうとする強い歪み――『シナリオの強制力』が働いている可能性があるわ」
「……それは、お主の言う『げえむ』とやらでは良くあることなのか?」
「ゲームそのものというより、ゲームを題材にした『二次創作』のお話ね。ほら、鬼退治の物語で鬼側の配役を入れ替えたらどうなるか、って前に話したわよね。物語の筋書きを力ずくで元に戻そうとする試練や災いが、目に見えない巨大な力(強制力)として主人公たちに襲いかかるの」
俺は腕を組み、深々と溜め息を吐いた。
「つまり要約すると――この世界そのものが、アンジェリカ殿(俺)を殺害・破滅させるために意思を持って動いておる、という認識で相違ないか?」
「物言いが物凄く物騒だけど……たぶん、本質的にはそういうことだと思う」
ほう……だとすると、俺がいま立ち置かれているこの世界そのものが、ひとつの「戯作(物語)」の世界だということになる。 だが、果たしてそのような荒唐無稽な事象が存在し得るのだろうか?
俺とアナスタシアは生きた時代こそ違えど、共に「日ノ本」という国で生まれ、死を迎え、巡り巡ってこの見知らぬ異国の地で生きている。なので、知らぬ世があるということは理解できる。
とはいえ……その見知らぬ世が、例えば日ノ本で書かれた草双紙や戯作の筋書き通りに動いているとでもいうのか? そんな馬鹿げた話があるか……。
生前の時代で例えるならば――『南総里見八犬伝』のような世界が存在し、もしや八房(犬)と金碗大輔の立場を入れ替えてみたらどうなるか、といった話か?
あるいは『偐紫田舎源氏』における足利光氏と山名宗全の配役をすり替えたような話か……? そもそも『田舎源氏』は『源氏物語』の翻案であって……。
「……いや、意味がわからん!!」
頭が完全にこんがらがり、俺は思考を吐き捨てた。 こういうややこしい話はアナスタシアの領分だ。
今、俺が考えるべきは――この世界が俺を殺しに掛かってきているという現実を、いかなる立ち回りで乗り切るか。それだけだ。
それにしても、生徒たちが王太子らやカレンなる令嬢と接触するたび、アンジェリカへの悪意を再発させるというのであれば、どう対処すべきか?
また茶会や公開模擬戦などを催して懐柔するか……いや、接触のたびに大衆の心が反転するのであれば、それでは永遠にいたちごっこだ。根本的な解決にはならん。
「……ちょっと待て。そういえばアナスタシア、お主自身に変わりはないか?」
「え? なに突然。変わりって何が?」
「お主は何故、俺に敵意を持たない? 王太子とカレン嬢の催しや出来事には、お主も参加していただろう」
「ええ、参加したけど……。いや、私がアンジェリカに敵対するわけないじゃん」
「三人娘も変わらず、俺に付き添っているな」
「いや、そろそろあの子たちも名前で呼んであげなよ、可哀そうだし……って、ああ! そういうこと!?」
「そうだ。味方であり続ける者と、そうでない者の違いは何だ?」
「そうか……そうね! アンジェリカの側近であるマリアンヌ、カリス、アーリサの三人は、最初からアンジェリカの味方であり続けている。婚約者候補の二人(マリーベル、ジョアンナ)も変わっていないわね。……他の生徒たちはどうかしら」
「そうだ。どの人物が味方のままで、どの人物が敵側へ侵食されたのか、明確な境目を特定する必要がある」
「わかったわ。しばらくは、その視点で学園内の様子を注意深く観察してみるわね」
それから俺とアナスタシアは、王太子らやカレン嬢の動向を細かく観察し、現象の背後にある「法(規則性)」を見出そうと検分を重ねた。しかし――決定的な手がかりを得られぬまま、刻限ばかりが過ぎていった。
冬から春へと季節が移り変わるにつれ、学園のカリキュラムは基礎から応用へと移行し、学年を跨いだ合同授業の頻度が増していく。さらに王太子が二年進級に伴い生徒会へ役員入りすることが決まり、彼の露出と影響力は日に日に増していった。
結果として、秋から冬にかけて苦心して味方に引き入れた大半の生徒たちは、ほぼ元通り――いや、むしろ以前にも増して敵意を露わにするようになっていった。
その異常な波紋の中で、依然として味方のままで居続けたのは、取り巻きであるマリアンヌ、カリス、アーリサの三名。婚約者候補であったマリーベルとジョアンナの二名。そして、エバーランド公爵家ならびにアナスタシア率いるミルレット侯爵家に直接的なゆかりを持つ一部の貴族たちのみであった。
そうした状況下で、あろうことかカレン嬢と俺が直接接触する機会が急増し始める。
例えば、騎士科の模擬戦で対戦相手に指定され、軽くあしらってやると、彼女は涙目になって倒れ込む。 領地経営のグループワークで同じ組になり、俺が至極ま当な見解を述べると、怯えたように肩を震わせ、涙ぐみながら頷く。 教室へ戻れば、破れたノートを手にして立ち尽くすカレン嬢に鉢合わせし、廊下を歩けば、何もいない場所で勝手に転倒するカレン嬢に出くわす……。
周囲の生徒たちはその光景を目撃するや否や、カレン嬢へは憐憫と同情の眼差しを注ぎ、俺へは「悲劇のヒロインを虐げる冷酷な加害者」を見るかのような冷徹な視線を刺してくるのだ。
――さすがの俺も、これには参った。
アンジェリカという存在がただそこに居るだけで、あらゆる事象が「カレン嬢に対する悪意」へと歪められ、捏造される。俺は何ひとつとして不当な手出しをしておらぬというのに、周囲の人間は「何か酷いことをした」と脳内で事実をすり替えて受け止めるのだ。……これは、あまりにも惨い。
この時、俺は初めて「アンジェリカ」という少女への深い同情を覚えた。
これまでの俺は、女神との取引を御家のための任務と割り切って取り組んでいた。公爵家に対する義理もあるが、任務として彼女の代役を務めてきたに過ぎない。しかし、この『呪い』の本質と直面したことで、彼女がこれまで一人で叩き落とされてきた地獄の有様を、ようやく肌身で理解できたのだ。
今の学園で俺に味方が残っているのは、俺自身が「榊原直之」という確固たる意志を持ち、男装や立ち回りによって関係性を歪めてきたからに過ぎない。
もし、本物のアンジェリカ殿の心が折れ、絶望に沈んだのであれば――きっとアナスタシアも、あの三人の側近たちも、婚約者候補の二人すらも味方ではいられなかったはずだ。下手をすれば、公爵家の者たちすら敵に回っていたかもしれぬ。
ただ呼吸をし、そこに存在しているだけで、周囲全てが敵へと変わっていく。 それは、人間の『存在そのものの否定』に他ならない。
(……この不条理な地獄は、何としてでも俺の手で断ち切らねばならぬ。このような歪んだ世はあってはならんのだ)




