第三話「置き去りの陣」
#### 一
街道を避け、獣道を辿ること半日。ゴンザたち一行は、かつて練が置き去りにされた陣の跡地近くまで戻ってきていた。
「なんで、わざわざこっちに」
「馬鹿、逆だ。戦のあった場所の方が、今は却って敵の目が届かねぇ。焼け跡を漁る火事場泥棒とでも思われりゃ、それまでよ」
ゴンザの読みは的確だった。焼け焦げた旗指物や、壊れた荷駄が散乱する野営地の跡には、人の気配がほとんどなかった。だが、その静けさの中で、練はふと、うめき声のようなものを耳にした。
「……声、しませんでした?」
「気のせいじゃねぇか」
「いえ、確かに」
音を頼りに藪をかき分けると、崩れた荷駄の陰に、若い女が倒れていた。武家の娘らしい上等な小袖を纏っているが、袖も裾も泥と血で汚れている。傍らには折れた小太刀が転がっていた。
「――こ、こんなところに、なんで」
慌てて駆け寄ると、女はうっすらと目を開けた。気丈な光を宿した瞳が、練を睨むように見上げてくる。
「……足軽風情が。近寄るな」
弱々しい声のわりに、言葉には鋭い刺があった。だが、その気丈さとは裏腹に、彼女の右足には深い傷があり、まともに動ける状態ではなさそうだった。
「動くなよ、変に触ったら余計に悪くなる」
ゴンザが慣れた手つきで傷の具合を確かめる。女は歯を食いしばりながらも、抵抗する気力すら残っていないのか、大人しく身を任せた。
「儂は雑兵上がりの目利きだ。多少の手当てぐらいは分かる。だが、この傷、放っときゃ膿む。どこかで落ち着いて手当てしねぇとな」
「……お前たちに、借りを作るつもりはない」
「そう強がるな、嬢ちゃん。命あっての物種だぞ」
女はきつく唇を噛んだまま、それでも反論はしなかった。よほど痛むのだろう、額には脂汗が滲んでいる。
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#### 二
女の名は、桜庭明日香というらしい。この地を治めていた小さな国衆――桜庭家の一人娘だった。先の敗戦で城が落ち、逃げる途中ではぐれ、負傷したまま一人でここまで辿り着いたのだという。
「桜庭様の……」
練はその名を聞いて、はっとした。自分がかつて紛れ込んでいた足軽隊は、まさにこの桜庭家に仕えるものだった。あの敗走の混乱も、この娘の家が引き起こしたものだったのだ。
「城は落ちた。父上は討ち死にされたと聞いた。もはや……桜庭の家に、明日はない」
淡々と語る声の端に、押し殺しきれない絶望が滲んでいた。明日香は視線を逸らし、それ以上何も語ろうとしなかった。
一行は、近くにあった小さな祠に身を隠し、ひとまず休むことにした。ゴンザが手持ちの薬草で応急の手当てを施す間、練は焚き火の準備をしながら、ちらちらと明日香の様子を窺っていた。
気位が高く、決して弱音を吐かない。だがその瞳の奥には、深い孤独と焦りが見え隠れしている。練には、その気持ちが少しだけ分かる気がした。何もかもを一度に失い、頼れるものが何もなくなる恐怖――それは、この世界に放り込まれた自分自身の恐怖と、どこか重なっていた。
「――何を見ている」
視線に気づいた明日香が、鋭く睨みつけてくる。
「あ、いえ、その……大丈夫かなと」
「案ずるな。すぐに動けるようになる。そうしたら、桜庭の家を再興するために動かねばならぬ」
強がる言葉とは裏腹に、その声は弱々しく震えていた。練は何も言えず、ただ焚き火に薪を足すことしかできなかった。
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#### 三
夜半、遠くから馬蹄の音と、松明の明かりが近づいてくるのが見えた。
「まずいぞ、敵の残党狩りだ」
ゴンザが緊張した声で告げる。桜庭家を滅ぼした側の兵たちが、生き残りを狩り出すために近隣を捜索しているのだろう。動けない明日香を抱えたまま、逃げ切れる距離ではなかった。
「隠れる場所は……」
「もう遅い。灯りに気づかれた」
祠の周囲を松明の明かりが囲み始める。数にして十人ほどの武装した兵。とても、はぐれ者の一行が太刀打ちできる相手ではない。
「儂が引き付ける。お前らはその隙に――」
ゴンザが飛び出そうとするのを、練は思わず腕を掴んで止めた。
「待ってください」
「何を悠長な」
「俺に……考えがあります」
震える声だったが、練の目には、これまでとは違う光が宿っていた。背負っていた竹束を下ろし、祠の入り口に立てかける。
「みんな、この後ろに」
「そんな竹束一枚で、何ができるってんだ」
「試させてください。……お願いします」
有無を言わさぬ練の様子に、ゴンザは戸惑いながらも、明日香を抱えて竹束の陰に身を寄せた。
やがて、兵たちの一人が祠を見つけ、槍を構えて突進してきた。松明の明かりに照らされたその穂先が、まっすぐ竹束に突き立てられる。
――ガッ、という鈍い音。
槍の穂先は、竹束の表面にわずかな傷をつけただけで、それ以上は一寸たりとも進まなかった。まるで岩に突き当たったかのように、兵は弾かれてよろめいた。
「な、なんだこの盾は……!」
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#### 四
驚愕する兵たちを前に、練は震える足で竹束の傍らに立った。
「みんな、道具のせいにしないでください。……悪いのは、俺です。俺がこの盾を、少しだけ丈夫にしただけです」
言葉とは裏腹に、声は情けなく震えている。だがその場に踏みとどまったこと自体が、練にとっては大きな一歩だった。
兵の一人が業を煮やし、刀を抜いて斬りかかってきた。練は反射的に、腰の脇差を抜いて受け止める。金属同士がぶつかる甲高い音がして――次の瞬間、相手の刀身が根元から折れ飛んだ。
「馬鹿な……!」
理解不能な現象を前に、兵たちの間に動揺が広がった。松明の炎に照らされた練の姿は、震えながらも、確かにそこに立ち続けていた。
「もう一度言います。……道具のせいにしないでください。俺が、俺の意志で、これをやりました」
弱々しい声だったが、そこには初めて、自分自身の言葉としての強さが宿っていた。ゴンザが、そして明日香が、驚いた顔でその背中を見つめている。
しばらくの睨み合いのあと、兵の隊長らしき男が忌々しげに舌打ちした。
「……深追いは無用だ。引くぞ」
松明の明かりが遠ざかっていく。緊張の糸が切れたように、練はその場にへたり込んだ。
「大丈夫か、坊主」
ゴンザが駆け寄り、肩を支えてくれる。荒い息をつきながら、練は小さく頷いた。
少し離れた場所で、明日香がじっと練を見つめていた。その瞳には、先ほどまでの敵意ではなく、何か戸惑うような、値踏みするような色が浮かんでいた。
「……お前、何者だ」
問いかけに、練は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ただの、役立たずの足軽です。……道具のことだけは、ちょっと詳しくなりたいと思ってるだけの」
その言葉に、明日香は何も答えなかった。だが焚き火の明かりの中、その横顔には、わずかながら険しさが和らいだ色が浮かんでいた。
夜はまだ深い。だが遠くの空が、わずかに白み始めているのが見えた。
(第四話「桜庭家再興」へ続く)




