第二話「竹束の盾」
#### 一
雨は明け方近くになってようやく弱まった。
練は一晩中、森の奥をあてもなく歩き続けていた。追手の気配はなくなっていたが、それでも足を止める気にはなれなかった。止まれば、また何もかもを考えてしまう。この世界のことも、帰る方法のないことも、明日の食べ物のことも。
灰色の空がわずかに白み始めた頃、木々の隙間から、細い煙が立ち上っているのが見えた。
「……人がいる」
警戒しながら近づくと、崩れた炭焼き小屋の跡に、粗末な焚き火を囲む数人の人影があった。鎧兜ではなく、継ぎ接ぎの布子を纏った者たち――おそらく、練と同じように戦から逃げてきた雑兵や、はぐれ者たちだろう。
一人が練に気づき、警戒した目を向けてきた。歳のころは四十がらみ、日に焼けた顔に深い皺が刻まれた、屈強な体つきの男だった。
「――止まれ。敵の間者でねぇべな」
耳慣れない訛りだった。練が固まっていると、男はじろじろとこちらの装束を検分し、やがてふん、と鼻を鳴らした。
「腰の物、持ち方も知らねぇ素人だな。まあ、座れ。火ぐれぇは分けてやる」
こうして練は、名をゴンザという男の焚き火にありつくことになった。ゴンザは奥州の生まれで、若い頃から諸国を渡り歩き、素材の目利きとして雑兵働きをしてきたのだという。竹の質、木の目、鉄の焼き加減――戦場で使う道具のあらゆることに通じている、生き字引のような男だった。
「お前さん、名は」
「常磐練、です」
「トキワ……変わった名だな。まあいい。飯食ったら、さっさと寝ろ。夜はまた冷える」
素っ気ない口調だったが、ゴンザは練の分まで乾飯を分けてくれた。差し出された握り飯を口に運びながら、練は久しぶりに、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
---
#### 二
翌朝、練は焚き火の跡地の傍らで、崩れた竹束の残骸を見つけた。おそらく、この炭焼き小屋跡の近くで小競り合いがあった時に使われ、放棄されたものだろう。
竹束――太い竹を何本も束ね、縄で固く縛り合わせた盾のことだ。鉄砲の弾を防ぐために考案されたと、ゴンザが教えてくれた。
「この束、まだ使えますか」
「無理だな。縄がゆるんで、竹もひび割れとる。的にもならねぇよ、そんなもん」
ゴンザは一瞥してそう切り捨てたが、練はしゃがみこんで、その竹束をじっと観察した。頭の中で、見覚えのある文字列が浮かぶのを期待しながら。
```
《道具超強化》が発動可能です
対象:竹束(損傷・大)
理解度:3%
```
「……やっぱり、低いな」
昨夜の脇差の時とは違う。あの時は、祖父の形見という思い入れと、必死の集中があった。だが目の前の竹束については、練は何も知らない。竹がどう育ち、どう乾かされ、どう束ねられれば頑丈になるのか――何一つ分かっていない。
「なあ、ゴンザさん。竹束って、どうやって作るんですか」
「あん? なんでそんなこと聞く」
「知りたいんです。どういう竹がいいとか、束ね方のコツとか」
怪訝そうな顔をしながらも、ゴンザは意外にも丁寧に語ってくれた。弾を止めるには真竹が良いこと、伐る時期は水分の少ない冬がいいこと、束ねる縄は生乾きのうちにきつく締め直すこと、複数本を交差させて組むと衝撃が分散すること――一つ一つの言葉を、練は頭に刻み込んでいった。
話を聞き終える頃には、視界の中の理解度が、じわりと動いていた。
```
理解度:3% → 19%
```
「上がった……」
ゴンザの目の前で、練はもう一度竹束に手を触れた。念じる。強くなれ、と。
竹の表面が、ぎしり、と小さく軋んだ。ひび割れていた箇所が、内側から埋まっていくように塞がっていく。緩んでいた縄が、まるで誰かが締め直したかのように、きつく張り詰めていった。
```
強化完了
耐弾性能:×80
```
「なんだと……!?」
ゴンザが目を見開いた。竹束は見た目こそ変わらないが、持ち上げてみると、明らかに重さと硬さが違う。試しに近くの倒木の枝で叩いてみたゴンザは、枝の方がへし折れたのを見て、絶句していた。
「お前さん……今、何をした」
---
#### 三
「あの、これは、その……」
練が言い淀んでいると、焚き火を囲んでいた他の男たちも集まってきて、竹束を代わる代わる叩いたり押したりし始めた。誰も刃物を持っていなかったため、本当に弾を防げるかまでは確かめようがない。だが、竹の質感が明らかに変わっていることは、誰の目にも明らかだった。
「なあ、坊主。これ、他のもんにもできるのか」
一人が興奮した様子で尋ねてくる。練は戸惑いながらも頷いた。
「多分……その物のこと、ちゃんと分かってれば、できると思います」
「分かってれば、って……」
ゴンザが顎に手を当てて考え込んだ。しばらくの沈黙のあと、彼はぽつりと呟いた。
「――物の理を知れば知るほど、強くできる、ってことか」
言い当てられて、練は思わず息を呑んだ。まさにその通りだった。頭の中に浮かぶ「理解度」という数字は、対象への知識と、それを扱ってきた者の経験の深さに比例して上がっていくらしい。
「じいちゃんの脇差は、思い出があったから最初からちょっと高かったのかも……。でも竹束は、俺、何も知らなかったから、ほとんど強くできなかった」
「なるほどな」
ゴンザは腕を組み、練の顔をまじまじと見つめた。その目には、先ほどまでの警戒の色はなく、代わりに何か値踏みするような光が宿っていた。
「坊主。お前さん、只者じゃねぇな」
「い、いえ、俺は本当に、何もできない方で……」
「その謙遜、聞き飽きたぞ。今ここでお前がやったこと見て、只者だと思う奴がいたら、そいつの目の方がおかしい」
苦笑しながら、ゴンザは焚き火に薪を足した。
「儂も長ぇこと、あちこちの陣で目利きをやってきた。だがな、物を強くする力なんぞ見たことねぇ。それも、理解すりゃするほど強くなるってか……こいつは、使いようによっちゃとんでもねぇことになるぞ」
---
#### 四
その日の午後、練とゴンザたちは、少し離れた場所から響く砲声を聞いた。近くの街道で、まだ戦が続いているらしい。
「このあたりも、いずれ巻き込まれる。荷物まとめて動くぞ」
ゴンザの号令で、はぐれ者たちが手早く支度を始めた。練も慌てて立ち上がり、強化した竹束を担ごうとして――ふと、その重さに気づいた。
見た目は変わらないのに、まるで鉄でできているかのように重い。それでいて、持ち上げてみると不思議なほどしっくりと手に馴染む感触があった。
「これ、俺が持っていていいんですか」
「お前が作ったんだ。お前が持て」
素っ気なく言い放つゴンザの背中を追いながら、練は竹束を背負い直した。
歩きながら、練は昨夜からの出来事を頭の中で整理していた。理解すればするほど、強くできる。逆に言えば、理解していないものは、ろくに強くできない。この力は、決して万能ではないのだ。
だが、それでも――知ることさえできれば、道は開ける。
刀も槍も使えない自分に、唯一残された武器。それは「理解しようとする姿勢」そのものなのかもしれない。
「坊主、考え事か」
「あ、いえ……この力のこと、もっとちゃんと知りたいなって」
「ふん。物好きだな」
ゴンザは短く笑うと、先を歩き出した。その背中を追いながら、練は背負った竹束の重みを、確かめるように握り直した。
まだ何も成し遂げていない。それでも、昨日までとは違う自分がここにいる。そのことだけは、確かだった。
行く手には、まだ見ぬ乱世が広がっている。だが練は、初めて、その暗い道の先にわずかな光を見た気がした。
(第三話「置き去りの陣」へ続く)




