第十話:侍は婚約者候補を辞退する
年末を迎え、貴族たちは新年の祝いを王城で盛大に催すのが通例とのことで、公爵家内もその準備に追われていた。 王都に滞在するすべての貴族が一堂に会する夜会であり、幕府でいうところの『年頭御礼(年始登城)』のようなものである。 各地の諸侯が一斉に城へ集うのだから、これがどれほど大規模で重要な催しかは、武士である俺にも痛いほどよく理解できた。
俺の身支度は基本的に交流会とさほど変わらなかったが、正装として装飾がやや華やかになり、金色の髪は後ろで三つ編みをさらに団子状に編み込まれ、そこに高級感漂う簪に似た美しい髪飾りが二本、深く挿し込まれていた。
さすがに城内への帯剣は許されんため、念には念を入れて、腰の帯の隙間に武器としても使える『鉄扇』を忍ばせておく。
馬車で王城へと向かい、まずは通された待合室で待機する。 階級の低い貴族から順に大広間へ入場するため、最高位であるエバーランド公爵家の案内は、王家を除けば最後となるのだ。
やがて案内役の従者が入場を促し、俺たちは大広間へと足を踏み入れた。 今回の俺のエスコート役は兄君だが、手を取るような真似はせず、堂々と肩を並べて歩を進める。
重厚な大扉が左右に開かれ、俺たちが入場した瞬間――先ほどまで喧噪に包まれていた広間が、一瞬だけ水を打ったように静まり返った。 だが、俺たちが数歩進んだ時には、地鳴りのようなどよめきと歓声が大広間全体に響き渡っていた。
すでに俺の男装姿を知る者からは熱狂的な歓声が上がり、まだ噂でしか知らなかった者たちからは驚愕のどよめきが漏れているのだ。
「アンジェリカ様……! 今日はいつにも増して神々しい……っ」
「えっ……あれが本当にアンジェリカ様なの!?」
「夜会の場に男装だなんて……は、はしたない……!」
「ふふ、その割にはお目線を全く外せませんのね?」
「しかし……なんだあの気配は」
「ああ……美しさもそうだが、立ち昇る威圧感と存在感が凄まじいな……」
公爵家が指定の待機場所まで到達すると、すぐさまミルレット侯爵閣下が笑みを浮かべて挨拶にやってきた。 そしてそれを皮切りに、公爵家――特に俺の周りにはあっという間に人だかりが形成された。
エスコート役だったはずの兄君はというと、ちゃっかり俺の傍を離れ、アナスタシアと楽しげに談笑を始めている。……。
俺はマリーやアナスタシアから叩き込まれた『淑女の扱い』という社交界の作法を脳裏に思い浮かべ、顔に貼り付けた愛想笑いを浮かべつつ、群がる令嬢たちのお相手をそつなくこなしていった。
やがて――朗々とした朗誦の声が大広間に響き渡る。
『――国王陛下、並びに王妃殿下、王太子殿下、第二王子殿下、第一王女殿下のご入場!!』
俺たちが入場してしばらくの後、ついに王家の面々が大広間へと姿を現した。 広間に集うすべての貴族が、一斉に深く頭を垂れてこれを迎えたのだった。
「我が愛する王国の諸侯、そして誇り高き臣民たちよ。新しき年の始まりを、こうして息災なお主たちと共に祝えることを嬉しく思う。新しき年もまた王国の安寧とさらなる繁栄のため、諸侯が一丸となって我が王家に忠誠を尽くし、その力を存分に振るわんことを期待する。今宵は杯を掲げ、王国の栄光と豊かな未来を共に祝おうではないか! 皆の者、杯を掲げよ――乾杯!」
『「「乾杯!!」」』
居並ぶ全員が杯を掲げ、国王陛下へ返杯を捧げる様は実に見事な圧巻の光景であった。 その感想を公爵閣下にそっと伝えると、閣下は満更でもない様子で口元を緩めた。
「さあ、国王陛下へ新年のご挨拶に伺うぞ。我々が筆頭だ」
そうして俺たちは、公爵家一門として国王陛下の御前へと進み出た。
「国王陛下、王妃殿下。ならびに王家の皆様方。新年のご慶賀を、公爵家を代表して申し上げます」
「おう、公爵もご苦労であるな。今年もお主の力を頼りにしておるぞ」
俺にとっては初めてお目にかかる国王陛下だが、なかなか剛毅で覇気もあり、一国の主として相応しい気配を纏う人物とお見受けした。
「――して、今宵のアンジェリカ嬢のその姿は、どういった趣旨なのだ?」
国王陛下が興味深そうに俺の男装に目を留める。すると公爵閣下は、まるで見てきたかのようにさらりと過去を捏造し始めた。
「いやはや……世間には伏せておりましたが、幼少よりアンジェリカは異国の剣術に傾倒しておりましてな。淑女教育も施したのですが、本人がどうしても『剣の道で生きたい』と譲りませんで……。ならば『我が家の騎士団長を打ち負かせたら許す』と諦めさせようとしたのですが、メキメキと腕を上げ、半年ほど前に本当に騎士団長を叩きのめしてしまいまして……」
ご母堂様も、その捏造に絶妙な追記を肉付けする。
「本当に、騎士団長を倒してしまうなんて……。しかも『もうドレスなど着ないから仕立ても不要です』と言い出す始末で……。苦肉の策として、このような『男装の麗人』としての正装を仕立てて納得させた次第でございますの」
(……なるほど、男装はやめさせんというご母堂の意思表示か)
「実際、この妹の隣に立つと、男である私の方が霞んでしまいましてね。実に困った妹ですよ」
兄君が最後に軽妙な笑いを添え、公爵家の一座で和やかに笑い合う。 国王陛下も、俺の男装があまりにも様に決まっているためか、豪快に頷かれた。
「まあ、そうだな。ここまでアンジェリカ殿が良い男っぷりを見せるとは思わなんだわ」
「本当ですわね。あまりにお麗しくて、目を奪われてしまいますわ」
国王陛下も王妃殿下も、好意的に評価してくださった。 ……だが、ただ一人。悪意を隠そうともしない青二才――王太子だけは面白くないらしい。
「おい、アンジェリカ! そのようなふざけた格好で王家の御前に立つなど、無礼とは思わんのか!?」
王太子が青筋を立ててケチをつけてくる。……こやつは一体、何がしたいのだ?
「いえ。露ほども思いませんが」
「なんだと!?」
「……」
「おい……アンジェリカ! 無視するなッ!」
俺は静かに息を吐き出すと、叫び散らす王太子を完全に視界から外し、直接国王陛下へと向き直った。
「国王陛下。発言の許可を賜ってもよろしいでしょうか」
国王陛下はニヤリと口元を緩め、顎に手を当てて応えた。
「めでたい新年の夜会だ。申し述べることを許す」
「感謝いたします。――先ほど父から話がありました通り、俺は一人の『武人』として生きることを選び、こうして男装にて出席しております。つまり、誰かと婚姻を結ぶ気は毛頭ございません。ゆえに王家へは再三にわたり『婚約者候補の辞退』を文書にて申し出ておりますが、一向にご返答をいただけておりません。そして、今の王太子殿下のご発言についてでございます」
まさかこの晴れがましい宴の席で「婚約辞退」の話題を直談判されるとは思っていなかったのか、国王陛下も王妃殿下も少なからず驚きを見せた。だが、俺が問いたい本質はそこではない。
「先ほど国王陛下は、父上との会話の中で俺の立ち姿を『良い男っぷり』とお褒めくださった。しかし、次に王太子殿下は『無礼』と吐き捨てられた。――いつから王太子殿下は、国王陛下がお認めになったものを公然と否定するお立場になられたので?」
王家の方々は一瞬で言葉を失い、固まった。 だが、これは王家自身の怠慢が招いた必然である。
「辞退の打診には返事もせず引き延ばし、今夜のお言葉も陛下と殿下で正反対。……臣下たる我らは、いったいどちらのお言葉を信じれば良いのでしょうか?」
「貴様ッ!! 何様のつもりだ! 不敬であるぞ!!」
王太子が怒号を響かせるが、俺にとってはただのそよ風だ。もう少し煽ってやるとしよう。
「……ほら、またでございます。陛下がお許しになった発言すら、殿下は即座に否定なさる。もしや国王陛下がお許しになられても、王太子殿下のお気に召さねば、我らは罪に問われますのかな?」
「これ、アンジェリカ。少々言い過ぎだぞ、控えなさい」
見かねた公爵閣下が間に割り込み、俺をすっと後ろへ下げさせた。 しかし、公爵閣下自身も王家の対応には積年の思うところがあったのだろう。深く頭を下げつつ、国王陛下へ静かに告げた。
「……娘の言葉が行き過ぎましたこと、お詫び申し上げます。ですが――娘の言い分につきましては、我ら公爵家も全く同じ意を抱いております」
国王陛下は気まずそうにゴホンとわざとらしく咳払いをすると、王太子を軽く牽制した。
「……お前も感情的になり過ぎだ。控えよ」
俺は静かに溜め息を吐いた。 全く……この王太子に対する対応の甘さは何なのだと問い詰めてやりたいところだ。だが、とにかく詰めるべきは一つ。
「国王陛下。この場において明確なお答えをいただきたく存じます。王太子殿下から、これほどお嫌悪を買い、俺自身もすでに剣に生きると腹を括っております。しからば、速やかに王太子殿下との婚約者候補の辞退をお認めいただきたい」
「……そのような話は、このような場でするものではない」
「では、いつお話しいただけますのかな?」
「……いずれ、しかるべき時にだ」
国王陛下は白けた顔で、絵に描いたような生ぬるい保留の回答を寄こしてきた。 ほう……そっちがその気なら、こちらも相応の出手を出させてもらうまで。
「――ならば、王太子殿下に直接申し上げよう」
俺は王太子へ鋭い視線を向けた。
「貴方との婚約者候補を辞退し、今後いかなる事態が起ころうとも、俺が貴方と婚姻あるいは婚約に類する契約を結ぶことは断じてないと――ここに明確に宣言する」
「勝手なことをぬかすな! 婚姻を決めるのは王家だッ!」
「左様でしょうな。いつかは決めるのでしょう。だが――俺が死ぬまで決まらぬやもしれんゆえ、当事者であるお主に直接伝えたのだ」
「貴様ぁッ! いい加減に――」
「黙らんかッ!!」
国王陛下の威圧を孕んだ一喝が響き渡った。
「今宵はめでたい新年の夜会だぞ! 二人ともいい加減にせんかッ!」
王太子はびくりと肩を跳ね上がらせて口をつぐんだが、俺はただただ白けるばかりであった。
(……他力本願の、優柔不断な殿様であったか)
俺は無言で一礼し、静かに後ろへ下がった。 公爵閣下は苦笑いを浮かべながら俺の後に続いてくださったが、すれ違いざま、国王陛下へポツリと一言、呟くように残した。
「……我がエバーランド公爵家は、その『いつか』をいつまでも都合よく待ち続けるだけの家ではございませんよ」
その声が国王陛下の耳に届いたかどうかは知らん。 だが――俺の目的は十二分に達した。
俺自身が王家に一切の未練も執着もないこと。そして王家側が、アンジェリカ殿への対応を何一つ決めきれずに迷走している事実を、社交界の全貴族の前で白日の下に晒してやったのだ。
王家を敵に回すリスクはある。だが、重大な決断を先延ばしにし、国内の混乱を助長している王家をどこまで信頼できるというのか? それは集まった諸侯たちにとっても、火を見るより明らかなはずだ。
――。俺の判断に、公爵閣下も同調してくださった。実に有り難いことである。
会場は落ち着かない雰囲気だったが、すれ違いざまにミルレット侯爵閣下が、こちらにウインクして、通り過ぎた。
味方が多いことも有難い。
あの天然娘の手のひらで踊っているような気がしないでもないが…。
そうして我らは、会場を後にした。
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